Ⅴ 『反(アンチ)グリムの仔達』
ホームパーティーのあった翌朝。
赤頭巾は浮かない表情で、一人『妖精の湖』を訪れていた。
【赤頭巾。俺と……この『黒い森』を出る気はないか?】
気折れの原因は、夕べ兄が唐突に切り出した、思いもよらない発言である。
【それって……どういうこと?】
赤頭巾は湖畔を一望できる近くのストリートファニチャーに腰をかけ、
水晶彫刻のごとく輝く、翡翠色の水面を俯瞰した。
エメラルドグリーンの湖水は、対岸の新緑を風の凪いだ湖面に映し出し、
本来、瑠璃色であるはずの湖沼水が、緑林色に染められて形成されたものである。
そのため、湖を囲繞する、靄に覆われた針葉樹の林は、
『黒い森』と『妖精の湖』を、まったく別の場所へと分断するかのようにそそり立っていた。
【そのままの意味だ。お前を森から連れ出すために、俺は好きでもないこんな場所にまで帰ってきた。
赤頭巾。俺にはお前が必要なんだ。改稿されてしまった〝俺達〟の物語を取り戻すためにな】
【ちょ、ちょっと待ってよお兄ちゃん。まったく意味が分からないよ……それに、そんなこと急に言われても――】
【返事はすぐにじゃなくて構わない。お前にも考えがあるだろうしな。少しの間、考えておいてくれ】
「はぁ……どうしたら、いいんだろう……」
らしくもなく、ため息を漏らす。早朝の湖は、東に朝の訪れを迎えつつ、ハトの鳴き声と静寂に包まれていた。
昨日は一睡も出来なかった。床に就いてからもしばらくは、兄の言葉が何度も何度も脳内に再生され、
その度に胸中の『想い』が深い眠りを妨げた。
『黒い森』から私を連れ出す――兄はそう話してたけど、その詳細については、
〝物語を取り戻すため〟の一点張りで、こちらがいくら尋ねても、詳しくは語ってくれなかった。
兄の本心が分からない。それは、この森を出て行った時もそうだったが、
数年ぶりに帰ってきた現在でも、度々、分からないことがあった。
何と言うのだろう、言葉や表情の裏に何かを隠している。そんな感じだ。
それに、青卑下は赤頭巾を森から連れ出すなんて簡単に口にしてるけど、赤頭巾は青卑下や祖母のような、
『実験対象外者』並びに『民謡伝承者』と言われる、『黙認された者達』ではない。
ロマン主義教団『クレメンス』の被験体として、森での生活を強要され、タグ標を焼印され、
活動記録を厳重に管理されている。それゆえに、森から連れ出すなんてことは、容易い事ではないはずだ。
おそらくは、森から抜け出せる何かしらの手口があるのだろうが、
赤頭巾には、兄の計画に乗り切れない、葛藤めいた理由があった。
「せっかく友達が出来たのに……」
赤頭巾が仲間の姿を思い浮かべる。この森から出るということは、すなわち、仲間とも別れるということ。
仲良くなった友達と、泣く泣く離れなければならないということだった。
「ホームパーティー、楽しかったなぁ」
ヘタレなところもあるけど、どんな時でも仲間のことを一番に考えているヘンゼル。
そんな彼の妹で、赤頭巾の最初の友達。口数は少ないけど、いつも一生懸命なグレーテル。
女子メンバーの中では一番のお姉さんであり、気品と優しさに溢れている、王国のお姫様、白雪。
ホームパーティーではあまり話せなかったが、白雪ととってもお似合いな王子様。タエマナシ。
そして……今、ちょっと喧嘩中だけど、赤頭巾にとって特別な存在。
仲間なんて必要ないとか言って一人で行動しているけど、本当は仲間のことが気になって、時々、
仲間の日常話を聞いてくる彼。素直じゃないなぁなんて言うと、すぐに機嫌が悪くなる狼。
みんな赤頭巾にとって大切な仲間であり友達。部落生まれが原因で、いじめや差別を受け、
