Ⅵ 『断ち切られる想い』
「おうじのおにーちゃああぁぁん!」
遠く近く、幼女の戦慄き声が聞こえる。
ホームの玄関口にて、如雨露を片手に水を撒いていた王子は、林の奥方へと目を向けた。
「ミーレ……?」
軒先には、白雪と小人達が思い思いに種を蒔いた、八色のプランターが慎ましやかに並べられており、
様々な野菜や果物が収穫できるほどに育っている。その中の一つ、文体と呼ぶにはまだ隔たりのある
字づらで、『ぶろっこりー(^-^)』と書かれた黄色いプランター。それを手懸けている小さな育苗者が、
涙で顔をくしゃくしゃにしながら、こちらに向かって駆けて来た。
「うわあああん!」
ミーレと呼ばれた幼女は脇目も振らず、ひたすらに王子の元を目指し、
そのまま王子の懐へと跳び付くように抱きついた。
「雪ちゃんが、お兄ちゃんたちがああぁー!」
ミーレがヒクッヒクッとしゃくり上げ、小鼻を膨らまる。
山菜採りの帰りに起きた刃傷ざたを伝えるため、言葉に成らない湿声で懸命に伝言を絞り出す。
「落ち着いてミーレ。いったい森で、何があったんだい?」
王子はそんな彼女を優しく抱え込み、ミーレが落ち着くようにと、何度も背中をさすってやる。
「くっくっくっ。何だったら俺が代弁してやろうか? 王子様」
突然の笑い声にミーレが条件反射し、それに連なって王子の視線が持ち上がった。
ミーレの後を追って、林から少年が現れる。初目見えではない。知っている人物だ。
「青卑下くん……どうして君がここに……」
「あのお兄ちゃんが……あのお兄ちゃんがみんなを!」
「――なんだって!?」
悪いことをしたクラスメートを、級友が先生に言いつけるように、
ミーレが青卑下の悪事を王子へと告げ口する。
「ミーレ……安全な場所に隠れているんだ」
ミーレを自身から離れさせ、安全な場所へと避難させる。ホームの中へと誘導しなかったのは、
もしもの場合に備えて、目の届く範囲に彼女を留めておきたかったからだ。
「青卑下くん。ミーレの言葉が本当なら、僕は雪たちのところへ行かなくてはならない。
答えてくれ。雪やフェンヒェルたちに何をしたんだ?」
「……俺の可愛い妹から引き離した。それだけのことだ」
「妹? 赤頭巾ちゃんと雪の仲を引き裂いた。そういうことかい?」
「そんな優しいものじゃない。『結びつき』ごと処断した。妹をこの森から連れ出すためにな」
青卑下の悠場迫らざる態度に、王子の中の青卑下像が崩れ始める。
昨日のホームパーティーでは、自身と白雪の関係を、あんなにも熱援してくれてたというのに。
すべてが偽りだったとでも言うのだろうか。
断片的ではあるが、青卑下からの話を聞いて、
彼の蛮行が目的達成のための布石だということは理解した。
おそらく赤頭巾は、青卑下の意向とは逆で森に残ることを決意したに違いない。
それは、白雪や小人達、ヘンゼルやグレーテルといった、
『仲間』との繋がりを大切に想っているからこその判断だったと思われる。
そう――今の赤頭巾は、昔みたいな友達のいない赤頭巾ではない。
多くの仲間達が彼女のことを支え、慕っている。
だからだろう。青卑下がその『仲間』との繋がりに固着している理由は。
彼からしてみれば、妹に友達が出来ていたことは誤算だったに違いない。
「それで、仲間達との繋がりを断っている……と?」
「ああ。お前達との繋がりが無くなれば、あいつをこの森に縛り付けているものもなくなる。
晴れて、森から出られるというわけだ」
赤頭巾に仲間など必要ない。今も昔も変わらず俺が守ってやる――そんな気迫が彼から感じられる。
「君の目的が何であるのかは分かったよ。だけど、君の蛮行を赤頭巾ちゃんは知っているのかい?
