Ⅶ 『新たなる力』
一歩進むと絡んだ木々が解けだし、一歩進むと生い茂った下草が両脇に向かって避けていく。
白雪と小人達の一行は、魔女ゴーテルの終の住処になっている、茨の塔へと歩を進めていた。
「フェンヒェル」
「うん。僕もさっきからおかしいと思ってたんだ」
タッシェルが白雪の隣に並んで、彼女を挟むような形でフェンヒェルに問いかける。
出発前。塔までの道案内は王様カエルが買って出てくれた。凶悪な魔女に《ルーン魔術》をかけら
れてしまったとはいえ、一度は彼女のホームへと足を踏み入れた事があり、少なからず土地勘があ
ったからだ。しかしながら、ゴーテルの塔領域には、ホームを守衛する強力な結界が張られており、
王様カエルは『魔術反応』を恐れて、森の途中までしか道案内をする事ができなかった。そのため、
そこから先の通い路は、白雪達だけで進まなければならなかった。
「ホーム領域だというのに、やけに無用心だ。静かすぎるにもほどがある……それどころか、一歩
進む度に、植物達が意思を持ったかのように避けていく。あまりにも歓迎されているね……」
塔へと続く棘のトンネルを、フェンヒェルが怪訝そうな表情で見渡す。
どうにも、魔女ドロテーアの〝忠告〟が引っかかり、フェンヒェルとタッシェルは、いつにも増し
て用心深くなっていた。
魔女ドロテーアの説話では、魔女ゴーテルは周りを無数の荊棘に囲まれた、『入り口のない高い塔』
に住んでいると語っていた。それゆえに、ホームへの防壁は厚く、またゴーテルの人間不信も合わ
さって、塔までの道のりは、困難を極めるかもしれないと念を押されていたからだ。人間誰しもが、
聞いた話とまったく真逆の状況に遭えば、何かあるのではと疑り深くなるのは当然である。
そして、そんな二人の不安を煽るかのように、後方からネッセルの吃驚が聞こえた。
フェンヒェル達三人が何事かと振り返る。彼らが振り向き様に目にした光景は、太くて長い紐状の
植物が、ウネウネと3本ほど地面から這い出して、弟小人達に襲いかかろうとしている場面だった。
「ぬをおおおおっ!!」 「う、うわああああ!?」 「ひええええっ!!」
紐状の植物が放物線を描いて迫ってくる。弟小人達はつまずきそうになりながらも、植物の攻撃を
回避し、そのまま手足を大きく振り上げて駆け出した。
「フェンヒェル! こっちに向かってきてるぞ!!」
附属肢のない体節制植物は、土壌に潜っては這い出し、潜っては這い出しての浮き沈みを繰り返し、
着実にフェンヒェル達にも肉薄していた。
「……ちょ、ムリ」 「いやー!」
ルーアがネッセル達と一緒になって逃走する。ミーレも涙ながらに白雪の元へと走り出した。
「みんな! ゴーテルの塔まで全力で走るんだ!!」
ほぼほぼ一本道の獣道ではどうすることもできず、退路を塞がれた白雪と小人達は、一目散に茨の
塔へと森の中を突っ切った――
森林の一部が崩壊する。真後ろに土砂崩れ的なものを感じながら、白雪達は塔の庭前へと躍り出た。
紐植物の猛威によって、辺りは砂煙と小人達の息遣いに包まれる。
「ハァ……ハァ……姫、みんな……大丈夫かい?」
フェンヒェルが息も絶え絶えに全員の安否を確認する。周りを見渡す限りでは、全員無事のようだ。
「随分と派手な持て成しをしてくれるね……対話を設けるつもりはないってことか」
砂煙が薄れ、視界が鮮明になる。突然現れた紐植物が、魔女ゴーテルの意向によるものなのかは分
からないが、この様子だと端から話を聞くつもりはないのだと窺える。
「なっ! 何なんだこいつは!?」
隣からタッシェルの固唾を呑む音が聞こえた。全員の視線が庭の中心部へと一斉に吸い寄せられる。
初めはそこに大きな樹木が立っているのだと思っていたが、そうではなかった。目を凝らして見て
