Ⅷ 『ロマン式民謡伝術』
黒ずくめの少年――狼が、ヘンゼルとの間合いを一瞬で詰めた。
たったの一蹴りで、二人の距離が目と鼻の先になる。
「うっ!」
狼の《虎爪》を、ヘンゼルがすんでの所でかわす。
少しでも反応が遅ければ、おそらく頚動脈を切り裂かれていた。
「浅かったか……」
地面に傷跡を残し、初撃を終えた狼が不満げに呟く。
「狼さんは本気だ……やらなきゃ、やられる!」
ヘンゼルが一切の甘えを捨て、戦闘態勢に入る。『黒い森』では理想をいくら語ろうが、
綺麗事をどれだけ並べようが、負けた瞬間、それらは何の意味も持たなくなる。
【言葉はいらない。想いを伝えたいなら拳で語れ】
自分の《想い》を相手に伝えたいなら、この戦いを勝ち抜いて、生き残るしか道はない。
「ようやく戦う気になったか」
「僕は……負けたくないっ!」
★
監視調査班を一時的に離脱したエルフとツヴェルフは、森の中に数十とある教団支部に赴いていた。
「調子はどうだ? ツヴェルフ」
「どうにか、復旧作業は終わりました」
新たな端末機を起動させ、ツヴェルフがOSのインストールを完了させる。
思いもよらない出来事で、彼の小型端末機『ローレライ』は粉々に爆散してしまったが、
教団支部に保存していたバックアップツールを用いて、何とか元の状態に戻すことが出来た。
「それよりもエルフ様……低電力での起動は、被験体の感知が上手くいきませんね」
「ああ……緊急だったとはいえ、この状態をいつまでも維持するわけにはいかんな」
「タブレットの性能を、上げることはできないんでしょうか?」
「ふん。それが出来るなら、とっくにやっている」
エルフが歯がゆさそうに答える。察するに、高ロマン周波に対応するため、端末機の容量を増やし、
性能向上を図ることに、一筋縄ではいかない理由があるようだ。
「ローレライ……いや、《民謡伝術》が被験体の《想い》から創られたという話は知っているな?」
「ええ。正式名称『ロマン式民謡伝術』――被験体のうち『幸遺伝子』を発祥させた者だけが使う、
《童術》の別名であり、童話創生論から生まれた実験初期の成果だと」
ツヴェルフが教団から習った事柄をそのままに述べた。
「我々が上層部から授かった《民謡伝術》は、いわば擬似能力。自らの意志で発生できる被験体の
《童術》とは、似て非なるものだ。定期的な施術が無ければ、発生はもちろん、
ローレライの練成すらできない。要するに、俺が何を言いたいのか、もう分かるな?」
「我々の《民謡伝術》は、被験体から集めた《想い》で成り立っている……そういうことですか?」
「つまりは、そういうことだ」
教団の最高技術である『ローレライ』が、容易に性能を上げられない理由。
それは被験体から莫大な量の《想い》を、集める必要があったからだった。
「とにかくだ。今、問題なのはそこじゃない。瞬間ロマン値[1000%]オーバーの被験体を、一刻
も早く見つけることだ。これだけ血眼になって探しても発見できないとなると……〝人じゃない〟
可能性も浮上してくる。時に《想い》は、ヌイグルミにすら〝宿る〟と言われているからな――」
☆
「《童術・鶏銃ケプフェレ!》」
赤頭巾が眼前に赤色の魔法円を出現させ、そこからタクティカルリボルバーを両手それぞれに練成する。
「最初から全力でいくよ!!」
童術を発動するや否や、左右に構えた銃口から勢い良く火が噴いた。
弾道の先には〝友達〟――グレーテルが、赤頭巾を見据えたまま立ち尽くしている。
『グレーテルや、よーくお聞き。お前さんのヌイグルミは、この通りすっかりと元通りじゃ。ただ
……少しだけ、手を加えさせてもらったよ』
