三十五軒目 店頭
輝水仙とすずねが靴を履いて土間に降り、暖簾をくぐって紅楼の外へと出る。
夜には客で行きかう表通り。
朝は客など歩いておらず、代わりに他の妓楼の遊女たちや揚屋町から来ただろう商人たちが、ゆったりとした表情で歩いている。
紅楼の前には、妓夫台を掃除している見世番の牛太郎と、誰かを待っている数人の花魁たちがいた。
「おはようございます」
「おはようございます!」
輝水仙が挨拶と共に一礼すると、千桜もそれに続いた。
「おはようございます」
挨拶を聞いた牛太郎は、掃除の手を止め、同じく一礼と共に挨拶を返した。
一方の花魁たちは、輝水仙たちをちらりと見た後、すぐに目をそらして仲間内での駄弁りに花を咲かせた。
「……感じ悪くないですか?」
思わず千桜が苦言を呈すと、輝水仙は諦めた表情を浮かべた。
「あの方たちは、薄紅派の花魁だから」
「薄紅派?」
「色々あったの」
千桜は、再度花魁たちの方を見る。
薄紅と言う言葉の示す通り、花魁たちの化粧も着飾り方も、紅椿の花魁道中と比べれば控えめだ。
もちろん、客をとらない朝というのもあるだろうが。
しかし、その姿は太陽に照らされて映えるほど、美しくはあった。
キラキラと輝く花魁の世界。
そんな世界にも派閥と言う薄暗いものがあるのだと思えば、千桜は残念さを感じ、少し表情が曇った。
輝水仙は、花魁たちに無視されたことなど気にも留めていないようで、茶屋へ向かうために紅楼を出てきた掛廻りや、牛太郎を手伝うために出てきた客引きの男たちに、くまなく挨拶をしていた。
「そろそろ戻りましょうか」
挨拶を終えた輝水仙が楼内に入ろうとする丁度その時、紅楼の前に荷車を引いた商人が通った。
「むこうの人。こちらへ」
商人に気づいた花魁たちが、商人を呼び止める。
商人は、手馴れた様子で荷車を紅楼の前へと止め、貼り付けたような笑顔で花魁たちに挨拶をした。
両手をもみ込み、花魁たちをおだてる様子が、遠くからでも見て取れる。
「あの人は誰ですか?」
「商人さん。日用品や軽食は、彼らから買うの。……そう言えば、お姉様の化粧品が切れそうなんだった。ちょっと待ってて」
輝水仙は、商品を物色する花魁お邪魔にならないように、荷車へと近づいた。
千桜も、その後を付ける。
商人は、新造である輝水仙が近づいて来ても嫌な顔一つせず、花魁たちに向けたものと同じ笑顔を作っていた。
「この美容液をください」
「はい。美容液だけでよろしいですか? セットであれば、まとめて十万円とお得ですが」
「じゃあ、セットでお願いします」
「かしこまりました。毎度ありがとございます」
輝水仙は、手早く支払いを終え、商品を受け取って、千桜の方へと振り返る。
「お待たせ。じゃあ、戻ろう」
「十万円を……こんなにあっさり……」
一連の流れを見ていた千桜は、自分の母親がドラッグストアで買っていた化粧品の値段を思い出しながら、目を丸くして輝水仙の持つ紙袋を見ていた。
「どうしたの? 早く戻る」
「あ、はい!」
輝水仙の言葉で我に返り、千桜は歩き出す。
そして、輝水仙の持つ紙袋が目に入ったので、手を差し出した。
輝水仙は、千桜の行動に驚いた様子を見せ、優しい笑みを浮かべながら紙袋を千桜へと渡した。
「落とさないようにね」
「はい!」
輝水仙たちは暖簾をくぐり、紅楼の中へと戻る。
土間で靴を脱いで、広間から階段を上がろうとすると、階段を降りてくる人影が見えたので、階段の横へと避けた。
「あ」
下りてきたのは、またもや薄紅派の花魁である弥生だ。
弥生は輝水仙の顔を見ると、無言で視線を逸らし、速足で紅楼の外へと出て行った。
「今の方も、薄紅派ですか?」
「Ouais。側近三人のうちの、一人」
輝水仙は弥生を視線で追うことなく、速やかに階段を上っていき、千桜もそれに続いた。
「戻りました」
「お帰りなさい」
輝水仙たちが紅椿の部屋に戻ると、化粧を終えた紅椿が二人を迎えた。
千桜が紅椿に紙袋を差し出してきたので、紅椿は「ありがとう」と言いながらそれを受け取った。
次に、紅椿は輝水仙の方を向いて問いかけた。
「どうだった?」
「反省していると思います」
「そう」
輝水仙の声に、遠慮はなかった。
