↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅椿ノ守 ―令和吉原綺譚―  作者: はの
第三章 破滅の契り

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/54

二十五軒目 誓い

 江戸時代。

 遊女は客に誓いを立てた。

 真に惚れたのは貴方だけだと。

 

 それは、自身の腕に客の名を入れ墨を入れる彫物(ほりもの)であったり。

 他の客にうつつを抜かさぬと神仏に誓う起請文(きしょもん)であったり。

 全ては客を繋ぎとめるために。

 

 

 

「薄紅花魁、これは?」

 

 春幸は、薄紅から渡された和紙を受け取り、書かれている文に目を通す。

 

「起請文、と言うものでありんす」

「起請文?」

 

 春幸は、一行一行丁寧に読み進めていく。

 そして、起請文に書かれる薄紅からの愛の誓いを受け取る度に、頭が沸騰しそうなほど沸き立ち、顔を赤く染めていった。

 されど、ここは遊郭。

 全てを読み終えた春幸は、努めて冷静な表情を作り、薄紅の顔を見た。

 

「この場限りの嘘だとしても、非常に嬉しいです」

「嘘に、見えたでありんすか?」

 

 が、薄紅と視線を躱し続けることで、すぐに破顔した。

 顔を隠すように、顔を下に向けて起請文に目を落とし、何度も何度も薄紅からの文を読み直した。

 

「春幸さん」

 

 薄紅は上座を降りて、春幸の前へと座ってきた。

 人の気配を感じた春幸は顔を上げ、すぐ目の前に薄紅がいることに驚き、小さな悲鳴と共に後ろへと倒れた。

 

「大丈夫でありんすか? 申し訳ないでありんす。驚かせるつもりは、ありんせんでした」

「いいえ。お気になさらず」

 

 薄紅は、春幸が落とした起請文を拾い、上体を起こした春幸へと再び渡した。

 春幸はうやうやしく起請文を受け取り、大切そうに背広の内ポケットへしまうと、赤い顔のまま薄紅の目を見た。

 

「本当に、私でよろしいんですか?」

「ええ。春幸さんがいいのです」

「私は、仕事しか能のない、つまらない男ですよ」

「そんなことはありんせん。わっちは、春幸さんの良いところを、たくさん見てきたでありんす」

 

 春幸の脳裏に、出会ってからの一か月間の思い出が次々と蘇る。

 薄紅の表情を見れば、薄紅にも同じ思い出が巡っているのだろうと、察することができた。

 かつて鼻をくすぐった残り香が、再び春幸をくすぐる。

 薄紅の手と春幸の手が、強く、優しく、重なり合う。

 

「私も、貴女と夫婦(めおと)になりたい。必ず、貴女を身請けしましょう」

「はい。その日を、楽しみにしているでありんす」

 

 廻し方の目が光る中、薄紅と春幸は誓い合った。

 薄暗い灯りがチカチカと点灯する。

 まるで、二人の門出を祝福するかのように。

 

 

 

 廻し方からの報告を聞いたお万は、遣手部屋で大きな溜息をついた。

 令和吉原における起請文とは、遊女と客の雰囲気を高める玩具でしかなく、本心を誓いあうものではない。

 お万は、今の薄紅がそんなことにまで気を回せなくなったのかと呆れ、深く眉間を抑えた。

 

「護に、その馴染みを調べるように言っといてくれ。危ないと思ったときは二階を止めていい、ともね」

「かしこまりました」

 

 お万の指示を受けた廻し方は、すぐに遣手部屋から出て行き、一階へと駆け下りていった。

 

「さて、どうするかねえ」

 

 お万はキセルを手にし、窓から外を眺めながら一服した。

 

 

 

 翌朝、春幸は上機嫌で会社へと出社した。

 丁寧な洗濯によって新品のように輝くシャツが、春幸の気分を表しているかのように輝いていた。

 

「皆、おはよう!」

 

 春幸の弾んだ声に、社員たちが一斉に振り向く。

 そして、雪崩のように春幸の前へとなだれ込んできた。

 

「社長! 昨晩はどこへ行ってたんですか!」

「ああ、ちょっと野暮用で」

「ここ最近、ずっとじゃないですか!」

「……色々あってね」

「何度もケータイに連絡したんですよ! 見てくれてないんですか?」

「……ちょっと、立て込んでいてね」

 