修繕されたヌイグルミを受け取ったとき、赤頭巾の祖母が言っていた事を、グレーテルは思い返す。
『《童術の糸》を練成する際に、グレーテルの《想い》が外部へと放出できるよう、以前より紡糸
に〝遊び〟を持たしておいた。お前さんの童術が、童術の糸に遮断されるのを緩和するためにね』
『……かんわ?』
『うむ。素体がひどく破損した原因には、素体の内部で未解放に終わった《想い》が、溜まりに溜
まって、一気に解放された事も挙げられる。つまり、縫い代に適度な〝隙間〟が無かったんじゃ』
一回りほど小さくなったヌイグルミをグレーテルに渡して、祖母はそう話していた。
『大切なモノは、〝自分の想い〟で守らないとね』
『じぶんの……想いで……』
『そうだとも。それともう一つ……ヌイグルミに〝手土産〟を施しておいたよ』
『???』
『《咆哮砲》の放出が任意になったとはいえ、その威力からの〝代償破損〟だけはどうにもならん。
紡糸に遊びを持たした反面、押さえる力は弱まってしまったんだからね』
『えと、それって……』
『大丈夫……そこで〝手土産〟の登場ってわけさ。攻撃だけが全てじゃないだろう? お前さんの
力は〝守る〟ことにある。最強の〝矛〟にデメリットがある分、最強の〝盾〟を施しておいたよ』
赤頭巾の放った銃弾は、的外に大きく逸れることもなく、数発ともグレーテルを捉えていた。
「どうじゅつは使えない……でもっ!」
グレーテルが迫り来る銃弾に対処するため、腰を低く落としてヌイグルミを構えた。
「大切なモノは、自分の手で守る!!」
後ろ足に体重を残したまま、グレーテルが銃弾を引きつける。《おっつけ》と呼ばれる、
流し打ちの基本動作技術だ。
「ちょっと! そんなことしたら!?」
赤頭巾の表情に焦りの色が浮かぶ。《童術》に《童術》で対抗したら、また――
「やっぱり……あなたは悪い人じゃない」
強く、それでいて優しく包み込むように、グレーテルが弾丸を外線へと弾き返す。
赤頭巾の放った《童術の弾》は、草むらに吸い込まれるように消失し、そこから硝煙が立ち昇った。
「なんで? どうして? 弾は当たったはずなのに……」
赤頭巾が、グレーテルの一連の流れを見て動きを止める。弾き返されたとはいえ、
《童術》から練成された弾丸だ。《素体の硬質化》を発動して防御なんかしたら、
貫通はしないでも、ヌイグルミに再び傷がついてしまう。それなのに……彼女の
ヌイグルミは、どういうわけか傷一つ付いていなかった。
「あー、もー。わけが分かんないよ。それに……私が悪い人じゃないって、どうしてかしら?」
「ヌイグルミ……わたしのヌイグルミを心配してくれた」
「うっ……それは……」
グレーテルから目を背け、赤頭巾が視線を泳がす。妥当な返答がなかなか見つからない。
「ははは……そんなの、おばあちゃんが一生懸命に治してくれたからに、決まってるじゃない。
べ、別に……グレーテルちゃんの気持ちを……心配したわけじゃないんだから……」
そして、ようやく口にした赤頭巾の言葉を聞いて、グレーテルが確信を持った顔になる。
「な、なによ……本当なんだからっ。私、グレーテルちゃんをコテンパンにやっつけるために、
〝友達のふり〟をしてるだけなんだから!!」
赤頭巾がブンブンとかぶりを振って、再び鶏銃を構えた。
「ヌイグルミが傷つかないなら好都合ね。童術を最大限にぶつけられる。あなたが私のことを
悪い人じゃないって思ってるなら、私の《想い》を……受け止めてみせてよ!」
☆
拳と拳がぶつかり合う。お互いに一歩も譲らない。自分自身の《想い》を相手に伝えるために。
「――っ!」
「どうした。お前の《想い》はこんなものか?」
ピリピリと、拳が焼けるように熱い。打撃一つを取っても、狼の強さが染み渡ってくる。