見ると、そこには人間の形姿を模した巨大な草人形が、先ほどの紐植物を手足のようにしならせて、
クネクネと揺らめくようにそそり立っていたのだ。
「「しょ……植物の化け物キターああああ!?」」
シュパイゼとレッティヒがお互いに抱き付き合い、素っ頓狂な声を上げた。
草人形は白雪達をギョロリと見下ろすと、何本もの植物が絡まって出来た厚手の蝕手を持ち上げた。
☆
雲居の隙間から庭前を見下ろす者がいる。
緑色の単衣を身に纏い、ツバ付きのリリパイプを被った壮年の魔女だ。
魔女は「ホォッホッホッ」と小さく笑い、塔のはるか基底で蠢く、奇奇怪怪な植物達に魔
力を注ぎ込んだ。植物達が一斉にうめき声を上げ、お互いに植物性器官を密着し始める。
複数だった食虫植物は、次から次へと糾合していき、やがて、人間の形になぞらえた、
一体の〈草人形〉へと変貌を遂げた。
表土が洗われて気根が露出する。上体は人間の形を模しているが、下体は地表に根脈を残している。
ホームを守衛するため、研究によって生み出された魔女ゴーテルの使い魔。
『クシモト』――そう呼ばれている、巨大な植物獣だ。
魔女ゴーテルがクシモトを操り、ホームへの侵入者を庭前へとあぶり出す。
「おやおや? これはこれは面白いことになってきたねぇ。ヒッヒッヒッ……」
上空の窓辺から侵入者達を確認して、魔女は〈草人形クシモト〉に生け捕りの命令を下した。
クシモトがプログラム化されたロボットのように、招かざる客人達を命令通り捕捉する。
侵入者達は対話の余地がないことを悟り、止むを得なく戦闘態勢に入った。
「魔獣誕生の邪魔はさせないよ。お前達にはヒラリヒメの養分になってもらう」
☆
白雪と七人の小人達は足を一歩後ろに引いて、上空に浮かぶ巨大な蝕手を見上げていた。彼女達が
立っている地表の一面には、長くて太い蝕手の陰りが出来ている。
「みんな! 来るぞ!!」
フェンヒェルが振り向き様に弟達へ指示を出す。
それと同時に、クシモトの巨大な蝕手が垂直に投下された。
ドゴォオオオン!!
大地が揺れ動き、身体に波紋が伝わってくる。衝撃で何人かの小人達がひっくり返った。
地面は真っ二つに割れ、割れ目から大小さまざまな石片が突風と共に飛散する。
白雪達は分厚い蝕手に分断され、散り散りになってクシモトの攻撃から離れた。
「くっ……最初からここへおびき寄せるつもりだったのか。この植物に僕たちを排除させるために」
クシモトの左方に陣を取り、フェンヒェルが自責の念に苛まれる。
もう少し早い段階で、嵐の前の静けさが、魔女の仁術だったと気づいていれば、
これほどにまで追い込まれる状況にはならなかったはずだ。
「――っ!?」 「ぐわああっ!」 「うわああっ!」
主腕である蝕手2本のうち、もう一本の主腕がしなる。
クシモトから見て右方に展開していた、白雪・ネッセル・レッティヒの三人が、うねりを加えた厚手
の蝕手に薙ぎ払われ、遠くの外野へと吹き飛んだ。
クシモトはさらに3本もの副蝕手を身体から伸張し、鋭利な切っ先を標的に定めた。
「そうはさせるか!」
タッシェルが主要触手の根元に向かって、全身全霊の体当たりを喰らわす。
ほんのわずかだが、追撃の一手が緩まった。
「二人ともこっちよ!」
白雪がネッセルとレッティヒを抱え込み、安全圏の逸走を試みる。
クシモトの触手は広範囲でやっかいではあるが、本体の気根は土壌にしっかりと埋まっているはずだ。
先ほどから本体が動いていないのが何よりの証拠である。理屈だけに限って見れば、あれほどの巨腕
を振り回しているのだ。気根が不撓不屈でなければ、本体のほうが先に引き抜かれてしまう。
つまりは、クシモトとの距離を十二分に取りさえすれば、複数の蝕手にも対応ができる――
そのはずだった。
「姫! 真下だ!!」
「!!!」
思いもよらぬ場所から鋭利な蝕手が飛び出す。
