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紅椿ノ守 ―令和吉原綺譚―  作者: はの
第一章 紅楼の灯

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四軒目 若い者

 遊郭に住むのは、遊女ばかりではない。

 妓楼を支えるために働く男衆を、年齢問わず『若い者』と呼んだ。

 

 

 

「はい、王手」

「むむむー……。あー! そこを見落としてたでありんす! チョベリバでありんす!」

「ふふふ」

「負けました……でありんす」

 

 夜見世の始まった午後六時。

 身支度を終えた紅椿は、すずねと将棋を打ちながら、仕事に呼ばれるのを待っていた。

 とはいえ、紅椿の人気は非常に高く、待ち時間は長くない。

 

 座敷の襖が外からトントンと叩かれて、数センチメートルばかりが開かれる。

 

「紅椿花魁。本日は、初会からとなります。十五分後に、お迎えに上がります」

「わかりました」

 

 若い者の男性は端的に告げると、襖を閉め、足音も立てずに座敷を離れていった。

 

「じゃ、お願いね」

「はいでありんす!」

「Oui。お任せください」

 

 紅椿がその場に座っていると、少し離れていたところにいた輝水仙が立ち上がり、紅椿に仕上げの化粧を施していく。

 十割完成はしているが、完成以上に仕上げるのが新造の誉れだ。

 すずねも立ち上がって将棋盤を片し、自分の着物にシワや汚れがないかを確認する。

 紅椿と共に座敷へ向かう人間として、不用意な格好を見せる訳にはいかないのだ。

 

「しかし、廻し方さんはすごいでありんすねー」

 

 着物を直しながら、すずねは頭に浮かんだことを口にする。

 

「廻し方さん?」

「だって、初会って決まった人数が集まらないと、始められないじゃないでありんすか。それを、だいたい何分後に揃うかわかってるんでありんすよ?」

「そうね。そう言うすごい方たちが、私たちの仕事を支えているの。感謝しながら、今日も頑張りましょうね」

「はいでありんす!」

 

 すずねの子供らしい感動に、紅椿は優しく微笑む。

 そして、丁度十五分が経過したところで、すっと立ち上がる。

 座敷の襖が再びトントンと叩かれたのは、同じ頃だ。

 

「紅椿花魁。お客様がお揃いになりました。引付座敷(ひきつけざしき)へご案内いたします」

「ありがとう」

 

 今度は、襖が完全に開かれて、廻し方が姿を見せる。

 すずねと輝水仙を引き連れ、紅椿は廊下へと出て、廻し方の後をついて歩く。

 廊下を歩くのは他の廻し方たちと、それについて歩く遊女たち、合わせて数人ばかり。

 客とは一切すれ違わない。

 

(すずねに言われて、改めて思うわね。彼らがいるから、紅楼は輝ける)

 

 目的の座敷の手前で、廻し方は立ち止まり、小声で紅椿へと案内をする。

 

「本日は、『紅葉の間』にてお客様がお待ちです」

「わかりました」

 

 廻し方は、紅椿に一礼をした後、客が入るために使用した襖から、音もなく座敷へと入っていった。

 紅椿たちは順序を入れ替え、先頭にすずね、次に輝水仙、最後に紅椿と並び直す。

 そして、すずねが座敷の上座側の襖へと歩き、すっと襖を開いた。

 

「ごめんくださいまし!」

 

 本日もまた、紅椿たちの仕事が始まる。

 

 

 

「はあ。疲れたでありんす」

 

 初会は、僅か数分ばかリ。

 にも関わず、紅楼で最上位の花魁という仕事に対し、責任を感じるのは余りある。

 仕事を終えて廊下を歩くすずねは、思わず疲労を口にする。

 

「まだ廊下。静かに」

 

 それをすかさず、輝水仙が小声で叱る。

 

「す、すみませんでありんす」

 

 遊郭の中は、現実とは別世界。

 故に、禿とは言え、客を現実に引き戻しかねない発言はご法度だ。

 廊下で聞こえていいのは、座敷から襖越しに聞こえてくる三味線の音、ただ一つ。

 

 紅椿は、心の中ですずねの努力をいたわりつつ、自身の座敷へ向かって歩く。

 

「……あら?」

 

 が、耳に入った小さな異音に、足を止める。

 紅椿が足を止めれば、当然すずねと揮水仙も止める。

 

「どうかなさいましたか?」

 

 揮水仙の質問に対し、紅椿は人差し指を口の前に立てる。

 そして目を閉じ、音の出所を耳で探る。

 

 べん。

 

 べべん

 

「…………して」

 

 べん。

 

 べべん。

 

「……放して」

「睦月花魁!」

 

 音の正体がわかった瞬間、紅椿は紅葉の間へ向かう際、睦月とすれ違った光景を思い出す。

 そして、睦月花魁が向かっていた方向を思い出し、自身も速足で向かった。

 

「お姉様!?」

 

 紅椿の突然の行動に、すずねと輝水仙は驚きながらも、その後を追った。

 よほど信頼がある客でなければ、花魁が客と座敷で二人きりになることなどなく、危険はない。

 故に、紅椿は自身の聞き間違えであって欲しいと願いながら、声のした座敷へと急ぐ。

 

「あっしらの仕事です」

 

 睦月がいるだろう座敷が見えた瞬間、紅椿を廻し方が追い抜かした。

 紅椿が立ち止まると同時に、廻し方は襖を開けて、座敷に飛び込んだ。

 

「なにやってんだあ?」

 

 静かな、しかし強い圧のある声が、廊下に届いた。

 少しすると、睦月が座敷の外に出て、急いで襖を閉じた。

 そして、近くに立っている紅椿に気付き、目が合った。

 睦月は一瞬、ほっとした表情を浮かべたが、目の合った相手が薄紅と敵対関係にある紅椿だと気づくと、すぐに目をそらした。

 

(私から心配の言葉は、欲しくないでしょうね)

 

 紅椿は、そのまま自室に戻っていく睦月の背を見送った。

 そして、自身の直感が当たってしまったことを哀しみつつも、睦月が無事に救出されたことに安堵した。

 

「どうやら、大丈夫そうね」

「な、なんでありんすか。あれ」

「お客様と、トラブルがあったんでしょうね」

「……チョベリバでありんすね」

 

 紅椿は、怒声に驚いてしがみ付いてくるすずねの頭を撫で、自身も自室へ向かって歩き始めた。

 

 後で紅椿が聞いたところによれば、何度睦月の元を訪れても告白を受け入れないことに常連客がしびれを切らし、強硬手段に出ようとしたらしい。

 その常連客は、四郎兵衛会所(しろべえかいしょ)の警備員に引き渡され、永久追放――二度と令和遊郭の大門をくぐることは叶わなくなった。

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