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紅椿ノ守 ―令和吉原綺譚―  作者: はの
第三章 破滅の契り

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二十六軒目 居場所

 遊郭において、客の馴染み替えは御法度だ。

 遊女は、自身の馴染みが他の妓楼の遊女にうつつを抜かした場合、その遊女に対して『客の登楼を断れ』という要請の手紙――つけことわりを出していた。

 

 

 

「お万様、失礼します」

「入んな」

 

 遣手部屋の襖が開かれて、見世番である三田(みた)牛太郎(ぎゅうたろう)が入ってきた。

 

「薄紅花魁の馴染みの方から、お手紙を預かっております」

 

 牛太郎はお万の前に正座をし、懐から取り出した封筒をお万へと渡した。

 令和吉原の外から調達しただろうこじゃれた封筒を開け、飾りっ気のない便箋に、お万は目を通す。

 そして全てを読み終えると、大きな溜息をついた。

 

「薄紅への、逆つけことわりだとさ。センスのいいこって」

「どうしましょう?」

「どうにもできるわけないだろう? 上客をふり続けているのは、薄紅だ」

 

 馴染み替えが御法度であるのは、遊女と馴染みの間に関係が構築されているからこそ。

 薄紅と会えないまま二週間以上通い続けた上客に、お万はむしろ同情さえしていた。

 

「薄紅は?」

「……いつもの馴染み客と一緒かと」

「ちっ!」

 

 お万は大きく舌打ちした後、薄紅がいるだろう方向を睨みつけた。

 

 

 

 お万の気持ちなど知らぬまま、薄紅は今日も春幸と過ごしていた。

 

「春幸さん、本日もお疲れですか?」

「ええ。ちょっと、仕事が佳境でね。資金繰りやら、人員の配置やら、次から次へとやることがでてきてましてね。……おっと、もちろん解決の目途は立っております。だから、そんな悲しい顔をしないでください」


 思わず弱音を零した春幸は、薄紅が表情を曇らせたのを見て、慌てて取り繕った。

 僅かに乱れた髪の毛を整えて、春幸は薄紅へ両手を伸ばす。

 

 薄紅は、気づいていた。

 日に日に、春幸の表情から余裕がなくなっていることに。

 吉原に不釣り合いな香水の香りも最近ではめっきりしなくなり、登楼した日には必ず注文していた夕食も、今では欠いてしまうことがあった。

 

「お疲れでありんすね。今だけは、仕事のことは忘れるでありんす」

 

 薄紅は、伸ばされた春幸の手を、優しく包み込んだ。

 春幸が子供のように微笑んだので、薄紅も儚い笑みを返した。

 

「大丈夫。貴方は、わっちを射止めるほど努力ができて、他人の痛みがわかる人。きっと、すべて上手くいくでありんすよ」

「薄紅花魁……。ええ。もちろんです!」

 

 一夜の夢を終え、薄紅は紅楼の前で、春幸を見送った。

 春幸は、疲労の抜けきらない動きながらも、満足げな表情を浮かべながら薄紅へと手を振り返した。

 

 薄紅は、春幸の姿が見えなくなるまで見送って、紅楼の中に戻ると小さく誓いを口にした。

 

「いざとなれば、わっちが春幸さんを」

 

 見世台に向かう牛太郎が、呟く薄紅の横を通過した。

 

 

 

 遊郭を終えた春幸は、スパリゾートに立ち寄って体を清め、ふらつく足取りで会社へと向かった。

 

「? いやに静かだな」

 

 そして、すぐに違和感に気づいた。

 既に始業時間は過ぎているにもかかわらず、春彦が開けようとした扉には鍵がかかっていて、開かなかった。

 鍵を開けてから社内に入ると、社内に人の気配はなく、電気さえも点いていなかった。

 

「誰も居ないのか?」

 

 春幸は、電源スイッチの場所を思い出しながら暗い部屋の中を歩き、電気を点ける。

 

 部屋全体が明るくなり、春幸の目に飛び込んできたのは、気配通りの誰も居ない社内。

 

「全員、外出でもしているのか?」

 

 当然、誰からの返事もない。

 多忙な時期ゆえに、そんなこともあるかと思いながら、春幸は社長室へと向かう。

 社長室にも当然明かりは点いておらず、いつもであれば待機しているはずの秘書もいない。

 

「休みの連絡は、なかったはずだが」

 

 春幸は、すぐにスマートフォンを確認する。

 メールアプリにも、メッセージアプリにも、秘書から休みの連絡は来ていない。

 

「珍しいな」

 

 入社以降、無遅刻無欠勤無早退を貫いていた秘書である。

 春幸は、秘書が交通事故にでも巻き込まれたのではないかと心配しつつ、社長机まで歩いた。

 そして、机の上に『退職届』と書かれた封筒を見つけた。

 

「なんだこれは!?」

 

 春幸は鞄を落とし、封筒を掴んで開封する。

 中からは、秘書の筆跡で書かれた手紙が出てきて、退職をする旨と退職日までは有給休暇を使用する旨の内容が書かれていた。

 

「な、何を勝手な! 今がどんな時期か、わかっているのか!」

 

 春幸は、すぐに秘書へと電話をかける。

 しかし、電話がつながることはなかった。

 焦ってメッセージを送るも、いつもならすぐにつくはずの既読の文字が、いつまで経っても未読のままだ。

 

「ふざけるな! こんな時に!」

 

 春幸は、怒りのままに両手を机に叩きつけ、呼吸を荒げる。

 そして、真っ暗だった社内の異変(こと)を思い出す。

 

「……まさか」

 

 そんなことがあるはずないと祈りながら、春幸は社長室を飛び出し、社員たちの机が並ぶ部屋へと走った。

 社員の机の上からは、会社の備品以外が姿を消しており、各机の上には一つずつ封筒が置かれていた。

 封筒に書かれている文字は全て同じ。

 退職届。

 

 春幸は、近くの机に置かれていた封筒を二つとり、封筒を破いて中の手紙を確認する。

 筆跡も言い回しも違ったが、書かれている内容はどちらも同じ。

 退職と、退職日までの有給休暇の使用。

 

「何を考えているんだ!」

 

 春幸は、電話帳の上から順に、社員たちへと電話をかけた。

 しかし、会社に響くのはコール音のみ。

 

 ただの一人も、春幸からの電話に出ることはなかった。

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