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咆哮のグレーテル  作者: 胡桃ヌイ
★第六章 『薔薇になった王子』――Kapitel 6:Das Märchen Von Rosenblättchen――
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Ⅰ 『湖の妖精』

ホーム『魔女の家』から少し離れた森の中。ヘンゼルはホームで使う(たきぎ)を集めるため、

単身、手斧を片手に伐採作業へ(おもむ)いていた。季節は夏真っ盛り。熱線がギラギラと照り注ぎ、

喉奥が水分を欲している。出発前、妹に持たされた水筒は、道中、すでに飲み切って空になっており、

彼は作業場に着くや否や、水分を求め、水辺散策へと乗り出した。


「つー! 冷たい!!」


ヘンゼルが水面に(ひた)していた顔を引き起こし、溢れんばかりの水粒を振り払う。

眼前には緑林色に染められた、静謐(せいひつ)かつ、幻想的な(みずうみ)が、周囲の森に溶け込む

よう広がっていた。水源は山滝部から湧き出た泉水(せんすい)で、鉱山から『マホウノモリ』にかけ、

一繋ぎの河川(かせん)で繋がっている。しばらくの遊水後。ヘンゼルは空になった水筒へ水を満たし、

伐採作業に取り掛かった。


カツン……カツン。ヘンゼルが慣れた手つきで伐採の手順を踏んでいく。黒い森に着いてから一ヶ月。

ヘンゼルは父親に習った伐倒術を、ようやくモノにし始めていた。


「よし……これで《受け口》ができたぞ」


しかし、慣れた頃の失敗というか、水平に切り込まれた切り口へ、上方から斧を差し込んだ時である。


「あ、あれっ? お、斧が……根元深くに突き刺さって……ぬ、抜けない……」


削れた樹皮に手斧がピッタリと(はま)ってしまい、どうにもこうにも抜けなくなってしまったのだ。

ヘンゼルが樹木の腹に片足を載せ、カブ抜きの体勢になる。腰を落とし、全体重をかけて引っ張った。


「くううっ……」


顔が真っ赤になる。それでも抜ける気配はない。

むしろ、引き抜けば引き抜くほど、刃先が根元深くに食い込んで、にっちもさっちもいかなくなった。

父親なら絶対にこんなミスはしないだろう。ヘンゼルの脳裏に父親の厳しい顔が映る。


それから数分後――粘りに粘って、ようやく抜ける気配を感じた。


「抜けろおおおおっ!」


ヘンゼルが手斧の引き抜きに成功する。しかし、その時の衝撃で、両手を後方へと投げ出してしまい、

伐採斧がドボンという水音と共に湖の中へと消えていった。先ほど遊水していた湖が、作業場の真後

ろにあったことを、ヘンゼルはすっかりと忘れていたのだ。


勢いの余り両手から投げ出された斧は、クルクルと回転を繰り返した後、重力に従うよう水辺へと吸

い込まれていった。水面(すいめん)が乱れ、水波が広がっていく。


「どうしよう……一本しかない大事な斧が……」


湖に残った波模様を見て、虚脱状態(きょだつじょうたい)になる。

水底の深長さえ分かれば、湖に潜って拾いに行けない事もないが、如何(いかん)せん、ヘンゼルは泳

ぐのがあまり得意なほうではなかった。彼は仕方なく斧を諦めて、湖を後にしようとした。その時だ。


湖の中に突然ブクブクと泡が立ち始め、水底から人影のようなものが浮かび上がってきた。

ヘンゼルは驚きのあまり腰を抜かして、湖から後ずさった。


「ひ、ヒト!?」


そして、湖にまつわる『おとぎ話』があった事を思い出す。たしか……貧しい樵夫が、過って斧を湖

に落としてしまった話だ。ヘンゼルが知っている結末では、樵夫が自分の落とした斧を正直に答えた

ために、湖から現れたヘルメースによって、金と銀の斧を与えられ幸せに暮らしたというものだった。


ヘンゼルがゴクリと唾を飲み込む。まさか、そんな夢みたいな昔話が本当にあるというのだろうか?

