Ⅳ 『夢語り』
険しい山岳地帯の山すそに、一軒の丸太小屋が建っていた。
さほど大きくないログキャビンと呼ばれるものだ。主要な構造材はモミの木だろうか。
年中を通して、とても居心地の良さそうな小屋である。そしてその小屋に、
少女と七人の小人は住んでいた。
「それじゃあ、いってくるよ」
小屋の入口に立って、長兄の小人フェンヒェルが、少女に仕事へ出かける旨を伝えた。
彼らは金が取れるという洞窟で、鉱石を掘って生計を立てている炭鉱夫だった。
「ええ。お家のことは任せてくださいな」
少女が美しい声色で小人達を送り出す。
この小屋に住み始めてから7年。毎朝、繰り返してきた光景だ。
「雪ちゃーん。いってくるねー」
「ふふ、いってらっしゃい。ミーレちゃん」
「姫ー。いってきまーす」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
意気軒昂に手を振る小人達を送り出し、少女はそつなく家事を始めた。
朝食の後片付けから小人達の洗濯まで、一国の姫君とは思えないほどの丁寧さである。
小人達のいない昼間、家内を清潔に保っておくことが、彼女なりの日課になっていた。
そしてそれと同時に、少女には二進も三進も行かない悩みもあった。
一通り家事を済ませ、水瓶に水を移したところで、いつもの症状が彼女を襲う。
毎晩しっかりと睡眠時間を確保しているにも関わらず、唐突に強い眠気がやってくるのだ。
少女は脱力したように床板へ倒れ込み、たちどころに寝息を立て始めた。
寝る子は育つと言ったものだが、彼女の場合その比ではない。
少女は日中において、場所や状況を選ばず起こる強い眠気の発作、ナルコレプシーを
患っていた。症状として出始めたのが何時頃かは定かでないが、この森に着いてから数年、
覚醒時の間隔が徐々に短くなっているのは確かだった。
「ん……お母、様……」
少女は深い眠りの中で決まって同じ夢を見た。
それは大きなお城の中庭で、遠くから幼い日の自分を見つめる、艶やかな女性の夢だった。
☆
赤頭巾に毒入りのリンゴケーキを食べさせられてから三日。
兄妹は、ようやく身体の痺れが治まり、いつもの日常を取り戻していた。
あの事件以来、狼は悪夢に悩まされているらしく、
逃げても逃げても、手にリンゴを持った赤頭巾が、薄ら笑みを浮かべて追いかけて来ると言うのだ。
確かに想像したら、恐怖以外の何者でもない。すっかりと好物から距離を取った彼は、これを機に、
リンゴとの壮絶な戦いが始まると語っていた。
「お前達、すまなかったねぇ。たった今、『マギ』の修復が終わったよ」
昼食後。食卓で勉強に励んでいた兄妹に、魔女がホーム周辺の防衛線が再展開したことを告達した。
〈三匹の子豚〉戦で発覚した、『マホウノモリ』の抜け道。匂いを始めとした、五感に対する幻術
の弱さから一時的に無効化されていたものだ。
本来、この『マホウノモリ』の効果によって、ホームへの侵入者はたちどころに森の中を
さ迷うのだが、魔女がマギの補完に当たっている二週間は、魔術の還元も含め、無防備状態だった。
そのため、昼夜を問わず争奪戦を仕掛けられ、兄妹はその度に応戦を強いられていた。
ホームでの戦績は、初戦から数えて2勝0敗1分け。
引き分け分は〈狼&赤頭巾〉戦で、彼らの撤退による防衛を分けとしたからだ。
森での戦いも網羅すれば、2勝1敗1分けという、勝率としては決して悪くない数字だが、
兄妹の戦いに余裕がない事を考慮すれば、数回の戦闘が起きたこの二週間は過酷だったに違いない。
「二人がホームを守ってくれたおかげで、マホウノモリが再起した。心から礼を言うよ」
魔女が兄妹を見渡して感謝の言葉を口にする。兄妹も互いに顔を見合わせて綻んだ。
「でも……マホウノモリが展開しちゃったら、狼さんも赤頭巾さんも来れなくなっちゃうね」
「ホォッホッホッ。その心配はいらないよ。私の使い魔に、彼らの《想い》を記憶させているからね」
「……記憶?」
