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咆哮のグレーテル  作者: 胡桃ヌイ
★第二章 『魔女の家』――Kapitel 2:Das Hexenhaus――
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Ⅳ 『争奪戦に賭ける命』

少年はひどく衰弱していた。年齢はせいぜい十一、二歳といったところ。

サラサラのブロンドヘアーに、幼いながらも均整の取れた目鼻立ち。

身に纏う衣服の質から、どことなく育ちの良さを感じさせる、美少年と呼べる男の子だ。


しかし、今やその容姿にかつての輝きは見られない。

凛々しい顔立ちはひどく痩せ、表情の様子から憔悴しているのが窺える。

また、良質な衣類はところどころに破れが目立ち、くすんだ布切れに成り下がっていた。

 

枯れ枝の多い小道を、夢中で走ったのだろう。

肉つきのない細い手足は、アザや擦り傷だらけで、傷口からは仄かに血が滲みでていた。


「ハァ……ハァ……み、ず……水を」

「水? 水が欲しいんだね。ちょっと待って」


ヘンゼルはランチバスケットから水筒を取り出すと、少年の頭を抱き起こして水を飲ませた。

よほど喉が渇いていたのか、彼は一気に水筒の水を飲み干した。


「ゴホッゴホッ……ありがとう……君達、は……」

「僕はヘンゼル。この子は妹のグレーテル。大丈夫かい、ひどいケガだ……」

「大したこと……ないよ。僕はデニス……君、その腕の刻標……」

 

デニスと名乗った少年が、満身創痍の身体をヘンゼルの刻標に向ける。


「契約したんだ……羊飼いと呼ばれる人達と」

「そうか……君達も〝クレメンス〟の連中に……ぐっ」

「クレメンス?」

「ああ……『ロマン主義教団クレメンス』。連中が所属する民間の組織さ。彼らはロマン主義を

 信奉するロマン派と呼ばれていて、中世趣味・恋愛讃美・民族意識の高揚、といった特徴を持

 つ思想集団だ」

 

ヘンゼルに支えられながらデニスが身体を起こす。


「教団が何のために……子ども達を森に集めているのか、それは分からないけど……僕達が彼ら

 の〝所有物〟なのは間違いない……『被験体』、そう呼ぶくらいだからね。何かしらの実験を

 行っているのだろう。森で出会った子ども達から……同じようなことを聞いたよ」

「それじゃあ他にも、僕達みたいに、羊飼いと契約を交わして、この森に連れてこられた子ども達

 がいるってこと?」

「……そうだね。多くの子ども達が教団の手によって……黒い森に幽閉されている。ほら、

 僕もその内の一人さ」

 

そう言ってデニスは服を捲り上げて、兄妹に腹部を見せる。

少年の下腹部にはヘンゼル達と同じく、鍵盤模様の刻標が刻み込まれていた。                                         

ヘンゼルは、多くの子ども達が森で生活していると聞いて、少しばかり安堵した。

この森には自分達だけじゃない……他にも同じ境遇の子ども達が大勢いる。

もしかしたら生き抜くための術を分かち合えるかもしれない。そう考えただけで、

不思議と不安が消えていった。が、続けて出たデニスの言葉に、ヘンゼルは再び不安に煽られた。


「でもね……それと同時に多くの子ども達がこの森で死んだ……伝染病に侵された者、

 飢えに苦しんだ者、猛獣に襲われた者……そして『争奪戦』に敗れた者……」

「争奪戦……?」

 