「何かを〝守る〟ってことは、簡単なことじゃねぇんだよ」
「うわぁ!」
狼の《開甲拳》を受け、ヘンゼルが草むらの上を転がった。
あまりの速さに、後になって、どこを突かれたのか痛みと共に分かるほどだ。
「くっ……強い。それに……隙もない」
額から汗が滴り落ちる。どう足掻いても勝機が見出せない。そもそも身体能力からして、
圧倒的な差が狼との間にある。まともに戦ったのでは、これを覆すことは不可能だ。
彼と互角に張り合えるもの――それは、もはや〝想いの強さ〟しかないのだから。
「そう卑屈になるな……お前は正しい。ただ、想いをカタチにできなかった。それだけのことだ」
狼が精神攻撃でヘンゼルを追い詰める。自身の《想い》を、《咆哮砲》というカタチに変えた、
グレーテルと比較するように……所詮お前は、妹のお荷物だと言わないばかりに――
「僕が……グレーテルの足を……引っ張っている……」
「ああ。お前は、妹の物語に乗っかっているだけの存在だ」
ヘンゼルが小刻みに身体を震わせて青ざめる。思い当たる節がいくつもあるからだ。
「お兄さま!」
狼とヘンゼルが対峙しているすぐ側で、赤頭巾の猛攻を受けていたグレーテルが兄の様子を見やる。
「余所見をするなんて余裕じゃない!」
赤頭巾がグレーテルとの間合いを一気に詰め、華麗な足捌きでグレーテルを真上へと蹴り飛ばした。
「空中じゃあ、受け身は取れないよ!」
タタタタタタッと、両手のリボルバーから、持続的に弾丸が発射される。
グレーテルは身体の半分をヌイグルミで蔽って防御した。祖母が施してくれた〝手土産〟の効果で、
ヌイグルミ全体に彼女の《想い》が反映され、素体前方に桃色の円型バリアが展開する。
一つ、二つと、鶏銃ケプフェレから放たれた弾丸は、グレーテルが張ったバリアを前に、
次々と飲み込まれて消えていく。
「やああああっ!」
上空から重力を利用して、グレーテルが赤頭巾の集中砲火を押し戻す。
「くうっ……やるじゃない……でも、私だって!」
氷が割れ飛び散るように、赤頭巾の鶏銃とグレーテルのヌイグルミが、
辺りに童術の結晶を撒き散らしてぶつかり合う。キラキラと輝かしい、
赤色と桃色の氷霧が、二人の間を飛び交うよう流れていく。
そして、そこから先は、女の子同士の戦いではなかった。気がつけば、お互いに流血を招くほどの
大接戦。殴っては殴り返して……銃口が火を噴けば、ヌイグルミで跳ね返して。それぞれの《想い》
を噛みしめながら、二人はボロボロになっても、なお戦い続けた。
「ハァ、ハァ……こんなに殴り合ったの、初めてだよ……強いんだね、グレーテルちゃん」
ふらつく身体を無理やり立たせて、赤頭巾がグレーテルを褒め称える。
「お兄さまに……近づきたい、から……」
グレーテルが口元に付着した血痕を袖口で拭き取る。表情には出さないようにしているが、
身体中がキシキシと痛い。ヌイグルミを握る小さな手にも、ほとんど力が入らない状態だ。
「……だったら、私を倒さなきゃ……だよ」
赤頭巾が片目を瞑ってグレーテルにウインクを送る。お互いに残された体力はわずか。次の一撃で
勝敗を決めよう。まるで、そう誘うかのように――
「恨みつらみは、なしだからねっ!」
双方が一斉に駆け出した。持てるすべての力を出し切って、自身の《想い》を拳に籠める。
赤頭巾とグレーテル、鶏銃とヌイグルミが交差した。身体に金属音が響いてくる。
その反動で二人の武器は互いに手から離れてしまい、二人揃って素手での攻防に移行した。
年の功と身体の発育から、赤頭巾のほうに攻勢が傾いたが、グレーテルも負けてはいない。
持ち前の直向きさと、打たれ強さで、前面的に赤頭巾へ喰らいついていく。