「そうじゃ。もし彼ら二人がマホウノモリに足を踏み入れ、この場所を探していると知った場合、
使い魔が二人の《想い》を感じ取り、私に知らせる手立てとなっておる」
「なるほど……それで、おばあさんがマギの幻術を解除するってわけだね」
「うむ。教団に対抗するためには、彼ら『グリムの仔達』の力が必要だからの。これからも、
ここへ来る機会があるはずじゃ」
マギの再構築によって心配された狼達の来訪は、兄妹が『魔女の家』に導かれた時と同じく、
使い魔を狼達へ差し向けるいう形で抜け道が作られていた。
「とにかくじゃ。これでホームを襲われることもなかろう。お前達の安全は私が保証するよ」
◆
『王妃様、見てください! 肌の白い、雪のような女の子ですよ!』
『まあ……私に似て、美しいわ……』
『ええ。将来きっと、王妃様のような美しいお姿になられることでしょう』
今だ夜の明けない朝月夜。カーテンレースで仕切られた、天蓋付きの豪華なベッドで、
王妃は額に汗を滲ませながら目覚めた。青く薄暗い室内は、無音のごとく静まり返り、
壁に掛かった柱時計の秒針音だけが、チクタクと時を刻んでいる。
「……夢?」
乱れた息づかいに連動して、額から冷たい汗が滴り落ちる。じっとりと湿ったネグリジェは、
新たな滴を吸い込んで、布地に小さな水玉模様を作り出していた。
「あの子はもういないはず……それなのに、この胸のモヤモヤは……いったい何だと言うの」
王妃はいてもたってもいられなくなり、枝つきの燭台に灯りを点した。
炎が蝋燭を融かして灯心草に染み込んでいき、メラメラと気化を繰り返して燃焼を始める。
夢での出来事が気になって、そのまま二度寝とはいかなかった。
「まさか……いや、そんなはずは……」
王妃は自問自答の中で、夢は心の深層を表すメッセージだったことを思い出す。
時に夢は、自身の心理状態を的確に表して、不安定な要因が何であるかを教えてくれる。
「過去、出産、そして……娘。私の記憶の断片に、あの子の存在が残っているだと……」
国中で、一番美しい女性だと言われるために消した白雪の存在。
狩人に命じて献上させた娘の心臓を喰らい、彼女の存在は自身の糧となって完全に消滅したはずだ。
それなのに何故――今になって娘の存在を思い出してしまったのか……。
あれから7年。一度たりとも娘の存在を思い出したことはない。この世に存在しない人間など、
気にかける必要もないからだ。ただただ自身が美しければ、その他の存在など塵のようなもの。
まさに白雪の存在が夢に出てくることなんてなかった。
「ええいっ! 誰か! 誰かおらぬか!!」
部屋の入口に向かって、王妃が大声を張り上げる。
すぐさま室内の照明が全て点灯し、侍女と思われる女性が妃の元に駆けつけた。
「お呼びでしょうか、お妃様」
「よいか、今すぐだ……今すぐに狩人をここへ呼んで参れ。さもなくば、
貴様の首をすぐにでも刎ねてくれようぞ」
「!!!」
狩人を城に参上させるよう王妃が侍女を脅迫する。その目には、
冷酷に見えて殺気立っているのが窺えた。身の危険を感じた侍女は、慌てて言葉を紡ぎ、
「お妃様、狩人殿は2年ほど前に、城でのお勤めを辞任されております。
現在は『黒い森』と呼ばれる森で暮らしているらしく、拝顔の栄に浴するのは不可能かと……」
狩人が現在は城に勤めていないことを申し上げた。
「黒い森だと……ロマン主義の連中が子どもを使って実験を行っているという、あの森か」
「はい。もともと狩人殿は黒い森の出身のようで、お孫さんと暮らしていたとの情報もございます」
狩人に関する情報を侍女が饒舌に暴露する。彼の消息を親身になって提供することで、
侍女は妃からの殺意を和らげようとしていた。
「なるほど、そういうことか……おのれ狩人。よくも……よくも、この私を騙しおったな」
白雪を亡き者にし、自分が一番の器量よしに返り咲いたと信じていたがゆえに、
血という血がどっと心臓に流れ込み、動悸が激しくなる。
「娘が……白雪が、生きている――」




