Ⅲ 『噛み合わない歯車』
日没。森で暮らすほとんどの子ども達が、夕日を境にそれぞれの寝床へと帰る頃、
今だ争奪戦に明け暮れる者達がいた。
燃ゆる空。カラスの鳴き声。響く足音。飛び交う怒号。
立ち木の少ない閑散とした刈草地には、落陽によって出来た子ども達の影が8つ。
正確には、7つと1つに分かれていて、多人数側が1人を囲んでいる状況だった。
「おいおい、まだやるのか?」
大勢の子ども達に囲まれて、気だるそうに輪の中心に立っていたのは、漆黒の衣がよく冴える、
黒い森最強の男――対して、彼を取り囲む多人数側の戦力は、打倒『狼』を目的に結成された
黒い森の子ども達。
「つ……! あったりまえだっ! 今日こそてめーをぶっ倒して、この森で一旗揚げてやる!」
毎度毎度、ご苦労なことだ。わしゃわしゃと後頭部を掻いて、狼が目の上のたんこぶに頭を悩ませる。
いつにも増して、彼は機嫌が悪かった。子ども達がジリジリと間合いを詰め、頃合を見計らっている。
「俺を倒す気でいるのなら、味方を集めるんじゃなく、力を身に付けて来い。弱い奴が何十人、
何百人と集まっても、結果は同じだ。今のお前達じゃ俺は倒せない」
「うるせぇ! やってみなきゃ、わかんねーだろうがああああぁ!!」
リーダー格の少年を筆頭に、子ども達が一斉に飛びかかった。
何度返り討ちにされようが、彼らは狼を倒すことを諦めない。
何故なら『最強』の称号を得ることで、他の子ども達に恭順の意を示させることが出来るからだ。
そうなれば、彼らの生活は安定。争奪戦なんぞに首を突っ込まなくとも、最強の通り名を盾に、
森の子ども達が彼らの面倒を支えてくれる。ホームや食料を強奪しない代わりに、一部生活必需品を、
貢納金として献上してもらうということだ。
「やらなくても、結果は目に見えている」
「てめーのそういった態度が、癇に障るんだよおおっ!」
1人、2人と、狼が子ども達の攻撃を往なしていく。
「おりゃああああっ!」
3人目の襟元を掴み、迫り来る4人目に投げつける。
背後からきた5人目の攻撃を、振り向き様の唐竹蹴りで押し返し、
続けてやってきた6人目を、一本背負いで成敗する。最初に往なした2人が戻ってきて、
狼に息の合った連携技を繰り出す。その全てを軽々と避け、ワン・ツーからのフィニッシュブローを、
2人共々にお見舞いした。一回の衝突で3人が負傷に追い込まれ、リーダー格の少年が奥歯を噛みしめる。
「くそっ……バケモンかよ!」
「どうした? 仲間にばかり攻撃させて、お前は虚勢を張っているだけか?」
「う、うるせぇ! てめーの弱点を探してるんだよ!」
「ふん。そんなものは――」
草原を蹴り上げ、狼が少年との距離を一気に詰める。
「ひっ……!」
少年が青ざめると同時に、本日、最後であろう争奪戦が終了した。
狼がギロリと周囲に目を向ける。
「まだやるのか?」
「う、うわあああっ逃げろおおおおっ!」
気絶したリーダーを残したまま、仲間の子ども達が撤退していく。薄情な奴らだ。
所詮は偽りの仲間と言うことか。狼が少年を見下ろして、それ見たことかという表情になる。
「仲間などを安易に信じるから、お前はいつまで経っても弱いままなんだ。
俺を倒したければ、己自身が強くなることだな」
狼が少年に背中を向け刈草地を後にする。夕焼けはすっかりと釣瓶を落とし、
辺り一面には、宵闇が拡がっていた。日の入りがだんだんと早くなっている気がする。
狼は満天の星空を見上げ、近くの木立根に腰を下ろした。
久々だった……こんな時間まで争奪戦に付き添ったのは。
今夜の寝床を確保し、狼がここ最近の出来事を振り返る。彼はここ三日ほど野宿で夜を過ごしていた。
(あいつ……今日も来なかったな)
狼の脳裏にそんな言葉が浮かぶ。『彼女』に出会ってからほぼ毎日、彼はホーム暮らしを続けていた。
日が暮れる前に『彼女』がどこからともなく現れて、嫌がる狼を無理やりホームへと連れ帰っていたからだ。
