Ⅵ 『金の斧、銀の斧』
『マホウノモリ』から『黒い森』へと抜け出したヘンゼルは、ニンフェを追いかけて、
彼女のホーム『妖精の湖』へと逆戻りをしていた。
「ハァ、ハァ……なんて逃げ足の速い子なんだ……この湖がニンフェのホームだと知らなかったら、
間違いなく見失っていた……」
ヘンゼルが息も絶え絶えに額の汗を拭った。途中、何度もニンフェを見失いかけたが、彼は少女の
逃亡先に心当たりがあったため、森の獣道を通っては先回りをして、ニンフェの風体を追っていた。
しかし、何度追いついても、不思議と少女から引き離されてしまい、結局、妖精の湖まで逃げられ
てしまったのだ。
「ここまで追いかけてくるなんて……ストーカーもいいところだわ」
「それは君が僕の手斧をネコババするからだろ……」
「ネコババだなんて失礼ね。この斧は私が拾ったのよ。所有権は私にあるはずだわ」
「そんな横暴な……」
手斧の所有権を巡って、ヘンゼルとニンフェが口論を交わす。そんなやり取りが数分と続く中、
どこからかざわめき声が聞こえ、林の中から数人の少年達が現れた。
「おい、いたぞ。あいつだ」
「ようやく見つけたぜ……このコソドロが……」
「何が『湖の妖精』だ。変な能力で物を引き込みやがって」
少年達は異口同音に言葉を吐き捨てて、ヘンゼル達に怒り心頭で近づいてきた。
事の様子からニンフェとは初対面ではなさそうだ。
「君達は……?」
「誰だよお前?」
少年達の筆頭と思われる少年がヘンゼルを睨みつける。
ヘンゼルは筆頭格の威圧的な態度に、一瞬うろたえそうになったが、ニンフェの手前、冷静を保っ
て返答を待った。
「お前……ここら辺りじゃ、見かけない顔だな」
筆頭格がヘンゼルに詰め寄った。年齢はヘンゼルよりも少し上くらいだろうか。
やけに目つきの悪い三白眼の少年だ。
「ああ~なんだ。もしかしてお前も、こいつに何か物を盗られたってわけか? それで盗まれた物
を取り返しに来たんだな」
「えっと……盗られるって……?」
「この女に、この湖で何か盗られなかったかって言ってんだよ」
筆頭格から話を聞いて、ヘンゼルは事の成り行きをすぐに理解した。彼にも思い当たる節があった
からだ。『盗まれた』――という表現には違和感を覚えるが、言われてみれば、今まさにその状態
にあると言えるのではないだろうか。
「心当たりがあるんだな……俺達もお前と同じさ。この湖で自慢の帽子を落としてしまったんだが、
どうしても諦めがつかなくて、帽子を落としたその日の晩、月明かりだけを頼りにこの湖に戻っ
てきたんだ……そしたら、この女が湖から俺の帽子を引き上げているところに出くわしたんだよ」
「オイラもおんなじだ。この湖でフォールディングナイフを研いでいたら、勢い余って落としてし
まったんだ……潜って拾いに行こうとも考えたけど、仲間からは妖精の湖なんて呼ばれているし、
罰が当たっちゃ敵わないと思って、泣く泣く拾いに行くのをやめたんだ。後はリーダーの話と一
緒だね」
小太りの別の少年が筆頭格の後に続き語りかけてくる。ヘンゼルは自分が手斧を落とした時の事を
思い出しながら、少年達の証言と照らし合わせていた。
「最初はさすがに驚いたぜ。なんたって水辺のド真ん中に人がいるんだからな。森ん中じゃ女神様
が住んでいるなんて噂が広まっているが、あれはどう見たって物の怪の間違いだ」
「…………」
「まあ、あの時は恐怖のあまり逃げ出してしまったが、よくよく考えると、物を落とした時に不思
議な空気を感じたんだよ」
「不思議な空気?」
「ああ。なんかこう……湖に向かって無理やり引っ張られる感じだ」
ニンフェは少年達とヘンゼルの会話の傍ら、視線を斜め下へ落とし、先ほどから沈黙を貫いている。
ヘンゼルは、少年達の話に共感できる部分がいくつかあった。たしかにあの時、自身の不注意だっ
たとはいえ、樹木から引き抜いた手斧は湖に吸い込まれるように落ちていった。後ろに投げ出され
た時の負荷が加わっていたとしても、手斧は不自然すぎるほど綺麗に円を描いていた。
「だから言っただろ? この女が〝変な能力〟を使って物品を引っ張っているって」
さらに別の少年が豪語する。筆頭格の証言といいニンフェを疑いたくはないが、彼らが強く強調す
る変な能力というのは、《童術》のことではないだろうか……彼女の童術がどういったものなのか
は分からないが、民謡伝承者でありアイソーポスの子であるニンフェなら、童術の一つや二つ使え
