四十一軒目 江戸町二丁目
「師走? いないの?」
江戸町二丁目のど真ん中を歩きながら、紅椿は小声で呼び掛ける。
通りの脇に寄せられた荷物の近くに人影がないか、歩く禿や新造たちの中に師走が紛れ込んでいないか、確認しながら歩いていく。
「お姉様! ここにはいないでありんす!」
すずねはと言うと、表通りのど真ん中から視認できない場所に駆け寄り、中を覗き込んでは、手でバツマークを作っていた。
「んぎゃっ!?」
「すずね?」
「うう……。黒光りするやつがいたでありんす……。チョベリバでありんす……」
半べそをかきながら戻ってきたすずねの頭を、紅椿は優しく撫でる。
しかし、すぐに手を離した。
なにせ、紅椿には時間がないのだ。
紅楼の若い者が紅椿を連れ戻しに来ることなど、時間の問題なのだから。
紅椿は、大見世の太夫。
ひとたび紅楼の外に出れば、どこにいるか、誰といるか、すぐに令和吉原中へ広まるのだから。
「師走ー?」
「妙な噂が流れていると思いおしたら、まさか本当に、紅楼の紅椿花魁が来ぃしてるとは」
聞き覚えのある声に、紅椿は思わず立ち止まる。
背後を歩いていたすずねも立ち止まり、紅椿の横から顔を出し、声の主を見ると指差して叫んだ。
「あ、朝凪花魁!? どうしてこんなところにいるでありんすか?」
「どうしてと言われおしても、ここは藍苑の目の前。藍苑の太夫であるうちがおっても、自然なことおす」
朝凪は、モデルのような整った顔で、不憫な者でも見るかの如く、憐みの視線をすずねに向ける。
透き通るような白い肌がツヤツヤと光り、髪に刺している銀色の簪が紅椿の表情を反射させた。
紅椿は、軽く腕を動かして着物を整え、朝凪へと一礼をした。
「おはようござりんす、朝凪花魁。ちょっと、お邪魔してありんす」
紅椿が頭を上げると、朝凪もまた、紅椿へ一礼をした。
「おはようさんどす、紅椿花魁。ここは吉原。門戸は誰にでも開かれとりおす。うちに伺い立てる必要なんて、あらしません」
挨拶が終わり、互いの視線が交わされる。
朝凪の視線は紅椿の瞳を捉えた後、紅椿の胸元へ、そして足元へと下がり、再び瞳へと戻って来る。
朝凪の表情には影が落ち、呆れるように首を左右へ振った。
「あまり他の妓楼の遊女、まして太夫の方に言いたくはあらしまへんが、その身なりはどうかと思いおす」
朝凪の言葉に、紅椿は改めて自身の恰好を見つめる。
胸元には、寝巻用の浴衣。
部屋を出る時に咄嗟に羽織った着物で、背後から見た姿をどうにか取り繕っているだけ。
足元には、若い者の外出用である使い古された草履。
指先も足の甲も、砂と泥が塗れている。
おおよそ太夫が纏うべきでない恰好に、紅椿は恥ずかしさから頬を赤くし、着物を寄せて胸元に見える浴衣を隠した。
「……事情が事情でありんしたので」
「どんなシチュエーションが来ぃしても、美しく着飾るのが太夫のミッションと思いおす」
必死に取り繕う紅椿の言葉も、朝凪によって一刀両断される。
妓楼は違え度、同じナンバー1太夫という立場からの真っ当な指摘を前に、紅椿は何も言い返せずに口ごもる。
そんな紅椿を見て、すずねは思うところがあったのだろう、再び紅椿の背後から顔を覗かせた。
「お姉様は、浴衣でもお美しいでありんす!」
「すずね、止めてちょうだい」
しかし、すずねの行動は逆効果。
紅椿はさらに頬を高揚させた。
朝凪は、そんな紅椿を見ながら、くすくすと笑った。
「可愛らしい禿おすなあ」
朝凪の言葉に、すずねはきょとんとした表情を浮かべた後、紅椿と同様に頬を高揚させた。
