Ⅷ 『託し託され、杖とも柱とも』
兄妹は『マギ』の秘術《架け橋効果》を利用して、マホウノモリから、赤頭巾の家に一番近い森へと移動した。
夕暮れ時の散策路。光線が地上の大気に反射して、一帯を情趣に富んだ茜色に染め上げている。
婀娜めく風の音。鳴き止まぬ蝉の滝。くゆり満つ花香。行く手には、幹から離れ、落葉した枯れ葉たち。
その末端から、青い髪の少年が夕日を背にやってくる。
「青卑下さん!?」
「ほう……随分と早い登場じゃないか。その様子だと、もはや説明の必要はないな」
青卑下は兄妹の手前で立ち止まり、二人がすでに、王子と接触した後であることを言い当てた。
「青卑下さん。僕たちはあなたとは戦いたくない。赤頭巾さんのためにも正気を取り戻して!」
「正気を取り戻せだと? おいおい……人を狂気者扱いするんじゃねぇよ。俺は至って健全だ」
ヘンゼルの言葉に耳を傾けない青卑下。悪役には、悪役なりの正義があると肩肘を張る。
やはり、話し合いでの解決は不可能なのだろうか。青卑下の気迫に兄妹がジリジリと後ずさる。
「赤頭巾のことを諦めたくないのなら、この俺を倒せばいい。お前達も『黒い森』の住人なら、この森が
どんな場所かくらい理解しているはずだ。『愛』だの『仲間』だの……そんなものは、ただの幻想にし
か過ぎない。どんなにそれらを語ろうが、この森を支配しているのは『力』。有無を言わさぬ力こそが
絶対正義だ。力を持って俺から赤頭巾を奪ってみろ」
青卑下の身体から凄まじい殺気が溢れ出す。執念が彼の周りで蒸発し、紫煙となって充満する。
「……煙?」
「お兄さま……これは……」
兄妹が顔を見合わせる。本能がその場を離れろと二人に命令している。危険な香りが感覚細胞を刺激した。
「《童術・液化青酸グロースアルメローデ!》」
森一帯が紫色に輝いて、青卑下と兄妹の足元に毒々しい魔法円が出現する。
兄妹は青卑下の魔法円から飛び退くように離脱し、気体が液状になっていく姿を目の当たりにした。
「爆ぜろ……兄妹」
☆
溢れていた涙が、ようやく底を突いた。
少しずつだけど、心に落ち着きを取り戻している。
どのくらいの間、泣き崩れていたのだろう。兄がこの場を去ってから、随分と経った気がする。
いつまで泣いていても、誰かが助けてくれるわけではない。状況が一転するわけでもないのに。
赤頭巾は遠くを見るような朧気な目で、風に吹かれる庭草の揺らめきを追った。
「みんなを……助けに行かないと……」
このままここで、いつまでも泣き崩れている場合じゃない。
森で倒れている白雪や小人たちの介抱。傷ついた身体で〈兄妹〉のホームへと飛び立った王子の容態など、
急がねばならない事や、心配すべき事はたくさんある。
それに……今頃、兄と交戦しているはずの〈兄妹〉のとこにも駆けつけなければ――
――駆けつけて、どうするつもりなのか……赤頭巾の考えとは裏腹に、先ほどの出来事が脳裏を去来する。
自分が今さら〈兄妹〉の元に駆けつけたところで、いったい何が出来るというのだろう。
性懲りもなく足を突っ込んで、今ひとたび、兄への説得を試みるつもりなのか。
無理だ。結局は、先ほどの二の舞になってしまう。
兄を前に成す術もなく、言い負かされてしまう様が安易に予想できる。
ダメだ……どう転んだって今の自分は役立たずだ。
兄を討つことも、兄妹を守ることも出来やしない。
兄の言うとおり、もはや兄妹の勝利を信じるしかないのだろうか……。
物語の行き着く先は……『諦念』しかないのだろうか……。
『らしくもない面だな』
突然の予想し難い声に、足下から鳥が立つ。
