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咆哮のグレーテル  作者: 胡桃ヌイ
★第二章 『魔女の家』――Kapitel 2:Das Hexenhaus――
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Ⅱ 『被験体』

挿絵(By みてみん)黒い森――この森がそう呼ばれている理由には、いくつかの言い伝えが存在した。


一般的には森の大半を占めるモミの木が、密集して生えることで暗く(黒く)見えるから。

と、いう説がもっとも浸透しているが、酸性雨の被害によって、枯死した木々から黒い煙が立ち込めた。

なんていう俗説も有名である。


しかし、なぜこの森が『黒い森』と呼ばれているのか。その本当の由来は誰も知らなかった。


鬱蒼とした森の小道を、兄妹は羊飼いの後について歩いていた。

ヘンゼルは初めて入る森に不安を隠せず、キョロキョロと周辺を見渡した。


辺りは植林されたモミの木が所狭しと立ち並び、初夏の陽射しも木漏れ日程度にしか届かない。

そのため、森の中は昼前だというのに不気味なほど薄暗く、視界の悪さと方向を惑わす、

迷路のような林道が、侵入者に警告を発しているようだった。

 

また『黒い森』の風気は、外部とは異なった微気候の場となっているため、最高気温は低く、

最低気温は高い。それゆえ、湿度は一定の範囲内に保持され、穏やかな条件を維持していた。


「さっさとついて来い」


周りを気にするあまり、兄妹は羊飼いから離れてしまい、それに気づいたドライが振り返る。

ヘンゼルはグレーテルの手を引いて、羊飼いの後ろに足を急がせた。


目的地に到着したのは、森に分け入って一時間ほど経った頃。

太陽が真上に昇ったのを確認した時だった。


そこは木々の開けた低地にひっそりとあり、森の中でも奥まったところにあった。

周辺は暗い森の中とは打って変わり、空から太陽光線がこれでもかと地表に照り注いでいる。

森の広場。そう呼ばれる場所だった。


ここ『黒い森』の多くは、ほとんどがモミの木で構成されているが、低地においてはブナやオーク……

トウヒといった樹木も生育されている。いわゆる混合林と呼ばれる森だ。

樹木は高さも太さもバラバラで、高木層で二十数メートル、亜高木層で十五メートルほどだろうか。

高木層の下には数メートルほどの低木層も確認できる。

地面を埋め尽くす草本層はシダ植物で形成されていた。


「さて……家畜には耳標が必要だな。我々の『被験体』であるという自覚も含めて」


唇の端を吊り上げて、リーダー格の男が不敵な笑みを浮かべた。


「やれ」


ドライの指示と共に、ツェーンがグレーテルに詰め寄った。ヘンゼルは妹を守ろうと前に飛び出したが、

急接近してきた別の羊飼い、エルフによって身柄を押さえられ、成す術もなく拘束される。


「うっ……グレーテルに何をするんだ!?」

「〝タグ付け〟だ……すぐに終わる。おとなしくしていろ」


ジタバタと足をバタつかせ、腕の中で暴れるヘンゼルにエルフが吐き捨てた。

グレーテルはツェーンの接近に怯えているのか、それとも兄の様態を心配してなのか、

無抵抗なまま羊飼いの進行を許した。


「グレーテル!」


ヘンゼルの悲痛な叫びも空しく、ツェーンが背後からグレーテルを羽織締めにし、

右手を妹の左首横に押し当てた。そして手のひらから青白い光が照射され、

突き刺さるような痛みがグレーテルを襲う。


「……っ!」

「我慢しろ。死にはしない」


ビクッとグレーテルの身体が条件反射を起こす。

彼女の表情を見たツェーンは、首横に手を押し当てたまま淡々と言い切った。


それから数秒後。発光した光はやがて収縮していき、ツェーンが右手を離すと同時に、

グレーテルは解放された。


「いったい……何をしたの」                                             

「お前にもすぐに刻み付けてやる……おっと、暴れると顔に施してしまうぜ」


妹の容態を気にする兄を、エルフが一蹴する。

羊飼いはヘンゼルの右手首を上空に捻り上げると、先ほどツェーンが見せたものと同じ、

青白い光を手のひらから発光させた。


「ぐっ……! あ、熱い!」


ヘンゼルの表情が苦痛に歪む。何か細い針のようなものでチクチクとなぞられている感覚だ。

 

「識別完了……個体ナンバー申請……登録コード……」


さながら呪文を詠唱する魔法使いのように、エルフがブツブツと言葉を紡ぐ。

時間にして数秒程度の出来事だが、あまりの痛みにヘンゼルは気が遠くなるほどの時間を体感した。

 

