七軒目 大門
「……来てしまった」
武彦は、駅を降りて歩き、建物に囲まれた湾曲する一本道を歩き、大門の前に立っていた。
繁華街の明るさが霞むほどに眩い令和吉原が、武彦の全身を明々と照らす。
「動画で見たのと、おんなじ光景だ」
武彦は、大きな大門を見上げながら、のろのろとした歩みで前に進む。
その横を、人々が次々と追い抜かし、大門の中へと吸い込まれていく。
武彦は、吉原の客たちの邪魔にならないように、大門の柱の近くに避けて立ち止まった。
そして、そっと大門の中を覗き込んだ。
「すごいなあ」
視線の先は、まるで別世界。
大門の先に続く広大な通りは、中央に桜並木が伸びており、春の香りを運んでいる。
通りの脇に建つ古めかしい茶屋は、軒についた提灯を優雅に光らせ、建物の傷さえも趣として演出している。
武彦は、しばし幻想的な光景に見とれた後、動画に映っていた妓楼が見当たらないことに気付いた。
「動画の建物は、どこだろう」
せっかく令和吉原に来たのであれば、動画に映っていた妓楼も見てみたい。
武彦は、そんな興味本位で、大門を一歩くぐった。
「お兄さん、ここ初めてっしょ?」
大門を一歩くぐれば皆、令和吉原の客人。
大門付近で令和吉原の案内地図――吉原細見を売っていた伊吹が、武彦に声をかけた。
「ひぇ!? あっ! はいっ!!」
見学だけのつもりだった武彦は、伊吹の声に驚き、裏返った声で返事をした。
「やっぱり! じゃないかと思ったんっすよねー」
伊吹は、武彦の反応を揶揄うことなく、景気よく笑い声を上げた。
(ど、どうしよう……)
一方、声をかけられた武彦は、心の中で焦っていた。
なにせ、ここは令和吉原。
大金を払って、女性たちと楽しく遊ぶ場所。
意図せず来ただけの武彦は、大金を払う心構えなどできておらず、それ故に勧誘されることが望ましいことではなかった。
悩んで固まっている武彦を見ながら、伊吹は相変わらずの笑顔で武彦に近づき、大門の上部を指差した。
「立派な門っしょ? これが吉原の入り口、大門っす」
「大門?」
「で、ここからずーっと奥まで続く通りが、仲の町。通りなのに名前が『町』なんて、不思議じゃないっすか?」
「はは。そうですね」
妓楼に連れていかれるどころか、先程まで興味を持っていた物を丁寧に説明する伊吹を見て、武彦は少しだけ落ち着きを取り戻した。
「ちなみに、お兄さん。この仲の町、どの位の長さがあると思うっすか?」
「ええ? どうだろう。百メートルとか、二百メートルとか?」
「近い! 正解は、約二百五十メートルっす!」
「長いですね」
それどころか、伊吹の軽快な語り口に、すっかり会話を楽しみ始めた。
武彦は大門の周辺にある建物を指差しながら、伊吹へと尋ねる。
「じゃあ、あれは?」
「大門の右側の建物っすか? アレは、四郎衛門会所って言って、吉原を守る警備員たちの待機所っすね」
「へえー。じゃあ、これは?」
「面番所。平たく言えば、交番っすね」
武彦からの質問に、伊吹はよどみなく答えていく。
武彦はすっかり気を良くし、最も知りたい建物――動画に映っていた妓楼の場所を訊こうと、口を開いた。
が、妓楼の光景を思い出すと同時に、今自分が立っている場所がどこかも思い出した。
目の前の伊吹もまた令和遊郭の人間だと思えば、急に長居をするのが恐くなった。
「あ。じゃあ、そろそろこの辺で。説明、ありがとうございました」
武彦は大門の方を向いて、そそくさと立ち去ろうとする。
が、伊吹は武彦の腕を掴んで、それを止めた。
「な、なんですか!」
「帰っちゃうんっすか? せっかく、遊郭に来てるのに」
「ここには、ちょっと見に来ただけなんで」
「えー?」
伊吹は笑った顔のまま目を細め、武彦の目をじっと覗き込む。
「!?」
「本当に、見に来ただけっすか?」
「そ、そうですよ」
「なるほどね。……俺、吉原長いからわかるんっすよ。お兄さん、現実から逃げたがってる人っしょ?」
「……っ!」
成人したばかりだろう若者に、言語化できていなかった自身の心の内を言い当てられ、武彦は思わず息を飲む。
無礼ともとれる言葉が、何故だか武彦の心に突き刺さった。
「お兄さんみたいな人、ここ多いんっすよ」
伊吹は武彦から顔を離し、武彦の腕を掴んだまま一軒の茶屋を指差した。
「ま、せっかく来たんだから、妓楼にも寄ってきなよ。後悔させないからさー」
「い、いや。そんなにお金ないです」
「大丈夫大丈夫。初会は安いから」
伊吹は優しく、武彦の腕を引いた。
武彦は、抵抗するそぶりを見せつつも、その足が伊吹の誘導する方向へと動いてしまった。
給料日の後で、懐が温まっているが故か。
熱心に説明をしてくれた伊吹に、恩を返さないといけないと思ったが故か。
それとも、現実から逃げるために、遊郭と言う夢に浸りたいと思ったが故か。
武彦は、自分でも説明できぬ感情のまま、伊吹に連れられて茶屋へと向かった。
茶屋の提灯が、まるで武彦を迎え入れるように揺れていた。