黒い森の日没は早い。季節によって多少の違いはあるけれど、日が暮れてしまえば、もともと暗い森なのだ。
すぐさま真っ暗になってしまう。そのためか、黒い森に住む子ども達は夕日と共に寝床に帰り、夜の活動は
静粛にしている。他の子ども達に夜戦を仕掛けても、得られる利益がほとんど皆無に等しいからだ。それに、
子ども達が寝静まった夜には、夜行性の猛獣が動き出す。そんな損しかない夜に誰が活動をするというのか。
だからこそだった。いつもなら、とっくに寝床に就いている時間帯だ。
日没ギリギリまで争奪戦に明け暮れるのは、狼にとっても敵対者にとっても得策ではない。
カラスが鳴いたら帰れの合図だ。
だが……ホームの無い者はそうもいかない。
今晩の寝床を賭けて、時間が許す限り戦わなければならないのだ。もちろん、狼もその部類である。
しかし、ここ数ヶ月は違った。先ほど述べたように、『彼女』がわざわざ迎えに来てくれてたからだ。
実のところ、口では断りを入れつつも、身体は拒絶をしていなかった。
あったかい夕食。好物のリンゴ。夜露に濡れない屋根付きの寝床。今ではそれら一つ一つが、
まるで夢だったのではないかと思えてしまうくらいに、ホームでの生活は快適なのだ。
『彼女』が絶対に引かないことは知っていた。何がなんでも狼を連れて帰ることは当然だったし、
一回や二回突き放したところで、諦めるような性質ではない。
だからこそ言葉上では難色を示しつつも、『彼女』の行為が有りがたかったりもした。
【素直じゃないなぁ】
『彼女』の声が、うざったいくらい耳に突き刺さる。女の世話になるほど狼は落ちぶれてはいない。
強がりなどではなく、今まで1人で生きてきた実績が彼のプライドになっているからだ。
甘えは弱さ。『彼女』のホームにお邪魔することは、すなわち、1人ではなく仲間を持つということ。
狼が今日一日ずっと機嫌が悪かったのは、仲間の行為に対して、いつまでも心を開けられないところにあった。
流石に今日は疲れたな。そう目蓋を閉じようとした狼の聴覚に、
カサカサと下草を揺らす音が飛び込んできた。
敵対者ではない。狼が草むらへと顔を向ける。〝違う〟と分かっていても、
『彼女』の姿を期待してしまう。案の定、草藪から姿を現したのは、真っ白い野生のウサギだった。
「ちっ……イライラするぜ……」
この俺が、あいつの〝迎え〟を待望しているだと?
むしろ、毎日のように付きまとわれなくなって、清々しているくらいだ。
どうせ、もともと1人だったんだ。最近になって、その時間が減ってしまっていただけで、
今さら人肌が恋しいとか、あいつに見つけてもらいたいとか……そんなことは断じてない。
俺は1人でも充分に生きて行ける。仲間など……必要ない。
狼がしばしの瞑想後、ふて腐れたように眠りに就く。
おそらく明日も、朝一から争奪戦に巻き込まれるだろう。
彼を倒して名を上げようとしている子ども達は、今日の子ども達以外にもたくさんいるからだ。
全身に《静電シールド》を施し、就寝中に敵に襲われないよう対策を張る。
もっとも、狼の持つ高い感知能力の前には、『グリムの仔達』ですら迂闊には近づけない。
たとえ睡眠状態であっても、彼に死角という隙はなかった。
☆
明け方。目蓋を照らす陽光に陰りが差した。誰かが狼の寝姿を覘きこんでいる。
狼は間髪容れず腕を伸ばし、瞳孔が開くよりも早く、接近者の喉元を捉えた。
「きゃっ!」
接近者の悲鳴がする。接近者は狼の攻撃でバランスを崩し、尻もちを着いてこちらを見上げていた。
「つつつ……もー、何するのよ狼くん……」
寝起き直後で〈感知〉が上手く働かなかったのか、
接近者の正体は、赤いケープを身に纏った少女で、赤頭巾だった。
「なんだ……お前か」
「なによ、お前かって。失礼しちゃう。せっかく会いにきてあげたのに、そんな態度じゃ帰っちゃうゾ」
「別に会いに来いとは言っていない」
赤頭巾から顔を背け、狼はそっけない態度で返答した。
平然を装っているつもりだが、彼女との久々の会話に、少し気持ちが上擦っている。