デニスは何も知らない兄妹に、この森で起きている現状を詳しく説明した。


「子ども達同士によるしのぎの削り合いさ……ゴホッゴホッ……自分達が生きるために

 他の子ども達を襲うんだ……食料や寝床、生きていくために必要なモノを賭けてね」

「そんな……どうしてみんなで協力していかないんだ」


この森が普通の森でないことは、羊飼いにも言われていた。

衣食住の他に猛獣や伝染病など、生きていくために様々な障壁があることを。しかし、だからこそ、

みんなで協力していけば皆が皆、生き延びれる可能性だってあるんじゃないのか。

そう考えるのは、自分がまだ、この森のことを知らないからなのだろうか。


「少なくとも〝僕達〟はそうしてきたよ……同じ境遇の者同士、争ってる場合じゃないってね。

 仲間を集めて、寝床を確保して、みんなで食料を分配して……ゴホッゴホッ。絶対に生きて

 森から出ようって、そう誓ったんだ。だけど……それも全部、あいつらに奪われた……」


森の中で何かあったのか、デニスは時おり胸を押さえてはひどく咳き込んでいた。

そして、唇を噛みしめて涙する。


「ヘンゼル……お願いが……あるんだ」


そう言ってデニスは、ズボンのポケットから何かの種を取り出した。


「これは……ドングリ?」

「ドングリは……大きな、大きな木になるって……聞いたんだ。空に向かって大きな……木に」

「木に?」

「僕はきっと……もうすぐ死んじゃう……」


死期を悟ったというデニスの言葉に、ヘンゼルが驚いて顔色を変える。


「そのドングリは……森で過ごした子ども達と〝仲間〟だった証。もし、この森で死んだと

 しても……その種が魂を空へと導いてくれる。だから……淋しくなんかない。みんなと……

 仲間と空の上でまた会える」

「何を言ってるんだ! 死ぬものか!! 大丈夫、君は死なないよ。ほら血だって止まっている」

 

ヘンゼルはデニスを励ますように力強く語りかけた。


「……ありがとうヘンゼル。でも、自分のことは自分がよく分かっている。ゴホッゴホッ……

 だから……そのドングリは……君達にあげるよ。君達は……僕に水を飲ませてくれた。誰も

 信じられない森の中で、初めて会った僕に……貴重な水を分けてくれた。すごく嬉しかった」

「デニス……」

「君達なら……きっと森の子ども達を導いてくれる。君達、兄妹からは不思議な温もりを感じる

 んだ。ゴホッゴホッ……ヘンゼル……それにグレーテル……何があっても生きるんだ。絶対に

 あきらめちゃいけない……生きて、生きて、強く生きていくんだ。僕の分まで……生き……て」

 

デニスは兄妹に希望を託してそっと眠りにつくように目を閉じた。

まるで本当に眠っているように安らかな顔をしている。


「デニス!? しっかりして! デニス!!」


ヘンゼルは信じられないといった様子で、少年の名前を呼び続けた。

こんなことがあってたまるものか。自分と歳の変わらない子どもが、

誰にも知られず死んでいくなんて……そんなの、あまりにも酷すぎる。


少年の死後。兄妹は地面を掘り返して穴を作った。

ヘンゼルが木の棒で土壌をほぐし、グレーテルが小さな両手で土を払いのける。

そうして出来た穴の中に、デニスの遺体を埋めた。


「さよならデニス……約束する。君の分まで絶対に生きていくって。だから安心して眠って」


穴の中に土を入れ終えて、花で作った花輪を、グレーテルがその上にそっと供える。

立派と言える埋葬ではなく粗末な墓石だったが、野ざらしのまま獣達に食べられてしまうのだけは、

どうしても避けたかった。死人に鞭を打つことほど愚行な行為はない。

必死で生きてきた、少年に対する兄妹なりの手向けだった。


      ★


「ドライ様。先ほど、被験体ナンバー【CTW03/0718/R】の物語が消滅しました」


目の前に巨大な森を見据え、ツェーンが情報を上司に報告する。


「ふん。草案自体は悪くなかったんだがな。まあいい……我々の本命は他にいくつかある。

 ツェーンよ、エルフとツヴェルフに、引き続き物語の監視に勤めるよう伝えろ」

「仰せのままに」


胸の前で右手を掲げ、ツェーンは消え入るようにドライの側を離れた。


「ククク……必ずや『物語』を完成させてみせますよ。我らが主『クレメンス』の名の下に」


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