Ⅲ 『駆け引き』
『毒リンゴ事件』が起こる一日前のこと――
赤頭巾はお気に入りの赤いケープを纏って、森の中を散策していた。
〈兄妹〉との争奪戦中に、突然姿を眩ました狼を探すためである。
「ほんっと、自分勝手なんだから……せっかく、ホームまで突き止めたっていうのに」
プンスカと頭上から蒸気を発散して、赤頭巾が狼の残り香を辿った。
昨日は彼の苦悩も考慮して追跡はしなかったが、今日という今日は、突然いなくなったことを説教
してやらないと気持ちが治まらない。お節介だと思われるかもしれないが、
兄妹との結びつきが発生してしまった以上、物語の完成には〝共存〟の道しかないのだから。
「こっちね」
スンスンと鼻先を動かして、赤頭巾が匂いを嗅ぎ付けた。お忍びで、狼の身体に付けていた香料が、
彼の居場所を教えてくれる。祖父に教わった獲物のストーカー術は、もとい、追跡術は〝きちんと〟
彼女の生活術として活用されていた。
「ん? どうしたのかしら」
赤頭巾が不意に歩行を止め、道先でキョロキョロと周囲を展望していた老婆を見やる。
老婆は物売りと思われる格好で、手籠を片手に、注意深く辺りを見渡して佇んでいた。
「おばあさーん。どうしたの?」
老婆の元に赤頭巾が駆けつける。何となく困ってそうな雰囲気を感じとったのだろう。
とくに警戒することもなく、老婆に歩み寄った。
「おお。これはこれは、なんとも可愛いらしいお嬢さんで」
「ふふ……私、赤頭巾っていうの。困りごとなら何でも言ってね」
「ホッホッホ。そいつは助かるねぇ~それじゃあ一つ、聞いてもええかのぅ」
老婆は赤頭巾の言葉に甘え、道に迷ってしまったことを打ち明けた。
「うんうん。鉱石が掘れる洞窟ね。それならきっとあの場所だわ」
サロペットのポケットから紙切れを取り出して、赤頭巾が洞窟への行先を黙々と記す。
狼を追いかけて、森中を探索していたことが幸いしたのか、老婆の目的地は赤頭巾の管轄内だった。
「はい。この地図の通りに行けば、洞窟に辿り着けるはずだよ」
「なんともまあ親切に。こりゃあ助かるねぇ」
「困ったときはお互い様だよ。それじゃあ気をつけてね、おばあさん」
「ホッホッホ。ありがとうよ。これは私からのお礼じゃ。受け取っておくれ」
道案内のお礼にと、老婆が手籠から取り出したのは、表面が真っ赤に色づいたリンゴだった。
「まあ。なんて美味しそうなリンゴなの」
「昨日仕入れたばかりの代物じゃ。お嬢さんには赤色が似合うと思っての」
「わー。ありがとう、おばあさん」
リンゴを赤頭巾に手渡した老婆は、地図を片手に森の奥へと消えていった。
赤頭巾は思わぬ収穫があったことに嬉しくなり、ますます〈兄妹〉との共存を意識する。
(このリンゴで美味しいケーキを作って持って行けば……)
頭の中にケーキを囲む〝仲間達〟の姿を描いて、赤頭巾がニヤニヤと微笑んだ。
このリンゴなら狼だって絶対に喰いついてくる。ああ見えても彼は、めっぽうリンゴに弱いからだ。
きっと涎を垂らしてついて来るに違いない。今までだって、それで上手く丸め込めてきたんだから。
「よーし。私、頑張っちゃうもんね。絶対にみんなと仲良くなるんだから」
ルンルンと軽快なステップを踏んで、赤頭巾が意気揚々に狼の探索を再開した。
後に起こる悲劇など何も知らずに――
★
「なるほど。出所不明のロマン周波は、被験体ナンバー【KHM15/0514/R】のもので間違いないと?」
黒い森を大きく四つのブロックに分け、その中でも、特に『要保護対象』の被験体が多いとされる
東ブロック。そこに布陣を敷く監視調査班の宿舎で、監察班長アハトが部下からの報告を受領する。
「ええ。物語タイトル〈兄妹〉のうち、先日ですが『幸遺伝子』の1段階に兄が覚醒し、その際に
発生したロマン周波から、[1000%]を超える高数値を確認いたしました」
無機質な部屋をユラユラと照らす瓦灯。その燈火が、教団員ツェーンの影を薄暗い部屋に映し出す。
時刻はすでに丑三つ時。夜間活動が乏しい被験体の睡眠時は、昼間とは打って変わって静かだった。
