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紅椿ノ守 ―令和吉原綺譚―  作者: はの
第四章 赤と青の境界

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三十二軒目 弟子入り

「ふう」

 

 紅楼の中へ入った紅椿は、我慢していた汗を流し、疲労ごと溜息を吐き出した。

 それでも、他の遊女たちが集まっている場所で、ピンと伸ばした背筋を曲げることはなかった。

 

「うへえ。疲れたでありんす」

「はしたない」

 

 一方のすずねは、紅楼に入るなり壁に背中を預けて、床へと座り込んでいた。

 裾がはだけてはいるが、そんなことを気にする余裕もなさそうであった。

 だらしない格好のすずねを叱る輝水仙でさえ、いつものように頭を引っぱたく元気は残っておらず、震える脚でなんとか立ち続けながら、言葉だけの注意に留まった。

 他の禿や新造、花魁たちも、疲労を隠せていないという点では概ね同じ状況だ。

 

 紅楼の奥からは、花魁道中に参加していなかった若い者たちが駆けつけてきて、花魁たちの体を支え、それぞれの自室へと案内する。

 紅椿の元にも、一人の若い者がやって来るが、紅椿が疲労を見せることなく立っているのを見ると、支える代わりに紅椿へ一礼をした。

 

「お疲れ様でした、紅椿花魁。お部屋までご案内いたします」

 

 若い者からの申し出に、紅椿は首を左右へと振る。

 

「お万は?」

 

 その一言で紅椿の意図を悟った若い者は、苦い表情を浮かべた後、一階のとある部屋がある方向を指差した。

 

「行灯部屋ね。ありがとう」

「紅椿花魁のお手を煩わすほどではないかと」

「彼女は、私の弟子になりたいと言っていたのよ。なら、私もその場にいるべきよ」

 

 紅椿は若い者に礼を言った後、輝水仙とすずねに視線を向けた

 

「私の代わりに、二人の案内をお願いできる?」

「かしこまりました」

 

 若い者と紅椿のやり取りを見ていた輝水仙が、ぐっと背筋を伸ばし、紅椿の方へと向いた。

 

「Je vais bien。お姉様、私も行きます」

「駄目。休んでてちょうだい」

 

 紅椿は、ついて来ようとする輝水仙を諫めた後、行灯部屋へと向かった。

 

 

 

 行灯部屋に近づくと、少女の大声が聞こえてきた。

 叫んでいる内容は、「弟子にして欲しい」だの「ここで働きたい」だの、概ね花魁道中の時と同様だ。

 

「お万。入るわね」

 

 紅椿は、部屋の外から呼びかけた後、お万の返事を聞く前に扉を開けた。

 

「紅椿? 何を勝手に」

「その子? 花魁道中に飛び出してきた子」

 

 お万は紅椿の質問に答えず、不機嫌そうな顔をさらに顰めて見せた。

 千桜は、若い者に両手を掴まれたまま、お万の前で正座をしていた。

 お万に向けられていた怒るような瞳が、紅椿の姿を見ると一転。

 瞳を輝かせながら、紅椿の方へと振り向いた。

 

「紅椿花魁! 来てくださったんですね!」

「貴女は?」

「千桜(ちさ)と申します! 私を、紅椿花魁の下で働かせてください!」

 

 紅椿はお万の方を向いて、視線で千桜の相手を任せて欲しいと伝える。

 そして、千桜の前へと座り、千桜の顔を見下ろした。

 

「貴女は、私の禿になりたいって言ってるの?」

「禿?」

「私の下で、遊女見習いになりたいのかって言うことよ」

「そうです! 私は、紅椿花魁の下で遊女見習いになりたいんです!」

 

 紅椿からの問いかけに、千桜は声を弾ませて答える。

 まるで既に弟子入りが決まったかのように、嬉しさが溢れ出ている表情で、前のめりに紅椿へと近づいた。

 

「そう」

 

 紅椿はそう一言零し、千桜の頬に触れた。

 そして、千桜の頬を指先で摘まんだ。

 

「紅椿花魁?」

 

 次に千桜が見たのは、眉を吊り上げ、厳しい目を向ける、紅椿の顔だった。

 千桜は紅椿の反応に目を丸くし、ごくりと息を飲み込んだ。

 

 真っ赤な口紅が塗られた紅椿の口が、ゆっくり、力強く開く。

 

「じゃあ何故、花魁道中の前に飛び出したりなんてしたのでありんしょう?」

「えっと……。それが、紅椿花魁と最短で会える方法だと思ったので」

「その結果、花魁道中が中止されることになっても構わなかった、と?」

「え?」

 

 紅椿は、千桜の頬から手を離し、その場にすっと立ち上がる。

 座っている千桜の顔からさらに距離が離れ、さらに高い位置から千桜を見下ろした。

 

「今日の花魁道中のために、どれだけの人が動いてくれたと思う?」

「いえ、その」

「今日の花魁道中に、どんな想いが籠っていたと思う?」

「…………」

 

 紅椿は小さく深呼吸をし、改めて千桜に強い視線を向けた。

 

「花魁になりたいのなら、自分の想いを語る前に、周りの人の想いを考えなさい!」

「ご、ごめんなさーい!」

 

 紅椿の剣幕に押された千桜は、自身の頭を床に叩きつけて、涙声で叫んだ。

 額をぐりぐりと床にこすりつけ、必死に反省の意思を示す。

 

 紅椿は、しばらく千桜を見下ろした後、ちらりとお万に視線を向けた。

 お万は既に諦めた表情をしており、片手をひらひらと振ってみせた。

 

「顔を上げて」

 

 紅椿は再び千桜の前に座り、ぴしゃりと言い放った。

 顔を上げた千桜は、涙こそ流していなかったものの、目を赤く染めて泣くのを必死にこらえていた。

 紅椿はハンカチを一枚取り出して、千桜の目に溜まる涙をぬぐう。

 そして、ハンカチを千桜の膝の上に置いた後、再び千桜の頬に触れた。

 

「遊郭はね、何か悩んでる人が導かれる場所なの」

「…………」

「貴女は、どうしてここに来たの? 私の下で働いて、何がしたいの?」

 

 千桜は、さきほどよりも柔らかくなった紅椿の言葉を聞いて、再び紅椿の瞳を見た。

 

「……私の家、お金がないんです。明日食べるのもギリギリで。でも、遊郭で花魁になる勉強をすれば、食事も宿泊費も無料だと聞きました。私が家を出れば、お母さんたちが楽になるんです」

「それだけ?」

「後、花魁になれば、たくさんお金も稼げるって聞きました。お金を稼げれば、お父さんとお母さんを楽させてあげることができる。だから、早く花魁になるために、一番すごい花魁の紅椿花魁に、弟子にしてもらいたいんです!」

 

 千桜の言葉を聞いた紅椿は、お金に困って令和吉原へと辿り着いた花魁の顔を数人浮かべながら、「そう」と優しく呟いた。

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