Ⅴ 『甘い誘惑』
兄妹は白い鳥を追っていた。
少年の亡骸を埋葬した直後、どこからともなく白い小鳥がやってきて近くの枝に止まったのだ。
白鳥はひとしきり美しい声で鳴くと、兄妹をジッと見つめて舞い上がり、
二人の頭上を旋回して、兄妹を導くかのように森の中へと飛んでいった。
兄妹は白鳥の後に従うよう、小鳥を見上げながら歩を進めた。
「何だろう……不思議な感じがする」
白鳥の鳴き声を聞いたときから、ヘンゼルは小鳥の虜になっていた。
あんなにも、美しい声で鳴く鳥がいるなんて……彼はまるで夢の中を歩いているかのような感覚に
囚われていた。兄妹は森の危険性や空腹を忘れたかのように、どんどんと森の奥へ入っていく。
しばらく行くと、木々の開けた場所に、一軒の家が建っているのを発見した。
「家だ……グレーテル、もしかしたら何とかなるかもしれない」
ヘンゼルはグレーテルの手を引いて、足早に家へと近寄った。兄妹を案内していた白鳥は、
その家の屋根にしばらく止まり、二人が家に近づくのを見て、スーッとどこかへ飛んで行った。
家屋は大きな大樹を背に、こじんまりとした木造二階建て。
その周りを囲む広大な庭は、ラベンダーを始め、様々な草木や花々が咲き誇り、
まるで、おとぎ話に出てくるような、カラフルな色調の庭園だった。
「おやおや、可愛い子ども達じゃないか。どうしてこんなところに?」
兄妹が家の様子を窺っていると、いきなり家の戸口が開き、みすぼらしい格好をした老婆が現れた。
ヘンゼルは慌てふためき、思わず老婆から一歩下がった。
「あ……あの、森に連れてこられたんです。その……もし良ければ一晩だけでもいいので
泊めていただけませんか……」
「そうかい、そうかい。それは大変だったね~。泊めるのはもちろん構わんが、一つだけ
私の問いかけに答えておくれ」
老婆はいかにも善良そうな様子で兄妹を見やった。
「問いかけ……?」
ヘンゼルとグレーテルは互いに顔を見合わせ、同時に首を傾げる。
「なーに。ちょいとお前さん達の心を、覗かせてもらうだけだよ」
兄妹を見渡して、老婆は棒のような細い指を、高らかにパチンと鳴らした。
その途端。目の前に建っていた老婆の家屋が、唐突にその姿を変えていく。
グニャグニャグニャと蜃気楼のごとく揺らめいて、たちまち家の外観に変化が現れる。
そして、見る見るうちに〝別の家〟へと変化した。
夢か幻かは分からないが、本当に家自体が変化したのではなく、
兄妹にだけ変わって見えるようだった。
「さーて質問に答えておくれ。お前達には、この家がどんな風に見えるかえ?」
先ほどまで建っていた木造作りの家が、まったく別の家に変わったことに驚きを隠せなかったが、
それよりも、その変化した家屋を見て、ヘンゼルはさらに驚愕した。
なぜなら今、目の前に建っている家は、
チョコレートでコーティングされたビスケットの屋根に、一面がレープクーヘンの壁。
透き通るような砂糖の窓ガラスに、窓枠はハチミツで作られていたからだ。
「……かし。おかしだ……お菓子の家だ!」
老婆の家は、全部が菓子類で作られたお菓子の家へと変化していた。
お菓子なんて当分見てなかったために、どれもこれも涎が出るほどだった。
「グレーテル、見てごらん! こんなにたくさんのお菓子……見たことないや!」
ヘンゼルはグレーテルと並んで、お菓子の家を見上げた。
どうやら妹にも同じお菓子の家が見えているようで、彼女も、おーっといった表情で
お菓子の家に見惚れていた。
「もしかして……おばあさんは魔法使いなの?」
ヘンゼルが訝しげに老婆に尋ねる。
「ホォッホッホッ……さて、どうだろうね。それにしても、お菓子の家が見えたかえ……ふむ。
なるほどなるほど、よほどお腹が空いていたんだね。さあ遠慮はいらないよ。中にお入り」
老婆はそう言って、もう一度パチンと指を鳴らした。
すると、お菓子の家は再び元の木造作りの家に戻っていき、
兄妹は名残惜しそうに現実に引き戻された。
老婆は兄妹を家に招き入れると、食卓に案内してすぐに食べ物を用意した。
牛乳、砂糖を塗したパン、リンゴ、クルミ……二人は昼食に少しのパンを食べただけで、
その後は何も食べていない。豪華な食べ物を前に兄妹の目が輝いた。
「そうかい……羊飼いと呼ばれる連中にね……辛かったねぇ」
夢中で食べ物を頬張る兄妹に、老婆はやさしく微笑んだ。
「おばあさんは一人でここに住んでるの?」
「そうだねぇ……かれこれ長いこと住んでいる気がするよ」
「一人で寂しくないの?」
「う~ん……どうだろうね。長いこと一人だったから、もう慣れてしまったかなぁ」
食事を終えると、老婆は兄妹をベッドのある部屋に連れて行った。
ベッドには真っ白なシーツが敷いてあり、ふかふかの羽根布団も用意されていた。
ヘンゼルは「天国みたいだね」とグレーテルに囁き、二人はベッドに潜り込んだ。
よほど疲弊していたのだろう。兄妹はすぐに寝息を立てはじめ、間に羊のヌイグルミを挟み、
二人と一匹? 仲良く川の字になって眠りについた。




