六軒目 平社員
雑居ビルの一フロアに入る、小さな会社。
室内には、スーツを着た社員たちがひしめき合っており、一心不乱にパソコンのキーボードを叩いている。
時々、机上の電話機が鳴り響き、若い社員が元気な声で応対している。
正午。
チャイムと共に社員たちの手が止まり、各々が昼休憩に入る。
弁当箱を広げたり、集まって外食へ向かったりと、様々だ。
「よっ! 武彦、飯行かね?」
陽介は新人二人に声をかけた後で、未だキーボードを叩き続けている佐原武彦に声をかけた。
武彦は作業の手を止めず、首だけを陽介の方へ向ける。
「すまん。ちょっと、今日中に仕上げないといけない資料があってな」
そして、すぐに首をパソコンの方へ戻した。
「昼はしっかり休まねえと、午後の効率落ちるぞー」
「大丈夫。慣れてる」
「今日は、新人も一緒だぞ」
「……悪い」
「そっか。じゃあ、また今度な!」
そっけない反応を繰り返す武彦に、陽介は明るい表情のまま手を振り、新人二人を連れて、外へ出ていった。
不愛想にも見られる態度をとれるのは、武彦と陽介が同期だからだろう。
「ふう」
仕事に区切りがついた武彦は、ようやく手を止め、椅子に座ったまま背伸びをした。
そして、鞄から通勤途中に買ったコンビニのおにぎりを取り出し、一口齧った。
いつも同じ味を買うので感動もなく、機械的に二つ平らげる。
最後に、同じコンビニで買ったミネラルウォーターを飲めば、武彦の食事は終了だ。
「ごちそうさまでした」
ゴミを捨て、スマートフォンを取り出し、武彦は意味もなくSNSを開く。
スマートフォンの画面では、ショート動画が数十秒流れては次の動画に切り替わり、目まぐるしく動いていた。
都内の美味しい居酒屋十選。
美人インフルエンサーによる流行のダンス。
街歩き中の景色が流れるVLog。
(どっかで見た動画ばっかだなあ)
武彦は気の抜けた目で、無音の動画を眺めつづけていた。
流行しているSNSであるが、武彦にとってはただの時間つぶしでしかない。
「ん?」
が、一つの動画が流れてきたところで、武彦は思わず画面をタップし、動画を止めた。
赤い妖艶な灯り。
木造に見える古風な建物。
そして、華麗絢爛な着物に身を包んだ女性たち。
「なんだ! お前も遊郭に興味あんのか?」
画面を凝視していた武彦は、突然の陽介の声に、跳びはねるように驚いた。
そして、まずいものを見られたと言わんばかりに、スマートフォンを机に伏せて置いた。
「よ、陽介! 遊郭!?」
「ふーん。お前が遊郭に興味あったとは意外だったよ」
陽介は、楽しそうに遊郭を見ていたことに触れてきた。
しかし、決してからかっている訳ではなく、女性と縁なく過ごす同期が女性に興味を持っていることを知れて、喜んでいるような素振りだ。
一方の武彦は、何度も左右に振り、焦ったように言った。
「ち、違う! 遊郭に興味なんてない! さっきのは、たまたま流れて来ただけなんだ!」
「でもさっき、動画止めてなかった?」
「何の建物か見たくて止めただけだ! 遊郭だなんてわからなかったんだ!」
「ふーん」
陽介は、伏せたスマートフォンを見た後、武彦の方を向いて、自分の胸を叩いた。
「ま、もし遊郭に興味が出てきたら、遊郭マスターの俺に言ってくれ!」
「遊郭マスター?」
「おう! 俺の一押しに連れてってやるから!」
「……ああ。機会があればな」
「楽しみにしてるぜ!」
午後一時。
昼休憩終了のチャイムが響く。
武彦も陽介も、再び仕事へと戻っていった。
「終わっっったー!」
午後五時半。
陽介は、大げさに背伸びをした後、勢いよく立ち上がった。
「華金! さあ、飲みに行くぞ!」
そして、新入社員二人を誘い、同じチームの上司を誘い、最後に武彦のところへやって来た。
「武彦! 飲みに行くぞ!」
定時退社推奨日となる金曜日。
さすがの武彦も、帰り支度をしていた。
武彦は、陽介が集めていたメンバーを横目に見ると、小声で陽介へと話しかけた。
「ごめん。俺、パスで」
「ええー。仕事はもう終わったんだろ? ちょっとくらい付き合えよ」
「今日、富竹さんを滅茶苦茶怒らせたんだ。正直、顔を合わせるの気まずい」
「あー」
陽介は、業務中に怒鳴り声が聞こえたことを思い出す。
一瞬、武彦の名指しした上司の方を見た後、頭をがりがりと掻いた。
「しゃーねえな。じゃあ今度、サシで飲みにでも行くか」
「ああ、楽しみにしてる」
陽介は、集めたメンバーたちの元に戻り、全員を引き連れて退勤していった。
武彦は、しばらく社内で時間を潰した後、陽介たちが居酒屋に入り終えただろうタイミングで退勤した。
会社を出た後は、速足で最寄り駅へと向かう。
繁華街が近いこともあり、武彦は、たくさんの人々とすれ違う。
そして、その度に、キュッと心臓が締め付けられた。
どうして自分はこうも、上手くいかないのか。
どうして自分はこうも、楽しそうにいられないのか。
電車に乗って、偶然開いていた一席に座ってからも、自身へのふがいなさに悩み続けた。
(もっと富岳さんに速く報告していれば。……いや、「なんとかしろ」で終わりだろうな。こういう時、皆なら、陽介なら、どうやったんだろうな)
肩を落とし、電車の床を見ながらのひとり反省会。
定期的な電車の振動が、武彦の体を何度も揺らしていた。
「次は…………駅ー。…………駅ー」
「あ! やばっ!」
駅到着のアナウンスで、武彦はうとうととしていた目を覚ます。
急いで鞄を掴み、電車に乗り込む人々をかき分けながら降車する。
「セ、セーフ。……あれ?」
武彦は、無事に降りることができたことに安心しながら、周囲を見渡す。
そして、駅名の看板を目にし、アナウンスを聞き間違えたことに気づいた。
急いで電車の方に振り向くと、丁度電車の扉が閉まるところで、武彦が電車に戻ることを許してくれなかった。
「……参ったな」
武彦が発車標を見ると、次の電車は三分後。
幸い、武彦が望めば、すぐにでも帰路に戻ることができた。
「三ノ輪駅……か」
が、気付けば武彦は発車標から視線を移し、駅名の書かれた看板を見ていた。
普段ならば、気にも留めない駅の名前。
しかし、武彦は昼休憩の時、その駅の名前を確かに見たのだ。
令和吉原に至る、最寄り駅の名を。