「ほう……他の被験体からロマン周波を吸収し、一気に解放する《民謡伝術》か。確かにそれなら、
高い瞬間ロマン値も納得がいく。しかし、それは昨日の出来事であろう。四日ほど前に発生した
高ロマン数値はどう説明するつもりだ? 被験体の『幸遺伝子』は、まだ0段階のはずだったが」
ロマン周波の発生者が、被験体【KHM15/0514/R】だと押し切るツェーンに、
小窓から森の様子を見ていたアハトが指摘する。窓の先には、黒く静黙した森林帯が広がっていた。
「……それは」
珍しくツェーンが口ごもる。アハトの指摘通り、四日前に発生したロマン周波と
先日発生したロマン周波に、決定的な関連性は無かった。共に瞬間ロマン値が[1000%]を
超えているという、大まかな仮説に過ぎなかったからだ。
そんな沈黙した空気を破るように、コンコンと扉を叩く音がした。
「あんまり同期をいじめないでくださいよ。アハト様」
「……ノイン」
扉を開けて部屋に入ってきたのは、小柄な教団員だった。
ノインと呼ばれた彼は、そのままツェーンの隣に整列し、少年のような声色で進言する。
「フィア様が率いる第一監察班からの連絡です。被験体ナンバー【KHM26/0426/R】の物語と、
ナンバー【KHM53/0129/R】の物語が、イレギュレーションにより結びついたそうです」
「なに? イレギュレーションだと? それは、どういうことだ」
「連絡によれば、フリードリヒシュタインの王妃が黒い森に侵入し、物語タイトル〈赤い帽子〉と
接触してしまったようです。被験体でない人物が関与した事例は少なく、こちらが担当している
被験体が消失するかもしれないとのことです」
他の班から受け取った伝言を、ノインが淡々と報告した。
本来、被験体同士の接触で発生する『結びつき』――それによって生じる物語の創造が、
第三者の介入で、消滅してしまう恐れが出てきたと言うことらしい。
「フリードリヒシュタインの王妃、余計なことを……奴が民謡伝承者でなければ、
すぐにでも賊害しているというのに。どこまでいらぬ火種を持ち込むつもりだ」
報告を聞いたアハトが、憤慨の様子で言葉を吐き捨てる。
出所不明なロマン周波の件といい、イレギュレーションな結びつきといい、
監察班長に任命されてから事が上手く進まない。誰かの陰謀ではないのかと疑ってしまうくらいだ。
「ええい! 報告はもうよい!! 各自持ち場に戻って、それぞれの事案解決に務めよ」
◆
妃から白雪暗殺の命を受けた翌日。娘のものと思われる内臓を手に持って、
初老の男性狩人がフリードリヒシュタイン城に参上した。
「ほう……随分と早かったではないか」
妃は満足そうな笑みを浮かべ、その日の料理番に内臓を塩茹でにするよう命じた。
どうやら、狩人が持ち帰った娘の心臓を喰らい、娘の美しさを自分のものにすると言う。
「これで、この国で一番美しい女は私になった。さっそく魔法の鏡に問うとしよう」
そう言って妃が、姿見の前に歩み寄る。もしも、この鏡の答えが真実とは異なっていた場合、
狩人に命の保障はない。本当のことしか言わない魔法の鏡の前では、嘘偽りなど通用しないからだ。
「鏡よ、鏡。この国で、一番美しい女は誰かしら?」
「はい。この国で一番美しい女性は、お妃さま。あなたです」
鏡が答える。虚偽のない真実の言葉。狩人が王妃に献上した白雪の心臓は、正しく娘のものだった。
「くくく……はっははは! でかしたぞ狩人よ。貴様には存分な褒美を取らせようぞ」
「はっ。ありがたき幸せ」
狩人が一礼するようかしこまり、王妃の部屋を後にする。いくら城に仕えている身とはいえ、
こんな汚れ仕事を請け負うのは二度とごめんだ。そんな雰囲気を漂わせて回廊を去っていく。
城の中庭に出た狩人は、左胸に付けたリンゴのレリーフに手を当て、
「私に出来ることは全てやった。後は任せたぞ、勇敢なホビット族よ。
妃の手から姫様を守ってやってくれ」
ここから七つの山を越えた『黒い森』を眺めた。