本体から伸びている触手が、全てだと油断していたことが仇になった。
クシモトは庭前の地中一帯に、無数の気根を張り巡らせてバランスを保っていたのだ。
白雪がフルールドレスをひるがえす。身を反転して触手をかわそうと重力に逆らうも、
すでにそこは触手の射程圏内。必死の抵抗も空しく、白雪は鋭利な触手に切り刻まれて、
地上から空際へと突き上げられた。
「きゃああっ!」
両手に抱えていたネッセル達が、猛打を受けた白雪の手中から滑り落ちる。
さしもの白雪も、地中からの攻撃は予測していなかったのか、巻き込まれた際に腹体の一部を裂傷する、
痛恨の一撃を受け負った。
「姫ー!」 「雪ちゃん!!」
クシモトの反対側から、フェンヒェルとミーレが叫ぶ。
「シュパイゼ! ルーア! フォーメーションΘだ!! 姫たちを助けるぞ!!」
落下する白雪達をキャッチするため、タッシェルが弟達を引き連れて救済へと走り出す。
地上から伸び上がった蝕手は、白雪達を空へと巻き込んだ後、一定地点で折り返し、
無防備に落下する白雪達へ、再び狙いを定めて切っ先を光らせた。
「…………おうぎ」
ルーアが前傾姿勢から地べたを蹴って舞い上がる。そして、神速超回転と呼ばれる、とにかく凄い神業で、
白雪に迫る蝕手を打ち返した。タッシェルとシュパイゼが、両手それぞれに《童力》を練り込む。
「《童術・テラーテラーグロース!》」
タッシェルが両手を落下地点へとかざし、無色で透明な魔法円を出現させる。
白雪達3人を安全に包み込めるよう、上限値いっぱいまで童力を注ぎ込んだ。
『想い』が《カタチ》へと変化する。紋章陣から、白くて丸くて大きなお皿が生成された。
「《童術・イッヒマークエス・ニヒト・ゲミューゼ!》」
シュパイゼが、兄の出現させたお皿の上に、同じく無色透明な魔法円を重ねる。
どうやら紋章色は、ホビット族共通のようだ。
お皿の上で、シュパイゼの『想い』が《カタチ》へと変化する。
紋章陣から緑々しい葉野菜が大量に降り注いだ。
お皿の上が葉野菜でいっぱいになる。タッシェルの出現させたお皿の上に、
シュパイゼが、苦手な野菜をこれでもかと敷き詰めていく。
彼ら二人の合わせ技で、落下地点には、緑々しくもフカフカしい、《葉野菜のベッド》が完成した。
トン、トン、トンと葉野菜の上に、白雪達三人が衝撃を受けることなく落下する。
「小人さん……助かりましたわ……」
白雪がわき腹を押さえ、礼を口にする。ドレスからは血が滲み出ているが、重症ではないようだ。
他の二人も無事である。
「タッシェル! 一旦陣形を敷き直そう。離れての行動は危険過ぎる!!」
フェンヒェルがミーレの手を引っ張って、タッシェルの元へと駆けつける。
集団戦を得意としている彼らにとって、陣形は絶対。複数の敵を相手にする場合、
持ちつ持たれつの関係が重要になっているのだ。
「グゥオオオオオオオッ!!」
「フェンヒェル! 後ろから蝕手が来ている!!」
クシモトがくぐもった声を上げ、フェンヒェルとミーレの背後に照準を合わせた。
「ぐはああっ!」
蝕手の先端がフェンヒェルの足元をかすめる。その衝撃でミーレとの手が離れ、
フェンヒェルが前方へと転倒した。
「お兄ちゃん!」
「大丈夫だミーレ! そのまま姫たちの元へ走るんだ!」
転倒した兄を心配して、ミーレが涙目になる。
フェンヒェルはすぐさま起き上がり、ミーレの後に続いた。
「うわああん!」
二本目の主腕がフェンヒェルの頭上を通り越す。前を走っていたミーレが、
白雪達の手前でクシモトに捕まった。
「ミーレ!」 「ミーレちゃん!!」
タッシェルと白雪が同時に叫ぶ。ミーレは触手に腰首をぐるぐる巻きにされ、
空中へとしなるように吊り上げられた。はるか上空からミーレのわめく声が響き渡る。
「ミーレちゃん、待ってて! 今すぐ助けるわ!!」