一瞬、兄が戻ってきたのかと思ったが、そうではなかった。
この声質は兄のものではない。ここ数ヶ月、毎日のように聞いていた、親しみがもっとも深い声。
彼女が今、もっとも聞きたいと思っていた、意地っ張りくんの声質だ。
赤頭巾は泣き疲れた表情はそのままに、ぼんやりとホームへの来場者を眺めた。
なんで? どうして? どうして彼がここに? 信じられないといった様子で、
豈図らんやになる。赤頭巾の視線の先には、ここしばらく会っていなかった、黒髪黒服の少年。
目つきの悪さと、鯔背なオールバックで、その名を森中に轟かせる男。『黒い森』最強の被験体、
〈黒い影〉が怪訝そうに立ちつくしていた。
「狼……くん?」
赤頭巾が確認を取るような声で尋ねてみる。そのような聞きかたになるのも無理はない。
何故なら、狼が自分から赤頭巾のホームを訪れたのは、今回が初めてだったからだ。
いつもとは真逆の接触パターンに、赤頭巾も戸惑いを隠し切れず、慌てた仕草で目じりの残涙を拭き取り、
何事もなかったかのように振る舞った。
「は、ははは……私てば、こんなところで何してるんだろ。そうそう、洗濯物の途中だったんだ。
お兄ちゃんの分もあるから、ほんと大変だよ~えへへ……」
乱れた衣服を両手で掃き叩き、赤頭巾が狼の側に近づいた。
「それで、いきなりどーしたの狼くん。狼くんからうちに来るなんて初めてだよね。あーもしかして……
寂しくなって私に会いたくなっちゃったとか? もう~強引だなぁ狼くんは……」
赤頭巾の弱さを見せない空元気に、狼が当惑する。
何があったのかは知らないが、つい先ほどまで泣いていたのだということくらいは、顔を見れば分かった。
人前で泣くことを避けてきた彼女のことだ。泣いていたところを狼に見られて、無理やりにでも
元気を作ったのだろう。いくら空元気を振り撒いていても、充血した眼孔だけは誤魔化しようがないのに。
「あ、ランチバスケット。もしかして、それを私に届けるために、わざわざ来てくれたの?」
赤頭巾がランチバスケットの存在に気づき、狼の後背を覗き込んだ。
狼は背負い持ちにしていたバスケットを股の高さまで降ろし、突き返すように手渡した。
「……何があった」
狼が赤頭巾の健気な姿を見て口を開く。
泣いていたところを見ておいて、涙の理由を聞かずには去れなかった。
空元気を一蹴された赤頭巾は、狼が自身のことを気にかけてくれた事が意外だったのか、
溜めていたものが込み上げて、彼の袖に泣き縋った。
「ううっ……ヒクッ。狼くん……お願い……お兄ちゃんを、ヒクッ……お兄ちゃんを止めて……
このままじゃ……このままじゃ、ヘンゼルくん達がお兄ちゃんにやられちゃう……」
積止めしていた涙が再び溢れ出す。〈兄妹〉の勝利を信じたい――だけど青卑下の強さは本物だ。
彼と戦って無事でいられるはずがない。負けてしまう恐れのほうが先立って見えてしまう。
「私……お兄ちゃんを止められなかった……私がお兄ちゃんを止めなきゃいけなかったのに……
お兄ちゃんの〝あの笑顔〟を思い出すと、どうしても引き金を引けなくなっちゃう……」
赤頭巾が狼の胸に頭を預ける。思い出されるのは、祖父を討ったときの記憶だ。
いくら敵の術に操られていたとはいえ、祖父を撃ってしまったことは今でも後悔している。
そうすることでしか彼を助けられなかったことも、それが彼からの遺言だったこともきちんと受け止めた。
だけど……それでもやっぱり、祖父は『家族』だったのだ。
同じ屋根の下、同じ釜の飯を食べ、同じ日の中で喜びや悲しみを共にした家族。