追いやられるようにして『黒い森』にやってきた彼女が、こうして毎日を楽しく過ごせているのも、
家族を受け入れてくれた祖父母を始め、『グリムの仔達』と呼ばれるみんなと仲良くなれたことが大きい。
だからこそ、人生を変えてくれた仲間達を残し、自分だけが森から出るなんて、
そんなこと……出来るわけがなかった。
『浮かない顔をしているわね』
どこからともなく優しい声色が聞こえ、赤頭巾が沈んでいた頭をサッと上げた。
どうやら人の気配に気づかないくらい、袋小路に入り込んでいたようだ。ただ――
「……幻聴?」
そこには誰もいなかった。ただただ美しい、翡翠色の水面が広大に広がっているだけ。
いろいろなことを考え過ぎて、遂には居もしない声まで聞き始めたのだろうか。
「失礼ね。ちゃんといるわよ」
「わっ!」
赤頭巾が驚き、ベンチから転げ落ちる。聞こえてきた人声が前方からだと思っていたことが仇になった。
「つつつ……びっくりした~」
地べたにお尻をペタンとつけ、後頭部を片手で押さえながら振り返る。
彼女の真後ろに気配を感じさせることなく立っていたのは、水色のワンピースを着た、幸薄そうな少女だった。
「そんなに驚かなくても、取って食べたりなんかしないわ」
☆
最初、少女の姿を見た時、不思議な雰囲気を持っている子だと思った。
仲間内では、グレーテルに近いのだろうか。年齢の割には落ち着いた物腰で、
赤頭巾がこの森に来るよりも前から、『黒い森』に住んでいるような佇まいだった。
名前はニンフェと言うらしく、チャームポイントは広い鉢額。
なるほど……それで前髪を高く上げて額を出しているのか。ポンパドール風の髪型は、少女によく似合っていた。
赤頭巾自身、今の髪型に落ち着いたのも、ケープフードを頭に被ることを踏まえてのおさげである。
女の子は皆それぞれが、自分に合った髪型を熟知しているようだ。
「そう……それで、こんな朝早くから湖を訪れていたのね」
ベンチに二人並んで腰をかけ、ニンフェが赤頭巾の悩みに相づちを打った。
「うん。私、どうしたらいいのか分からなくなっちゃって……友達を置いて森から出るなんて考えたくないけど、
お兄ちゃんの話が本当なら、森の外に私のお父さんがいるかもしれないの。生まれてからずっと、いないもの
だと思っていたお父さんが。だから……」
「大切な仲間とは別れたくない……だけど、森の外にいる父親にも会いたい――それがあなたの悩みってわけね」
赤頭巾が頷く。ニンフェは誰かを思い浮かべるような表情で、赤頭巾に言葉を返した。
「私にもつい最近、仲間と呼べる人ができたの……それまで私はずっと一人ぼっちで、誰かのために何かをしよう
だなんて考えたことがなかったわ。自分だけが今日を生きれられればいい……そんな風に思っていた」
「ニンフェちゃんも一人ぼっちだったんだ……」
「ええ。でも、その人は違った。他人である私のために、身体を張って戦ってくれたの。腕っぷしは頼りないけど、
仲間を思いやる気持ちは『黒い森』に住む誰よりも強くて、その……不覚ながら堕ちてしまったわ……」
少し顔を赤らめて、ニンフェがうつむいた。これじゃあ、恋の相談で、どちらが相談者なのか分からない。
「そうなんだあ~私の仲間にも、そっくりな人がいるよ。ヘタレさんだけど、とても仲間思いの男の子が」
ヘタレ・仲間思い・男子という、ニンフェがよく知っている仲間のキーワードが挙がり、
「……案外、同一人物の可能性もあったりするわね。何だかんだでこの森も狭いところがあるから」
「にしし……たぶん今頃、くしゃみなんかしてるんじゃない? その男の子、けっこうそーゆうとこあるからね~」