白いお皿から身を弾ませて、白雪がクシモトの本体へと向かっていく。
「みんな、僕たちもいくぞ!!」
タッシェルが弟達全員を誘って、白雪の後ろを追いかけた。
白雪は迫り来る触手を、華麗なチョウの動きで回避し、猛攻を掻い潜って本体へと接近していく。
しかしながら、複数の触手は次から次へと本体から伸縮し、次第に白雪の体力をも奪っていった。
「――!!」
クシモトの触手が白雪の手首に絡みつく。振り解こうと触手を引っ張るも、触手は吸盤のごとく引
っ付いていて離れない。その間に複数の触手が白雪の身体へと絡み付いた。
「つ……これじゃあ……動け、ません……わ……」
首、腕、腰、足。クシモトの触手が白雪の身体を拘束していく。白雪は必死の抵抗を見せた。
その姿は、まるでクモの巣に引っかかり、もがき苦しんでいるチョウそのものだった。
「ああっ!」
そんな白雪の身体を、触手がさらに強く締め上げた。激痛が襲いかかり、白雪の頭がガクンと下がる。
クシモトは、抵抗力の無くなった白雪を軽々と宙に持ち上げて、ミーレの隣へと並べるように吊り上げた。
「まずい! 誰か誰でもいい! あいつの攻撃を食い止めるんだ!!」
フェンヒェルが決死の覚悟で、弟達に采配をふるう。一瞬、最悪な結末が脳裏をよぎった。
「く――そおおおっ!」
本体に一番近かったタッシェルが、足元からの触手に身動きを封じられた。
他の小人達も次々とクシモトに捕まっていく。気がつけば、一人ネッセルだけがダークダンスを駆使して、
何とか下方からの攻撃をかわしていた。
「ネッセル! 頼むっ!!」
先に捕まったフェンヒェルが、ネッセルに全ての望みを賭ける。
「うおおおおっ!!」
ネッセルがジグザグ走りで草むらを駆け抜けていく。上空から数十本の副触手が、矢のように降ってきた。
一本、二本……軽やかな身のこなしで、ネッセルが触手の攻撃を避けていく。
本体までの距離は、わずか数メートルにまで迫っていた。いける!
「がああっ!」
四本目の蝕手がネッセルを弾き飛ばす。五本目、六本目の触手がネッセルの手足に絡みつき、
七本目の触手が、ネッセルの身体を勢いよく貫いた。
「ゴホッ……」
口内から大量の鮮血を吐き出して、ネッセルが地べたに沈んだ。
「「「「「ネッセル!!」」」」」
小人達が一斉に叫声を上げる。ビクンビクンと痙攣を引き起こして、ネッセルは虚空を見つめていた。
「ちっくしょおおおおっ!」
身動きの取れない触手の中で、シュパイゼが足をバタつかせて慟哭する。
クシモトのくぐもった奇声が、魔女ゴーテルの笑い声にも聞こえてきた。
「もうだめだ……」
どうにもならない状況に、レッティヒが弱気になる。上空では、クシモトの触手が針のごとく鋭利になり、
捕獲した白雪とミーレに向けて、切っ先を定めようとしていた。
「姫! ミーレ!!」
フェンヒェルが最後の最後まで力を振り絞る。
小人達は皆が皆、どうすることもできず、最悪の結末を覚悟した。
針状の副触手がクシモト本体から噴出される。
迫り来る死神の鎌に、ミーレはわんわんと大泣きし、白雪は苦悶の表情で、不退転の決意をした。
あの勢いで触手に突かれたら、まず間違いなく、人の形は保てないだろう。
砲弾を受けた人間がどうなるか、彼女に想像できないはずがない。無残にも血肉を撒き散らし、
虚空を仰いで事切れることは必須。物語の結末は、バッドエンドとして語られるだろう。
死にたく……ない。生への執着と、死への恐怖が合わさって、白雪はらしくもなく悲鳴を上げた。
「いやああああっ!」
触手が白雪とミーレを貫いた――
☆
自ら光をさえぎった。暗い。何も見えないというものは、こうも暗いものなのだろうか。
死ぬということは、こんなにも暗い世界に行くということなのだろうか。
嫌だ……光が……光が見たい!