そんな、苦楽を共にしてきた、かけがえのない家族に小銃の筒先を向けるのは、
他人を討つのとはわけが違う。
言わば共同体。言わば血を分け合った、自身の半身体とも呼べる存在だからだ。
赤頭巾が青卑下を前に引き金を引けなかったのは、睨みを利かした兄の風姿に、
笑って散った祖父の面影が重なって、ホームパーティーで垣間見た、兄の笑顔が思い出されたことにある。
家族を失って、心に深い傷を負った赤頭巾が覆轍を踏みたくないと考えるのも、
家族を――青卑下を想っていたからのことだった。
「ふん……それは、お前達〝家族〟の問題だろ……〝他人〟の俺には関係ない」
狼は赤頭巾を胸から突き放し、冷たく背を向けた。
「ははは……そうだよ、ね……そんなこと狼くんにお願いしたら、狼くんまでお兄ちゃんの標的にされちゃう
のにね。ははは……私ってほんとバカだなぁ……仲間を傷つけたくないって言っておきながら、
狼くんに頼っちゃうなんて。矛盾してるよね……なんで、もっと相手のことを考えてあげられないんだろう。
この前だって、狼くんに怒られたばっかりなのに……」
しゅんと下を向き、しり馬に乗ろうとしたことを反省する。狼の言うとおりだ。
青卑下は自分の家族で、自分の兄妹だ。家族間の問題は家族内で解決しないといけないのに――
赤頭巾は狼の〝他人〟と言う言葉が引っかかって、彼に心に秘めていた〝最後の想い〟を伝えた。
「でもね……私、狼くんのことを〝他人〟だなんて思ったことないよ。お兄ちゃんが森を出て行ってから、
ずっと一人ぼっちだったから、狼くんのこと〝お兄ちゃんみたい〟だって思ってた……ううん。
お兄ちゃんが帰ってきた今でもそう思ってるよ。狼くんが私のお兄ちゃんだったら良かったの
にな~って。だから……私にとって狼くんは〝家族〟なの。大切な人。狼くんからしたら一方
的に感じるかもしれないけど、私は家族だって思ってるよ。ごめんね、わがまま言っちゃって」
赤頭巾の想いを聞いて、狼の黒髪が風に揺れて逆立つ。
「……言いたいことはそれだけか」
「え……あ、うん……」
「そうか。邪魔したな」
赤頭巾に背を向けたまま、狼が歩き出す。
赤頭巾は去りゆく狼の背中を見つめ、これでもう彼ともお別れなんだと覚悟した。
数歩先で狼が立ち止まる。赤頭巾に背中を見せたまま、
「……この前は、悪かったな。それと、飯……うまかった」
その声は風の音にかき消されて、上手くは聞き取れない声だった。
それでもその声は、風に乗って赤頭巾の耳にきちんと届いていた。
☆
森に充満していた気体が、青卑下の合図で膨らむように爆発した。散布された液体が兄妹を襲う。
「お兄さま! わたしの後ろに――」
グレーテルがヘンゼルを後方へと追いやり、ヌイグルミを前方へと突き出した。
素体に『想い』が反映され、眼前に桃色の円型バリアが展開する。
「つ……」
液体がグレーテルの張った光のバリアに命中し、あたり構わず飛び散った。
「ほう……おもしれぇ」
青卑下が爆煙の中から飛び出して、バリアを張って隙だらけのグレーテルに拳を向ける。
グレーテルの盾に守られたヘンゼルは、右手を目の前で掲げ、翡翠色の魔法円を呼び出した。
「《童術・両刃斧ハーナウ&シュタイナウ!》」
神秘的に輝く翡翠色の魔法円が、光柱となって迫り来る青卑下の視覚を奪った。
「くっ……」
魔法円の中に両手を伸ばし、ヘンゼルは巨大な伐採斧を練成した。
地面を蹴って、ヘンゼルがグレーテルと攻守を入れ替わる。
「てやああああっ!」
「はっははっ! いいコンビネーションだ。昔の俺たち兄妹を思い出す!!」