「うっ……もしかして、最近来なかったことを怒ってる?」
サロペットに付いた汚れをパタパタと叩きながら、赤頭巾が膝を折って立ち上がる。
両手にはいつものようにランチバスケットを抱え、狼に朝食を届けに来たことが伺えた。
「怒るだと? なぜ俺が怒る必要がある。お前が来ようが来なかろうが、俺には何の関係もない。
怒る要素などどこにも……つ、なんだよ」
じー。半眼になって赤頭巾が狼の顔を覗き込む。本当にそう思ってる? そんな表情をしている。
「……ちっ」
狼が舌打ちをする。くそっ、絡みづらい。なぜ今日は、いつものように強く押し返せないのだろうか。
完全に赤頭巾のペースに飲まれてしまっている。
「実はね……お兄ちゃんが帰ってきたんだ。何年も前に家を飛び出してたんだけど、急に戻ってきちゃって。
それでバタバタしてたの。だから、狼くんに会える時間がなくて、今日になってやっと来れたんだ」
赤頭巾が狼を迎えに来なかった理由。それは、彼女の兄が突然戻ってきたということが原因だったようだ。
狼が少しだけ安堵する。赤頭巾の容態を心配していたわけではないが、もしかしたら、
彼女の身に何かあったのかもしれない――それが、ここ最近来なかった理由では。と、
少なからず思っていたからだ。『結びつき』の関係上、赤頭巾の物語に支障が出れば、
すぐさま狼の物語にも編纂が加えられ、彼女がどうなったかなんて、すぐにでも分かるものなのだが、
そうではない場合だと、さすがの彼にも赤頭巾の容態までは分からない。
赤頭巾から直接理由を聞かされたことで、狼の苛立ちも幾分か軽くなったようだ。
「ふん……それで、わざわざ時間を割いてまで、今日は俺に何の用だ」
腕組みをして強気に出る。理由が判明した以上、赤頭巾のペースから脱却しなければならない。
だんだんと、いつもの感じが戻ってくる。赤頭巾はバルーンパンツのポケットから
ハンカチ程度の紙切れを取り出して、それを仁王立ちの狼に手渡した。
「えっとね、明後日なんだけど……私のホームで親睦パーティーをすることになったの。お兄ちゃんのことを
みんなに紹介しようと思って。それで、こうやってお誘いの招待状を、みんなに渡して回ってるんだぁ。
にしし……もちろん、狼くんも来るでしょ?」
紙切れには、日時、場所(丁寧にホームまでの地図が描いてある)、それに、
デフォルメされた赤頭巾の自画像が書き込まれており、軽く柑橘系のコロンが香り付けされていた。
なるほど……それでバタバタしていて忙しかった、と。
狼が思い悩む。自分が素直な性格であれば、今すぐここで出席の旨を伝えるのだろう。
仲間は必要ないと言いつつも、兄妹や赤頭巾、どこぞのお姫様といる時間は、そう悪くはないからだ。
居心地が良いというのか、こんな自分でも受け入れてくれているというのか。
上手くは言い表せないが、何が何でも断る……と、言うわけでもない。今までだって誘いを受ければ、
ほぼほぼ参加してきたつもりである。ただ……〝何か〟が胸に引っかかってモヤモヤする。
「……俺はいい」
狼が両腕を下ろして、スタスタとその場から立ち去ろうとする。
「ちょっと。狼くん!? みんな来るんだよっ。リンゴのケーキだって、いっぱい用意するし……」
赤頭巾が狼を必死に説得する。ヘンゼルやグレーテル、白雪達の参加はすでに決定しており、
赤頭巾は狼も当然参加するだろうと踏んでいた。彼の性格から、一言二言では参加しないだろうと思って、
招待状にちょっとした小細工まで施した。揮発させたリンゴの余芳を、招待状に染み込ませておいたのだ。
リンゴの匂いを嗅げば、自ずと参加してくれるはずに違いない。そう見越して――
それなのに、今日の狼はそれにすら反応を示さない。何か彼の気に障るようなことをしたのだろうか?
狼の後ろ姿に若干の苛立ちが募っている。
ハハン。もしかして……。
「照れてる……の? ねえ、狼くんってば~照れてるんでしょ? そうなんでしょ??