白雪が光を望んだ、その時だ! 暗闇の中に一筋の光が舞い込んできたのは。
白雪は光を追って、知らぬ間に閉じていた目を、ゆっくりと開いた。
「てやああああっ!」
はるか上空から声が聞こえる。白雪に迫っていた触手が、目の前で真っ二つに両断された。
彼女の表情が変わる。触手を切断した茶髪の少年と、その手にある大きな両刃斧を見つめ、
「ヘンゼルくん!! それに――」
「ぬいぐるみのおねーちゃん!!」
ミーレが叫ぶ。白雪に迫っていた触手は、ヘンゼルの振り下ろした両刃斧に、根こそぎ切断され、
ミーレに迫っていた触手は、グレーテルのヌイグルミによって、地面へと叩き落とされていた。
「「「「「おおっ!」」」」」」
庭前が小人達の歓声に揺れる。白雪達を追って敷地内に姿を現したのは、
魔女ドロテーアが後によこすと言っていた、木こり見習いのヘンゼルと、咆哮のグレーテルだった。
「いててて……」
ネッセルがむくりと地面から起き上がる。致命傷だけは間逃れていたのか、白雪達を助けるより先に、
ヘンゼルの《恩恵回復》を受けていたようだ。
「ネッセル! 無事だったんだね!!」
「おう! ピンピンしてるぜ!」
シュパイゼが嬉しさのあまり、思わず涙する。
グレーテルに弾かれた触手は、よろよろと本体へと縮まっていき、身体から別の触手を伸ばそうとしていた。
その隙をヘンゼルは逃さない。
「グレーテル、本体を狙うんだ!」
兄妹は草むらへと着地し、本体へ向けて駆け出した。触手をいくら削ぎ落とそうが、
本体が土壌から栄養を吸い上げている限り、触手はいくらでも再生するからだ。
絡まっていた触手が、ヘンゼルの一刀両断でほどけ、白雪が数分ぶりに地べたへと足を着ける。
そして、兄妹の後を追って、自らも本体に向けて駆け出した。
「姫! フルーレを!!」
「――はいっ!」
遠くからフェンヒェルの指示が飛ぶ。魔女の出方が分からない以上、
童力を温存するために童術の使用を禁止にしていたが、こうなってしまっては止むを得ない!
