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紅椿ノ守 ―令和吉原綺譚―  作者: はの
第五章 禿の逃走と“守り”の意味

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四十三軒目 理由

 仲の町には七つの木戸門が存在し、それぞれが七つの通りへと続いている。

 夜になれば客たちは、引手茶屋の店員に連れられて木戸門をくぐり、妓楼連なる夢の世界へと足を踏み入れる。

 ただし一つだけ、妓楼を有さない通りが存在する。

 

 それが、揚屋町だ。

 

 紅椿が揚屋町に続く木戸門を開くと、力強い呼び込みの声が響いてきた。

 朝は閑散とする江戸町一丁目と異なり、朝こそが本番だと主張するように、人々の熱気が溢れていた。

 

「さあさあ! 安いよ安いよ! 魚が安いよ! 漁港から直送したばかりの、獲れたて新鮮!」

「昼御膳の事前予約、承っておりますー! 三十個以上のお買い上げで、割引させていただきますー!」

「北欧から、髪飾り入荷いたしました! いつもちょっと違う雰囲気づくりにいかがでしょうか?」

 

 揚屋町の両側には、妓楼の代わりに商店が連なっており、店頭に立つ商人たちが大声て客引きを行っていた。

 揚屋町に入って来たばかりの紅椿に対しても、商人たちは遠慮なく店への勧誘を始める。

 

「やや! 紅楼の紅椿花魁じゃねえですか! いい髪飾り入ったんすよ! ちょっと見て行かないっすか?」

「申し訳ないでありんす。今日は、他ごとがありんす故」

 

 紅椿は、慣れたように小さく頭を下げて、その勧誘を回避する。

 その後を、若い者たちもついて歩く。

 一向に止まる気配を見せない客引きの中、紅椿は若い者へと視線を向ける。

 

「師走はどこへ?」

「もう少し先です」

 

 通りは、物品を物色する客たち、そして荷車を引く商人たちでごった返している。

 紅椿は裾を持ち上げて、人混みの中をすたすたと進んでいく。

 

「あそこです!」

 

 しばらく進んだ後、隣で若い者が指を差す。

 差された先は、商店と商店の間にある細い隙間。

 にも関わらず人だかりができており、その中には紅楼の若い者も含まれていた。

 

「師走!」

 

 紅椿の叫び声に、人々の視線が一斉に紅椿へと集まり、紅椿を通すように人だかりが分かれ、道を作った。

 隙間の前に辿り着いた紅椿は、隙間の中に不良品だろう品物が押し込まれている様子と、その品物の隙間の中で震えながらしゃがみ込む師走の姿を見つけた。

 

「見つけはしたんですが、この狭さ。誰も近づくことができなくて」

 

 品物は不安定に積み上がっており、若い者たちが無理やり入ろうとすれば崩れかねない程、絶妙なバランスを保っていた。

 

「お姉様! 私が入りましょうか?」

 

 この場において最も小柄なすずねが、自分を指差しながら紅椿へと問いかける。

 しかし、師走の全身がびくりと動いたのを見た紅椿は、小さく首を横に振った。

 

「大丈夫。品物が崩れちゃうと危ないわ」

「でも、誰かが引っ張り出さないと、出てこないでありんすよ」

「大丈夫」

 

 紅椿はすずねの頭を撫でた後、隙間ぎりぎりにまで近づいて、しゃがみこんだ。

 

「師走」

 

 そして、優しく師走へ語り掛けた。

 師走の全身が、再びびくりと動く。

 その表情は、恐怖に染まっている。

 

「大丈夫。怒っている訳じゃないの。落ち着いて」

「…………」

「師走。どうして、脱走なんてしたの? 何か、紅楼で嫌な事でもあったの?」

「…………」

 

 申し訳なさそうな表情で伝える紅椿の言葉を、師走は膝にうつ伏せになりながら聞いていた。

 紅椿が、反応を伺うように師走を見つめていると、師走は恐る恐る顔を上げ、またすぐに顔を伏せた。

 

「……です」

 

 そして、蚊の鳴くような声で呟いた。

 