「いいかげんにっ! 倒れてよ!!」
赤頭巾の平手打ちが、グレーテルの頬を殴打した。その手をグレーテルが掴んで自身に引き寄せる。
赤頭巾を前のめりにさせ、身長差のなくなった彼女の額に、グレーテルが渾身の頭突きを喰らわす。
「――っ! 痛った~い!!」
あまりの激痛に、赤頭巾が額を押さえて後ずさる。
「お兄さま! 立ってくださいっ!」
赤頭巾が怯んだ隙を見て、グレーテルが力強く兄を叱咤した。
そして、草むらに弾かれたヌイグルミを拾い上げ、ヘンゼルの元へと駆けつける。
「……グレーテル」
ヘンゼルが精気を失ったような表情で、満身創痍の妹を迎え入れる。
グレーテルは、そんな兄を前に、ヌイグルミのコンシールファスナーを降ろして、中を漁った。
ヌイグルミの中には、生活用品のほか、実に様々なモノが、彼女の宝物として収められている。
そして、その中から使い古されたノートを一冊取り出して、グレーテルが兄の前に突き出した。
「グレーテル、これは……」
開かれたノートを隅々まで見渡して、ヘンゼルは目を見開いた。
妹が取り出したノートは、実家にいた時から彼女が使っていた勉強ノートだった。
文字の読み書きができないグレーテルが、ヘンゼルに教わった事を書き写してきたものである。
「わたしは……お兄さまがいるから頑張れる。お兄さまがいない物語は、わたしの物語じゃない」
グレーテルが開いて見せたページには、数日前に兄に教わろうとして叱責を受けた問題が、
何ページにも渡って、繰り返し解かれていた。おそらく、ヘンゼルが家を飛び出した後に、
彼が口にしていた習熟方法を、すぐに実行したのだろう。
兄に追いつくため、兄に褒めてもらうために。
分からない箇所を、何度も何度も分かるようになるまで。
「ぐっ……」
ヘンゼルが拳を握り締める。妹が……グレーテルが、
こんなにも自分のことを必要としてくれているのに、いつまで自分は〝お荷物〟だと
思い込んでいるのか。昨日の夜、グレーテルが言っていたじゃないか。
【お兄さまは、お兄さまが思っている以上に、お兄さまです】
自分が思っているよりも、自分を必要としてくれる人がいる。それが、どんなに幸せなことなのか。
今ならそれが、はっきりと分かる! 弱くたっていい……無理に強くなる必要なんてないんだ。
誰かの道しるべに成れるのなら、誰かに存在を認めてもらえるのなら、それだけで充分だ!!
自分が……誰かを照らす、光になれるのなら――
その時だ。目が眩むような神秘的な光が、ヘンゼルから溢れんばかりに発せられたのは。
「つつつ……いったい何なの……」
額を押さえながら、赤頭巾が狼の元へ合流する。
「……随分とやられたな」
「え? それって心配してくれてるの?」
「ふん……それだけ喋れるなら、まだ戦えるな」
狼がヘンゼルの様子を視野に入れ殺気立たせる。
「待たせやがって……少しは楽しませてくれよ」
光はやがて収縮し、そしてヘンゼルの目の前に、円形の魔法円を形成した。
赤頭巾やグレーテルが出現させたものと同じ――外周を奇妙な象形文字で縁取られた、
幾何学的な翡翠色の紋章円だ。
ヘンゼルがおそるおそる魔法円へと手を伸ばす。光の中は時空間と呼べるものなのか、
どこまでも広がっているような感覚だ。そして、そこに彼の《カタチ》はあった。
ヘンゼルが魔法円から手を離すと、魔法円は飛び散るように消失し、
手中には、彼の《想い》が具現化した《カタチ》だけが残っていた。
「これが……僕の、想いのカタチ……」
そこに練成されていたのは、穂先の両端に半月状の斧頭が取り付けられた、
身の丈ほどもある巨大な両刃斧――ラブリュスだった。