期待と不安を(つの)らせながら、湖から上がってきた人影を凝視した。


「…………」


湖から現れたのは、全身ずぶ濡れの少女だった。少女はどこか幸薄そうな表情をしており、お世辞に

も美少女とはいえなかったが、とても神秘的な雰囲気を醸し出していた。髪型は前髪を高く上げて額

を出し、膨らみをもたせて後頭部でまとめたポンパドール。周りを森で囲まれていることもあってか、

浅緑色をした髪は、エメラルドのごとく輝いていた。特筆するべき点は、右目が金色、左目が銀色と、

左右の虹彩が異なっていることである。人間に発症するのは珍しい『オッドアイ』と呼ばれるものだ。


年齢はヘンゼルと同じくらいだろうか。身長は赤頭巾より、少しばかり低いくらいである。身体を包

むのはノースリーブ型のワンピースで、生地色はラリマーにも似た美しい水色。湖と相俟って、絶妙

な一体感を漂わせていた。


「もしかして……女神……様?」


突然現れたずぶ濡れの少女を前に、ヘンゼルがおそるおそる尋ねてみた。

へルメース神は男だったはずだが、類話では女神だった説もある。女神にしては幾分と幼いが、湖の

中から突如として現れたのだ。誰がどう見たって女神様の(たぐい)に違いない――


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「あ、あのう……女神様……ですよね?」


ヘンゼルが再び問いただした。幸薄そうな子だとは感じていたが、言葉まで(とぼ)しいのだろうか。

もしかしたら、話すのが苦手なのかもしれない。心なしか、口数の少ないグレーテルによく似ている。


妹の面影を少女に反映させながら、ヘンゼルは少女の右手に気がついた。というのも、

少女の右手には先ほど彼が落としてしまった手斧が、しっかりと握られていたからだ。


「そ、その斧は……」


ヘンゼルの瞳孔が瞬く間に開いた。そして、湖にまつわるミソロジーが、本当だったことを存意した。

おそらくこのままの流れで行けば、女神様が落とした斧を返してくれるって内容だったはずだが……。


「この斧は……私のものよ」

「えええっ!?」


思いもよらない少女の返答に、変なところから声が出てしまった。ヘンゼルの聞き間違いでなければ、

彼女は今、とんでもないことを発言したことになる。


「えーと……女神様?」

「……この斧は私が拾ったの……だから……私のもの」


聞き間違いではなかった。はっきりくっきり鮮明に、彼女の口から手斧の所有権を断言された。

あれ? この『おとぎ話』ってこんな物語だっけ?


「ふふ……この斧を質屋に売って、そのお金で……」


ぐぅ~きゅるるるる――


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「もしかして……お腹……空いてるの?」


少女の腹から聞こえたであろう虫の音を聞いて、ヘンゼルが空腹の有無(うむ)を確認する。

少女はヘンゼルから視線を逸らして下を向くと、消え入るような声量で小さく言った。


「昨日から……何も食べてない……」


幸薄そうな表情が、ますます薄倖(はっこう)になる。その様子を見て同情心を持たずにはいられない。

ボソボソと斧を売るとか言ってたけど、とりあえずは聞き流しておこう。


「その……よかったら家に来ない? グレーテル――妹が何か食べるものを作ってくれるはずだから」

「…………いいの?」

「うん。妹と魔女のおばあさんと住んでるんだ。ここから15分くらいだから」

「おじゃまします……」


今度は即答だった。よっぽどお腹が空いていたに違いない。昨日から何も食べていないって言われて、

ほおっておくわけにはいかないだろう。みんなで助け合ってこそ生きられるというものだ。


「ところで君は湖の中に住んでるの?」


ヘンゼルからの物問いに少女が湖の(ほとり)を指差した。

提示された先には、一軒のボロ小屋が心密かに建っていた。


「あの小屋が……私のホームよ」

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