三日ぶりに会ったから? ねえねえ、そうなんでしょ? それで、私のことを避けてるんだよね?」
赤頭巾が狼の後を追って、彼の腕にまとわり付く。三日間も野宿させてしまったことを陳謝しながら、
再度、親睦会への参加をお願いしてみる。
「ねえねえお願い。機嫌を直して。今日はさ~お兄ちゃんにも好評だったパンナコッタを作ってきたんだ~
すっごくおいしいんだよ。天気も良いしさ~今から一緒に食べようーよー」
ピタッ。狼の足が止まる。眉間にシワを寄せ、歯軋りをする。
「狼くん? ねえ、聞いてるの……? 無視はよくないなぁ~せっかく私がお相手してあげてるのに~
ほんと、素直じゃないんだから。そんなんじゃ、お兄ちゃんに――」
「黙りやがれっ!」
ビクッ。突然の怒鳴り声に、赤頭巾が身体を強張らせる。狼が赤頭巾の腕を強引に振りほどき、
ギロリと彼女を睨みつけた。獲物を狩るような鋭い目つきだ。少しばかり殺気立っている。
「狼……くん?」
狼の怒り姿に赤頭巾が言葉を失う。今までにも何回か怒られたことはあったが、
これほどまでに殺気立っているのは、今回が初めてだ。一体全体、どうしたというのだろうか。
「消えろ、目障りだ」
「なっ……なによそれっ! そんな言い方しなくてもいいんじゃない? 私はただ……
みんなと仲良くなりたいって想ったから、みんなにお兄ちゃんを紹介しようと思っただけで、
怒られることなんて何もしてないんだけどっ!」
赤頭巾が反撃に出る。その言葉に反応して、狼が高まった苛立ちを、なおも赤頭巾にぶつけた。
「さっきから兄貴、兄貴ってうるせぇんだよ! 俺に家族がいないことを茶かしているのか?
お前の話にはウンザリだ。二度と俺の前に現れるな」
「あ……」
ハッとして、赤頭巾が口に手を当てる。
私……知らない間に、狼くんを傷つけていたんだ。お兄ちゃんが帰ってきたことが嬉しくて、
狼くんの気持ちを全然考えていなかった。狼くんに家族がいないことを知っていたのに……。
「ご、ごめんね……私、狼くんの気持ちも知らずに――」
ゴンッ! 近くの木立に大穴が開く。狼の拳が樹皮を突き破って木立にめり込んだ。
「消えろ!」
狼に剣幕を立てられて、赤頭巾がワナワナと震え出す。
泣いているのとも、怖がっているのとも違う。話を聞こうともしない狼に、彼女は怒っていた。
「狼くんのバカー! もう知らないっ!!」
両手に持っていたランチバスケットを、狼に向かって投げつけ、赤頭巾がスタスタと森の中へと駆けていく。
その後ろ姿を眺めながら、ランチバスケットを抱えた狼が左右に頭を振った。
「……ちっ。俺は何をしている」
久しぶりの顔合わせだったのに、あいつの話に兄貴の存在が出てくると苛立ちを覚えてしまった。
自分に家族がいないことを彼女は知っている。うざったい奴だが、人の気持ちを理解できない奴ではない。
狼もそうだった。別に同情を買ってもらいたくて、あんなことを言ったのではない。
赤頭巾の兄貴が戻ってきたことにより、彼女がいつにも増してハイテンションだったからだ。
自分では赤頭巾のあんな笑顔は引き出せない。
悔しいが、それが怒りとなって、ついあんな言葉を言ってしまったのだ。
ランチバスケットの中には、作りたてのおにぎりに、お茶の入った水筒。それに赤頭巾が話していた、
パンナコッタとかいうデザート。隣には、リンゴが丸ごと3個も入ってある。
赤頭巾のホームからこの場所までは、それなりに距離がある。
これらを準備してここまで来るとなると、いったい何時から起き出していたというのだろうか。
赤頭巾は狼との久々の顔合わせを、楽しみにしていたに違いない。でなければ、
こんな朝早くから狼を見つけるなんて行動は起こさないはずだ。
「くそっ……」
穴の開いた木立に寄りかかり、狼が天空を仰いだ。
なぜ俺は、いつもこうなんだ。そんな言葉が涼風に吹かれて舞い上がる。
今夜も……野宿決定だな。