《幸せのオーラ》に押し戻された青卑下が、ヘンゼルと衝突する。
「僕達は……赤頭巾さんを、あなたの手から絶対に守ってみせる」
「ハッ。どうやら、お前も仲間たちも勘違いしているようだから、この際はっきりと教えてやる!」
「うっ!」
伐採斧を両手ごと持ち上げられ、がら空きになった腹部に青卑下の蹴りが入る。
ヘンゼルは伐採斧の柄を地面に突き立てて、引力に引きずられながらもダメージを軽減した。
「勘違い……だって……?」
ヘンゼルが伐採斧を構える。グレーテルが右隣へと合流し、兄妹は青卑下と対面した。
「ああ、お前たちは勘違いをしている……お前たちの言い分からは、俺がまるで、
赤頭巾を守っていないかのように聞こえる」
「そんなつもりは……」
「いやいい……そう捉えられても仕方がないと思っている。あいつを家に残して、俺は森から出て行って
しまったのだからな。今さら戻ってきたところで、守っているつもりにしか見えないのは分かっている」
たしかに……『守る』と口にすることは簡単だ。言葉を口に出すだけで、実力が伴わなかろうが、
守っている素振りはできる。ヘンゼル達が青卑下から〝赤頭巾への愛〟を感じられなかったのは、
長い間家を空けていた青卑下が突然戻ってきて、赤頭巾を『守る』と言いながら、強引に森から
連れ出そうとしていことに引っかかりを覚えたからだった。
彼はいったい〝何を〟守っているのかと――
「くっくっくっ……そう攻撃的な目で見るなよ。これでも、赤頭巾を守っているのは本当だぜ?」
青卑下が右手に練った《童術の液体》を手の中で遊ばせる。
「この液体は、俺が童術から創り出した変幻自在の賜物。気体・液体・固体……何にでも形を変えられる。
便利だろ? 俺はこれを《物質の三態》と呼んでいる。ただ、少々厄介なとこもある」
青卑下は《童術の液体》に、さらなる《童力》を練り込んだ。
「液体の色が……」
「変わってきただろう。『毒物』を含んでいる。触れたり、少しでも吸い込めば、一発であの世に行くぜ。
まあ……色の濃度によっても毒素の強さは変わるけどな。この程度の色素なら致命傷にはならないだろ」
薄い紫に変色した《童術の液体》を握りつぶす。これ以上のネタバレはしないということだろう。
「厄介なのは、この術に対する周りへの影響だ。妹にでも当ててみろ。大変な事になるとは思わないか?」
話が赤頭巾の守衛へと戻る。青卑下の説明どおりだ。
彼の《童術》が『毒』だとしたら、一歩間違えれば大惨事になる。
下手をすれば、自分の妹に毒殺――なんてことも起こり得るかもしれない。
「そこでだ……俺は考えた。赤頭巾を毒素の脅威にさらしてしまうのなら、あいつの前から俺自身が消え
てしまえばいい……そう思った。そうすれば、妹が間違って俺の毒にやられる心配はない。そうだろ?」
青卑下が長い間ホームを空けていた理由。それが自分の毒から赤頭巾を『守る』ためだったと聞かされて、
ヘンゼルは何も言い返せなかった。間違っていない……青卑下は間違いなく赤頭巾を守っている。
「さらに、だ。俺があいつの前から消えたとしても、黒い森には、まだまだ大量の危険因子が眠っている。
どんな状況で彼女に危険が及ぶか分からない。俺が側に入ればこそ大した問題じゃないが、妹の近くに
いられないことは前述したとおりだ。あいつを守る術――それを俺は模索し……実行した」
青卑下は自身が妹の前から消えるだけではなく、赤頭巾を遠距離からでも守れる術を編み出していた。
「それが……『対毒抗体』だ」
「対……毒抗体?」
