Ⅶ 『覚悟』
木立の一つに寄りかかり、狼は物思いに耽ていた。
腕を拱き、吹き渡る恵風に鯔背なオールバックをなびかせる。
彼の足元には、持ち手に赤いリボンのついたランチバスケット。
言うも更なり、狼の私物ではない。赤頭巾と言い争った際に、彼女に投げつけられたものだ。
狼は足元に置いたランチバスケットを眺めた。
ワンハンドル型のランチバスケットは、ウィッカーという製法で作られた、ふた付きのバスケット。
他の製法に比べて虫食いが少なく、カビが生えにくいのが特徴である。
赤頭巾は森に出るときは決まって、このバスケットを持ち歩いていた。
よっぽどのお気に入りなんだろう。毎日のように羽織っている、お馴染みの赤いケープと並んで、
彼女のトレードマークにもなっている。
そんな代替えの利かない愛用品を、狼はいつまでも預かっておくわけにはいかないと思っていた。
向こうが一方的にバスケットを投げつけてきたとはいえ、自身の下で、
彼女の大切な手回り品を保持しておくことは、あまりにも危険だったからだ。
その理由は外敵。狼といえば外敵の多い身だ。高確率高頻度で、争奪戦に巻き込まれる可能性がある。
そうなれば、損害の危機は間逃れない。バスケットを守って戦えば、そこに隙ができ、攻め込まれる。
大切なものを守るということは、傷つくことを覚悟し、犠牲を払うことも厭わないということなのだ。
それに、向こうとて、いいかげんバスケットの状態が気になっている頃だろう。
存外に扱うつもりはないが、人に物を預けるということは、うっかり壊されても文句は言えないということ。
自己保障を捨て、信用を買っているのだから。
一先ず、早めにバスケットを返してあげることが、赤頭巾の不安を解消してやることにも繋がる。
そして、例えそれが、彼女のホームへ行くための〝口実〟だとしても、だ。
「この前は少し、言い過ぎたしな……」
先日の赤頭巾との顔合わせで、狼は向かっ腹を立ててしまったことを反省していた。
赤頭巾はホームパーティーに狼を招待するつもりで、純粋にグリーティングカードを届けに来てくれたのに、
彼は〝兄貴〟の話題にイラついて、素っ気ない態度で返してしまった。
自分に非があるのは分かっている。もちろん、自分から謝らなければならないとも思っていた。
だけど……なかなかその一歩が踏み出せない。気恥ずかしいというか、変なプライドが邪魔をするというか。
この前の一件が背帯を引いており、足が鉛のように重く地面に吸い付いている。
【素直じゃないなぁ】
彼女のあの言葉が突き刺さる。確かにそうかもしれない。
赤頭巾が仲間たちが、自分の存在を歓迎してくれているのにもかかわらず、
自分はいつまでも経っても『一人』でいることに執着している。
誤解を招くようだが、別にあいつらが嫌いというわけではない。
好きか嫌いかの二択を問われれば、「好感はある」と答えるだろう。
ただ……どうしても距離を取ってしまうのだ。
過去の記憶がそうさせているのか。あるいは、自分からあのような悲劇を避けようとしているのか。
どっちにしろ、自分から仲間を拒絶していることは間違いない。
素直じゃない性格も、一人よがりな生き方も、全てが自分なりに意図があってのことだ。
上記のことを踏まえ、狼がさてどうしたものかと溜め息を吐く。
どこか自然な感じで、赤頭巾のホームを訪ねる方法はないものだろうか……そうなれば、
自ずと足を踏み出せるというのに――
狼がそんなことを考えていた矢先。彼の視線に飛び込んできたのが赤頭巾のランチバスケットだった。
バスケットを返すという口実があれば、自然と彼女のところへ出歩く理由にもなるし、なんら不自然ではない。
別に縒りを戻そうとは思っていないが、朝食のお礼くらいは言っておいたほうがいいだろう。
それくらいの良識は、狼とて弁えている。
「……くそっ」
足元のランチバスケットを拾い上げ、狼が木立の側を離れる。あくまでバスケットを返すための自然な行動で、
自分の意思ではない。これは『結びつき』による〝仕方のない〟必然行為で、決して自ら望んだわけではない。
狼は自分にそう何度も言い聞かせ、義理一遍で赤頭巾のホームへと向かった。
☆
魔女のお告げにより、兄妹はホームの外へと飛び出した。
マホウノモリ上空に、グリムの仔達らしき反応があると、使い魔を通して知らされたからだ。
魔女はその反応が誰のものであるか、すぐさま《透視魔法》で探り、使い魔にホームまでの道案内を命じた。
どうやら、ホームを狙う侵攻者ではないようだ。
相手方も、自身を感知してくれと言わないばかりに幸遺伝子を放っている。
「王子さん!」
ヘンゼルは空に目をやりつつ、その真下に出来た巨大な陰りへ駆けつけた。
空を飛べる子ども達と言えば、ある程度絞られる。
ましてやそれが人間ではなく、幻獣の姿をしているのなら――
ホームへの侵入を許可された王子は、地上に『魔女の家』と兄妹の姿を発見し、ゆっくりと降下を開始した。
バサッ、バサッと、白い大きな翼をしならせ、巨大な白馬が着陸ポイントで浮遊する。
ペガサスの降下に合わせ、地表に気流が発生した。
兄妹が旋風に飲み込まれる。
(つ……!)
