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紅椿ノ守 ―令和吉原綺譚―  作者: はの
第三章 破滅の契り

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二十八軒目 夢

 太夫は、希少な存在だ。

 軽々に姿を見せないことも仕事の一つとなる。

 だからこそ、薄紅の私室の窓は小さく、防音機能も他の部屋より高い。

 薄紅は、窓から外をちらちらと覗きつつ、廻し方からの呼び出しを待っていた。

 

「あ」

 

 窓の外に、紅楼へとやって来る春幸の姿を見つけると、思わず頬を綻ばせた。

 

「お姉様! 春幸さん、今日も来てくれましたよ!」

 

 薄紅の喜びを後押しするように、如月と弥生が黄色い声を上げる。

 

「そうね」

 

 薄紅は、平静を装って答えたが、頬が赤らんで口角も上がり、嬉しさが隠せないでいた。

 薄紅がごまかすように軽く咳払いをすると、如月と弥生が立ち上がり、薄紅の姿を整え始めた。

 髪の毛一本から着物の皴一本に至るまで、慎重に位置を調整していく。

 

 薄紅は、化粧台の鏡に視線を向け、鏡に映る自分を見た。

 儚げな美人と言う表現がしっくりくる美しい女の姿が、鏡には映っていた。

 今日も春幸に相応しい姿を作れたと、静かに喜ぶ。

 そして、襖の方へと視線を向け、廻し方が入って来るのを今か今かと待ちわびた。

 

「……遅いですね」

 

 しかし、待てど暮らせど、襖が開くことはなかった。

 紅楼は、令和吉原にある妓楼の中でも最大級の規模を誇る。

 とはいえ、優秀な廻し方たちによって、妓楼に入ってから座敷に到着するまでの時間は、さして長くない。

 薄紅は眉を下げながら襖を見つめ、睦月と弥生は不安そうに顔を見合わせた。

 

 薄紅が呼び出されない可能性があるとすれば、春幸が薄紅以外を指名し、別の花魁の元へ向かった場合だ。

 しかし、馴染み替えは妓楼において嫌われる行為であり、そんなことをお万や牛太郎が許すとは思えない。

 

「もしかして……春幸さんに何か……?」

 

 薄紅がそんな疑問を口にした瞬間、勢いよく襖が開かれて、睦月が部屋に飛び込んできた。

 礼をわきまえない行動ではあったが、青ざめた睦月の表情を見て、薄紅はただ事ではないとすぐに察した。

 

「お、お姉様……! あの……!」

「落ち着いて、睦月。さあ、深呼吸して」

 

 薄紅は内心で怯えながらも、息を切らせる睦月に優しい言葉を投げかける。

 睦月は、如月が手早く用意した湯呑を手に取って、中に入った水を一気に飲み干す。

 そして、カラカラに乾いた喉に潤いを取り戻すと、薄紅に向かって口を開いた。

 

「は、春幸さんが!」

「春幸さんが、どうかしたの!?」

「二階を止められて」

「!?」

 

 瞬間、薄紅は立ち上がり、睦月を押しのけて部屋の外へと飛び出した。

 

「お姉様!?」

 

 春幸が登楼を断られた事実を前に、薄紅は誰の声も耳に入らぬまま、一直線に階段を目指した。

 だが、その足は、廊下に立つ人だかりによって止められた。

 

 薄紅の視線は、必然的に人だかりの先頭に立つ人間へと向いた。

 

「紅椿! あんたの仕業!?」

 

 薄紅は、廊下に立つ紅椿へ、怒りの形相で怒鳴り散らす。

 そして、紅椿など相手にしている暇はないと言わんばかりに、強引に廊下を通り抜けようとした。

 

「失礼。薄紅花魁」

「な、何をするの!? 放しなさい!」

 

 しかし、薄紅の身柄は、若い者たちによって容易に確保された。

 丁寧に両手を掴まれた薄紅は、自由に動く脚を振り回して、若い者たちを何度も蹴りとばす。

 が、若い者たちの掴む力は衰えず、薄紅は若い者に捕まったまま、再び紅椿を睨みつけた。

 

「紅椿ぃ! 私に一位を奪われたのが、そんなに悔しいのか! 私と春幸さんを引き離してまで、一位を取り戻したいのかぁ!」

 