「俺が森を出る時より、あいつの身体には俺の《童術》をかけている。どんな〝毒素〟にでも耐えられる、
抵抗性を持った強い術式をな。これによって赤頭巾の身体は毒物に対して強化され、いかなる猛毒でも
受けつけない身体になる。仮に毒キノコを口にしたとしても、彼女がその毒に侵されることはない……。
俺自身がそうであるように……毒こそがもっとも致死率の高い危険因子だからだ」
「赤頭巾さんに、毒が効かない……? あっ!?」
赤頭巾の身体の秘密を知り、ヘンゼルが思い出したように声を上げた。
そう――あれはたしか、いつぞやの毒ケーキ事件。
赤頭巾・狼ペアと争った翌々日。赤頭巾が手作りのリンゴケーキを持参して、魔女の家を訪れた日の事だ。
赤頭巾が森で老婆に貰ったというリンゴには、身体が麻痺するような猛毒が仕込まれていて、
そのケーキを食べたヘンゼル・グレーテル・狼・魔女の4人は、不覚ながらも生死の垣根を彷徨った。
あの時、何故か赤頭巾だけは、毒リンゴの影響を受けていなかった。
狼は赤頭巾に謀られたと言っていたが、彼女自身も何でもないことに驚いていたため、
その可能性は有耶無耶にされ回避されていた。
「もしかして……あの時、赤頭巾さんが元気だったのは……」
ヘンゼルはあの時の赤頭巾が、今まさに青卑下が言った、『対毒抗体』の話に一致していることから、
赤頭巾は青卑下の《童術》に、遠距離ながらも守られていたのだと確信した。
「くっくっくっ……どうやら、心当たりがあるようだな。どうだ? これで少しは分かっただろう?
俺があいつのことを想い……あいつのことをいかに守ってきたかが。お前たちの薄っぺらい友情と
は、年季が違うんだよ! 年季が――!!」
青卑下の姿が消える。兄妹の間に紫煙だけを残して――
「おしゃべりの時間は終わりだ!」
兄妹が振り向くより早く、青卑下の《童術》が二人を捉えた。纏っていた液体が青卑下の両手に絡みつく。
「《グロースアルメローデ・液体化ブロゥ!!》」
両手の液体を兄妹それぞれに当て、起爆と共に勢いよく射出した。
「があああっ!」 「――っ!?」
兄妹が吹き飛ぶ。転がる、転がる、下草を巻き込んで、木立にぶつかるまで二人は転がった。
「《童術・青銅鍵ジルド・レー》」
青卑下の追撃が続く。集めた液体をさらに硬化させ、自身の周囲に8本もの鋼体を展開する。
「うっ……鍵……?」
ヘンゼルは木立から身体を起こし、青卑下の次の攻撃が来ることを予測した。
防御か回避を選択する。ただ……あの色素はやばい! 初期の青色から完全な紫色へと変わっている。
喰らえば、瀕死だ――
「グレーテル! あの技は広範囲の術だ。避けきれない。動かずに僕の後ろにいて!」
ヘンゼルは回避行動を考えていたグレーテルを制止した。少しでも喰らえばお陀仏だ。
ここは回避するよりも、《ハーナウ&シュタイナウ》の『第一効果』――《吸収》に賭けるしかない。
「いい判断だ……だが、果たして防ぎきれるかな」
指先を伸ばし、青卑下が《童術の鍵》8本全てを兄妹に向けて噴出した。
「はああああっ!!」
ヘンゼルが斧を縦横無尽に振り回す。1本、2本と、《童術の鍵》が両刃斧の前に消えていく。
6本……7本! 8本!! 全ての鍵をかきけして、ヘンゼルが肩で息をした。
打ち漏らしはない。グレーテルにも攻撃は届いてないようだ。
「ハァ……ハァ……」
「へぇ~やるねぇ。童術を吸収する童術か。しかし、その防ぎ方は〝不正解〟だったな」
「!!!」
ヘンゼルが柄を支えに膝を着く。毒撃の鍵は全て防いだはずなのに。身体が……身体が熱い!!