地上に舞い降りたペガサスは、長い四つ足を折り込むように倒れ、強制的に人間の姿へと戻った。
《童術》を維持するための《童力》が底を突き、極度の疲労状態に陥っている。
青卑下との戦闘で、彼に喰らわされた《童術の毒》が〝今頃になって〟効いてきているようだ。
「王子さん! 何があったんですか!?」
ヘンゼルは生傷だらけの王子に近づき、タエマナシ王子が満身創痍であることに驚いた。
人目に見ても、激しい戦闘があったのだと窺い知れる。ここまで飛んでくるだけでも大変だったはずだ。
王子は額の汗をぬぐい、乱れた呼吸を無理やり整えた。
身体が重い。目眩もする。一刻も早く森での出来事を伝えなければ、このまま気を失いそうだ。
王子は焦点の合っていない目でヘンゼルを捉え、できるだけ簡潔に青卑下の蛮行を口達した。
「大丈夫じゃ。童術の過剰使用と、熱による疲労困憊で気絶しているだけに過ぎん。しばらく休めば、
体力も童力も回復するはずじゃ」
兄妹のベッドで眠る、王子の麗しくも傷ついた顔を覗き込み、魔女が症状に問題がないことを確認した。
兄妹に伝言を伝えた彼はそのまま気を失ったが、今は二人の寝室へと運ばれ安定した寝息を立てている。
症状は回復傾向に向かっているとのことだ。兄妹は互いに顔を見合わせ、一先ずホッと胸を撫で下ろす。
そして、真実を己の目で確かめるため、兄妹は万全の準備を施し、
青卑下のとこへ向かうことを決意する。
王子の伝言では、次のターゲットは〈兄妹〉だと言っていた。
マホウノモリがホームの場所を隠しているとはいえ、このまま黙って隠れているわけにもいかない。
赤頭巾を兄の暴挙から救うには、青卑下の暴走を何としてでも止める必要があった。
「ヘンゼル、グレーテル。気をつけるんじゃぞ。この者の話が事実なら、おそらく、
白雪王女やホビット族を襲った赤頭巾の兄は、『反グリムの仔達』で間違いない」
「反グリムの仔達?」
青卑下のとこへ急がんとする兄妹が立ち止まる。
「残酷な物語がゆえに『エーレンベルク草稿』から除外され、グリムの仔たる資格を失った者達じゃ」
「資格を……失った? それって、グリムの仔達じゃなくなった〝元グリムの仔達〟ってこと……?」
「さよう。彼らは自分達の物語を否定されたことで、グリム兄弟を初め、お前達『グリムの仔達』を
目の敵にしておる。相手が赤頭巾の兄だからといって説得が通用するとは思わんことじゃ」
魔女が兄妹に釘を刺すよう采配を振った。仲間思いの二人のことだ。
可能ならば青卑下との戦闘を避けるつもりでいるのだろう。今までだってそうやって乗り越えてきた。
だが、相手が『反グリムの仔達』ともなれば話は別である。
現に白雪や王子の説得に、青卑下は応じなかった。その彼が兄妹の説得に応じるとは思えない。
むしろ二人を倒すことで、彼の目的が達成されるのであれば、青卑下は骨身を惜しまず、
全力で兄妹潰しにかかってくるだろう。そうなれば、もはや対話などという無抵抗は通じない。
戦わなければ仲間の想いを無碍にし、赤頭巾を失ってしまう。
ヘンゼルは魔女の言葉を強く受け止め、同じ気持ちでいるグレーテルを見やった。