白雪が右手を前方に突き出し、右手首に左手を添えた。眼前に、汚れのない真っ白な魔法円が出現する。
「《童術・新梢シュネプリンセス!》」
真っ白い魔法円を掻い潜り、光の消失と共に、白雪が紋章陣から抜け出した。
美しい白薔薇の花弁が、白雪の身体からさらりと零れ落ちていく。彼女の右手には、切っ先の丸い、
白刀のフルーレが握られていた。
白雪がフルーレを下方に構える。フルーレは刺突に特化した、細長い剣身を備えているが、
形状はどちらかといえばサーブルに近かった。持ち手には、手を保護するためのナックルガード。
刀身と持ち手に当たる部分には、ディープカップ咲きの白薔薇が、透き通るような美しさで装飾されている。
『白雪姫』――まさに、彼女の名に相応しい《童術》だ。
複数の触手が兄妹に襲いかかる。ヘンゼルは下方に構えていた両刃斧を、縦横無尽に振り回した。
クシモトが奇声を上げる。本体から切断された触手は、そのまま枯れるように変色し、
風に吹かれるまま散っていった。どうやら、本体から〝完全に〟切り離された触手に、再生能力はないようだ。
クシモトにとってヘンゼルの《童術》は、不運にも相性が最悪だったと見える。
「伐倒――!」
ヘンゼルがクシモトの胴元を横一直線に掻っ切った。本体が自身の重みで反り返る。
グレーテルが地面にヌイグルミを叩きつけ、反動で空高く舞い上がった。
「やああああっ!!」
ヘンゼルの斬撃に続けて、兄妹に追いついた白雪が、後方から強力な刺突でクシモト本体を押し出す。
フルーレに突かれた本体が、完全に胴元から切り離され、ダルマ落としのように土壌へと横倒れになった。
「これで……!」
上空でグレーテルが身体を引き絞る。倒伏したクシモトを目がけて、ヌイグルミを着地と同時に叩き込んだ。
「グウウウウオオオオッ!!」
一際大きな奇声を発し、クシモトが枯れ枝のようになる。
ヘンゼル・白雪・グレーテルの、『斬・突・打』のコンボで、巨大な草人形――クシモトが消滅した。
「すごーい!」
クシモトの消滅により、触手に捕獲されていた小人達が解放される。遠くでミーレが飛び跳ねていた。
しかし、束の間の喜びも、魔女ゴーテルの前では小休息にしかならなかった。
ボコン、ボコン、ボコンと、土壌から消滅したはずのクシモトが、次々に姿を現したのだ。
その数、全部で5体。クシモト一体を相手にするだけでも死力を尽くすというのに、これだけ多くのクシモト
に囲まれてしまっては、兄妹でもタダではすまないだろう。
「白雪さん。魔女ゴーテルはどこに?」
魔女ゴーテルの居場所を、ヘンゼルが背中合わせの白雪に尋ねた。本体を消してもだめならば、
それを使役している本人を倒す必要がある。魔女ゴーテルを倒さなければ、クシモトは何度でも復活するからだ。
「おそらく、あの白い塔の中だと思うんだけど……塔に入るための入り口がないの。ドロテーアさんの話では、
塔のてっぺんに位置する小窓が、唯一の出入り口だって言ってましたわ」
白雪の話を聞いて、ヘンゼルが塔のはるか頂上を眺めた。
『茨の塔』はその名のごとく、外壁を痛々しくも婉美な荊棘に蔽われている。
ツタ伝いに登っていけば、時間はかかるが、いずれは小窓に辿り着くことができるだろう。
しかし、だ。そんなことを魔女ゴーテルが許すはずがない。現に、5体もの植物獣に囲まれている。
塔を登り切る前に、植物達に叩き落とされてしまうだろう。
兄妹と白雪達の一行は、クシモトの攻撃を、息を吐く間もなく避け続けた。
「つ……どうすればいい」
目の前の触手をいなし、ヘンゼルがこの場からの打開策を探る。このままでは、体力が底を尽き、
みんなまとめて植物獣にやられてしまう。どうにかして、塔へと登る方法を考え出さなくては……。
僕に、僕に――あそこまで飛べる力があったなら!!
「お兄さま、オノが……?」
グレーテルが驚いた表情になる。彼女に言われて、ヘンゼルは右手に握っていた両刃斧を見下ろした。
「ハーナウ&シュタイナウが……光ってる……?」
ヘンゼルの『想い』に呼応しているのか、彼の両刃斧がキラキラと翡翠色に光り輝いている。
ヘンゼルはハッとして、両刃斧の形状を、隅から隅までもう一度よく見渡した。
刃面の付け根に数ヶ所ある、一見、無意味なジョイント。固定式だと思っていたが、
折り込み式にも見える先端の槍頭部分。刃と刃のつなぎ目に当たる謎の箱体。
レールやピボットといった動力装置。今の今まで、それほど気にしたことはなかったが、この両刃斧……
あまりにも、機械的すぎないだろうか……?
