三十七軒目 不在
「ふ、ああ」
朝の光が、障子を超えて入り込む。
、禿の雑魚寝部屋に敷かれた布団の中で、千桜は目を覚まし、ぐっと背中を伸ばす。
時計を確認すれば、丁度起床時間の十分前。
目をぱっちりと開けて、早々に布団を畳み、部屋を出るために布団の隙間をそろそろと歩く。
「……あれ?」
そして、気づいた。
普段であれば一人の禿が眠っているだろう布団が、もぬけの殻になっていることに。
「ここは確か、師走の布団」
早々に全ての禿の名を覚えた千桜は、無意識に禿である師走がいない理由を考える。
朝に弱く、早起きどころか寝坊することが多い、薄紅派に属していた禿のことを。
「……まさか」
ここ数日、師走が浮かない表情をしていたことを思い出した千桜は、部屋を飛び出し、紅楼を駆け回った。
新造の雑魚寝部屋から、雇人たちの部屋、台所、行灯部屋、内所の付近。
広間も、店頭も、輝水仙から教わった場所を片っ端から探し回った。
しかし、どこにも師走の姿を見つけられない。
「どうしました?」
店頭を探していると、妓夫台に座っている牛太郎から声がかけられた。
「あの、今日、朝から外出してた禿っていますか?」
「いえ。四時頃からここにいますが、禿が出たところは見ていませんね」
「そうですか」
「……何か、あったのですか?」
「いえ! 私の思い違いかもしれないので!」
牛太郎からの問いかけに、千桜は師走がいなくなったことを話すべきか悩んだが、余計な騒ぎを起こすべきではないと考え、何も答えずに紅楼へと戻った。
まだ、紅楼の二階を探していないのだから。
千桜は階段を駆け上がり、二階へと到着する。
静まり返った廊下を駆け出すと、遣手部屋がガラリと開いて、お万が顔を覗かせた。
「五月蠅いよ! 何時だと思ってんだい!」
「すみません!」
千桜はお万に頭を下げ、しかし足音を小さくするのを忘れ、お万の前を駆け抜けた。
背後からお万の視線を感じるも、気にしている余裕などなかった。
「いない。いない」
千桜は、二階の廊下を走り回る。
花魁たちの部屋を勝手に開けることはできないので、廊下に人影がないかを念入りに確認する。
しかし廊下の人影は、仕事のために歩き回る若い者と、厠に向かう花魁のみ。
自信が知る場所を探しきった千桜は、一先ず深紅の部屋へと向かった。
「お姉様。起きていらっしゃいますでしょうか?」
「なあにぃ?」
時刻は午前六時前。
まだ眠っているであろうと思いながら小声で呼びかけると、千桜の予想に反して、深紅の返事があった。
「早朝に申し訳ありません。ちょっと、ご相談したことが」
「入っていいわよぉ」
深紅の許可を得て、千桜は深紅の部屋へと入る。
部屋の中では、足を布団にいれたまま、上半身を起こす深紅がいた。
睡眠中に締め切っていた部屋の中にはムワッとした熱が漂っており、何とも言えぬ熱気が千桜の全身を襲った。
千桜は熱気も気にせず深紅の隣に正座し、申し訳なさそうに口を開いた。
「お休み中のところ、本当に申し訳ありません。あの、本当に私の勘違いかもしれないんですけど」
「なあにぃ?」
「薄紅派の禿……師走が、布団にいなかったんです」
「こんな朝からぁ。それはぁ、変ねぇ」
禿の仕事は、概ね決まっている。
六時に起きて、妓楼の掃除や食事を作る手伝いを行い、十時になれば自身のお姉様である花魁に打掛を届け、そのまま花魁の世話を始める。
少なくとも、六時よりも前に始まる仕事などない。
「見世番さんはぁ、何か言ってなかったぁ?」
「四時から店頭にいるけど、禿が出ていくところは見ていないと言っていました」
「ますます変ねぇ」
千桜が不安そうな表情を浮かべていると、深紅はのそのそと布団から出て、窓についた障子を開く。
そして、窓の外――表通りを見渡した。
「んん~~、お散歩してるわけでもぉ、なさそうねぇ」
障子を閉じた深紅が千桜の元に戻ってくると、千桜は拳を膝に置いて、頭を下げた。
「いえ! 私がただ見落としただけかもしれないので! お姉様の手を煩わせてしまって、申し訳ございません!」
「私の手はぁ、別にいいんだけどぉ」
深紅がどうしようかと悩んでいると、深紅の部屋の襖が突然開かれた。
千桜と深紅が襖の方を見ると、仏頂面をしたお万が立っていた。
「お万様!」
「お万~」
「そういうことかい」
お万は後ろ手で襖を閉め、ずかずかと深紅の部屋に入ってきた。
そして、千桜の前に立って腕を組んだ。
「あんたが朝っぱらから走り回るなんて、おかしいと思ったんだよ。千桜、師走の件はあたしが預かるよ」
「え? でも、私の見落としかもしれないですし」
「こういうのは、最悪を想定して動くもんだ。千桜、あんたはそろそろ仕事が始まるだろ? さっさと支度しな」
お万はぶっきらぼうに言い放った後、部屋を出るために襖を開けた。
「今後、こういうことがあったら、あたしにも報告しな。餓鬼ども守るために、あたしたちがいるんだよ」
襖がぴしゃりと締められる。
千桜はゆっくりと深紅の方を向き、頬を掻く。
「叱られちゃいました」
「お万もぉ、もっと皆に頼って欲しいのよぉ」
「……難しいですね」
「難しいわよねぇ。まずはお万にぃ、笑顔の練習をしてもらわないとぉ」
千桜は、深紅と軽い雑談をして小さく笑う。
そして、深紅に起こしてしまったことを改めて謝罪し、仕事の支度をするために部屋を後にした。