「お姉様は、もういないのです」

「お姉様? 薄紅花魁のことね」

「ずっと、お姉様を目指してたのです。お姉様みたいな太夫になりたいって、ずっと。でも、お姉様は追い出されてしまったのです。私は、もう何を目指せばいいのかわからないのです。どうすればいいのかわからないのです。……私も、きっと追い出されるのです。私は、もういらないのです」

 

 感情が羅列される師走の告白を、紅椿はただ聞いていた。

 師走は薄紅派の禿。

 自身の敬愛していた花魁が消えたとなれば、その余波が自分に向いてくると考えることも、十分に理解ができた。

 

「話してくれてありがとう」

 

 そして、服が汚れるのも厭わず、その場に正座をし、師走に向かって頭を下げた。

 

「まず、貴女から薄紅花魁を奪ってしまい、申し訳なく思うでありんす」

 

 周囲の若い者たちが、驚きのあまり声を漏らす。

 隣に立つすずねも、紅椿の行動を止めさせるべきか否かを悩んだのだろう、紅椿と師走を交互に見る。

 ざわざわとした喧騒を前に、師走は顔を上げ、頭を下げている紅椿を見て動揺する。

 

「な、なんで」

「わっちには、紅楼の皆を守る責務がありんす。わっちの行動が貴女を悲しませたのなら、それはわっちの責任でありんす」

 

 太夫から禿への謝罪と言う現実を前に、師走は動揺を隠せないまま、じっと紅椿を見た。

 頭を上げた紅椿は、師走と目を合わせ、怯えさせないように微笑んだ。

 

「でもね、私は薄紅も守らなくちゃならなかったの」

「……お姉様を?」

「ええ。薄紅花魁には、休息が必要だった」

「休息……」

「彼女は、ずっと走り続けてきた。紅楼のために。自分のために。そして、貴女たちのために。周囲のことが見えなくなっても、ずっとね」

「…………」

「だから、無理やりにでも休ませる必要があったの。例え、頂点の座を脅かされそうだから排除した、と思われても」

 

 師走は、じっと紅椿の目を見続けていた。

 不信と恐怖に染められていた瞳は、徐々にではあるが薄れて行き、代わりに疑念が浮かび始めていた。

 

「休息なら、お姉様は戻ってくるのですか?」

「最善を尽くすわ」

「このままずっと、戻ってこないんじゃないですか?」

「その可能性も、あるわね」

「……やっぱり。追い出したんじゃないですか」

 

 再び俯き始める師走を前に、紅椿は、ただ事実だけを話し続けた。

 それだけが、今の師走に届く言葉だと信じていたから。

 

「私は、薄紅花魁とまた一緒に働きたいわ。薄紅花魁と共に、紅楼を守っていきたいわ」

「…………」

「だから、薄紅花魁が大切にしていた、貴女のことも守りたいの。追い出したりなんかしないわ。薄紅花魁が戻ってくるまでは、私に貴女を守らせて欲しいの」

 

 紅椿の言葉を最後に、長い長い沈黙が流れた。

 すずねと若い者たちに見守られるなか、紅椿と師走は微動だにせず、ただただ時間だけが過ぎて行った。

 

 紅椿からは、師走の口が動いているのが見えた。

 何を言っているかは聞こえないが、自分で自分を説得するように、何度も何度も口を動かしていた。

 

「私は、紅椿花魁を、完全には信用できません」

 

 沈黙の後、ようやく口から出てきたのは、それだった。

 

「それでいいわ」

「でも、お姉様が帰ってきた時、紅楼に誰も居ないんじゃあ、お姉様が可哀想です」

「そうね」

「私を追い出さないという言葉、信じます。私は、お姉様を待ちます。……花魁になって」

「薄紅花魁も、喜ぶと思うわ」

 

 師走はそろそろと立ち上がって、器用に品物を避けながら、隙間の外に出た。

 若い者たちが、すぐに師走へと駆け寄り、羽織を羽織らせる。

 

「帰りましょうか」

 

 紅椿が立ち上がって師走に手を伸ばすと、師走は紅椿から逃げるようにして、近くの若い者の手を握った。

 手を繋がれた若い者は困惑していたが、紅椿が視線で師走の誘導を頼むと、無言で頷いて歩き始めた。

 

「お姉様! 膝に泥が!」

「大丈夫よ」

 

 紅椿は、師走の小さな背中を見つめながら、若い者たちと一緒に紅楼への帰路についた。

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