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咆哮のグレーテル  作者: 胡桃ヌイ
★第七章 『青卑下』――Kapitel 7:Blaubart――
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Ⅱ 『至福のひととき①』

八月も半ばを過ぎた頃。大きな樫の木がそびえ立つ、とあるホームの裏庭から、

野鳥の鴃舌(げきぜつ)に雑じって陽気な鼻唄が聞こえてくる。


「フフフ~ン♪ フンフン~♪ フンフンフ~♪」


小気味のよい楽曲の声主は、白いベッドシーツを太陽に透かすよう両手でバサッと広げ、

木と木の間に通した物干し竿へと引っかけていく。陽気な鼻唄の歌い手は、

はちみつ色の髪を二つ結びにした、可憐な少女だった。


少女は自身と祖母の分である、二人分の敷布(しきふ)を干し終えると、

今度は足元に置いてあった洗濯カゴへと手を伸ばした。カゴの中には、洗濯したての湿った衣類が、

溢れんばかりにうず高く積み上げられており、それら一つ一つを少女は水を切りながら手に取って、

矢つぎ早に、えもんかけに吊るしていった。


「ここのところずっと天気が悪かったから、洗い物がたまりにたまっていっぱいだよ」


どんどんと拡がりを見せる洗濯物。やがて、水濡れした最後の一枚を干し終えた時には、

大きな木の下は、連続旗と見間違えるほどの洗い物でいっぱいになっていた。


「うしっ。洗濯物お~わりっと。後はお昼ご飯の準備をして、それから……」


空になった洗濯カゴを抱え込み、次の予定を頭上に描きながら裏庭を後にする。


「あー……お湯を沸かす分の薪がもう無かったかしら。日が暮れる前に採ってこないといけないなぁ……」


やるべきことが重なってしまい、今日も一日、忙しくなりそうだと額の汗を払拭(ふっしょく)した。

(こよみ)の上では、すでに立秋に入っているにもかかわらず、太陽の光熱はまだまだ衰えを知らない。

しばらくの間は好天に恵まれるだろうと、少女は玄関口へと向かった。


「――!」


少女の手元から洗濯カゴが離れる。カランカランという落下音に反応して、

玄関先に立っていた少年がこちらを振り返った。


「おおっ……赤頭巾かい?」


少女は突然の出来事に目を見開いたまま固まり、おそるおそる目の前の少年に声をかけた。


「お……兄ちゃん?」


      ☆


赤頭巾の兄が突然帰ってきたと聞いて、祖母は途中だった裁ち物をベッドの脇へと退けた。

彼がまだ幼かった頃の面影を思い出し、成長して帰ってきた現在と、見比べるように対面する。


青卑下(あおひげ)……なのかい? 本当に、あの青卑下なんだね?」


ベッドから起き上がり、二度にわたって確かめる。青卑下と呼ばれた少年は、祖母と再会の抱擁を交わすと、


「ただいま、おばあ。長い間、家を空けてしまって心配かけたね。おじいの死に目にも会えず、

 忸怩(じくじ)たる思いで本当に自分が嫌になる」


長期間ホームを空けてしまった事と、不在の間に祖父が逝去(せいきょ)してしまっていた事を悔やんだ。


祖父母には、この森に追いやられてから、幾度となく犬馬(けんば)の労を取ってもらった。

猟師だった祖父からは、森で生きていくために生活術を教えてもらったし、

祖母からは、据え膳から身の周りの援助まで、病弱だった母親に代わって、いろいろと世話を敷いてもらった。


