四十八軒目 桐屋の行灯
紅椿が部屋に戻ると、深紅、千桜、すずね、輝水仙の四人が待っていた。
すずねは、襖を開けた時からそわそわと体を揺らしており、紅椿の姿を見た瞬間に立ち上がって、紅椿へとしがみ付いた。
あまりの勢いに、紅椿は少しだけよろけ、すずねの頭を撫でる。
「お、お姉様! 良かったでありんす!」
「いったいどうしたの、すずね?」
「すずねは、お姉様が黒松花魁に酷いことをされてないか、心配で心配で!」
「黒松花魁を何だと思っているの?」
「だってあの人、授業で『本も読めない馬鹿に教えることなんて何もない』って!」
「……黒松花魁」
遅れて立ち上がった輝水仙が、すずねの体を紅椿から引っぺがし、呆れた表情で紅椿に視線を送る。
「お姉様。すずねが言ってるのは、読書の宿題をサボった時に黒松花魁から言われたことです」
「ガビーン! なんでバラすでありんすか!?」
「それは……すずねが悪いわね」
「チョベリバでありんす!?」
「黒松の言い方にも、ちょっと、トゲはあるけど」
真っ白になったすずねを、輝水仙が無理やり引っ張って、座布団へと座らせる。
そして、自身もすずねの隣の座布団へ腰を下ろす。
紅椿も、自分のために準備されていただろう誰も座っていない座布団に腰を下ろし、深紅の方を見た。
「仲が良いわねぇ」
「お見苦しいところをお見せしました」
「いつもこんな感じなんですか? 楽しそー! やっぱり、紅椿お姉様の禿になりたかったなあ!」
「千桜ぁ?」
深紅は、微笑ましいものを見る表情で紅椿に微笑んだ後、自身の禿である千桜にじっとりとした視線を向けた。
「ごめんなさーい」
「まったくぅ」
千桜は、あまり反省してなさそうな声色で、一言返す。
深紅もまた、言葉ほどは気にしていないようで、小さく溜息を零すだけで終わった。
そのまま、深紅の視線は、紅椿へと向けられる。
紅椿は、手を伸ばして吉原の地図を広げ、深紅へと向けた。
すずね、輝水仙、そして千桜は、真剣な表情へと変わる太夫を二人を前にして、先程までの雰囲気を忘れたように、顔を引き締めて背筋を伸ばした。
「それでぇ。黒松はなんてぇ?」
「裏茶屋が、吉原に九軒あることを教えてくれました。揚屋町に四軒、角町に四軒、そして京町二丁目に一軒」
紅椿は、表町の名前を言う度、地図の場所を指差してみせる。
「意外とぉ、多いのねぇ」
「でも、正確な場所までは知らないようです」
「知ってたら恐いわよぉ。軒数を知ってるだけでもぉ、恐いのにぃ」
紅椿が指した後を追うように、深紅も地図の三か所を人差し指でなぞる。
そして、指を地図の上でふらふらと動かし、改めて揚屋町に指を置いた。
「ここはぁ、ないと思うわぁ」
「どうしてですか?」
「師走が逃げ出したからぁ、楼主様がちょっとだけ警戒しててねぇ。うちの若い者のぉ、見回りが増えているのよぉ」
「もし、噂の花魁がそれを知っていた場合、確かに揚屋町は避けますね」
紅椿が納得したように頷くと、すずねが手を挙げて紅椿を見た。
「すずね?」
「あのー。お姉様が知らないような情報を、他の花魁たちが知っているものなのでありんすか?」
「確かにそうね」
花魁に情報が降りてくるときは、まず太夫、次に格子女郎と、格上からが相場だ。
すずねの意見を肯定するように、紅椿は再び頷いた。
が、深紅が軽く首を傾げ、自身の唇の際に人差し指を当てた。
「禿や新造が知ってるかはぁ、わからないけどぉ。ほとんどの花魁はぁ、知ってると思うわぁ」
「え? でも、お姉様は知らなかったでありんすよ?」
「それはぁ、楼主様が怒鳴っていた時ぃ、紅椿と貴女はぁ、お万に叱られてたからよぉ」
すずねは、咄嗟に顔を逸らした。
すずねの逸らした視線の先で、紅椿はバツが悪そうに苦笑いを浮かべた。
「なら、私が知らないのも当然ですね」
「そうねぇ」
「では、角町と京町二丁目のどちらに絞りましょう」
そして、やや早口で、次に決めることへ話題を進めた。
深紅は、地図の二つの表通りを交互に眺めるが、困ったような表情で溜息をついた。
「とはいってもぉ。私はぁ、どちらもも詳しくないのよねぇ」
「それは、私もです」
七つの通りには、格がある。
そして、大半の遊女は、自身の格にそぐう場所にしか立ち寄ることがない。
商家の並ぶ揚屋町は例外として、大見世の存在しない妓楼街である角町と京町二丁目など、二人にとっては足を踏み入れる必要がない場所なのだ。
「すずね、輝水仙。貴女たちは、行ったことあるかしら?」
紅椿は、期待をせずにすずねと輝水仙へと尋ねたが、返ってきたのは左右に首を振る二人の姿だ。
