五十三軒目 裏茶屋
裏口から続く道は、思いのほか整備されていた。
人工的にというよりは、多くの人が歩いた結果、自然と地面が固められたという形ではあるが。
千桜は、いったい誰が何の目的で通ったのだろうとすぐに思い至り、思わず身震いした。
輝水仙も同じ気持ちだったのだろう。
開かれた扉を、気持ち悪そうに見ている。
「本日、日時を指定させていただいたのは、今日来るお客さんが、もしかしたらそちらの遊女さんじゃないかなーって思ったからなんですよ」
「ほう。何故そう思うんだ?」
「連れのお客さんが、いつも揚屋町の方から来られてましてね。他のお客さんが、『あいつは紅楼のお得意さんだ』なんて言うもんですから。もしかしたら、とね」
「話半分に聞いておこう」
移動をする間も、番場の口は止まらなかった。
最近の京町二丁目の様子、裏茶屋へ来る客の噂話。
本当に裏茶屋の存在を隠す気があるのかと疑うほど、滑らかに口が回っていた。
普段から話し慣れているのだろう、その言葉に言いよどみはなく、言い回しも興味を引いて仕方なかった。
「ずいぶん、べらべら話すじゃねえか」
「おっと、失礼。子供の頃からおしゃべり好きな物で」
「いつか、俺たちのことも話しそうで、俺はこええよ」
「ご心配なく。こう見えて、口は堅いんです。これは、そちらさんとは敵対せず共存していきたいという、心づけみたいなものです」
互いに秘密を握り合った仲、裏切ればもろとも。
そんな言外の圧力が、番場から発せられた。
「……そうだな。うちも、裏に関わりたくはねえ。お宅とは、これっきりにしたいもんだ」
「ご理解が速くて助かりますよ」
裏道を歩き、塀の穴をくぐり、廃墟にしか見えない小見世の廊下を歩く。
意図的なのか偶然なのか、ぐねぐねと曲がる道を進んでいく。
「到着しました」
そして一同は、一軒の小見世の前に出た。
番場は、小見世の正面ではなく横側に回り、関係者用通路と思しき扉の鍵を開けて、中に入った。
正面から見れば真っ暗な小見世にしか見えない裏茶屋。
しかし、中に入れば足元に灯りがついており、窓には室内から紙が貼られている。
「足元、お気を付けください」
番場を先頭にし、足元の灯りだけを頼りに進んでいく。
廊下は、ギシリギシリと音を立てる。
番場は建物の奥にある扉を開け、護たちを中へと誘導する。
部屋の中に入ると、先程までの江戸を想起させる古めかしい廊下とは違い、現代的な佇まいの部屋が広がっていた。
綺麗なフローリングに、敷かれたカーペット。
エアコンも稼働し、無数のパソコンが発する熱気を完全に抑え込んでいる。
壁には、何十枚と言うディスプレイが貼り付けられて、そこにはいくつもの部屋と廊下の様子が映し出されている。
「これ、盗さ」
「防犯カメラです。何せ、廊下に置いている美術品を盗もうとする客もいれば、室内でいざこざを起こす客もいますのでねえ。我々も、セキュリティの都合上、仕方なく。ええ、ええ」
千桜が驚きのあまり声を出すと、番場は即座に訂正をした。
映し出されている部屋は、なにも空室ばかりではない。
綿が抜けてぺちゃんこになった座布団に座り、互いに体を寄せ合う男女の姿も、映っていて、防犯と呼ぶにはいささか範囲が広い。
しかし、番場からの訂正を受けた直後。
千桜と輝水仙は、無言でディスプレイから目を背けた。
「ご心配なく。うちは健全な店ですから、本番はありませんので」
顔色を悪くする二人を見て、番場はねっとりとした声で言う。
「Ça craint」
「ウブですねえ」
輝水仙が呟くと、番場は面白いものでも見たように笑い始めた。
