三十軒目 一輪の花
「此度、紅楼では花魁道中を敢行することになりんした。つきましては、玄屋さんのご協力を賜りとうござりんす」
「花魁道中、でございますか」
客の少ないお昼時。
紅椿は、じきじきに玄屋へと出向いて、清次郎と会っていた。
一介の引手でしかない清次郎は、拒否も承諾も権限を持ち合わせぬため、紅椿の提案にただ相槌を打つだけだ。
とはいえ、その声色は好意的な物だった。
「もちろん、喜助さんにも、後ほどお話しを通させていただくでありんす」
「わかりました。もしも玄屋が協力することになれば、よろこんで」
清次郎は、自身の心の内を示すように、丁寧に一礼をした。
紅椿は、笑顔で清次郎の礼を見つめたのち、懐から封筒を取り出し、清次郎へと手渡した。
「こちらを、喜助さんに」
「確かに、承りました」
紅楼と玄屋は、親しい仲だ。
それは、双方が客に対しても吉原の人間に対しても、仁義を重んじているからに他ならない。
翌日、紅椿は再び玄屋を訪れ、喜助へと協力を願い出た。
一週間後、玄屋から紅楼へと手紙が届く。
お万は、配達員から手紙をひったくり、その場で開封して目を通す。
そして、すぐに二階へと上がり、紅椿の部屋の襖を勢い良く開けた。
「邪魔するよ」
「お万」
「お万様!? どうされたのでありんすか!?」
姿勢を正して正座をしていた紅椿とは対照的に、畳に大の字でひっくり返っていたすずねは、突然のお万の訪問に飛び起きた。
気を抜きすぎだと叱られる未来を想像しながら、苦し紛れに姿勢を整え、お万の方を向いて正座する。
お万は、そんなすずねをぎろりと睨みつけた後、視線をすぐに紅椿へ移す。
そして、紅椿へと手紙を差し出した。
「玄屋からの手紙だ」
「……玄屋さんから」
紅椿はおそるおそる手紙を受け取り、内容を確認する。
そして、花魁道中の花集めに協力する旨が書かれていると知り、ほっと安堵のため息をついた。
協力を取り付けられる自信こそあった。
とはいえ、結果はふたを開けてみるまで分からないものだ。
頭の片隅に残っていた拒絶の可能性が消え去って、思わず笑みがこぼれた。
紅椿の様子を見たすずねも、紅椿の後方へと回り込み、手紙を覗き込む。
協力が了承された内容を確認すると、ぱっと表情を明るくした。
「おめでとうございます、お姉様! これでお花が売れるでありんす!」
「ええ」
「気を抜くんじゃないよ。まだ、玄屋の協力が決まっただけだ。本番は、ここからだよ」
紅椿とすずねが顔を見合わせて笑っていると、お万が鋭い言葉で、即座に窘めてきた。
とはいえ、お万の声も、いつもと比べれば穏やかだ。
「わかってるわ」
紅椿が力強く頷くと、お万は「ならいい」と言い放ち、襖を開けて部屋から出ていく。
そのまま廊下に足を一歩踏み出してから立ち止まり、首を捻ってすずねを見た。
「ああ、そうそう。着物で畳のゴミをとるくらい掃除が好きなら、しばらくの間、楼中の畳掃除当番をあんたにしてあげるよ。すずね」
「ガビーンでありんす!」
お万からの突然の宣告に、すずねは両頬に手をあてて、大きな口を縦に開ける。
絶望するすずねを見たお万は、からからと笑いながら、襖を閉めた。
廊下を歩く足音は、どんどん部屋を離れて行った。
「お万様あああ! そこは、冗談だよって言うところじゃないんでありんすか!? すずねの畳掃除は確定でありんすか!?」
すずねは正座をくずして立ち上がろうとしたが、裾に引っかかって畳に突っ伏した。
そのまま全身を引きずりながら、閉じた襖に向かって這い、襖に向かって手を伸ばす。
が、当然、襖が開くことはない。
「ああ……なんで寝そべってなんか……。すずねのおたんこなす……」
すずねは両手を畳について、がっくりとうなだれた。
「頑張ってね」
「ううう……。タイミングが悪すぎたでありんす……」
紅椿はすずねに慰めの言葉をかけた後、机の前へと移動して筆をとり、玄屋へのお礼の手紙をしたため始めた。
「九月の頭に、紅楼の紅椿花魁が花魁道中だあっ! なんとその花魁道中には、花を一輪から添えることができる! 紅椿花魁のハレ舞台に、お客さんも一口どうだい?」
その夜から、玄屋では大々的な花魁道中の宣伝と、花の販売が行われた。
「紅椿花魁の!?」
「一輪からとは助かるなあ」
「俺も、一口噛ませてもらう!」
花魁道中という見栄を張りたいが、見栄を張れるほどの財力がなかった客たちは、玄屋からの申し出にこれ幸いと金を出した。
花の売れ行きは喜助の想像を超えるほどであり、喜助は満足顔で花の注文を指示していた。
八月の末。
給料の入った武彦が、いつも通り紅楼へとやって来た。
座敷へ通され、すずねと輝水仙の演奏を聴いてしばらくすると、紅椿が座敷へと入ってきた。
「こんばんは。武彦様」
「こんばんは。紅椿花魁」
演奏が、ピタリと止まる。
紅椿は、上座に敷かれた座布団に座り、武彦を見た。
しばし、ただ互いに見つめ合う時間だけが続き、照れくさくなった武彦は、思い出したように口を開く。
「そういえば、花魁道中をなさるんですね」
「ええ」
「私も、花を一輪、送らせていただきました」
「ありがとうござりんす。武彦様と一緒に花魁道中を歩けると思うと、嬉しゅうござりんす」
紅椿は、嬉しそうに微笑んで、小さく頭を下げた。
武彦は、その滑らかな仕草に見とれて頬を掻く。
そして、表情と口の動きを紅椿から隠すように俯いて、小さく口を動かした。
「いつか、俺も」
紅椿は、武彦が何と言ったか聞き取ることができず、静かに小首を傾げた。




