Ⅲ 『アイソーポスの子』
「お、おお……」
卓上に用意された豪華な食事を前に、ワンピースの少女はゴクリと生唾を飲み込んだ。
食卓にはイースト菌とライ麦粉、それにサワー種を加えて焼き上げた、ドイツの一般的な家庭パン
『ミッシュブロート』。原乳を乾燥させ、粉末状にて保存しておいた、子山羊の粉ミルク。
昨日、森の中で採取したプフィッフェルリング(アンズタケ)と、ジャガイモのスープ。極めつけは、
小さく切り分けたリンゴにレモン汁とハチミツ、上からクルミをまぶしたお菓子のようなデザート。
どれから手を付ければいいのか迷ってしまうくらいの食べ物が、グレーテルと魔女の手によって膳
立てられていた。
「これ……本当に食べてもいいの……?」
少女がヘンゼル達3人を何度も何度も見渡して、食事に手を伸ばしていいのかどうか、再三に渡っ
て確認した。成り行きで『ホーム』に招かれたとはいえ、まともな食事にありつけるなんて、久方
ぶりである。お腹の虫が鳴りっぱなしだ。
「ホォッホッホッ……遠慮はいらないよ。お腹がいっぱいになるまでお食べ」
魔女ドロテーアに腹鼓を打つよう勧められ、少女は目を輝かせて食事に手を伸ばした。
「……いただきます」
開口一番ジャガイモのスープに口をつけ、焼きたてホヤホヤのミッシュブロートに噛り付く。パン
とパンの繋ぎにミルクを流し込むことで、固形物はまるで魔法のように溶けていった。
「そういえば……まだ名前を聞いてなかったよね?」
少女の食べっぷりに言葉を失いながらも、ヘンゼルが少女の名を尋ねてみる。
少女はプフィッフェルリングを噛み砕きながら、自身の名を『ニンフェ』と名乗った。湖の近くに
小屋を建て、そこで湖に捨てられた物を拾って生活をしているという。
湖に落ちている物は実に様々で、そのほとんどが『質屋』と呼ばれる場所で売る事が出来き、食べ
物や衣料品、中には現金との交換も可能らしい。『質屋』についてニンフェに詳しく話を聞いてみ
ると、どうやら黒い森の中に子ども達が大勢集まる場所があり、戦利品や持参品、はたまた、自分
自身などを持ち寄って、独自の市場経済原理で取引を行う『ブラックマーケット』――通称、闇市
なるものが開かれていると語ってくれた。
本来『闇市』は物価を統制する体制化で、物資が不足した状況における〝統制に外れた〟非合法な
取引の手段だが、ここ黒い森の内部においては、ルールや秩序、人権や法典など、この森の体制自
体が教団連によって法外に管理されているため、生き残るための手段として成り立っているそうだ。
「……みんな今日を生きるために必死なの」
二つ目のミッシュブロートに手を伸ばし、ニンフェが重々しくパンを口に運んだ。ヘンゼルは森の
中で『ホーム』を持ち、安定した食事や安心して眠れる環境にありつけていることを、本当に幸せ
なことなんだと改めて実感した。
また、ヘンゼルの女神様かどうかの質問については、ゴミ漁りをする少女を見て「子ども達が勝手
にそう呼んでいるだけ」と答え、間違っても女神様などという大層な者ではないと否定した。
「そっかあ~それじゃあニンフェも羊飼いに連れてこられたの?」
「いいや……その子は『アイソーポスの子』にして、私と同じ民謡伝承者だよ」
ヘンゼルの問いかけに、魔女が窓辺に寄っていた白鳥にエサを与えながら答えた。
「アイソーポスの子? 民謡伝承者?」
「お前達には話していなかったかねぇ……グレーテルは民謡伝承者については知っているだろう?」
グレーテルが食事の手を緩めてコクリと頷いた。民謡伝承者――有史以来、数多の『物語』
に深く携わってきた者達で、その物語を語り継ぐ存在として認知されている者を指す。破損したヌ
イグルミを治してくれた赤頭巾の祖母や、不本意にも命を落としてしまった猟師だった祖父。先日
出会ったばかりの白雪の母親が、まさに民謡伝承者と呼ばれる者達である。