「行こう、グレーテル」
☆
ミーレを自室のベッドに寝かしつけ、赤頭巾は眠っているミーレの頬をそっと撫でた。
いったい兄はどうしてしまったのか。
ホームパーティーの時には、あんなにも仲間と楽しそうに話していたのに。
青卑下は赤頭巾の友達を受け入れてくれたのではなかったのか。
先ほどから、頭に思い浮かぶのはそのことばかり。
「お兄ちゃん……」
赤頭巾はやり切れない思いで窓の外を眺めた。心成しか、ケープフードの獣耳がしょんぼりと萎れている。
窓辺からは夕刻寸前の緩やかな陽射しが入り込み、穏やかな風が白いカーテンレースをひるがえしていく。
「みんなと一緒に、またホームパーティーをしようって言ってくれたのに……」
青卑下は本当に楽しそうだった。彼が赤頭巾に何かを隠していたとしても、あの時の笑顔に嘘はなかった。
心からパーティーを楽しんでいる様子だった。
それなのに何故、仲間を傷つけるなんて暴挙に出ているのだろうか。
青卑下は半ば無理やりにでも、妹を森の外へと連れ出したいらしい。
そして、どこで聞いたのかは分からないが、兄は赤頭巾が森から出ないと決めたことを知っていた。
仲間達はそんな彼女の『想い』を守るため、必死になって戦ってくれたのだ。
黒い森に赤頭巾を留めるため、友達として離れないために――
「私が原因で……みんなが……」
仲間のことを思い、ますます気分が落ち込んでいく。こんな気分になったのは、今回が初めてではない。
過去にも何回か同じような気持ちになったことがあった。
父親、母親、祖父。赤頭巾と親密な関係にあった人物が、彼女の元を離れていった時だ。
因果関係でもあるのか、赤頭巾の周りからは次々と人がいなくなる。
赤頭巾はその度に、原因は自分にあるのだと自責の念に苛まれ、落ち込み、涙を流した。
自分の『想い』が弱かったから、大切な人を結びつけておくことが出来なかったのだと。
「――!!」
赤頭巾が床下に落とした視線を持ち上げた。窓の外に人影を感じたからだ。
彼女は急ぎ足で自室の扉を開け、その足で玄関口へと躍り出た。
赤頭巾の兄――青卑下が、ホームへと戻ってきたのだ。
「お兄ちゃん!」
ホームに帰宅した青卑下は、玄関口にて赤頭巾と対面した。
「赤頭巾。王子様はどこだ? もしかして、すでに飛び去った後だったかな」
庭先をぐるりと見渡し、青卑下がクックックッと喉奥を鳴らす。
もはや妹に隠すこともないだろう。おそらく赤頭巾は、兄の蛮行を知っている。
空に飛んだ王子の行き先は、間違いなく『おばあちゃんの家』だった。
森での仲間潰しは、すでに王子の口から彼女の耳にも入っているのに違いない。
「お兄ちゃん説明して! どうして私の友達を傷つけるの!!」
赤頭巾が声を荒げ、青卑下に詰め寄った。青卑下は動じる様子もなく、淡々と自分の目的を語った。
「前にも言ったはずだ。改稿されてしまった〝俺達〟の物語を取り戻すためだと」
「私達の物語って何? ぜんっぜん分かんないよ! 友達を傷つけることが幸せを掴むことなの!」
青卑下の毅然とした態度に、赤頭巾が苛立ちを見せる。どうしてそんなに冷静でいられるの?