 暴れる薄紅を、紅椿は寂しそうな表情で見続けていた。

 

「お、お姉様!?」

「何をしてるの! お姉様を放しなさい!」

 

 薄紅に遅れ、睦月、如月、弥生の三人が部屋を飛び出してくる。

 そして、薄紅が捉えられている状況を目にし、薄紅を助けようと手を伸ばす。

 

「止めて」

「はっ!」

 

 向かってくる三人を見た紅椿は、待機している廻し方に命令を下す。

 廻し方たちは睦月たちの行く手を阻み、そのまま背後に回って、羽交い絞めにして動きを止める。

 睦月たちはしばらくもがいていたが、力で廻し方にかなうはずもなく、すぐに息が切れて大人しくなった。

 

「番頭! 紅椿が若い者を私的に利用してる! そんなことが許されるの!?」

 

 階段に向かって薄紅が叫ぶも、紅椿は涼しい顔のままだ。

 

「番頭さんには、話を通しているわ」

「……くそっ! お万も! 番頭も! 皆グルか!」

 

 わめき続ける薄紅に、紅椿はしずしずと近づいてきた。

 数人の若い者が紅椿を止めようとするも、紅椿は「大丈夫」と一言呟き、歩みを続けた。

 薄紅は荒い息をあげながら、近づいてきた紅椿を睨みつけ、思いつく限りの罵詈雑言を叫んだ。

 

 しかし、紅椿はひるむどころか、逆に眉を吊り上げた。

 普段見せぬ紅椿の怒りの表情に、薄紅は叫ぶのを止め、紅椿の怒りに負けぬように睨みを利かせる。

 

「薄紅。わっちは二度も言ったでありんす。貴女の馴染みをよく見てあげて、と」

「しつこい! 私以上に春幸さんを見ている人間なんていないわ!」

「いいえ。貴女は見ていなかったわ。見ていたのならどうして、彼を止めてあげなかったの?」

 

 紅椿の叱るような言葉を、薄紅は嘲笑するように笑った。

 

「ほら、やっぱり春幸さんのこと、なんにもわかってない! 止める必要なんてないの! 春幸さんなら、きっと自力で立ち直れるんだから! 春幸さんなら絶対! それで、私を身請けしてくれるのよ!」

 

 薄紅は、春幸への絶対的な信頼を叫び続けた。

 理想論ではあるが、春幸には理想論を叶える力があると、信じて疑っていなかった。

 自身の言葉に拳を震わせる紅椿を見ても、その自信は決して揺るがなかった。

 

「お客様に夢を見せる貴女が、夢に溺れてどうするの!」

「はあ?」

「その結果、何もかもを失うのは、お客様なのよ」

「だから、お前に春幸さんの何がわかるの!」

 

 薄紅は叫び続けた。

 まるで自分が正しいと言わんばかりに言葉を紡ぐ。紅椿に対して。

 しかし紅椿は薄紅の怒りを無視し、廻し方の方へと振り向いた。

 

「薄紅花魁を、行灯部屋へ」

「お姉様を!?」

 

 行灯部屋は、夜に妓楼内へ配置する行灯を、昼の間に仕舞っておくための部屋。

 江戸時代においては、感染する病気を患った遊女を隔離したり、金を払えぬ客を換金することにも使われていた。

 現在の紅楼においては、行灯以外もしまう物置であると同時に、問題行動を起こした遊女を一時的に閉じ込める牢としての役割を持っていた。

 

 つまり、紅椿の言葉は、薄紅を問題と断じたことと同義だった。

 

 薄紅を掴んでいた若い者たちは、薄紅の体を引っ張って、行灯部屋へと連行する。

 

「は、離せ! 何をするの! 春幸さん! 助けて!」

 

 当然、薄紅は抵抗を試みるが、複数人の廻し方の前では、なんの意味もない。

 叫ぼうが暴れようが、無情に体が引きずられていく。

 

「頭を冷やしなさい。薄紅花魁」

「私は、春幸さんと幸せになるの! ならないといけないの! 邪魔しないで!」

 

 絶叫が、遠ざかっていく。

 

 

 

 睦月、如月、弥生の三人も、しばらくは抵抗を続けていたが、薄紅の声が小さくなっていくと、諦めて廊下にぺたんと座り込んだ。

 