「Désolé。私は、どちらも行ったことがありません」
「すずねもでありんす」
すずねと輝水仙は、紅椿の世話係だ。
当然、紅椿に用がなければ、二人にとっても用のない場所だ。
「千桜もぉ、あるわけないわよねぇ」
「ありますよ!」
「そうよねぇ。そんな用事を頼んだことはないものねぇ」
深紅も期待せずに千桜へ問いかけると、千桜は元気に返事をした。
深紅は、諦めの混じった表情で千桜の答えを聞いた後、自身の聞き間違いを疑うように、再度訊き返した。
「行ったことがぁ、あるって言ったかしらぁ?」
「はい!」
「一応訊くけどぉ、いつかしらぁ?」
「紅椿お姉様に、弟子入りをお願いする前です! 花魁道中まで時間があって暇だったので、吉原中を探検してました!」
「……遊女になる前ならぁ、不問かしらねぇ」
にこにこと笑顔を作る千桜を、深紅は呆れたように見つめる。
目にかかった前髪を小指で横へと流し、千桜の方へ向いて口を開いた。
「それでぇ、どんな場所だったかしらぁ?」
千桜は、腕を組んでしばし考え込んだ。
まるでクイズの回答を待つように、他の四人は千桜の様子を見守る。
「角町は、小さな江戸町一丁目って感じでしょうか。紅楼のような大きさの妓楼はなくて、中見世と小見世がずらっと並んでました。! 小見世がとても多かった印象です!」
「話に聞いた通りねぇ」
深紅は、小耳にはさんだ角町の情報と千桜の話す角町の情報が一致していたことを、腑に落ちたように頷く。
一方の千桜は、少しだけ表情を暗くした。
「京町二丁目は……ちょっと怖かったですね」
「怖かったぁ?」
「中見世は一つもなくて、おそらく全部小見世。それに、小見世よりももっと小さな……長屋もずらっと並んでました」
「多分、切見世ねぇ。あんまり、良い噂は聞かないけどぉ」
切見世。
吉原において、最も低級と呼ばれる見世である。
客が夢を買うための場所とは程遠く、最低限のサービスを最低限の金で買える場所と言われている。
尤も、サービスが建物の中で行われており、最低限のサービスが何を指すのかは闇の中だ。
「長屋の土間に立って、青白い顔で通行人を招いていたのが、幽霊みたいで……思い出したら怖くなってきました!」
「青白い顔、ねえ」
千桜が、全身をぶるりと震わせる。
紅椿は、千桜の見たという遊女の姿が気にかかったが、話の腰を折ってしまうだろうと思い、飲み込んだ。
深紅は、改めて地図に視線を戻し、京町二丁目と角町の表通りをトントンと叩く。
「裏茶屋探しにぃ、太夫がが動くわけにはいかないわぁ。探すのはぁ、千桜とぉ。貴女たち二人にぃ、お願いしたいのだけどぉ」
「Oui」
「もちろんでありんす!」
深紅の言葉を聞き、すずねと輝水仙は即答した。
そして、許可を求めるように紅椿へと視線を送る。
深紅もまた、紅椿へと視線を送る。
視線を受け取った紅椿は、思うところがあるものの、ゆっくりと首を縦に振った。
「私も! 大丈夫です!」
一拍遅れて、千桜も名乗りを上げる。
全員の了承がとれたところで、深紅は改めて仕切り直す。
「それでぇ、分担なんだけどぉ。京町二丁目に一つぅ、角町に四つならぁ、一人と二人で分けたいわぁ」
深紅は、一人と言った時に千桜を、二人と言った時に輝水仙とすずねを見た。
三人とも、即座に頷く。
しかし深紅は、頷いた千桜を心配そうな表情で見つめた。
「でもぉ、千桜の話を聞く限りぃ、京町二丁目の方が危険そうねぇ。だからぁ、京町二丁目に二人の方がぁ、いいかしらぁ?」
深紅からの委ねるような視線に、千桜は拳に力を入れ、僅かに俯く。
そして、両手で自身の頬を、畳み込むように叩いた。
「京町二丁目は、私ひとりでやります! 輝水仙先輩とすずね先輩には、角町をお任せします!」
元気な返事を聞いた深紅は、満足そうに微笑む。
逆に紅椿は、心配そうな表情で、千桜を見た。
「本当に大丈夫? 切見世の周りは、治安が悪いって聞くけど」
「大丈夫です! 一度、行ったことありますので!」
「そうよぉ。千桜がぁ、大丈夫って言ったらぁ、大丈夫なのぉ」
とはいえ、千桜本人と、紅椿よりも千桜と長くいる深紅が是と言えば、紅椿には言えることなどなかった。
「そう」
と、一言零し、全員の覚悟を確かめるように見渡した。
「では、さっそく取り掛かりましょう。私たちは妓楼の中から、輝水仙たちは妓楼の外から、裏茶屋の件を解決します。何かあれば、すぐに連絡をしてちょうだい」
「おー! でありんす!」
すずねが立ち上がり、勢い良く手を挙げる。
そんなすずねの前で、四人は手を重ねて、互いの健闘を誓った。
「……すずね?」
「盛大に間違えたでありんす」