童術の毒を喰らったというのか――
「お兄さま!」
「くっくっくっ……その童具、早めに放したほうがいいんじゃないか?」
「――!」
青卑下の忠告どおり、ヘンゼルは両手から伐採斧を手放した。カランという響きと共に、
紫色に染まった《ハーナウ&シュタイナウ》が、煙を出して溶け始めた。その現象に兄妹が唖然となる。
「言ったはずだ。俺の《童術》は『毒』だって。こいつの強みは滞在すること……お前の《吸収効果》とは、
どうやら相性がよろしくないみたいだな。蓄積するんだろ? その童具」
「なっ!」
《ハーナウ&シュタイナウ》が粉砕された原因。それは、伐採斧に蓄積された毒素が完全に吸収されず、
刃の中に滞在してしまったことだった。そして、毒に侵攻された斧をいつまでも握っていたことにより、
ヘンゼルにも毒が回ったのだ。
《ハーナウ&シュタイナウ》でも吸収しきれない術があった事に、ヘンゼルは痛恨の極みに立たされた。
「安心しろ。致死量ではない。お前たちが赤頭巾を諦めるというのなら、解毒の術を打ってやる」
青卑下が命までは奪わないことを公言する。せめてもの情けだと、言わないばかりの表情で。
「ハァ……ハァ……僕、は……」
ふらつく身体を気力で維持させる。青卑下の姿が何十にも重なって見え、
まるで、万華鏡を覘いているみたいだ。苦しい……身体がグルングルンと振り回されている。
だけど――
「僕は絶対に……絶対に仲間を諦めないっ!」
ここで赤頭巾を諦めれば、この地獄の苦しみから、青卑下の言葉どおり解放されたのだろう。
解毒の術とやらで一気に楽になったはずだ。
だけど――これ以上の苦しみを、今度は赤頭巾が背負う羽目になる。
仲間と無理やり離されて、『悲しみ』という苦しさが彼女を永遠に蝕んでいく。
そんなこと……そんなこと赤頭巾にさせられるはずがない!
これくらいの苦しさなんて……彼女のことを考えれば全然マシだ!
「やれやれ……『グリムの仔達』というのは、どいつもこいつも諦めが悪くてイライラする。
教団との約束は破っちまうが、見せしめに一人くらい葬れば、さすがに諦めもつくだろう」
青卑下がヘンゼルに対して止めの宣言をする。
それを隣で耳にしたグレーテルがヌイグルミを引っさげ、青卑下とヘンゼルの間に割って入る。
「そんなことは……わたしがさせない」
「ほう……だったらお前を消してやる」
見せしめのターゲットをヘンゼルからグレーテルに替え、青卑下が最大級の《童術》を練り直した。
「濃度270ppmの毒液だ……一瞬で枯れ果てる。お前の薄いバリアごときじゃ防ぎはきれんぞ」
グレーテルがヌイグルミを構える。青卑下を相手に勝算があるわけじゃない。
彼女の最大の術――《咆哮砲》は、一度きりの最大火力。撃てば間違いなく青卑下を倒せるが、
その代償はムーちゃんの全破損だ。撃つことはできない。それならば――
「どうりょくがなくなるまで、ぜんぶ避けてみせる!」
グレーテルが、青卑下の攻撃を全て回避すると宣言返しした。青卑下が笑う。
「くっくっくっ……強がりはよせ。一撃目で……お前は死ぬ!」
青卑下の両手から赤色に近い毒液がグレーテルに噴射される。見た目がすでに即死級の色合いだ!
「グレーテル!」
ヘンゼルが力の限りグレーテルに向かって叫んだ。当たれば即死。絶対に当たっちゃダメだ!