「この斧って、もしかして……」
両刃斧の外見から何かに気がついたのか、ヘンゼルが確信を持った顔ばせになる。
そんな兄の表情から、グレーテルが彼の胸襟を汲み取って、
「お兄さま。ここはわたしが引き受けます。いってください!」
「グレーテル……」
ヘンゼルがグレーテルの顔を見る。以心伝心――ヘンゼルの『想い』とグレーテルの『想い』が一つになる。
グレーテルは植物獣5体を相手に、立ち回ろうとしているのだ。むろん、長くは持たないことを、
彼女は心構えている。切断系の技がない彼女では、兄のようには戦えないからだ。持って、数分が限界だろう。
それでも、この場を突破するためには、この役を引き受けなくてはならない。なぜなら――
兄の〝新しい能力〟に全てを賭けているからだ!
「グレーテル、ごめん! すぐに戻る!!」
ヘンゼルが茨の塔へと身体を向けた。
グレーテルが、自分に全てを託した請負だということは分かっている。
妹の打開策を無駄にしないためにも、考えている暇はない!
「白雪さん! 僕に掴まって!!」
「ヘンゼルくん……?」
ヘンゼルが走り出す。白雪は自身に迫っていた触手を薙ぎ払い、言われるままに、彼の腰首へと抱きついた。
「しっかり掴まってて! いくよ!!」
「???」
ヘンゼルが塔の手前まで辿り着く。背後からは、複数の触手がヘンゼル達に照準を定めている。
「野郎共! ちっこい魔女っ子と、姫たちを援護するぞ!!」
「「「「「ヘイホー!!」」」」」 「へいほー」
小人達が飛び跳ねる。ちっこい魔女っ子とは、グレーテルのことを言っているのだろう。
ホビット族が戦線に加わった。
ヘンゼルが膝を折る。刃面を下方に向け、新たなる《童術》を叫んだ。
「《童術・フライエンシュタイナウ!》」
両刃斧が一気に軽くなった。刃面がもう片側の刃面と、重なり合うよう折り畳まれ、槍頭が後方に倒れた。
付け根部分の箱体が、レールに沿って移動する。箱体の中に収納されていたのは、真っ白い羽だった――
両刃斧は、見る見るうちにその姿を変えていき、やがて、羽根箒のような形態に変形した。
ヘンゼルの童術――両刃斧ハーナウ&シュタイナウとは、状況に合わせて形を変えられる、
〝可変式〟の斧だったのだ。
「これなら――跳べる!」
ヘンゼルが伸び上がるようにジャンプした。
《フライエンシュタイナウ》は《ハーナウ&シュタイナウ》よりも軽く、たったの一振りで魔法のように飛べた。
一長一短で見れば、基本形態と比べ、攻撃力は落ちてしまうが、新たに『飛行能力』を手にしたことは大きい。
「すごい……私達、空を飛んでる」
白雪が白銀色の髪をなびかせる。ぐんぐんと地上から離れて行き、ヘンゼルの目の前に塔のてっぺんが見えた。
「白雪さん、行って!」
「はいっ!」
てっぺんの小窓にフルーレを突き立てて、白雪が小窓を割って中へと入って行った。
白雪を塔の中へと送り届けたヘンゼルは、《フライエンシュタイナウ》から、基本形態である、
《ハーナウ&シュタイナウ》へと再びフォームチャンジをした。
重力が一気に戻ってくる。それに伴い飛行能力が解除され、ヘンゼルは勢いを増して地上へと降下をし始めた。
地上では、グレーテルと七人の小人達が、クシモトと奮闘を繰り広げている。
落下時の重力と両刃斧の重みを力に変え、ヘンゼルがクシモトの一体に照準を合わした。
クシモトの触手が疲弊しているグレーテルに忍び寄る。
「うおおおおっ!」
ヘンゼルが両刃斧を振り下ろして、グレーテルに迫るクシモトを着地と同時に重断した。
「ギャアアアアアアアア!」
クシモトの一体が縦に引き裂かれて消滅する。
ヘンゼルは両刃斧を構え直し、残る4体ものクシモトを睨みつけた。
「これで、残りは4体! いくよ、グレーテル!!」
「はい、お兄さま!」