僕には、君が彼女の気持ちを知っているとは到底思えない」
「知ってどうする。あいつに選択権はない。頑なにこの森に留まるというのなら、
手足を折ってでも連れて行く。お前達には分からないだろうが、俺にはあいつが必要なんだ」
「うぬぼれが強すぎるよ青卑下くん。そんなの赤頭巾ちゃんが悲しむだけだ」
「悲しむだと? ふっ……笑わせる。あいつに待っているのは『最高の物語』だ。俺達は
『エーレンベルク草稿』を必ず見つけ出し、我らが主〈アンデルセン〉に献上する。そして、
創ってもらうのだ。何もかもが白紙になった1ページに、俺達、兄妹の『物語』をな!」
青卑下が高らかに宣言する。アンデルセンにエーレンベルク草稿だって! 王子の面構えが変わった。
「エーレンベルク草稿……その書物は幻だと聞いている。あるかどうかも分からない書物のために、
妹を巻き込もうって言うのかい? どうして君は、赤頭巾ちゃんの〝今〟を見てあげないんだ!」
「やれやれ……あんたも説教か。『グリムの仔達』という輩は、やはり気に喰わんな。
何が幸せだ。何が『想いをカタチ』にだ。その全てを俺から奪ったくせによ」
「全てを奪った? それはどういう……」
「話の続きは『改編された世界』でしてやるよ。もっともお前達『グリムの仔達』に、
居場所なんてものはないがな!」
「――!!」
地面を蹴って、青卑下が一直線に王子に向かった。背後にホームとミーレを抱え込み、
王子は断腸の思いで戦闘態勢に入った。
「《童術・変想ファンタスマゴリーク! F/レーヴェ!!》」
王子の足元が黄色い魔法円に照らされ、光が彼の身体を包み込む。見る見るうちに光が大きくなり、
人間の形姿から他の生物へと変化していく。《変身効果》を有している、タエマナシ王子の童術だ。
森の中に雄叫びが響き渡る。衝撃で木々が鳴動し、下草が一気に舞い上がった。
「ほう……『姿を変える童術』か。驚いたな。希少能力だぜ、王子様」
青卑下が目線を上へと向ける。光の消失で彼の目の前に現れたのは、四足歩行の猛獣だった。
王子は人間の姿から《童術》で姿を変化させ、体長はおよそ200センチメートル。体重180キログラム。
肩高120センチメートルの大型肉食獣――《白獅子》へと変身を完了させた。
獅子が白い毛衣を奮わせる。手触りの良さそうな上品質な毛並みだ。色彩は王子と同じ玉緑色で、
頭部から頸部にかけて金色のタテガミが際立っている。動物界の王者、それも巷ではめずらしい、
白毛の獅子だ。幻獣に近いものを感じさせる。
「おもしれぇ……少しは楽しめそうだ」
猛獣を前に余裕の笑みを浮かべ、青卑下が手のひらを白獅子に向けた。
「繋がりは、全て断ち切らせてもらう」
☆
ドスン!! 白獅子が膝を折りながら横転する。地面に沈みゆく巨体を遠くから眺め、
木陰に隠れていたミーレが思わず泣き叫ぶ。
「おうじのおにいちゃん!」
白獅子は傷ついた体躯を無理やりに立たせ、続投を表明する。
負けるわけにはいかない。ここには白雪や小人達のホームがある。
彼女達の帰る場所を守らなくてはならない。
「しぶといな。これだけの力の差を見せ付けられて、まだ戦うつもりか?」
右手から紫色の液体を滴らせ、満身創痍の白獅子を哀れ見る。
青卑下の《童術》なのか、白獅子の巨大な体躯からは、紫色の湯煙が立ち昇っていた。
「楽になれよ王子様。俺はお前達の命まで奪うつもりはない。教団の奴らに監視されているからな」
だから赤頭巾のことは諦めて、妹との繋がりから身を引いてはくれないか? そう続ける。
(赤頭巾ちゃんは仲間だ……彼女が森から出ることを望んでいないのなら、
君に妹を連れ出す権利はない!)
「そうかい……お姫様といい、王子様といい、どうも〝勘違い〟している部分がある。まあいい……
それをいちいち説明するのも面倒だ。妹から手を引かないと言うのなら、ホームごと消えて無くなれ」
「だめー! ここはミーレたちのおうちなのー!」
ホームを破壊すると聞いて、ミーレが青卑下の前に躍り出る。怖いけど……何もできないけど、
白雪やフェンヒェル達が守ってきたホームを、壊されてなんかたまるものか。
「どけ。お前に何ができる?」
「ううっ……」
「力の無い者ほど簡単に『守る』だの『仲間』だの言いやがる。現にそうだろう?
お前達は赤頭巾を仲間だと言って守ろうとしているが、俺を相手にこの様だ。守る力もないくせに、
威勢だけは立派に張りやがる。考えてみろ……守る力のないやつに、妹を預けられると思うか?
あ? 答えはNOだろ?」
言い返せる言葉が出ない。認めたくはないが、青卑下の言い分には一理ある。
力がなくては、いくら赤頭巾との繋がりを守ろうと想っていても、それをカタチにすることさえ出来ない。
悔しいが青卑下の力は本物だ。赤頭巾を守ることすら厭わないだろう。彼女のことを考えると、
青卑下の想いのほうが正しいのだろうか……。
小刻みに身体が震え、その場から動けなくなったミーレを見限り、青卑下は童力を練り込んだ。
「どかないなら、そのままでいろ。まとめて消し去ってやる」
青卑下の右手に紫色の魔法円が出現し、そこから鍵の形をした金属片が8本、
彼の意思に合わせて展開する。ブレードの先端を、ミーレ・白獅子・ホームに向け、狙いを定めた。
(ミーレ!)