「なんとなく想像が着くわ……」
しばし、仲間思いの男の子について談笑した後、赤頭巾が再び、表情に陰りを落とした。
ニンフェの仲間話を聞いたおかげで、なおさら仲間についての固着心が強くなる。
「やっぱり私……みんなと離れたくない。みんな本当にいい子達ばかりなの。ねぇニンフェちゃん。『正解』って
ないのかな? みんなが幸せになれる、そんな正解の道って」
祖母がいて、友達が出来て、兄が帰ってきて。どん底だった赤頭巾の物語は、
確実にハッピーエンドへと向かっている。それなのにもかかわらず、事態は一つの選択で大きく変わろうとしていた。
友達を取って『黒い森』で結末を迎えるのか、それとも兄と一緒に森を抜け出し、父親に会いに行くのか。
もし、その判断に正解と呼べるルートが用意されているのなら、赤頭巾は迷わずその道を進みたい。そう思っている。
誰もが傷つかず、みんなが幸せになれる。そんな正解の道があるのなら――
「そうね。あえて助言をするのなら、分岐点の選択に正解なんてないわ。だって、物語の結末なんて
誰にも分からないでしょ? 選んだ道筋に正解や不正解があるのなら、物語の結末だって決まっているはずよ」
『グリムの仔達』の先輩格『アイソーポスの子』として、また、長きに渡って物語に携わってきた『民謡伝承者』として、
ニンフェが赤頭巾に示唆を与える。教示とも言うべきだろうか。
「だから、あなたが選んだ道筋が、正解だったのか不正解だったのかは、物語の結末が教えてくれること。
どの道筋を選んでも、ハッピーエンドにもバッドエンドにも転じるわ。要するに、あなたの目の前にあ
る分岐点に『正解』なんてないの。物語をどう変えるかは、これからのあなた次第……あなたがどのよ
うなエンディングを迎えたいかによって、結末なんていくらでも変えられるわ」
優しい風が吹き抜けて、二つ結びにした赤頭巾のおさげが揺れる。二つに分かれた分岐点の前で揺れ動く、
今の彼女の心情を表しているようだ。
「そ、それじゃあ、迷ってる時はどうすればいいの?」
赤頭巾が身体を横に向け、ニンフェの横顔を見やる。
年は自分と同じくらいだと思うのに、この子の言葉には重みがあった。
「あなたが今、一番『幸せ』だと思える道筋。それを選びなさい」
「私が今、一番幸せだと思える道筋……」
赤頭巾の表情に明るみが戻ってくる。心の中の迷いが消えたのか、
だんだんと落ち込んでいたことがバカらしくなってきた。ニンフェの言う通りだ。
幸せを追い求めてこその物語。何を悩む必要があったのだろうか。『グリムの仔達』である赤頭巾の使命は、
この森を幸せでいっぱいにすること。教団の脅威から子ども達の夢や希望を守ることである。
最初から答えは出ていたんだ。
「ニンフェちゃん。私、森から出ないよ。みんなと一緒にいる毎日が、今、一番幸せだもん。お兄ちゃんが
帰って来たことは嬉しかったし、森の外にお父さんがいることも捨てきれないけど、私はみんなと一緒に
いたい。この森で仲間と一緒にエンディングを迎えたいの。それが私の幸せ。私が望む『最高の物語』よ」
赤頭巾がベンチから立ち上がる。そんな、ふっきれた様子の赤頭巾を見て、
「お代はあなたのポケットに入っているリンゴでいいわ」
「??? お代って何?」
「相談料に決まっているじゃない。何かを得るためには、何かを捨てなければいけないの」
「ええっー!?」
サロペットのポケットからリンゴを取り出し、ニンフェに渡す赤頭巾。
そのやり取りを、遠くの木立から眺める者がいる。青色の髪に瑠璃色の瞳。顔立ちは赤頭巾にそっくりな、
元被験体の男――
