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紅椿ノ守 ―令和吉原綺譚―  作者: はの
第六章 裂けた襟紋

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四十五軒目 鞍替え

 師走の脱走事件から数日後。

 師走は、休養を挟みつつも、禿として復帰していた。

 

 しかし、薄紅派の遊女たちの中では、師走の脱走を他派閥の遊女による干渉があったのではと邪推する声も生まれていた。

 薄紅派の遊女たちと紅楼の関係は、悪化の一途を辿っていた。

 

「誰だい、こんな馬鹿な噂を立てているやつわ!」

 

 お万がいくら噂を否定しようとも、噂が消えることはなかった。

 

 

 

「紅楼を辞めて、別の妓楼に移ろうと思います」

 

 そんな噂も、一因だろう。

 薄紅派の花魁である睦月が、お万に対して鞍替えを申し出た。

 

 鞍替えとは、遊女が他の妓楼へと移籍すること。

 江戸時代であれば遊女の転落――年を食って客をとれなくなった遊女や、若い者と深い仲になった遊女が、より格の劣る妓楼へ移籍することを意味する。

 

 お万は、自身の前に座る睦月の瞳を、じっと見つめていた。

 

「相応の理由がない限り、鞍替えは禁止。それは知っているね?」

「はい」

「じゃあ、聞かせてもらおうじゃないかい。相応の理由ってやつを」

 

 お万の口調は、決して攻め立てるようなものではなかった。

 というのも、お万自身、いつか誰かが申し出るのだろうことを予期していたからだ。

 

「紅楼全体で、薄紅お姉様を慕っていた私たちへの風当たりが強いのは、お万様も承知のはずです」

「少なくともあたしは、薄紅のとこの子だからって、無下に扱ったりはしていないつもりだが」

「お万様はそうでしょう。しかし、他の遊女たちは別です。お万様の目の届かないところで、私たちは肩身の想い狭いをしています。正直、このような状態では、お客様を楽しませることはできませんし、なにより私自身が心を壊してしまいます。……お姉様のように」

 

 睦月の口調は、一貫して平坦を保っていた。

 お万に対する恐怖心も、紅楼を辞めた後の恐怖心も、何一つ持っていないような事務的な言葉。

 

「うちには、提携の病院もある。心が苦しいというなら、しばらく仕事を控えて、休暇を取るという手もあるんじゃないのかい?」

「そうかもしれません。しかし」

「しかし?」

「失礼ながら、昨今の紅楼を見ていると不安があります。お姉様の心を守れず、師走の脱走を許し、かつて私自身も客に襲われかけました。……正直、今の紅楼に対し、私は私を預けることができません」

「……痛いところを付いてくるじゃないか」

 

 お万は、睦月が客に襲われかけた過去を思い出す。

 その時は、廻し方が即座に駆けつけて何事もなく終わったと考えていたが、それが心の傷として残っていると言われれば反論の余地もない。

 妓楼の管理人として、管理不足を指摘されればぐうの音も出ない。

 

 無言になるお万をよそに、睦月は持参した風呂敷を開き、中にある物をお万に差し出した。

 

「こちらを」

 

 一つは、紅楼と睦月の雇用契約を解消するための契約書。

 もう一つは、鞍替えに必要な移籍金。

 移籍金の金額に厳密な定義はないが、お万が見ても妥当な額の札束が積まれていた。

 

「手際がいいね」

「立つ鳥跡を濁さず、と言いますから」

 

 お万が、契約書と移籍金を風呂敷ごと手に取る。

 それを見た睦月は、承諾を得たと思ったのだろう、立ち上がって遣手部屋を出ていった。

 

「私からの願いは一つ。紅楼に、これ以上不幸な遊女が出ないことを願います」

 

 去り際に、本心かどうかわからない言葉を残して。

 

「……手際が良すぎる。睦月の裏に、誰かいるね」

 

 睦月が出て行ったあと、お万は眉間にしわを寄せる。

 ちゃぶ台の上に契約書を置き、筆を手に取って迷いなく署名した。

 そして、札束は金庫へとしまい、座布団に座って一息つく間もなく、遣手部屋を出て一階へと向かった。

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