「その辺にしといちゃくれねえか? うちの娘たちをいじめたとあっちゃ、仲良くやっていくなんてできねえよ?」
「おおっと。これは失礼。つい、悪戯心がうずいてしまい。お詫び申し上げます」
見かねた護が、千桜と輝水仙を庇うように間へ入り、番場を睨みつける。
番場は、反省を感じさせない表情のまま胸の前で両手を振り、その後に千桜と輝水仙に向かって大げさに頭を下げた。
千桜と輝水仙は、何も返事をしないまま番場から距離をとった。
「いやいや。女性の扱いは難しいものですね」
頭を上げた番場は、やはり反省を感じさせない表情のまま、千桜と輝水仙から視線を逸らし、ディスプレイの方を見た。
「おや」
そして、一枚のディスプレイを指差した。
ディスプレイには、裏茶屋の外が映し出されており、一台の人力車が裏茶屋に近づいて来ている様子が見えた。
人力車の座席は、布によってすっぽりと覆われており、誰が乗っているかはわからない。
人力車が裏茶屋に止まると、二人の男女が降りてくる。
人目を気にしているのか、帽子を深くかぶっており、その顔を伺うことはできない。
「あっ」
しかし輝水仙は、男の羽織の隙間から見えた紋章に見覚えがあった。
「どうした嬢ちゃ……輝水仙」
「あの紋章、うちに来る商人がつけてた紋章と同じ気がします。確か、薄紅派の御用達の」
輝水仙の言葉に、護はディスプレイを凝視する。
だが、二人の服装を確認する前に、人力車を降りた二人はさっさと裏茶屋の中へと入ってしまい、映像から消えた。
「ちくしょお」
「ご心配なく。廊下にも、防犯カメラは御座いますので」
番場は、悔しがる護を宥め、別のディスプレイを指差した。
ディスプレイには、人力車を降りた二人のその後が映っている。
二人は裏茶屋に入ると堂々と歩き始め、部屋に入り、そこでようやく帽子をとった。
「こいつは、如月花魁じゃねえか」
巌の言葉を聞くまでもなく、千桜と輝水仙、そして若い者も、その女の正体を把握した。
薄紅が特に可愛がっていた三人の花魁の一人。
皆が唖然としている中、商人と如月は互いの顔を撫で合って、とろりとした表情で見つめ合っていた。
「いくぞ!」
我に返った巌は、如月のいるだろう部屋に向かおうと、部屋の入口へと向かう。
が、それを阻むように、番場が立った。
「そこをどいてくれないか? 俺たちは、あいつに用があって来たんだ」
護がイライラとした様子で言うが、番場はへらへらとした表情で、その場を動かなかった。
「ふふふ。少々、お時間を頂けますか?」
「ああ?」
「こちらにも事情がありまして。今、騒がれては、他のお客様のご迷惑にもなりますのでね」
護はいらいらとした表情で振り返り、ディスプレイを見る。
承認と如月は先程よりも深く密着している。
護は再び番場の方を向き、足で床をとんとんと鳴らした。
「じゃあ、いつならいいんだ?」
「そうですね。もう四半刻ほど」
「ああ!?」
「大丈夫です。いつもの調子であれば、半刻はいらっしゃるはずなので。ええ」
護は不服そうに、番場とディスプレイへ、何度も視線を往復させた。
そして、ディスプレイの前へと戻り、胡坐をかいてカーペットに座った。
千桜と輝水仙、そして若い物たちも、番場に倣って素直に座る。
「ご理解いただけて助かります。お茶でも入れましょうか?」
「結構」
番場に従い、待つこと四半刻。
部屋の扉が開かれ、ガラの悪そうな男たちが入ってきた。
「!?」
もしや騙されたのか。
そう思った護と若い者たちは即座に立ち上がり、千桜と輝水仙を守るように前へ出た。