タグ付け完了――やがて、その言葉と共に光の施術は終わった。


「これでお前も、我々に忠実な『被験体』だ」


手首を解放され崩れ落ちるヘンゼルに、エルフが冷ややかな視線を浴びせる。


「うっ……ううう……」

 

ヘンゼルは右手首を押さえて、うずくまるように草むらに倒れこんだ。

グレーテルが急いで兄の元に駆け寄る。ヘンゼルは手首の痛みを堪えて妹の安否を気遣った。 


「……グレーテル。大丈夫かい?」

「わたしは平気です……お兄さまは?」

「うん……痛みはあるけど、こんなのへっちゃらだよ」


そう言ってヘンゼルはグレーテルに顔を向ける。そして妹の首元を見て表情が固まった。


「グレーテル……その首元……あっ!」


ハッとしてヘンゼルも自分の手首に視線を移す。そこには鍵盤のような縞模様の模式図が、

羅列した数字と共に刻まれていた。グレーテルも兄に言われて気づき、自分の首元に手を当てる。


【KHM15/0514/R】――ヘンゼル右の手首。 【KHM15/1113/R】――グレーテル首側面。


「何なの……これ……」


ヘンゼルがグレーテルを見る。彼女は自分の目線から首元の模式が見えないにもかかわらず、

どうにか見えないかと頭を動かしていた。


「ククク……それはお前達の情報を、我々の《民謡伝術》にリンクするための個体識別標だ」

 

ローブを風になびかせて、ドライがゆっくりと兄妹に近づいてくる。


「刻標には『出生記録』や『生い立ち』、この森での『活動記録』などを、物語の素材として

 我々に提供する機能が備わっている。もちろん……森からの脱走を防ぐために、『発信機』

 の役割も兼ねているぞ。お前達の位置情報は、我々の手中にあると思え」

「そんな……これじゃあ家畜じゃないか……」


ヘンゼルが右手首を押さえたまま、額に手を当てて嘆いた。

                              

「お前達に人権など必要ない……必要なのは『被験体』としての〝成果〟のみ。泣こうが喚こうが、

 ましてや死に至ろうが……我々は『物語』さえ集まれば、それで構わない。お前達など所詮、

 目的を達成するための道具にしか過ぎん」


ドライが兄妹の手前で立ち止まり、目深に被ったフードの下から二人をギロリと一瞥する。


「その刻標は死ぬまで消えることはない。刻印されたら最後……この森がお前達の墓場だ」


カーッ! バサバサバサ――と烏が舞い上がる。


「そんな……契約は冬が終わるまでの間、春になれば村に帰れる。そう約束したじゃないか」

「覚えていないな。最近、物忘れがひどいんだ」

 

羊飼いのあまりに非常な言い分に、ヘンゼルは草むらに手をついて頭を垂れた。

春になれば村に帰れる。それだけが唯一の希望だったのに……。

今まさに、その希望までも羊飼いに奪われてしまった。


「いいぞ。存分に絶望しろ。その絶望が希望へと変わるとき、新たな『物語』が生まれる」


両手を羽のように広げて、リーダー格の男が、兄妹を前に高らかに宣告する。


「さて、そろそろ時間だ。一日でも長く生き延びて、我々の目的達成に貢献してくれたまえ」


ドライが最後にそう告げ、他の従者を引き連れてきびすを返す。


「ま、待ってよ! 僕達……これからどうすればいいの!?」


すがるように、ヘンゼルが羊飼いに問いかける。


「ふん……言ったはずだ。〝生き延びろ〟と。この森はただの森ではない……猛獣や有害生物、

 時おり起こる環境の変化や、蔓延する疫病など、実にさまざまな危険因子を含んでいる。それに……

 おっと、これ以上の助言は掟に反するな。どうだ、少しは『被験体』としての〝役割〟を理解できたか?」

 

兄妹に背を向けたまま、ドライが思想を語るように答えた。


「もしかして……そんな危険な環境下で生活しろ。て、ことなの」

「御名答。お前達の『黒い森』での〝活動記録〟こそ、我々の求める『童話創生論』そのものだ」


サーッと血の気が引いていくのをヘンゼルは感じた。この森で生活? それも自分達だけで――


「忠告しておこう。この森で生き延びたいと思うなら、常識や概念など通用しないと肝に銘じておくがいい。

 なぜならそれが直接、命のやり取りに繋がるからだ」


グレーテルがギュッとヘンゼルの服を掴む。考えていることはヘンゼルとて同じだった。


絶望――まさにその一言に尽きた。


やがてどこからともなく突風が吹き上がり、兄妹は飛ばされまいと身体を縮こめる。

そして、風が弱まり顔を上げたときには、羊飼いの姿はどこにもなかった。


兄妹だけが森の広場にポツンと残され、辺りは元の穏やかな空気へと変わっていた。

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