「民謡伝承者は『グリムの仔達』や『アイソーポスの子』と同じ様に、《民謡伝術》を使用する事
ができる。お前達が想いをカタチへと昇華させておるように、民謡伝承者も〝想い〟をカタチへ
と変えておるんじゃ。長年に亘って受け継がれてきた物語を、この先もずっと絶えさせないため
にのぅ……」
白鳥を森へと送り出し、魔女が座席へと戻ってくる。おおかた食事は食べ終えたのか、ニンフェは
デザートのリンゴ菓子を摘んでいた。卓上に並べられていたほとんどの食べ物は、綺麗さっぱりに
空皿と成り果てている。
「ただ、前もって言っておくが、私は民謡伝承者であっても《民謡伝術》なるものは使えぬ。なぜ
なら、マレフィキウムと呼ばれる加害魔法の概念によって囚われた、闇の使い〝魔女〟だからね。
魔女は超自然的な力《魔術》を得る変わりに、悪魔との従属関係を結んでおる。そのため、希望
や幸福……勇気と言った光の結晶《民謡伝術》を使用することが体質的に不可能なんじゃ。例え
強い想いがあったしても、それをカタチへと昇華する段階で闇の力が働いてしまい、光の術式で
ある《民謡伝術》と、お互いに反発し合って消滅してしまう。ゆえに魔女の血脈を受け継ぐ者は、
例え幸遺伝子を有する『グリムの仔達』であっても《民謡伝術》を使用することはできん」
そして、光と闇の共存――《童術》と《魔術》の併用は、魔女であり民謡伝承者である者にとって、
永遠の夢物語であると魔女は最後に付け加えた。
「『アイソーポスの子』については、その子のほうが私よりずっと詳しいだろう。食事の後にでも
詳しく聞いてみるといい。なんたって、お前達『グリムの仔達』よりも、古くから『物語』を受
け継いでいるからね。言わば、物語継承の先輩だ。きっとおもしろい話が聞けるだろうよ」
☆
湖から上陸した真ん丸カエルは、そのままピョンピョンと後肢を使ってジャンプし、白雪
と小人達の群れに近づいてきた。カエルがゲコゲコと鳴嚢を膨らませ、片肢で顔の汚れ
を拭き払う。脊椎動物とはいえ、どこか上品さを感じさせる何とも不思議なカエルだ。
「どこから現れたんだろう」
タッシェルが腕組みをして、真ん丸カエルの出どころを、フェンヒェルと共に考察し始めた。
「このかえるさん、でぶっちょだね」
真ん丸カエルを手のひらに載せ、ミーレが小動物を愛玩するようにこねくり回す。カエルはゲコゲ
コと鳴くばかりで嫌がる様子は特にない。それどころか、先ほどよりも強く鳴き始め、まるで白雪
達に何か伝えようとしているようだった。
「何だろう……鳴き声がしゃべってるようにも聞こえるんだけど……」
真ん丸カエルがあまりにも強く鳴いているため、シュパイゼがその鳴き声に違和感を覚えた。白雪
達全員が観察するよう真ん丸カエルを注視する。
「言われてみれば、たしかに喋っているようにも聞こえるわね」
ミーレの隣から白雪が覗き込む。フェンヒェルもタッシェルも、難しい顔ばせになっていた。
「ルーア。このカエル、何って言ってるか分からない?」
「……さすがにむり」
何を思ってルーアに聞いたのか、レッティヒの無茶振りにルーアが真顔で答えた。
「迷いの森の魔女なら、何か分かるんじゃね?」
ネッセルが戻ってきたマリをつきながら、森の奥深くに住む『魔女』への相談を持ちかける。
「魔女……さん?」
「黒い森の奥深くに住んでいる、魔術に長けた老婆だよ」
「この前会った〈兄妹〉の宿主でもあるみたいだね」
「まあ……あの子達の」
魔女の存在を認知していない白雪に、フェンヒェルとタッシェルが魔女について不衍した。
「ただ……魔女のところまで辿り着けるのだろうか……」
☆
昼食後。ニンフェと兄妹はヘンゼル達の寝室で、外箱にリスと思しき動物が描かれた、多人数参加
型のサイコロボードゲーム『ヘーゼルナッツの騎士』に夢中になっていた。
ヘーゼルナッツの騎士はプレイヤーがリスになって、森の中でナッツを探してくるというゲームだ。