「紅椿花魁。彼女たちは?」

「自室で休ませてあげて。もしも、薄紅花魁を行灯部屋から出そうとしたら、その時は……」

「わかりました」

 

 その後、睦月、如月、弥生の三人も、廻し方に連れていかれた。

 薄紅と違って抵抗する気はないようで、俯いたまま素直に自室へと向かって歩いた。

 

 紅椿が溜息をつくと、階段を上ってくる音が聞こえ、お万が二階へと顔を出した。

 

「こっちも、終わったようだね」

「……ええ」

「なにを、ぶっさいくな顔してるんだい。うちの看板娘が」

「看板娘って……」

 

 お万は、ぶっきらぼうな表情で、紅椿の背中を豪快に叩いた。

 紅椿は、薄紅を見送った時の表情のまま、その手を受け入れる。

 

「辛いかい?」

「少しね」

「でも、あんたの目指すところには、綺麗ごとだけじゃ行けない場所だ。こういう嫌われ役にも、慣れておかないとね」

「わかってるわ」

 

 

 

 数日後、春幸から手紙が二通届いた。

 一通は、紅楼宛て。

 もう一通は、薄紅宛て。

 

 手紙を受け取ったお万は、容赦なく二通とも封を開け、その内容に目を通す。

 そして、横に立っていた紅椿へと、手紙を渡した。

 

 紅椿は、紅楼宛ての手紙に目を通す。

 紅楼宛ての手紙には、紅楼に迷惑をかけたことへの謝罪、人を紹介してくれたことへの礼が書かれていた。

 薄紅宛ての手紙については、紅椿は読むべきか否かを迷ったが、お万からの鋭い視線に負けて目を通した。

 

「薄紅に届けてやんな」

 

 そして、紅楼宛ての手紙をお万へ返し、薄紅宛ての手紙をもって、行灯部屋へと急いだ。

 

「……ここから出して。……春幸さんに会わせて」

 

 行灯部屋からはいつも通り、薄紅のか細い声が聞こえていた。

 

「薄紅花魁」

「紅椿! 卑怯者! ここから出せ!」

 

 が、紅椿の声が聞こえると、一転して声を荒げた。

 扉の前まで走り、扉をガンガンと殴りつけてくる。

 

「手紙が届いているわ」

「手紙?」

「貴女の馴染みからよ」

 

 紅椿はそう口にすると、途端に行灯部屋の中が静かになった。

 紅椿が、扉の下の隙間に手紙を差し込むと、すぐに手紙が飲み込まれていった。

 しばらく紙同士が擦れ合う音が聞こえた後、薄紅のすすり泣く声が響き始めた。

 

 春幸が薄紅に宛てた手紙に書かれていたのは、幸福なひと時をくれた薄紅への感謝。

 そして、薄紅へ依存し続けた結果、薄紅を巻き込んで破滅へ向かったことへの謝罪。

 

 薄紅の言葉よりも、紅椿の言葉が正しかったという、解答書。

 

『今の私では、貴女を幸せにすることができません。会社を立て直すことに専念し、貴女に相応しい男になったその時、また貴女に会いたいです』

 

 手紙を読み終えた薄紅の瞳から、涙が一滴零れ落ちる。

 

「違う……」

 

 手紙の文字をにじませる。

 

「私は、ずっと幸せだった……!」

 

 手紙を落として、自身の身体も床へと落ちる。

 

「一文無しになっても構わなかった……! 私は、貴方と一緒に入れるだけで、十分幸せだった……!」

 

 春幸を想う行動が、結果的に春幸を破滅させた。

 そう気づいた薄紅は、春幸を見ることができていなかった自分に絶望し、誰に遠慮することなく泣き叫んだ。

 

「あああああああああああ!!」

 

 紅椿は、扉を一枚挟んだ場所に立ち続け、薄紅の悲鳴を受け止め続けた。

 

 

 

 以降、薄紅は食事をとらなくなった。

 運ばれてきた膳は、ほとんど手つかずのまま下げられる。

 怒るでも泣くでもなく、ただ虚ろな瞳で壁の向こうを眺めつづけていた。

 

 お万は、そんな薄紅に対して休養を決めた。

 薄紅をしばし令和吉原から離し、しかるべき場所での療養を命じた。

第三章完結。第四章の書き溜め時間を頂きます。

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