紅椿の背後に隠れ、紅椿の背中の着物をぎゅっと握る。
朝凪は、しばらく二人を見ていた後、笑うことを止めて真剣な表情へと変わった。
「紅椿花魁。太夫である貴女がそんな様子だと、うちも困りおす。クライアントは、うちも貴女も、同じ太夫として見おす。貴女の行動で太夫のブランド価値が傷つけば、必然的にうちのプロダクトとしての価値も落ちおす」
まるで花魁を人でなく商品として見るような言葉使いに、紅椿は心の中で何とも言えない感情を催した。
とはいえ、妓楼の方針が妓楼ごとに決まる。
干渉すべでないと理解しているため、言いたいことをぐっと堪え、笑顔で口を開いた。
「ご助言、感謝するでありんす」
「いいえ。紅椿花魁のバリューが上がれば、令和吉原にやってくるクライアントのパイが大きくなる。そうなれば、藍苑にもクライアントが流れて来て、うちにもベネフィットがありおすので」
すずねは、朝凪の言葉を、ただぽかんとした表情で聞いていた。
言いたいことどころか、言葉の意味さえわからないといった様子で、ぼうっと朝凪を見上げていた。
紅椿は、そんなすずねの様子に気付き、すずねを後頭部に触れ、二人並んで朝凪に一礼をした。
「では、用が御座いますので、これで失礼させていただくでありんす」
顔を上げ、すずねとともに江戸町二丁目の奥へ進もうとする。
「禿を探すなら、他の通りの方がよろしおす。表通りは、既に藍苑の若い者が既に探しぃした」
が、すれ違う直前、朝凪から声をかけられた。
紅椿は足を止め、朝凪の方へと振り返る。
「どうして、それを?」
「紅楼の楼主から、主要な妓楼の楼主たちにエスカレーションされておす。藍苑としても重大なインシデントとして、プライオリティを上げて捜索をしていぃんす」
鳳真が藍苑に電話をしたことを知らない紅椿だ。
今ようやく、令和吉原全体で師走を探していることを知り、ほっと胸をなでおろした。
「ご協力、感謝するでありんす」
三度目の礼をした後、紅椿は進む方向を仲の町へと変えた。
「紅椿花魁」
その足を、再び朝凪の呼びかけが止める。
「なんでありんしょう?」
「何故、逃亡した禿をわざわざ探しおすか?」
紅椿は目を大きく開け、信じられないという表情で朝凪を見た。
「オフィスから脱走するような禿は、さっさと首にする方が紅楼のためだと思いおす」
朝凪の表情は真面目で、心からの疑問であることが見て取れた。
故に、紅椿は一呼吸おいて気を静め、真剣な表情で朝凪に向かい合った。
「家族が悩んで苦しんでいたら、助けたいと思うのは当然でありんしょう?」
紅椿の言葉に、今度は藍苑の方が大きく目を開けた。
「家族?」
「なんでありんしょう?」
「遊女は、妓楼のミッションを達成するためのビジネスパートナー。無用な愛着は、組織の崩壊を招くことになりおすよ?」
「……二度目のご助言、感謝するでありんす」
紅椿は、怒りで崩れそうなになる表情を抑えながら、止めていた足を動かした。
背中にちくちくと刺さる朝凪からの視線も、全て無視して真っ直ぐ歩いた。
紅椿は、怒っていた。
紅椿を敵視していた薄紅でさえ、紅椿を、そしてすずねや輝水仙を、気に食わない『人間』として見ていた。
しかし、朝凪は違った。
言動の節々から、藍苑と言う組織だけを見つめ、他の遊女のことを歯車だとしか思っていない様子が感じられた。
「待っててね。師走」
溢れ出る怒りを、全て師走を探す原動力へと注ぎ込む。
紅椿の歩く速度は、自然と速くなっていった。