回答に満足した紅椿は、紙袋を持って来てくれた千桜と視線を合わせた。
「これから一週間、やっていけそう?」
「はい!」
「そう」
千桜の元気な声を聞き、紅椿は微笑んだ。
もしも紅楼が誰かの居場所に慣れるならば、紅椿にとって、それほど嬉しいことはないからだ。
輝水仙も納得しているなら、なお良しだ。
この場で、千桜を受け入れることに納得していないのは、ただ一人。
「お姉様! その人はこれから、授業を受けるのでありんすよね?」
「そのつもりだけど」
「では、授業の案内はすずねに任せて欲しいでありんす。輝水仙姉さんの授業は、新入りには難しいと思うでありんすし」
すずねは、何かを企むような視線で、千桜を見ていた。
「んー。どうしましょう」
紅椿は自身の頬に右手を添え、困ったように輝水仙を見た。
「すずねの言うことも、一理あると思います。授業を受けたことがない千桜に、最初から新造向けの授業は難しいかと」
「輝水仙がそう言うなら」
すずねの発言を聞いても、なお即答した輝水仙の様子を見て、紅椿は最後に千桜へと視線を戻した。
「そう言う訳で、授業の体験はすずねについて行ってくれる?」
「わかりました!」
「すずねは貴女より一つ下だけど、ちゃんと言うことは聞ける?」
「もちろんです! 年齢は関係ありません! 私よりも長く働いている方は、皆先輩です!」
千桜はすずねへ向き直り、丁寧に一礼をした。
「よろしくお願いします! すずね先輩!」
「先輩じゃないでありんす! 遊郭では、お姉様や姉さんと呼ぶでありんす!」
「わかりました! すずねお姉様!」
「すずねお姉様……むふふ。いい響きでありんす。……じゃなくて!」
すずねは鼻の穴を膨らませながらにやけた後、すぐに表情を引き締め、腰に両手を当てた。
「今から授業があるからついてくるでありんす!」
「わかりました!」
「遊女になる難しさ、とくと味わうがいいでありんす!」
「勉強させていただきます!」
自身に満ち溢れたすずねを先頭に、二人は部屋を出て行った。
部屋に残った紅椿は、輝水仙と顔を見合わせる。
「すずね、何を企んでると思う?」
「Probablement、このままでは妹分の座をとられそうだから、自分の方が妹分に相応しいと、格の差を見せつけたいのでしょう」
「……よねえ。はあ。機嫌を直すの、大変そう」
すずねにそれができるだろうか。
そんな話は、交わさなかった。
紅椿も輝水仙も、すずねの企みがどうなるか、まったく同じ結末を思い描いていたから。
授業が終わった頃、紅椿の部屋の襖が開かれ、千桜を連れたお万が入ってきた。
昨日の怪訝そうな表情から打って変わり、瞳に歓喜を宿していた。
「紅椿。こいつは逸材だ。一週間も様子を見る必要はない。親御さんがいいと言えば、禿として即うちに入れる」
「……お万」
「放っておいたら、他の妓楼にスカウトされるかもしれないからね。こういうのは、早い者勝ちなんだよ!」
現金な態度のお万を見て、紅椿は思わず溜息を零す。
お万の横では、照れくさそうにする千桜が立っていた。
よほど授業で活躍したことが見てとれた。
千桜はやや赤らんだ頬で紅椿を見て、嬉しそうに微笑んだ。
「これで私も、紅椿お姉様の弟子ですね!」
「いや。お前は紅椿じゃなくて、深紅の禿にする」
「……え?」
が、お万からの一言で、千桜の微笑みは固まった。
「深紅はうちのナンバー2だ。文句ないだろ?」
「え……。でも私、紅椿花魁の下で」
「文句ないだろ?」
千桜も抵抗をしていたが、お万の有無を言わせぬ圧力に、無言で頷いていた。
紅椿は、残念そうな表情を向けてくる千桜に、気まずそうな笑顔で返した。
千桜からお万に視線を移し、その先で移すべき相手が一人足りないことに気づいた。
「あら? そういえば、すずねは?」
紅椿が口にすると同時に、部屋の襖が再度開いた。
紅椿が襖の方に目をやると、涙目のすずねと目が合った。
「ま、負けたでありんす……。ギャフンと言わせるはずが、ギャフンと言わされたでありんす……」
紅椿はが輝水仙に視線を向けると、同時に振り返った輝水仙と目が合った。
輝水仙が首を左右に振ったので、紅椿はすずねを慰めるために、すずねの元へと歩いて向かった。
第四章完結。第五章の書き溜め時間を頂きます。




