三十六軒目 派閥
「……おはようございます。紅椿花魁」
「おはよう」
廊下ですれ違った花魁たちは、やる気のなさを隠せていない声色で、紅椿へと挨拶をした。
紅椿は、それを失礼と咎めることもなく、今まで通りに挨拶を返す。
「むう。お姉様にあの態度、失礼でありんす!」
「放っておいてあげな」
花魁たちの態度に対し、すずねは不満を口にしていたが、輝水仙は静かにすずねを窘めた。
時の頃は、十月の頭。
薄紅の失脚以降、薄紅派であった花魁たちは、依然として表情を暗くしたままだ。
紅椿は、肩を落としながら歩く花魁たちの背中を見つめ、どうにかできないものかと思考を巡らせる。
薄紅に引導を渡したのは自身である。
だからこそ、その余波を自身が引き受けなければという責任を感じていた。
「あ、紅椿花魁! おはようございますでありんす!」
紅椿が表情を曇らせていると、太陽のように明るい声がかけられた。
紅椿が声する方を見てみれば、千桜が大きく手を振りながら近づいてきていた。
「おはよう、千桜。貴女がいるということは」
「おはよぅ。紅椿花魁」
紅椿の予想通り、千桜の背後の角を曲がり、深紅が姿を現した。
深紅から漂う深いバラの香りが、紅椿の嗅覚をくすぐる。
紅楼一の豊満な体を持つ深紅は、胸の窮屈さを抑えるため、いつも通り胸元を大きく開けた特注の打掛を着用していた。
紅椿の打掛よりもさらに深い紅色は、年上ならではの妖艶さを醸し出している。
年相応な大人びた顔つきではあるものの、常にトロンとした表情をしており、そのギャップが深紅本人の魅力を増している。
「おはようございます。深紅姉様」
目の前にやって来た深紅に対し、紅椿は丁寧なお辞儀をした。
輝水仙とすずねも、それに続く。
「ちょっとぉ。止めてよぉ。今はぁ、貴女がナンバー1。私に頭なんてぇ、下げちゃ駄目よぉ」
「いえ。順位がどうであれ、深紅姉様は私に色々教えてくださったお姉様ですから」
「いつの話よぉ」
紅椿が頭を上げると、深紅は妹を甘やかすような目で、紅椿を見ていた。
そして、紅椿へと近づいて、紅椿の額を軽く撫でた。
「最近、話す機会がなかったけどぉ、変わらないわねぇ」
「深紅姉様もですよ」
紅椿は、深紅の掌を喜んで受け入れつつも、気恥しさが隠せなかった。
二つ上の先輩相手とは言え、ここは禿や新造たちの前。
緩んだ表情を見せ続けるのはよくないと、すぐに掌から頭を離した。
一方の深紅は、禿や新造たちの前だということを気にしていないようで、先程と変わらぬ態度のまま深紅へと語りかけてきた。
「薄紅の娘たち、ピリピリしてるわねぇ」
トロンとした表情からは似つかわしくない話題に、紅椿は不意を突かれ、一層背筋を伸ばす。
「そうですね」
「どうにかしてあげたいけどぉ、彼女たちが拒むのよねぇ」
頬に右手を当て、困ったように首を傾げる深紅に、派閥の事情を知らぬ千桜が尋ねる。
「派閥って以前も聞きましたけど、なんなんですか?」
純粋無垢な瞳から発せられる質問に、深紅は少し考えた後、口を開いた。
「派閥って言うのはねぇ、仲良しグループみたいなものよぉ」
「仲良しグループ! いいですね!」
「でもぉ、大人の世界ではぁ、もう少し複雑なのぉ」
「そうなんですか?」
「えぇ。派閥にはぁ、一番偉い花魁がいてぇ、その花魁の階級が上がるとぉ、派閥にいる遊女たちの階級も上がりやすくなるのよぉ」
「? どうしてですか?」
千桜はまだ十三歳。
派閥の凛論理など分かるはずもない。
深紅は、子供である千桜にもわかりやすく、言葉を選びながら話を続ける。
「そうねぇ。千桜はぁ、紅椿花魁の弟子になりたかったんでしょぉ?」
「はい!」
「その理由はぁ、どうしてぇ?」
「一番の花魁である紅椿花魁の下で学べば、一番早く花魁になれると思ったからです!」
「それと同じよぉ。一番偉い花魁の階級が上がればぁ、優秀な遊女たちが集まって来るのぉ。そうすればぁ、優秀な皆で教え合えるからぁ、他の派閥よりも早く花魁になっていくのぉ」
「なるほど! よくわかりました!」
千桜は、ふんふんと納得した表情で頷き、すぐに手を上げた。
「もう一つ、質問良いですか?」
「いいわよぉ」
「この紅楼には、何個派閥があるんですか? 深紅お姉様も、派閥を持っているんですか?」
紅椿は、深紅からの視線を受け、軽く微笑んで見せる。
深紅は、輝水仙とすずねにも聞かれて問題ない内容なのだろうと、再び千桜に視線を向けて話を再開する。
「この紅楼にはぁ、大きく四つの派閥があるわぁ。私と、紅椿と、薄紅。それとぉ、黒松ねぇ」
「はっ! そうすると、深紅お姉様は、紅椿お姉様と対立関係に……!」
「そんなことないわよぉ。私はもう三十ぅ。今更、ナンバー争いに加わる気はないわよぉ。私のはぁ、名ばかりの派閥」
「なんだ、安心しました」
「それにぃ、黒松もナンバー争いには興味はないらしくてぇ。この紅楼ではぁ、紅椿派と薄紅派の対立があるくらいよぉ」
「私は、対立しているつもりはないんですけどね」
深紅の説明に、紅椿は苦笑いをしながら自身の意見を差し込む。
「知ってるわぁ」
そんな紅椿に、深紅は冗談よと言わんばかりの軽口で返す。
紅椿が紅楼に入ったばかりの頃、面倒を見てくれたのが深紅だ。
聞くまでもなく、深紅は紅椿の性格をよく知っていた。
「あらぁ。少しぃ、長話が過ぎたわねぇ」
気が付くと、紅椿と深紅の周りには、聞き耳を立てる遊女たちが集まっていた。
深紅がちらりと視線を向けると、無言でそそくさと立ち去っていく。
「じゃあ、この辺で失礼するわぁ」
深紅は紅椿の横を通り過ぎ、去り際に紅椿の肩を軽く叩く。
「不穏な空気だけどぉ、なんとか頑張って行きましょうねぇ。私もぉ、手を尽くしてみるわぁ」
「ありがとうございます。深紅お姉様」
深紅が通り過ぎた後を、千桜も通り過ぎる。
「紅椿お姉様! またお話ししてください!」
飛び切りの笑顔を紅椿に向け、深紅と共に立ち去っていった。
「頑張らないとね」
紅椿は、改めて今自身がやるべきことを確認し、歩き始めた。
その後を追うように、輝水仙とすずねも続いた。