 よもや遊郭に通っていたという訳にもいかず、春幸は言葉を濁す。

 が、その間にも社員たちからの追及は止まらない。

 

「制作の件、何社か対応できるかもしれないと返事を頂けてるんです! しかし、社長の承認がなければ動けません! 契約書に目を通していただけましたか?」

「昨日の夕方、支援の件を考えてもいいという方から電話があったんです! でも、社長と連絡が取れないから、今朝方『決断が遅い人間は信用できない』と断りの連絡が!」

「会社の危機に、社員たちみんな睡眠時間も削って働いているんです! 社長にも社長の事情があるのはわかりますが、せめて連絡がつくようにしておいてください!」

 

 多数の追及を前にして、春幸は顔を引きつらせるのみにとどまった。

 いつもの理路整然とした姿が嘘のように。

 あまりの春幸の変わり様に、社員の一人が申し訳なさそうに口を開く。

 

「もしかして、ご家族に何かあったんですか? だから、会社のことに集中ができていないとか」 

 

 繊細な内容ゆえに、言葉を選んで話してくれているのだろう社員を見て、春幸は一層顔を引きつらせる。

 社員の誰もが真剣だからこそ、春幸はそれを待っ正面から返す言葉を持ちえなかった。

 

「いいえ。家族は無事ですし、その人はもう何週間も家に帰って来てはいません」

 

 そんな気まずい空気は、突然会社に入ってきた一人の女性によって吹き飛ばされた。

 

「お前! なんで会社に?」

「妻が、家に帰ってこない夫を心配して、何かおかしいんですか?」

 

 春幸の妻――夏美が春幸に近づくと、社員たちは春幸から離れた。

 夏美と春幸の周囲には、ぽっかりと無人の空間が作られ、夏美は春幸の目をじっと見てきた。

 

「運転手さんから聞きました。貴方、ここ最近ずっと、遊郭通いをしているそうね」

「ゆ、遊郭!?」

 

 夏美からの告白に、社員たち全員が目を丸くして、春幸を見た。

 春幸は焦った表情で夏美を見るが、夏美は春幸の視線を無視して、話を続ける。

 

「私は、貴方の仕事がどれだけ大変か知ってるわ。だから、貴方が遊郭に行ったとい言っても、それが気晴らしになるならと止めなかった。でも、家庭をないがしろにするのは違うでしょう?」

「お、お前! 夫婦の話をこんなところで!」

「それに、会社の様子を見ると、家庭どころか仕事もおざなりになっている様ね」

「黙らないか!」

 

 春幸は、胸ぐらをつかみそうになる気持ちを抑え、怒りで眉を吊り上げる。

 が、夏美は冷静な表情を崩さない。

 不安そうな社員たちの方をちらりと見た後、これ見よがしに大きな溜息をついた。

 

「貴方が初めて遊郭に行った日、私は貴方を止めるべきだったと反省しています。まさか貴方が、こんなにも誑かされてしまうなんて」

「な、何を馬鹿な! 行ったこともないお前に、何がわかる! 彼女のことを、何も知らないくせに!」

「……そう。もう、私のことも見えないのね」

 

 夏美は、一瞬だけ寂しそうな顔で笑い、またすぐ表情を消した。

 春幸は、夏美の浮かべた笑顔が薄紅と重なり、怒りの表情のまま言葉を詰まらせた。

 

 夏美は、春幸が自分に対して言い訳する言葉も持たないだろうことを察し、丁寧に一礼をした。

 

「実家に帰らせていただきます。一度離れて、お互い冷静になりましょう」

「な、何を突然!」

 

 そして、春幸から視線を逸らし、次は社員たちに向かって一礼をした。

 

「皆さん。お騒がせして申し訳ありません」

 

 お通夜のように静かな会社の中で、社員たちもぎこちなく礼を返す。

 そして夏美は、そのまま会社を出ていった。

 

「待て! まだ話は終わってない!」

 

 春幸の伸ばした手は、夏美の背には届かなかった。

 閉じられた扉が、春幸の手を夏美から遠ざける。

 春幸は伸ばした手を下ろし、社員たちの方へと振り向いた。

 社員たちは無言のまま席へと戻り、仕事を再開し始めた。

 

「社長。本日の打ち合わせの予定です」

 

 秘書は、春幸に近づいて、何事もなかったかのように淡々と今日の予定を告げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。