「なるほど……やはり『仲間』などという愚像が、あいつをこの森に縛り付けているのか。
実に不愉快だ。赤頭巾。お前は俺の言う事だけを聞いていればいい。『結びつき』なんてものは、
この俺が全て断ち切ってやる」
☆
その日の正午。白雪と七人の小人達は、夕食の一品に山菜料理を加えるため、
ホームに王子を残して、森の中へ山菜取りへと出かけていた。そして、その帰り道。
「ねぇねぇ雪ちゃん。今夜のばんごはん、なーに?」
「ふふふ……今晩の献立は、ラームシュピナートにベーコン、それに、タマネギ・マッシュルーム・ニンジン・
エメンタールチーズを加えて焼いた、ほうれん草のキッシュでしょ。あとは、今日採れたばかりのベアラオホ。
それをペースト状にして、昨日、赤頭巾ちゃんに分けてもらった豚肉と合わせるの。そうしたら、ベアラオホ
ハンバーグの完成よ」
「うわーすごぉーい!」
「……ジュルリ」
白雪の隣でミーレが跳びはね、近くで耳をそばだてていたネッセルが、手で涎を拭き取って舌舐めずりをする。
「はしたないなぁ……昨日のホームパーティーで、あれだけ平らげたというのに」
「チッチッチッ。分かってねーなシュパイゼは。俺の胃袋は――」
「はいはい。どうせ『宇宙だぜ』とか言っちゃうんでしょ」
「セリフが読まれてるだと……」
「単純なんだよネッセルは」
ネッセルとシュパイゼの対話にレッティヒが入り込んで鼎談になる。
小人達の手には、それぞれ小さなビニール袋が握られており、袋の中には『ベアラオホ』と呼ばれる、
天然ハーブがどっさりと入っていた。
ベアラオホは、和名ではクマネギと呼ばれ、冬眠から目覚めたクマが体力を回復するため、
最初にベアラオホを食したと言い伝えられている。健康効果と風味がニンニクに似ているとのことで、
『西洋行者ニンニク』と呼称する人もいるそうだ。
「……姫」
ホーム『小人さんの家』まで、ほんの数キロのところでフェンヒェルが立ち止まる。
その様子に白雪とタッシェルが首肯し、場に張り詰めた空気が流れた。
「ええ。薄々は感じていましたが……」
「? どーしたの、雪ちゃん??」
ミーレが白雪を見上げて首を傾ける。先頭を歩いていたフェンヒェル・タッシェルに続き、
白雪までが急に立ち止まったことで、他の小人達も一斉に歩行を停止した。
尾行されている――
フェンヒェル達三人が、弟小人ら全員を近くに呼び寄せ、
「どなたかご存じありませんが、レディの後ろをコソコソと付け回すなんて、感心いたしませんわね」
白雪が密集した木立をねめつける。山菜取りの最中から、誰かに見られているとは思っていたが、
まさか、尾行にまで手が及んでくるとは。狙いは白雪達のホームだろうか。周辺を見渡して気配を探ったところ、
追尾者の他に協力者がいるような感じはない。どうやら、単独で行動しているようだ。
「へぇ~俺の存在に気づいていたのか。ホームまで後ろをつけて、王子様と一緒に撃破してやろうと思ってた
のにな。やれやれ……随分と高い感知能力を発揮する。さすがは『グリムの仔達』ってとこかい? お姫様」
「――! あなたは……」
木立の裏から潜伏していた人影が姿を現す。その姿を見て、白雪は目を見開いた。
「あれ? なんで、りんごのおねーちゃんのおにいちゃんがここにいるの?」
ミーレが不思議そうな面持ちで、目の前の少年を眺めた。
白雪達を尾行し、彼女らの眼前に現れたのは、昨日、知り合ったばかりの少年で、
友達である赤頭巾の兄、青卑下だった。
「赤頭巾ちゃんのお兄様。先ほどの発言は、いったいどのような意味でしょうか?」
白雪がミーレを懐に抱き寄せる。ホームで待っている王子と一緒に撃破する?