大切な仲間を傷つけているんだよ? 兄に向かって言いたいことが山のように待機している。
「……今度は、ヘンゼルくん達のところへ行くつもり……そうなんでしょ?」
一旦落ち着きを取り戻し、青卑下の次の狙いが〈兄妹〉であることを確認する。
「ああ。お前に何と言われようが、俺はお前を連れて行く。そのためなら、お前に結びついている
全ての繋がりを、俺は断ち切るつもりでいる」
青卑下の判断を聞いて、赤頭巾が拳を握り締める。
兄は赤頭巾に繋がっている全ての『結びつき』を、一切合切排除するつもりなのだ。
止めたところで、静止するはずがない。赤頭巾が青卑下の言うことに従わなければ、
彼は即座に〈兄妹》を潰しにかかるだろう。
様々な思いが脳内を駆け巡る。赤頭巾が一言「森を出る」と伝えれば、
青卑下が〈兄妹〉に手を出すことだけは避けられるかもしれない。
これ以上、仲間が傷つき倒れる姿を、直視しなくても済むかもしれない……。
だけど――
「何の冗談だ、赤頭巾?」
青卑下は自身に銃口が向けられている状況を質問した。
いつの間にか赤頭巾の両手には、《童術》で練成したタクティカルリボルバーが握られている。
銃口の先には、睨みを利かした兄の立ち姿が映りこんでいた。
いったい、どういうつもりだと言いたげな表情で――
「これ以上……これ以上、私の友達に手を出さないで。仲間を傷つけるというのなら、
私が……私がお兄ちゃんを討つよ!」
森から出ると言ってしまえば、確かに仲間を守ることが出来ただろう。
ヘンゼルやグレーテルを、兄の暴挙から助けることも可能だったはず。
だけど――そんなことを言ってしまえば、赤頭巾のために戦って、傷ついた白雪達の想いはどうなる?
赤頭巾を森に留めるために戦ってくれた、彼女達の想いを無駄にするというのか?
否。そんなことはさせない……これ以上、仲間を傷つけさせないためにも、
懸命に戦ってくれた白雪達の想いを守るためにも、自分が……自分が兄を討つしか方法はなかった。
何かを得るためには、何かを捨てなければならない――ニンフェに言われたあの言葉。
仲間を得るためには、お兄ちゃんを――
「震えているぞ、赤頭巾。お前ごときに俺が討てるのか? おばあから聞いた話では、おじいを討ったのは
お前らしいじゃないか。いくら敵の《童術》に操られていて、止むを得なかったとはいえ、お前がおじい
を討ったことは事実なんだろう? どうだ、後悔はしていないのか? それなのに今度は、兄であるこの
俺まで亡き者にするつもりなのか?」
「うっ……」
トリガーにかけた指が鶏銃から離れる。どうして……どうしてそんなことを言うの?
辛いにきまっている。目が赤く腫れるまで泣いて、祖父の死を受け入れられるまで随分とかかった。
今でも、他に方法はなかったのかって思っている。そんなの……後悔してるにきまってるじゃない。
「私だって……お兄ちゃんを討ちたいなんて思っていない。だけど……もう、友達を傷つけられるのは嫌なのっ!」
「ふん。お前に俺を撃つことはできないさ」
生半可な気持ちでは何も守れない。銃口の定まっていない今の赤頭巾では、彼を撃つことは出来ないだろう。
青卑下が妹の制止を振り切って怒声を上げる。
「赤頭巾! 撃てないなら、さっさと銃をしまえ!! 覚悟のない奴がこの俺を討とうなど笑わせる!!」
「――っ!」
青卑下の怒声に驚き、赤頭巾が後ずさる。
「大人しく待ってろ。〈兄妹〉を倒したら戻ってくる。そうしたら森を出るぞ」
去りゆく青卑下の背中を見つめ、赤頭巾は膝を着いた。ヘンゼルがグレーテルが、兄の手によって傷つけられてしまう。
それをただ黙って見ることしかできない自分に、力という力が抜けていく。
「うっ……ヒクッ。やめて……やめてよ、お兄ちゃん……」
赤頭巾の目から涙が零れる。彼女に残された希望は一つ。兄妹が兄である青卑下に勝つこと。
それを祈るしか赤頭巾には出来なかった。