もしも、祖父母の存在がなければ、まだ幼かった妹と二人、どうなっていたか分からない。

まさに、(いた)れり尽くせり。感謝してもしきれないほどの思いから、

祖父の今生の暇乞(いとまご)いにいられなかったことが尾を引いてしまう。


ただ、祖母だけは青卑下が森から出て行った事由を知っていたため、彼を強く責めるようなことはしなかった。


「シャルには……父親には会えたのかい?」

「…………」


青卑下が沈黙から首を横に振る。祖母は「そうかい、そうかい」と言って、それ以上は何も聞き出さなかった。


「シャルって……私達のお父さんの名前?」


赤頭巾が二人のやり取りを聞いて、青卑下の顔を覗き込む。彼女が父親について何も知らないのも無理はない。

父親が家を出て蒸発してしまったのは、青卑下が若干3歳の時で、赤頭巾がまだ母親の腹の中にいた頃である。


青卑下は黙したまま何も語ろうとはしなかったが、久しぶりに再会した妹の顔を見て、

隠しておくことはできないと判断した。


「〈シャルル・ペロー〉……俺やおかあを置いて出て行った、クソ野郎だ。あいつが家を出てしまったせいで、

 おかあの病気が悪化した。そして……俺達兄妹は、こんな森へと追いやられるはめになったんだ」


(こぶし)を握り、奥歯を噛みしめる。父親の身勝手な行動に人生を滅茶苦茶にされ、怒りが込み上げてくる。


「赤頭巾。お前だって『黒い森』での生活は、身を削る思いだろ?」


森での生活が苦しいかどうかを尋ねられ、赤頭巾は現在の胸の内を兄に伝えた。


「私は……お父さんのこと知らないからよく分からないけど、この森での生活は気にいってるよ。まあ……

 教団には管理されちゃってるけどね。それでも、おばあちゃんがいるし、それに友達も出来たんだ。だから、

 お父さんにはちょっとだけ、感謝してるのかな。あ、でも、家を勝手に出て行くのは許せないよね。せめて、

 一言くらいは残してくれなきゃ……お兄ちゃんが自棄になって、部屋の壁を壊したくらい許せない行為だよ」

「おいおい……俺は自棄になんかなって……それにお前今、友達って……」

「うんっ。みんな、この森で仲良くなった子達ばかりなんだぁ~。えーっと、ヘンゼルくんにグレーテルちゃん。

 白雪さんにいっぱいの小人さん達。あと……向こうはそう思ってないかもだけど、狼くん。みーんな、大切な仲間だよ」


赤頭巾の生き生きとした様子を見て、青卑下が父親への悪罵を思いとどめた。

あんなにも幼かった妹が、自分の意思をきちんと持って、前向きに成長していたことに複雑な心境になる。

きっと、良い友達に巡り会えたのだろう。兄の言うことを黙って聞いていた昔の彼女とは、まるで別人のようだ。

黒い森での生活が……友達が、妹を変えてしまったのだろうか?


青卑下には、それがひどく切なかった。


「そっか……お前、友達が出来たんだな。よかったじゃないか」

「にししっ。今度、お兄ちゃんにも紹介するね」

「ん? ああ……そうだな。そいつは楽しみだ」


妹に向けていた視線を上方へと逸らし、青卑下が宙の一点を見すえる。友達……ね。

赤頭巾の仲間とやらが、いったいどのような者達なのか想像する。自分も仲良くできるだろうか?

思考する彼の中耳腔(ちゅうじくう)に、時を告げる鐘楼音が鳴り響く。


「おや? もうこんな時間かい?」


ゴーン、ゴーンと、左右に揺れる振り子時計を見上げ、祖母は時計の針が正午を指していることを確認した。


「いっけなーい。お昼ご飯の準備、まだ途中だったんだ! 急いでお湯を沸かさないと……あ~! 