プレイヤーはサイコロを振って、森に見立てたボードの上をナッツを探して移動する。ボードの上
にはカードを振り分ける山が8箇所あり、そこを回りながら止まった場所のカードをめくっていく。
めくったカードが『ヘーゼルナッツ』であれば、そのままゴールまで持ち帰って得点になる。ただ
しこの森にはいたずら好きの動物も住んでおり、狐や山猫と言ったいたずら者に出会ってしまうと、
せっかく見つけたナッツが奪われてしまうのだ。
めくったカードが狐や山猫と言った『盗賊』カードだった場合、それはそっと山の一番上に戻して
おいて、次にその場所に止まったプレイヤーが、盗賊カードか否かを当てなければならない。無論、
それはプレイヤーが〝ナッツを所持している時〟であり、ナッツを所持していなければカードを当
てる必要はない。そのままカードをめくってヘーゼルナッツを探すという最初の動きに戻るだけだ。
そして、このゲームの面白いところは、プレイヤー同士の駆け引きである。
例えば、めくったカードがヘーゼルナッツだったとして、そのカードを必ずしも所持する必要はな
い。盗賊カードと見せかけて山札にワザとに戻しておくという手法もある。もちろん、最終的には
ヘーゼルナッツをゴールまで持ち帰らなければ得点にはならないので、プレイヤー全員がどこかの
山で必ずナッツを手に入れることは絶対であり、次に止まった山先でカードを当てなければならな
い事態も必然になってくる。まさにプレイヤー同士の駆け引きが楽しめる、多人数参加型のゲーム
だ。ちなみに得点が入る方法にはナッツをゴールまで持ち帰る以外に、山札のカードが盗賊か否か
を当てた時にも加点される仕組みになっていて、山札のカードを見破った場合は、ナッツを所持し
た状態でその山を通り抜ける事ができ、当てたカードを山札から除外して得点を稼ぐことも可能だ。
当然だがカードを見破れなかった場合、所持していたナッツは没収になる。ゲームの性質的には盗
賊に奪われたって表現のほうがしっくりくるだろう。
「私の番ね……」
ニンフェがコロコロコロとサイコロを転がして、プレイヤーの分身である小さな駒リスを動かした。
サイの目はもっとも数字の大きい『3』である。彼女を含めたヘンゼル達3人は、現在ヘンゼル→
グレーテル→ニンフェの順番でゲームを回していた。
「えええっ!? 今度も『3』!? これで4回連続だよ……」
ヘンゼルが愕然と頭を垂らし、目を洗われる思いでサイの目を見やった。ニンフェの転が
したサイコロは、4巡目もなお数字の『3』だった。彼の言葉が示す通り、これで4回連続である。
「この山はたしか……あなたが2巡目に止まって〝何も引かなかった〟ところね」
ゴール目前のほど近い山域に駒リスを停止させ、ニンフェがヘンゼルの心内を読むよ
うに山札の一番上を眺めた。彼女はすでにヘーゼルナッツを所持しており、この山を超えればナッ
ツをゴールへと持ち帰ることが出来る。
「ゴールが目前の山で、カードを札に戻したってことは、一番上のカードはヘーゼルナッツではな
かった……ってとこかしら?」
「ど、どうだろうね……2巡目のことなんて……お、覚えてないや」
ヘンゼルはニンフェの探りから逃れるため、顔を逸らして曖昧に返答する。そんな彼の様子が面白
かったのか、
「一番上のカードは『盗賊』で……たぶんだけど山猫のレオよ」
ニンフェが山札のカードを一枚めくって確認し、そのまま兄妹の前に据え置いた。カードに描かれ
ていたのは、淡黄色に黒い斑点模様が点在した、チーターのような毛衣を持つ山猫で、まさしく彼
女が宣言した通りの盗賊カードだった。
「これで2ポイント……ナッツも全部で4つ運べたから、合計でいくつになるのかしら?」
「ううう……ナッツが4個で10ポイント……山札を3山当てたから、えーと……」
ヘンゼルがシドロモドロになって総得点を計算する。グレーテルにも出来るシンプルな計算式なの
