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紅椿ノ守 ―令和吉原綺譚―  作者: はの
第一章 紅楼の灯

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五軒目 遣手婆

 紅椿は、朝の支度を手伝うすずねを見て、首を傾げた。

 すずねの表情は、必死に怯えを我慢しているそれだ。

 

「すずね、何かあった?」

「い、いえ! なにもないでありんす!」

 

 紅椿が心配そうに尋ねると、すずねは大げさに直立して返事をした。

 紅椿が、同じく朝の支度を手伝う揮水仙に視線を送ると、揮水仙は作業の手を止めて答えた。

 

「すずね、今日はお万(おまん)様の授業なんです」

「ああ、それで」

「なんで言うんでありんす! 揮水仙のおたんこなすでありんす!」

 

 花魁にとって、起床から夜見世が始まるまでの時間は自由時間だ。

 一方、禿と新造にとっては、雑用と授業の時間なのだ。

 授業は、吉原の外から招待した講師や、妓楼内の人間によって行われる。

 遣手婆であるお万も、授業を行う一人だ。

 

「大丈夫よ。お万は、すずねが思っているほど恐い人じゃないから」

「ううー。絶対嘘でありんすー。前の授業も、三人は泣いてたでありんすー」

 

 紅椿が慰めるも、すずねの表情は暗いままだ。

 

「では、授業に行ってくるので、失礼するでありんす」

 

 紅椿の化粧を終えると、すずねは暗い表情のまま座敷を出ていった。

 廊下から聞こえる足音も、普段とは打って変わって静かなものだ。

 

「そんなに恐いの?」

「Oui。恐いです」

 

 すずねを見送った紅椿が、座敷に残っている輝水仙に尋ねると、輝水仙は間髪入れずに返事をした。

 紅椿は、すずねが出ていった襖へ、少し心配そうに視線を送った。

 

 

 

 お万の授業が終わるころ。

 紅椿は一階に降り、興味本位で授業の行われている座敷に近づいた。

 襖は締め切られ、中の様子を伺うことはできないが、お万の声だけは襖を突き抜けて聞こえてきた。

 

「そこ! 背筋が曲がってるよ! 客の前で、そんなだらしない姿を見せる気かい!」

「はい!」

「こらそこ! あくびなんてすんじゃないよ! 客の前にアホ面晒す気かい!」

「ごめんなさい!」

 

 紅椿は、聞こえてくる声を聞きながら、すずねの見せた表情に納得をする。

 そして、自分の時はこんなに厳しかっただろうかと、昔の記憶を探る。

 

「今日はここまで! 授業が終わったからと言って、みっともない姿見せんじゃないよ!」

「ありがとうございました!」

 

 紅椿が考えている間に授業は終わり、座敷の襖が開かれた。

 紅椿は、中から出てきたお万と目が合い、困ったように微笑んだ。

 

「こんにちは、お万」

「紅椿。何やってんだい、こんなところで?」

「ちょっとね。……お万、もうちょっと優しく言ってあげてもいいんじゃない?」

「お前んとこの禿に泣きつかれでもしたかい? ああ、こんなところで立ち話もなんだ。あたしの部屋に来な」

 

 お万は、授業を終えて出てくる禿たちの邪魔になるだろうと思い、紅椿を部屋へ招いた。

 紅椿とお万は階段を上って二階へ上がり、階段に最も近い座敷へと入った。

 お万が普段過ごすための、遣手部屋(やりてべや)だ。

 

「茶でも飲むかい?」

「いただくわ」

 

 遣手部屋には、生活に必要な道具が一式揃っている。

 お万は、急須の中に茶葉を入れ、保温ポットの湯を急須へと注いだ。

 その後、一分ほど茶葉が開くのを待ち、二個の湯飲みへ茶を注いで、湯飲みをちゃぶ台の上へと置いた。

 

「ほれ」

「ありがとう、お万」

 

 紅椿は、自身の近くに置かれた湯呑を手に取り、口をつける。

 