てもおかしくはないはずだ。
「何はともあれ、こいつが森の子ども達から物品を奪っていることに変わりはねぇ……悪いが、俺
達から奪った所有物は全て返してもらうぜ」
筆頭格がヘンゼルを押し退けてニンフェに差し迫った。
「残念だけど……あなた達の落とした品々ならとっくに売っちゃってここにはないわ。それに、私
は湖に落ちていた物を〝拾った〟だけで、盗んだなんて変な言いがかりはやめてちょうだい」
「なんだとてめぇ……減らず口を叩きやがって。これだけ多くの巾着切りをしといて、まだ白を切
るつもりか……だったらそれなりの覚悟はできてんだろうな? ああ?」
獅子吼を垂れるニンフェの周りを少年達がぐるりと取り囲む。
盗んだ物を返せないなら殴られても仕方がないという状況だ。
「ニンフェ!」
彼女自身が蒔いた種とはいえ状況が状況なだけに、ヘンゼルがニンフェの前に割り込んで、少
年達と対峙した。女の子を相手に3対1なんて……どう見たって助けざるをえないじゃないか。
「なんだ。お前こいつの味方をするつもりか?」
筆頭格の目が据わっている。今にも跳びかかってきそうな雰囲気だ。
「この子は……ニンフェはたしかにちょっと手癖が悪いかもしれないけど、それは……この森で生
きていくために身につけた術なんじゃないかな……人の物を奪う事はよくないことだけど、
たぶん彼女は不器用なだけなんだと思うんだ。二度とそんな事はしないよう僕からも伝えておく
から……許してはもらえないだろうか……」
ヘンゼルがニンフェの過ちを許してもらおうと、肩を縮こませて懇願した。
「ふざけんじゃねぇ……この森で生きていくための術だぁ? それは俺達も同じだ! 森で生きて
いくためにホームがいる、食べ物がいる、衣服がいる……一回の争奪戦でどれだけの物を失うと
思ってんだ!! 見す見す奪われた物を諦めるほど俺達もバカじゃねぇ。取られたら取り返す!
それが俺達の生きる術なんだよ!! 綺麗ごとを並べて他人に肩入れしてんじゃねーぞコラ!!」
筆頭格の少年が、ヘンゼルの胸倉を掴んで突き飛ばす。ヘンゼルは自分の考えが甘かったことに奥
歯を噛みしめた。忘れていた……この『黒い森』がどんなところで、どんな子ども達が暮らしてい
るかという事を。みんながみな生きるために必死になって生活をしているという事を。
おそらく浮かれていたのだろう。ホームを手に入れて、安穏な生活が当たり前のように
なっていたことが原因だ……黒い森では相も変わらず、悲惨な日常が繰り広げられているというの
に……そりゃあ殴られて当然だ。自身の勝手な正義で、彼らの生き様を天秤にかけたのだから――
他の少年達も加わって、ヘンゼルは少年達から、殴る蹴るの暴行を受けた。
少なからずここで《童術》を発動すれば、彼らを追い払うことくらいは可能なはずだ。いや……あ
の最強と謳われた〈黒い影〉と、一戦交えたことのある今のヘンゼルなら、この場を制圧すること
だって出来たかもしれない。しかしヘンゼルがそうしなかったのは、先ほどの甘い考えに加え、彼
の《童術》が誰かを傷つけるためのものではなかったからだ。
「ぐっ……僕を殴って気が済むなら、それでもいい……君達の行為を批判してしまったことも謝る。
でも……彼女だけは、彼女だけは許してやってくれないか」
ヘンゼルは降りかかる暴挙にひたすら耐え続け、ニンフェには手を出さないよう少年達に言及した。
「どうして……あなたには関係のないことでしょ……なんで私なんかのために」
ニンフェが訳が分からないといった表情になる。
「へへっ……言ったじゃないか。僕達は『仲間』だって」
「――っ!」
「くたばれやぁ!!」
筆頭格がヘンゼルに向かって大振りの拳を振り上げた。
「やめて! わかったわ……あなた達から奪った物は全部返すから! だから……その人に暴力を
振るうのはもうやめて!!」
ヘンゼルの言葉に抑えていたものが込み上げて、ニンフェが少年達に暴行の静止を呼びかけた。盗
品を売ったというのはその場しのぎの嘘だったらしく、少年達の所有品は、彼女のホームできちん
と保管され管理されていた。
少年達はニンフェに奪われたそれぞれの品を取り返し、満足した様子で湖を後にしようとしていた。
「ふん……お前も災難だったな。こんな疫病神なんかを助けてよ」
筆頭格の少年が横たわるヘンゼルに吐き捨てる。ヘンゼルはニンフェからの膝枕の元、虚ろな瞳で
彼らを見届けた。