に、彼は動揺のせいか頭の中がケサランパサランになっていた。
「ざんきのいたりです……お兄さま」
「慙愧のいたり!? どこで覚えたの、そんな難しい言葉!?」
ニンフェの一人勝ちを前に、兄妹は手も足も出せず、本日4回目の敗北を喫した。まあ……個人的
な順位をつけるならば、ヘンゼルが最下位になるのだが、得点を見る限り、グレーテルとの開きに
あまり差はないようだ。兄妹らしいと言えば兄妹らしい。
「これも『アイソーポスの子』の力なの……?」
3人全員がゴールへと辿り着き、山札が二つほど無くなったところで、ヘンゼルは先ほど魔女が話
していた『アイソーポスの子』について話を振った。
「何でもかんでも《童術》に結びつけるのはよくないわ。それに……《民謡伝術》の扱いなら、あ
なた達『グリムの仔達』のほうが得意でしょ?」
床板に散らばったヘーゼルナッツを手元に集め、ニンフェが外箱へと戻していく。
「う~ん……実のところ僕達も、《童術》については詳しく知らないんだ。おばあさんは〝その時〟
が来れば教えてくれるって言ってたけど……今はただ『想いをカタチに』って事くらいしか分っ
ていない。そしてその能力が、幸遺伝子を発症させた者に受け継がれた遺志とか何とかって……」
ゲームボードを折り畳みながら、ヘンゼルが《民謡伝術》について知っている事だけを打ち明けた。
「まあ、老媼ドロテーアが教えてくれないのも無理はないわね。私達『民謡伝承者』は、
あくまで物語の〝語り手〟であって、物語の〝主人公ではない〟からよ。民謡伝承者のお仕事は、
物語を創っていく主人公――物語の中心にいる子ども達のお手伝い……補翼は出来ても、
貸翼は出来ないわ。物語を完成させるのは、あくまで主人公自身だから……」
両手に持った駒リスをグレーテルが丁寧に片付けて、三人はヘーゼルナッツの騎士をお開きにする。
気がつけば、窓辺から橙色の薄光が部屋全体に射し込んでいた。
「お昼ご飯ごちそうさま……そろそろ御暇するわね。夕食の準備があるんでしょ」
「そんな……せっかくだから夕ご飯も一緒に食べようよ。まだまだ『アイソーポスの子』について、
聞きたいことが山ほどあるし……なんだったら家に泊まっていっても大丈夫だよ」
帰り支度を始めたニンフェをヘンゼルが言い留める。
「あなたってほんと不思議な人。死の森と呼ばれる黒い森で、どうしてそんなに優しくできるの?
あなた達だって生活に余裕があるわけじゃないのに……」
ニンフェが虹彩の違うオッドアイで兄妹を見つめた。
金色と銀色のまなこには、ヘンゼルとグレーテルがそれぞれに映っている。
「一緒に食事をした〝仲間〟……だからかな」
ヘンゼルが至極当然のように返答した。ニンフェは彼の思わせぶりな発言に微笑みを浮かべて、
「仲間……いい響きね」
そう言ってヘンゼル達から背を向けた。
「私なら大丈夫よ。手に入れた手斧を売って何とか食べ繋ぐから……」
「ん?」
「それじゃあ……また」
ヘンゼルの手斧を背中に担いで、ニンフェがそそくさと兄妹の前から立ち去ろうとする。
「ちょっとニンフェ?」
「……みんな今日を生きるために必死なの」
「う、うん……って! いやいやいや!! それとこれとは別件だよ!?」
「お礼ならきちんとするわ……手斧を元手に得られたお金で……」
「それはもう、お礼とは言わないよね!?」
ニンフェが扉のドアノブに手を伸ばし、兄妹の寝室から逃げるように飛び出した。ヘンゼルが慌て
た様子で後を追う。手斧の存在をすっかりと忘れていた。何とかして返してもらわねば。
「老媼ドロテーア、邪魔したわね……ごちそうさま」
リビングの前を通り過ぎ、食卓にて紅茶を啜っていた魔女に、ニンフェが去りながらお礼を言った。
「ホォッホッホッ……いつでもおいで」
ニンフェが勢いよくホームの外へと躍り出る。後方からヘンゼルの声が木霊した。
「僕の手斧……お願いだから返してよー!!」