『《童術・雷郭ヴォルフスブルク!》』
ヘンゼルの目の前に巨大な壁が出現する。黒いイカズチを纏った、堅牢な雷壁だ。
「なんだっ!?」
突然現れた壁に攻撃が阻まれ、青卑下の前から兄妹の姿が消えた。
「この術は……」
ヘンゼルとグレーテルが後ろを振り返る。雑林の奥から一人の少年がゆっくりと歩いてきた。
「ハァ、ハァ……狼、さん……!?」
「ああ? 狼だと……」
巨大な壁が消失し、分断されていた青卑下と、崖っぷちだった兄妹が再び対面する。
青卑下は、残煙の中に兄妹ともう一人――長身の男が立っていることに目を細めた。
狼が兄妹に近づく。事情は全て知っているような素振りだ。
「おい、妹……」
「???」
狼に名を指名され、グレーテルが呼ばれるままに狼を見上げた。
「お前がいつも行っている花園に、毒に効く薬草が生えている。後は分かるな……」
「……やくそう?」
「言っておくが……俺は花や草なんかに詳しくはない。誰かの押し売りだ。勘違いするなよ」
「――!」
狼から薬草の話を持ちかけられて、グレーテルが彼の意向を汲み取る。あの花園を知っている者は、
自分を含め数人しかいない。その中でも薬草に詳しい者と言えば、そう……『彼女』しかいない!
「お兄さま、やくそうです。毒に効くやくそうが森の中にあります」
「ハァ、ハァ……やく、そう……?」
グレーテルが瀕死のヘンゼルを抱え起こし、狼の意向どおり、この場からの離脱を所望した。
狼はヘンゼルの容態を見て、グレーテルにヘンゼルを連れて離れることを合図したのだ。
そいつを森の花園に連れて行き、解毒効果のある薬草で早く回復しろ。後は俺がやる――そのように目配して。
「狼さん……僕は……僕はまだ戦える。赤頭巾さんのためにも……僕は戦わなくちゃいけないんだ」
「……足手まといだ。さっさと消えろ」
「そんな……」
狼に想いを邪険され、ヘンゼルが肩の力を落とす。
相手はあの青卑下なのだ。みんなで戦わないと……ヘンゼルのそんな気持ちに狼がため息を吐く。
「ったく……仲間を信じるんだろ」
狼の口から出た単語にヘンゼルがハッとする。今、狼さんが〝仲間〟って言ってくれた?
群れることを嫌い、いつも孤独に戦っていた彼が、今……仲間って。
「早く行け。間に合わなくなっても知らねーぞ!」
「お兄さま、早く!!」
狼とグレーテルに背中を押され、ヘンゼルが狼の側を離脱する。
「狼さん! 毒を……毒を治したら、必ず戻ってきます! だからそれまで――」
ヘンゼルはグレーテルに身体を預け、狼に必ず戻ってくることを約束した。
兄妹が森の奥へと消えていく。
「ふん……必要ない。俺一人で充分だ」
兄妹の去った後、狼は青卑下を睨みつけた。顔立ちは赤頭巾にそっくりだ。
こいつが青卑下……こいつが赤頭巾の兄か。
「なるほど。お前が狼か……噂には聞いてるぜ。黒い森『最強』の男なんだってな」
「そんものに興味はない」
「お前に興味がなくても、俺にはあるんだよ。なんたってお前を倒せば、『グリムの仔達』の最強を
この手で倒したことになるんだからな。個人的な恨みも解消できるってもんだ。それに、あの兄妹
と知り合いだったとは驚きだぜ。お前も俺から赤頭巾を奪い去る〝仲間〟ってことか」
青卑下が兄妹に肩入れした狼を目の敵にする。狼は青卑下の姿をじっと捉え、
「だったら、妹を……赤頭巾を、泣かしてんじゃねええぇぇっ!!」
下草が弾け飛ぶ。狼が立っていた場所から、彼の姿が消えた。
ゴ――ン!!
「ぐはああぁ!!」
青卑下が草むらに転げ込む。一瞬で間合いを詰めた狼が、青卑下の顔面に強烈な一撃を入れたのだ。
唇が切れ、青卑下の口内から鮮血がほとばしる。動きが見えなかった……そんな表情で青卑下が血液を拭った。
「……立て。仲間の受けた傷は、俺が倍にして返してやる」
「てめぇ……」




