Ⅶ 『民謡伝承者』
魔女に掴まり、檻に入れられてから一週間が過ぎた。
正確には〝それくらい〟の感覚で、今日が何曜日なのか、もはや分からなくなっている。
ヘンゼルは藁束の中に身をゆだね、無感動になりつつある精神と戦った。
脳裏をかすめるのは、貧しかったけれど幸せだった家族との思い出。
父親がいて、母親がいて、グレーテルがいる。そんなあたり前だった毎日さえ、
今ではひどく懐かしいと思ってしまう。
チャンスを待つとはいえ、一刻も早くそのときを迎えないと、
先にこちらの気が滅入ってしまいそうだ。
「お兄さま……ごはんです」
食事の容器を持って、グレーテルが格子戸の前にやってくる。
朝方に一回目の食事を済ませたから、時刻はちょうど真昼くらいだろう。
一滴の光さえ通さない家畜小屋は、時間の感覚すらも狂わしていく。
「ありがとう、グレーテル。魔女は近くにいないかい?」
ヘンゼルが鉄格子の隙間から食事を受け取り、妹に警戒する仕草を見せる。
「……おばあさまは、台所で鍋を煮詰めています」
「良かった……あんまり帰りが遅いと怪しまれる。今のうちに早く食べてしまおう」
兄妹はひとまず安堵の息を吐いて、一人分の食事を二人で分け合って食べた。
魔女に隠れて、妹に食事を分け与えていることは、絶対に見つかってはならない。
ヘンゼルは極限状態の中でも、注意を払うことだけは怠らなかった。
それから数分後。空になった容器を持って、グレーテルが小屋から家へと戻っていく。
大丈夫。今のところは怪しまれていない……ヘンゼルは確信を持って彼女を見送った。
季節はすでに夏。ジリジリと照りつける太陽から、光を遮る木々の群れ。
瑞々しい葉身が揺らめくその横で、羽を休めた白鳥が、グレーテルの背中を見つめていた。
★
「18世紀末。教団が結成される以前の話だ。この国に伝わる『物語』を、
集めようとした者達がいた」
樹木の幹に背を預け、羊飼いの一人エルフが口を開く。
「フランス革命、それに続くナポレオン・ボナパルトのドイツ占領。彼らはこれらによる、
ナショナリズム高揚の中、土着の民衆文化に目を向けるようになった」
「民衆文化……ですか?」
「そうだ。有名どころで言えば、ヘルダーによる『民謡集』、ビュッシングの『民間伝説・
メルヘン・聖者伝』あたりだろう。他にも多くの著者が発掘収集を進めていた」
まるで『物語』を集める我々のようだと、話の中の彼らにツヴェルフは共感した。
「彼らは様々な方法で収集活動に励んだ。そして、それを手伝っていたのが『民謡伝承者』
だと云われている」
民謡伝承者――教団の結成以前から、『物語』に深く携わっていた者を指す。
魔女ドロテーア。彼女がその一人だ。
「当時、民謡伝承者は『語り手』と呼ばれ、古今東西ドイツに伝わる民謡を、口伝えで
収集者に伝えていた。ドロテーア・フィーマン。彼女も実に多くの民話を提供している」
「では、それら一つ一つが集まって、出版されたものが『物語』だと?」
「ああ……彼女らの功績なしでは、世にある多くの物語は誕生しなかっただろう」
忌々しさを噛みしめて、エルフが吐き捨てた。教団の手が出せない場所がある。
彼がそう言っていたのを思い出し、ツヴェルフはエルフの心中を悟った。
童話創生論――ロマン主義教団『クレメンス』が唱える物語の創造。
それには実に多くの〝素材〟を用意する必要があった。人、舞台、演出、小道具……
そして語り手。物語の創造には『民謡伝承者』の存在が必要不可欠だった――
被験体と称した子ども達を、黒い森という舞台に上げ、森の中で起こる様々な演出に
立ち向かってもらう。舞台には川や洞窟、家屋といった小道具もあり、いつどこで物語が
誕生しても、不思議ではない条件の提供。にもかかわらず、語り手の存在が重視される理由。
それが教団が手を出せない理由でもあり、エルフが苛立たしく思う、要因の一つでもあった。
「教団が手を出せない理由って、何なんですかね……」
ツヴェルフが重い空気に耐えかねて、先輩の機嫌を窺いつつ尋ねた。
「さあな……教団結成時のメンバーにでも聞けば、教えてくれるんじゃないか。どちみち
俺達の仕事は被験体の観察だ。変な油を売っていると、ツェーンの奴に告発される」
「ツェーン様に?」
「あいつはああ見えて、怒らすと教団内で二番目に恐い。ドライ様が宥めるくらいだ」
「へ、へぇ……」
「ちなみに一番恐いのはフィア様だ。団長が二度ほど死にかけた」
「………………」
教団に属する二人の女性の名を挙げ、エルフがガタガタと震えた。
「と、とにかくだ……東洋の国の言葉だが、触らぬ神に祟りなし、だ。
変な探りは絶対に入れるな。それが身のためでもある。いいか。俺は忠告したぞ?」
「はい……肝に銘じておきます」
民謡伝承者の重要性については、あまり関わりを持つな。そう強く念を押され、
ツヴェルフは手元の端末機を操作して、魔女ドロテーアの情報をシャットアウトした。