捉え方によっては、争奪戦を仕掛けるという宣戦布告にも聞こえなくはない。
「お前達がいるから赤頭巾はこの森を出られない。仲間などというくだらない『結びつき』が、あいつを
黒い森に留めてしまっている。お姫様には分からないだろう。俺達兄妹が過去にどんな悲惨な目に遭っ
てきたのかを。だからこそ取り戻すんだ。失われた俺達兄妹の『物語』をな」
青卑下の『想い』を聞いて、白雪の表情がますます険しくなる。
赤頭巾を森に留めている元凶――『仲間との繋がり』を全て断ち切って回る。そう聞こえたからだ。
「赤頭巾ちゃんと私達の『結びつき』を断ち切るですって? それは赤頭巾ちゃんが望んだことなのでしょうか?」
「俺の望みだ。あいつの意見は受け付けていない。無論、この森に残ると言い張ろうが無理やりにでも連れて行く」
「妹の『想い』を無視して森から連れ出すなんて、そんなこと、お兄様のすることではありませんわ」
「黙れ。あいつは俺のものだ。赤頭巾をどうするかは俺の勝手。昨日今日知り合った奴に説教される筋合いはない」
言葉をどう返そうが、青卑下の『想い』は曲がらない。森から連れ出すなんてことは簡単にはいかないはずだが、
おそらく彼には策があるのだろう。赤頭巾の意見も聞かずに事を進めるなんて……傲慢すぎるにもほどがある。
「お姫様に罪はないが、俺は赤頭巾を森から連れ出すため、『結びつき』にある仲間達を全て断ち切らせてもらう」
「赤頭巾ちゃんがそれを望んでいない以上、私達は全力で彼女の『想い』を守らせていただきますわ」
「おもしろい。守れるかな? お前達『グリムの仔達』に、俺の妹が――!」
「姫!」 「雪ちゃん!!」
☆
森の中に緩やかな風が吹き抜ける。茂みのあちこちに硝煙が昇り、静寂の中に幼女の泣き声だけが木霊した。
「雪ちゃん! ねぇ雪ちゃんてば。お願いだから目をあけて!!」
うつ伏せになって倒れた白雪に駆け寄り、ミーレが白雪の身体を揺さぶった。
青卑下の攻撃からミーレを庇ったことで、白雪は大ダメージを受け、小人達と共に全滅に追い込まれていた。
「心配するな。気を失っているだけだ」
倒伏した白雪、他、小人達を見下ろして、青卑下がポキポキと首の骨を鳴らした。
「しっかし驚いたな……まさか、お姫様の中に、もう一人の人格が眠っていたなんて。
気絶した後に別の人格で反撃してくるとは、思ってもいなかったぜ」
身体に傷一つ負っていない青卑下が、白雪のもう一つの人格――『薔薇紅』を話題に挙げる。
そもそも白雪の別人格『薔薇紅』は、赤頭巾の祖父――狩人の《童術》によって形成されたもので、
王妃が所持している『魔法の鏡』から白雪の姿を守るために、狩人が彼女の神経伝達物質を低下させたことが発祥だ。
それに伴い、白雪は過去7年間、ナルコレプシーと呼ばれる睡眠障害に悩まされていた。
『薔薇紅』は白雪の幸遺伝子『憧憬』を具現化したもので、『お城に住んでいない、普通の女の子だったら』
という、白雪の《想い》に反応している。
しかし、狩人が赤頭巾との自決戦で尊を失ってからは、白雪にかけられていた彼の《童術》も消えてしまい、
頻繁に眠たくなるというナルコレプシーは解消されていた。そのせいもあってか、白雪のもう一つの人格
『薔薇紅』も姿を現さなくなり、白雪が別人格に変わることはなくなっていた――はずだったが……
「ぐっ……ミーレ……」
微かに意識の残っていたフェンヒェルが、最後の気力を振り絞ってミーレに声をかける。
「お兄ちゃん! しっかりして!!」
ミーレがフェンヒェルの側に膝を着く。圧倒的な力の差に小人達はおろか、白雪ですら何もさせてもらえず、
草むらに突き刺さっている白雪のフルーレが、倒れた者達の墓石と成り果てていた。
「……ミーレ。このことを……王子やみんなに知らせるんだ……このままじゃ……みんながやられてしまう」
「む、むりだよお兄ちゃん。ミーレ、こわくて動けないよ」
恐怖で身体の動かない妹に、フェンヒェルが優しく後押しをする。
「ミーレ……お前ならできる……お前だって勇敢なホビット族の一員だ。たのむ……ミーレ」
ミーレに救いの希望を託して、フェンヒェルが気を失った。
「お兄ちゃん!」
兄の前で涙を流し、ミーレが立ち上がる。そして、次の標的を見据えている青卑下を睨みつけ、
「ミ、ミーレだって、やればできる子なんだもん!」
当てつけのように言い捨てる。青卑下は戦闘能力のないミーレを相手にはしていないのか、
彼女に手を出すつもりはないようだ。
「ほう……お前が王子様のとこまで案内してくれるのか?」
「うっ、うわああああん!」
青卑下の剣幕に呑まれ、ミーレが泣き叫びながら草むらを走り去る。
その後ろをゆっくりとした歩調で青卑下が追いかけた。
「くっくっく……楽しい〝狩り〟の始まりといこうか。『グリムの仔達』」