 薪も拾ってこないといけなかったんだ! ううう……」

「ハハハ。落ち着けよ赤頭巾。薪なら俺が拾ってくるから、お前は先に食事の準備を進めてな」

「いいの、お兄ちゃん?」

「お安い御用さ。とりあえず、二束ほどあれば足りるかい?」

「うんっ! それだけあれば、一年は安泰だね」

「いや……もって三日だろ」


      ☆


「ねーねーそれでね。その時、お空がパァーって明るくなって、そうしたら今度はいきなり、碧色の隕石が

 ワーって降ってきたの。それでもって、宇宙船の中からブリキの兵隊さんが、おもちゃの銃を手に現れて――」


赤頭巾が丸椅子の上に両膝を乗せ、食卓に両手を着いて身を乗り出した。

ここ短日月(たんじつげつ)の近況報告を、次から次へと止まることなく喋喋(ちょうちょう)する。


「ハハハ……赤頭巾、そんなにいっぺんに話されたら、何が何だか分からないよ」

「だって~お兄ちゃんに話したいことが、いっぱいあるんだもん……長い間、家を空けてた罰だよっ」

「あーわかったわかった。いくらでも聞いてやる」


昼食後。青卑下は食後のパンナコッタをつまみながら、赤頭巾の話に耳を傾けていた。

こうやって妹とゆっくり時を過ごすのは、実に何年ぶりのことだろうか。昔はよく、二人で遊んでいたっけ。

光にあふれた窓辺の外からは、波静かな風が白いレースカーテンをふわふわとさせている。

このまま時間が止まってしまえばいいのにな……と、彼は二皿目のパンナコッタを口に運んだ。


それにしても赤頭巾の奴……こんなにも料理が上手くなっていたなんて。

容姿・性格の変化もそうだが、女子力もだいぶ上がっていないか? こんなにも上手い料理を出されたら、

並大抵の男どもは嫁に貰わずにはいられないだろう。なんてことだ……と、青卑下は三皿目を赤頭巾に要求した。


パンナコッタ……なんて上手い食べ物だ。不覚ながら少し気に入ってしまった。


「そうだ! お兄ちゃんも帰ってきたことだし、この家でパーっとパーティーをやろうよ!」


胸の前で両手をパチンと叩き、赤頭巾が大規模な親睦会を提案する。

彼女自身まだお目にはかかっていないが、先日いつもの花園で、グレーテルから

新しい『グリムの仔達』が加わったと報告をもらった。

どうやら、とある王国の王子様らしい。


その彼は、元々はグリムの意志を継ぐ継承者ではなかったが、なんでも白雪との『結びつき』が発生した関係で、

彼女の物語に出てくる〈王子様〉とリンクしてしまったとか。それで、『グリムの仔達』になったということだ。


さらに聞いた話では、白雪の家で同棲しているということで、ますますその関係が気になっていたところだった。


「パーティー?」

「うんっ! 私の友達にお兄ちゃんを紹介したいの。さっき、今度紹介するって言ってたでしょ? 

 お兄ちゃんがまた勝手に家を出て行かないように、みんなに見張っててもらわなきゃね」

「おいおい……俺は飼い犬か何かなのか……」


青卑下が三皿目のパンナコッタを食べ終え、四皿目を前に呆気づく。

まさか、妹に手を引っ張られてしまう日が来ようとは……時の流れとは、つくづく残酷だ。涙が出てくる。

そして、パンナコッタ……お前は最高の食べ物だ。


「ねーねーいいでしょう? お兄ちゃんが今食べているブルーベリーのパンナコッタ、いっぱい。いーーーぱい、

 用意するからさ~ダメ?」

「赤頭巾、すぐに開催の準備をするんだ。明日、いや……なんなら今からでも――」


コホンと咳払いをして、青卑下が我に返る。危ない危ない、誘惑に負けるところだった。


「そうだな。俺もお前の仲間とやらに会ってみたい。その中に、赤頭巾の男がいるんだろ?」

「おおおっ男!? 男って何? もしかして彼氏のこと!?」


赤頭巾が慌てふためく。そんな様子を青卑下は笑いながら、


「冗談だ。それに……お前は誰にも渡さない。お前は俺〝だけ〟のものだ」


言葉の後半部分を上手く聞き取れず、赤頭巾は???を浮かべ首を傾げた。

一瞬、兄の目つきが鋭くなったのは気のせいだろうか? 


「赤頭巾、お昼ご飯ごちそうさま。ホームパーティー、楽しみだな」


青卑下が食べきった空皿を持ち上げて、流し台のほうへと歩いていく。


「うんっ!」

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