「ごめんなさい……私なんかのために痛い思いをさせてしまって」
「ニンフェが謝る必要はないよ。僕が仲間を助けたい、そう想っただけなんだからさ。いてて……」
「あなたって本当に正直者ね……」
「ははは……グレーテルにもよく嘘を見抜かれるよ……僕ってそんなに嘘をつくのが下手なのかな」
ヘンゼルが身体を起こして口元に付着した血痕を拭き取った。
顔だけは両腕で何とか防御していたため比較的軽傷のようだ。
「本当にごめんなさい……あなたから奪った手斧もきちんと返すわ。それと――
これは私からの〝お礼〟よ」
ニンフェが立ち上がり、後ろ姿の少年達を睨みつける。
「ちょっと待ちなさい、あなた達」
「あん?」
遠くの少年達が一斉に振り返る。せっかく事無きを得たというのに、今度は何をするつもりなのか。
「この人を傷つけた分の〝お返し〟は……私がきちんとさせてもらうわ」
「お返しだと?」
その瞬間――ニンフェの左右の腕に、二重の光円が渦巻く二つの魔法円が出現した。
彼女から向かって右手側には金色の紋章陣……向かって左手側には銀色の紋章陣だ。
「《童術・金の斧&銀の斧!》」
ニンフェが左右の魔法円に触れ、想いをカタチへと生成する。やがて二色の魔法光を飛散させ、両
手それぞれには『ハチェット』と呼ばれる短柄の斧が握られていた。
右手には刃面に太陽の絵柄が掘り込まれた金色の手斧。左手には三日月の絵柄が掘り込まれた銀色
の手斧――ヘンゼルの《両刃斧ハーナウ&シュタイナウ》とは違った形状のハンドアックスである。
「おいおいなんなんだよ……変な能力ってまさか……その斧のことじゃねぇよな……」
筆頭格の少年が一歩、後ずさる。何もない空間からいきなり手斧を練成されれば当たり前の反応だ。
「さあ、どうかしら」
そう言ってニンフェが左手に持った銀色の手斧を突き出した。刹那――
「うっ、うわあああっ何だよコレ!?」
「身体が勝手に――!」
「どうなってんだよおおっ!!」
少年達の足が地面から離れ宙に浮く。突然の出来事に三者三様慌てふためいている。そして――
「銀色の斧は『引力』を引き起こす月光の力――」
宙に足を浮かせた少年達が、ニンフェの手斧に引っ張られるように、こちらへ向かって飛んできた。
3人ともお腹を前に突き出すような体勢で迫ってくる。
「「「うわあああああっ!!!」」」
ニンフェは迫り来る少年達を平然と視野に入れ、今度は右手に持った金色の手斧を突き出した。
「金色の斧は『斥力』を巻き起こす陽光の力――」
「「「!!!」」」
ギリギリまで迫っていた少年達が手斧の前でピタッと止まり、その数秒後、
彼らが元々立っていた場所まで引き戻されるよう吹き飛んでいった。遠くで少年達が尻もちをつく。
「ひっ! 噂は本当だったんだ!! 妖精の湖に暴力女神が出るっていうのは!!」
「ちょ……暴力女神って……」
ガクガクと膝を立て、少年達はすぐさま水辺から逃げ出した。
妖精の湖に対する変な噂が、また一つ増えたみたいだ。ニンフェが両腕を下ろして童術を解除した。
「ニンフェ……やっぱり君は湖の女神様だったんだね」
一連の騒動を眺めて、一息ついたニンフェにヘンゼルが問いかけた。少年達が言っていた物品が湖
に引き込まれる現象。それは彼女の《童術》が関係していたようだ。後になって彼女に聞いた話に
よると、ニンフェの童術は、様々な物を引き込める代わりに、それと同等のモノを手放さないとい
けない、《取捨選択》の力だと判明した。森の子ども達から物を得る代わりに、少女は自身の『幸
せ』を手放していたそうだ。なるほど……どおりで幸薄い子だと感じたわけだ。
「そういうことかぁ……だったら『ヘーゼルナッツの騎士』で僕が負けたのも納得がいくよ。
ニンフェは『運気』を引き込んでいたんだね。どおりでおかしいと思ったよ。僕、あのゲームで
負けたことがないからね」
「何を言ってるの? あれは本当に実力よ」
「………………」
「言ったじゃない……何でもかんでも《童術》に結びつけるのはよくないって」
「………………」
「あら? あれは老媼ドロテーアの使い魔だわ。帰りの遅いあなたを探しにきたのね」
ニンフェが空を見上げて頭上を旋回する一羽の白い鳥に目をやった。ヘンゼルは頭を垂れ
て呆然となっていた。
「僕が……僕が実力でゲームに負けるなんて……そんなこと……」
「あるのよ」
「うそだああああああああ!! 僕は……僕は認めないぞおおおっ!!」