白獅子と化した王子がミーレの前に飛び出す。青卑下の手から放たれた《童術の鍵》は、
ディンブルキーやディスクシリンダー、ピンタンブラーやスケルトンキーと言った、何種類もの形で構成
されており、その全ての先端に〝毒〟が塗りこまれていた。
「ぐあああっ!」 「うわああんっ!」
王子が元の姿へと戻る。青卑下の童術を猛獣の巨体で防ぎ、変身能力が解除された。
一定のダメージ量を超えたことで、『想い』を『カタチ』へと形成する《童力》が維持できなくなったのだ。
「くっ……ミーレ、しっかりするんだミーレ!」
王子がミーレを抱え起こし、必死に意識の確認を呼びかける。
青卑下の猛攻を体を張って防ぎはしたものの、着弾時の衝撃は桁違いの威力を誇っており、
王子はもちろんのこと、小人族であるミーレがそれに耐えられるはずもなく、
二人はホームの玄関口まで飛ばされ、ミーレは気を失うほどのダメージを受けていた。
「青卑下くん……僕達はたしかに弱いけど、君から赤頭巾ちゃんを守れないかもしれないけど、
仲間の繋がりを断ち切るなんてことは……絶対にしない!」
気絶したミーレを腕に抱き、王子が『結びつき』の固さを強調する。
赤頭巾の『想い』を考えもせず、己の野望を優先する青卑下に、屈するわけにはいかないのだ。
「《童術・変想ファンタスマゴリーク! F/シンメル!!》」
余力を振り絞り、王子が《童術》を発動させる。
魔法円の光に包まれて、王子は再度、別生物へと変化した。
「おいおい……ペガサスにも変身できるのかよ。いい能力を持っているな」
長い四肢、金のタテガミ、大きな翼。今度は先ほどの《白獅子》とは違い、幻獣ペガサスへと様変わりした。
(ここでやられるわけにはいかない。みんなに知らせるまでが僕に託された使命だ!)
背中にミーレを横たわらせ、戦線を離脱する。鬼と化した青卑下の野望を、
『仲間たち』に伝えに行かなくてはならない。嘶きと共に翼が上下運動し、
ペガサスが一気に大空へと舞い上がった。行き先はもちろん赤頭巾のいる、
ホーム『おばあちゃんの家』だ。
(雪、フェンヒェル。待っててくれ。このことを赤頭巾ちゃん達に伝えたら、すぐに駆けつける!)
大空で浮遊する白馬を眺め、青卑下がその飛び先を確認した。
空に逃げたところで、王子たちの行き先は知れているからだ。
それに、止めようと思えば、この場所から《童術》で打ち落とすことも可能だが、
あえて泳がしておくのも面白いかもしれない。どちみち残すは二人――〈兄妹〉のみだ。
合流されたところで大した問題にもならないだろう。
さらに、こちらから戦いの場を設ける必要もなくなって大助かりだ。
青卑下の野望がいよいよ大詰めとなってくる。
「くっくっくっ……〈兄妹〉を倒せば、赤頭巾に繋がっている全ての『結びつき』を断ち切れる。
俺達の『物語』にも、ようやく『幸せ』が訪れるってもんだ」
ホーム『小人さんの家』を前にきびすを返し、青卑下は進んできた道のりに足を戻した。
ホームの破壊などどうでもいい。それよりも、妹との『結びつき』を断ち切ることが優先だ。
青卑下はそう言わないばかりの表情で、自身のホームを目指した。
☆
衣類の入っていた洗濯カゴが、地面に落ちて傾き、中に入っていた衣類が散乱する。
ホームに突然舞い降りてきたペガサスに最初はびっくりしたが、白馬が王子の《童術》だったことを知り、
赤頭巾は森で起きた青卑下の事情を王子から聞かされた。
「どういう……こと……?」
わけが分からない。どうしてそんなことになっているのか。
どうして兄が大切な友達に暴行を加えているのか。
信じたくはないが、白馬の背中から下ろされたミーレの姿を見て、疑心が確信に変わった。
「赤頭巾ちゃん。僕はこのことをヘンゼル君達に伝えてくる。
おそらく彼の次の狙いは兄妹だ。二人が危ない」
ミーレを赤頭巾に預け、王子が再び白馬の姿へと変身する。《童力》も限界だが、
一刻も早くこの事を兄妹に伝えなければならない。二人が住んでいるホームの場所は、
白雪からの話でどんな場所にあるかは知っている。『想い』を魔女に受信させれば、
ホームへの幻術を解除してくれるはずだ。
「王子くん待って! その身体じゃ――!!」
言うより早く、ペガサスは大空へと飛翔していた。
「そんな……なんで、どうして……お兄ちゃん、なんで私の仲間を傷つけるの……?」




