Ⅵ 『魔女』
「被験体が『民謡伝承者』の一人と接触した」
「民謡伝承者?」
高く、空にそびえる枝木の上で、教団に属してまだ日の浅い羊飼いが、
先輩羊飼い、エルフに聞き返す。二人は白いローブに身を纏い、森に放った子羊達を観察していた。
「そうか。お前にはまだ教えていなかったな」
粒子状の端末機を片手で操作し、エルフが後輩のタブレットへデータを転送する。
直後。宙に浮かんだツヴェルフの端末機に【Dorothea Viehmann】の文字と、
一枚の顔写真が添付されていた。
「ドロテーア・フィーマン?」
転送されたデータを眺めながら、ツヴェルフが詳細に目を配る。
「ドロテーア・フィーマン――元々はヘッセン州・カッセル近郊の村に住む、野菜売りの農婦だったんだが、
仕立屋の旦那に先を立たれ、その後は『黒い森』へと移住している」
「黒い森に? この森は我々『クレメンス』の管轄域のはずでは……」
「管轄域……お前の言葉を借りると、この森には、我々の管轄域であって〝管轄域ではない区域〟が
存在する」
エルフからの詳言を受け、ツヴェルフがひどく困惑する。
黒い森の中に、教団の手が出せない場所がある。そう言われているようだった。
「では、その特別な区域内で、ドロテーアという女性は生活していると?」
「ああ……そして、それと同時に、彼女は『魔女』でもあったんだ」
魔女――新異教主義の一種、魔女宗を信仰し、実践しようとする者達。
その存在は有史以前にまでさかのぼり、超自然的な力で人畜に害を及ぼした、と伝えられている。
しかし、15世紀から17世紀にかけて起きた、大規模な魔女狩りによって、魔女達は世間から処断され、
魔女であることを隠し普通の家庭を築く者、人里離れた場所で細々と暮らす者など、
その存在は人々の中に浸透しつつも薄れていった。
「魔女ドロテーアは、森の奥深くに住み着き、我々が森を管轄する前から『物語』に携わっていた」
エルフが淡々と語り始め、ツヴェルフは端末機に添付された顔写真に目を向ける。
そこには、いかにも善良そうな老婆の姿が写っていた――
☆
早朝。子ども達がまだぐっすりと眠っているうちに、老婆はすでに起き出していた。
老婆はベッドで眠る、兄妹の姿を見てほくそ笑んだ。
「ホォッホッホッ……ご馳走が二つも飛び込んでくるなんてね。おバカな子達だよ」
そこにいたのは、あの善良そうな老婆ではなく、黒いマントに身を包み、黒い三角帽を被った、
まぎれもない魔女の姿だった。
「逃がしゃしないよ」
兄妹を喰らうべく、魔女は手始めに、ヘンゼルに目を付けた。
スヤスヤと眠るヘンゼルをベッドから引きずり出し、格子戸のついた小屋に放り込む。
まどろんでいたヘンゼルは、とっさに反応ができず、いとも簡単に狭い小屋へと閉じ込められた。
「くっ……どうして。おばあさん出して、ここから出してよ!」
ヘンゼルは格子戸を揺らして、魔女に救いを求めた。
「五月蝿い子だね。いくら騒いでも、そこからは出られやしないよ」
魔女はヘンゼルを小屋に閉じ込めた後、次にグレーテルを叩き起こした。
「いつまで寝てるんだい! さっさと起きて水を汲んできな!!」
昨日とは打って変わった老婆の様子に、グレーテルは戸惑いながらも、
いつも母親の手伝いをしていたように、魔女の言うことに従った。
「水を汲んできたら、火をおこして食事を作るんだよ。料理くらいは出来るだろう」
魔女は、グレーテルがおとなしいことを良いことに、次々とこきを使った。
「……おばあさま。お兄さまはどこに?」
「お前の兄さんは外にある小屋の中さ。おっと、どうしてそんなところにって顔だね。
まだ気がつかないのかい。お前達は罠にはまったんだよ。私に食べられるためにね」
そう言って魔女は、グレーテルの背中を荒々しく突き飛ばし、炊事場へと連れ込んだ。
「さあ、さっさと食事を作りな。お前の兄さんを、うんと太らせて食べるんだからね」
☆
その日から、兄妹の苦しい毎日が始まった。
朝早くから夜遅くまで、魔女はグレーテルをこき使い、小突き回すように炊事場に立たせた。
彼女への食事は一日に一回。それもザリガニの殻のみ。グレーテルはひもじさと切なさの中、
魔女に従って黙々と働いた。
一方。ヘンゼルは光も差さない小屋の中で、妹が運んでくる食事を、
ただただ待つばかりの、家畜以下の生活を強要されていた。
うかつだった。まさか人喰いの魔女の家だったとは……。
せめて、せめてグレーテルだけでも逃がしてあげれれば。
ヘンゼルは暗い小屋の中で、妹の安否を気遣った。
「……お兄さま、ごはんです」
グレーテルが格子戸越しに食事を運んでくる。少しばかり彼女の表情に疲労の色が窺える。
ヘンゼルに、たくさんの食事が与えられているのに対して、グレーテルには満足な食事が
与えられていなかったからだ。
「グレーテル……魔女に見つかる前に、その食事を少しでも食べるんだ」
ヘンゼルはグレーテルの疲労を気にかけて、持ってきた食事を食べるように進めた。
もちろん、そんなところを見つかれば、たちまち二人とも魔女に食べられてしまう。
それでもヘンゼルは、妹の様子を気にかけた。
「わたしは……大丈夫です。お兄さま、もうしばらく待っててください。カギを探してきます」
「無茶だグレーテル! そんなことをして見つかったら、君が先に食べられてしまう」
小屋のカギを探し出し、格子戸を開けようと試みる妹に、ヘンゼルが静止を呼びかける。
「大丈夫、何とかなるから。ね」
そう言ってヘンゼルは、魔女のいない隙を見て、妹に食事を分け与えた。
今はまだ動くときではない。必ず逃げ出せるチャンスがやってくる。
そう、魔女がヘンゼルを食そうと、格子戸のカギを開けたとき――
そこがここから逃げ出せる、唯一のチャンスだ。