「美味しい。どこのお茶?」

「静岡だったかな。先日、茶屋の人間からもらってね」

 

 お万も一口飲み、紅椿とともに温かい息を吐く。

 二人が湯呑をちゃぶ台において一息つくと、お万はさっそく紅椿へ尋ねた。

 

「で、もう一度訊くが、禿に泣きつかれでもしたかい?」

 

 お万からの質問に、紅椿は怯えていたすずねを思い出し、静かに首を横に振る。

 

「いいえ。泣きつかれたりはしてないわ」

「ほお。そりゃあ、立派じゃあないか」

「泣きつかれてたりはしてないけど、怯えてはいたわね」

「はん! 怯えるくらい、可愛いもんだね」

 

 紅椿がお万にすずねの様子を伝えても、お万は何も気にしてなさそうな口ぶりで言葉を返した。

 その見方の差に、紅椿は思わず苦言を呈した。

 

「さっき、少しだけ授業を聞かせてもらったけど、もう少し優しく言ってあげてもいいんじゃない?」

 

 お万は細い目で紅椿をじっと見た後、きせる筒からキセルを取り出し、ちゃぶ台をかんかんと叩いた。

 

「優しく言ったら、できるようになんのかい?」

「それは、そうだけど」

 

 お万は、刻み煙草を摘まんで丸め、キセルの雁首に押し込む。

 反射的に紅椿がマッチに火をつけて近づけると、お万は当たり前のようにその火で着火し、一服した。

 

「いいかい? 餓鬼どもに優しくするのは簡単だ。でもね、甘やかされ続けて育った餓鬼が、将来どんな大人になると思う?」

「……それは」

「あたしはね、餓鬼のまま大人になったヤツを、何人も見て来たよ」

「…………」

「必要なんだよ、一人くらい。本気で叱る大人ってのがね」

 

 二服目。

 お万が天井に向かって煙を吐く間。紅椿は無言のまま座っていた。

 煙が天井にぶつかって、広がるように消えていく。

 

「でも、私を教えたときは、お万、あんなに怒鳴ってなかったじゃない」

「当り前じゃないか。一言ったら十理解するヤツを、どう叱れって言うんだい」

「えぇ……」

「紅椿。あんたはもうちょっと、自分を客観視できるようになんな」

 

 三服目。

 紅椿は、優秀だと言われたことに困惑し、困ったような表情を浮かべる。

 紅椿自身、結果はあくまでも努力の積み重ねでしかなく、特別なことをした記憶もないためだ。

 とはいえ、自分の教育係でもあったお万がそう言うのであればと、反論はしなかった。

 

「ま、次の授業はちょっとだけ優しくしてやるよ」

「え?」

「あんたが、あたしん部屋(ところ)に来たことは、もう禿どもに知れ渡ってるだろう。なら、次の授業で優しくなれば、皆、あんたのおかげだと考える。紅椿に憧れて、紅椿みたいになりたいって頑張る餓鬼が増えるってもんさ」

「またそんな。それじゃあ、お万が悪者になっちゃうじゃない」

「いいんだよ、悪者で。それで、紅楼がさらに良くなるならね」

 

 お万カッカと笑いながら、キセルをひっくり返し、溜まった燃えカスを灰皿へと捨てた。

 そして、二つ目の刻み煙草に手を伸ばした。

 

 その手を、紅椿は掴んで止めた。

 

「ん? なんだい?」

「本気で叱る大人が必要って、本当にそうね」

「それがどうした?」

 

 お万の叱る理由がわかった紅椿は、先程とは打って変わった穏やかな表情で、お万を見ていた。

 

「健康のため、煙草は一日一本まで。誰も叱らないから、私が代わりに叱ってあげる」

「……これは煙草じゃなくて、キセルだよ」

「おんなじものでしょ? はい没収」

 

 紅椿はお万の手を優しく抑え、その手からキセルを救い取った。

 お万は空になった手を閉じたり開いたりした後、小さな溜息を零しながら頭を掻いた。

 

「……あんたは、いい大人になったもんだね」

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