対し、部屋に入ってきた男たちは、訝し気な表情で護たちを見た後、指を差しながら番場に尋ねた。
「おい。なんだこいつらは?」
「うちに御用の方々です」
「用だあ? こんな上等な服着てるやつらが、てめえの店に用なんてあるわけねえだろ。ナニモンだ?」
「おっと。詮索はご法度ですよ」
「……ちっ」
幸い、想像と異なり、男たちは護たちに手を出そうとはしなかった。
せいぜい、千桜と輝水仙の体を、視線で嘗めた程度。
ガラの悪そうな男たちは、足元に痰を吐いた後、自身の靴で踏みにじっていた。
「俺らの仕事の邪魔しやがったら、ぶち殺してやるからな」
護は、男たちに依然警戒を続ける。
男たちは、護たちを一瞥した後、次は番場を睨みつけた。
「さっさと案内しろ! こっちも、暇じゃねえんだ!」
「もちろんです。さ、平さんたちもこちらへ」
番場は、役者がそろったと言わんばかりに部屋を出て、一同を誘導する。
まずは男たちが、番場に続く。
護は、男たちから距離を取りつつ、その後ろをついていく。
「万一のときは、すぐに逃げられるようにしておけ」
千桜と輝水仙も、護の忠告に頷き、護の後ろをついていく。
若い者たちは、千桜と輝水仙を挟むように別れ、軽快をしながら廊下を歩いていく。
番場を先頭に、薄暗い廊下を歩いていく。
廊下の壁には、美しい絵画が飾られている。
廊下の薄暗さも相まって、一見高級そうに見える。
しかし、ところどころ接着剤が剥がれているのだろう、額縁から絵画が剥がれて、安物の紙の裏側が露わになっていた。
「こちらとあちらのお部屋です」
番場は一つの部屋の前で止まり、男たちに二つの部屋を示した。
男たちは顔を見合わせて頷き、二手に分かれた後、蹴り破らん勢いで扉を開け、我先にと部屋へ乗り込んでいった。
「おらあ! ワレェ、こんなとこでなにやっとんじゃあ?」
「金も返さず女遊びか! ええ身分じゃのう?」
「ひ、ひいい!? なんで、ここが」
「ピーピーわめくなや、うっとおしい!」
男たちが借金を回収する掛け取りだと千桜が気づいたときには、顔面が殴られた鈍い音が響いていた。
続いて女の悲鳴が上がり、何度も何度も蹴られる音が廊下に響く。
「……そういうことか」
「ええ。騒がしい方が、そちらも素性を隠しやすいでしょう? さあ、貴方がたのお目当てのお部屋は、あちらです」
護は苦々しい表情をしながらも、ずかずかと番場の示す部屋へと向かっていった。
その後を、四人がついて行く。
護は小さく深呼吸をした後、勢いよく部屋の扉を開けた。
「なにをやってんだあ!」
そして、部屋にいた二つの人影に向かって、大声で叫んだ。
突然の大声に、半裸の商人と如月が、跳びはねて驚いていた。
如月は護の顔を見るなり、顔を真っ青にして、怯えた様子で口を開いた。
「え? あ? 筆頭……さん? どうして……?」
如月の言葉で、目の前の男が自身の上客の人間と気づいたのだろう。
商人も顔を真っ青にして、半裸のまま荷物を持ち、急いで部屋から出ようと走る。
が、部屋の入口には若い者が立っており、商人の身体は若い者たちによって、いとも容易く拘束された。
「は、放せ! 警備員を呼ぶぞ!」
じたばたとする商人を見下ろしながら、千桜と輝水仙も部屋へと入る。
如月は、輝水仙の顔を見ると、青い顔を真っ白に染めた。
「あ……あ……。紅椿の……」
「如月花魁」
「ち、違う! これは違うの! なんでこんな! い、嫌! 見ないで!」
如月は、しばらく同じ言葉を叫びつづけていたが、自身の状態を思い出したのだろう。
近くの座布団で必死に自分の体を隠した。




