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紅椿ノ守 ―令和吉原綺譚―  作者: はの
第三章 破滅の契り

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二十四軒目 一位

「お姉様! お姉様! お姉様! やりましたね!」

 

 八月の始め。

 薄紅は、部屋に飛び込んできた睦月、如月、弥生の声で目を覚ます。

 目をこすりながら体を起こし、乱れた寝間着を整えながら、三人の方へと向く。

 

「どうしたの? こんなに朝早くから」

「七月の売上が出たんです! なんと、お姉様が一位です!」

 

 が、睦月からの報告を聞いた瞬間、覚醒して目を見開いた。

 睦月の持つ紙を受け取って、自分の目でも内容を確認する。

 

「私が……一位……」

 

 紙に書かれた個人別の売上は、僅差ではあったが、薄紅が紅椿を上回っていた。

 

「はい! おめでとうございます、お姉様!」

「おめでとうございます!」

「わ、私も嬉しいです!」

 

 薄紅はしばし紙を見つめた後、思い出したように笑顔を作る。

 

「……やった」

 

 そして、小さく呟いた後に、三人の方へと向いて微笑んだ。

 

「ありがとう。貴女たちの協力がなかったら、一位はとれなかったわ」

「そんな! お姉様の努力があってこそです!」

 

 薄紅が、紅楼で客を取り始めてから早や六年。

 何度挑んでも届かなかった紅椿の背中を、今日初めて追い越した。

 そんな事実に、薄紅は歓喜で全身を震わせ、頬を緩ませる。

 

「春幸さんのおかげね」

 

 うっかり零れ出た小さな本音は、一人だけの耳に入って消えた。

 

「お、お姉様、汗が」

 

 喜びに浸っていた薄紅は、六年分の緊張が解けたのか、全身から汗が噴き出していた。

 弥生の一言でしっとりと濡れる自分位気づき、掌に滲んだ汗を見つめた後、拳で額をぬぐった。

 

「湯浴みに向かいましょうか」

「はい!」

 

 薄紅がそう提案すると、睦月、如月、弥生の三人はすぐに立ちあがり、薄紅の湯浴みに必要な一式を揃え始めた。

 薄紅が再び紙に視線を落とすと、頬から滲んだ汗が垂れ、紅椿の名前をにじませた。

 

 

 

 薄紅が浴場に足を踏み入れると、浴場内の空気がざわりと騒いだ。

 薄紅が売上で一位を取ったことは既に知れ渡っており、湯浴みを楽しんでいた花魁たちは、ちらちらと薄紅へ視線を向ける。

 

「薄紅花魁よ」

「相変わらず、儚げでお美しい」

「一位おめでとうございますって、声をかけた方がいいかしら?」

 

 自身を意識した視線に、薄紅は嬉しさがこみあげて来る。

 これが今まで紅椿が浴びていた視線なのだと思えば、一層結果への誇らしさが増した。

 睦月、如月、弥生の三人も、どこか自慢げに薄紅の後を付いて歩いていた。

 

 しかし薄紅自身は、太夫としての格を守るため、嬉しさを心の中に押しとどめて、すまし顔で浴場を歩いた。

 

「紅椿花魁よ!」

 

 が、次に耳に入った一言で、すまし顔は崩れた。

 薄紅は足を止めて、浴場の入口へと首を向ける。

 

「おはよう、薄紅花魁」

「おはようございます、紅椿花魁」

 

 一糸纏わぬ姿だと言うのに、対峙する二人からは、強い品が溢れ出ていた。

 洗い場で体を洗っていた花魁たちは、早々に体に残っていた石鹸を洗い流し、まるで二人から隠れるように湯舟へ浸かった。

 そして、湯舟の中から、対峙する紅椿と薄紅を見つめていた。

 

「先月の売上、一番だったそうでありんすね。おめでとうござりんす、薄紅花魁」

「ありがとうござりんす、紅椿花魁。でも、たった一回。紅椿花魁には、まだまだ及ばないでありんすよ」

「その一回が、一番難しいのでありんすよ」

 

 紅椿が笑顔で褒めたので、薄紅もまた笑顔で言葉を返した。

 先日とは違う薄紅の穏やかな返答に、浴場の張りつめた空気が徐々に弛緩し、肩まで浸かっていた花魁たちは、鎖骨周りをお湯から出す。

 

「それと、先日は申し訳ないでありんす。貴女の馴染みのことを知ったように言って、不快にさせてしまったでありんす」

「お気になさらないでください。わっちのことを慮ってのことだと、今なら承知してありんすので」

 

 薄紅の言葉に、紅椿はほっと安堵の表情を浮かべた。

 そして、しばし目を閉じた後、改めて強い瞳で、薄紅を見た。

 

「ではこれも、貴女を慮っての忠告と、承知してちょうだい?」

 

 紅椿の言葉に、空気が再び張り詰めた。

 薄紅の後ろで余裕の笑みを浮かべていた睦月、如月、弥生は、一気に表情を崩し、息を飲む。

 薄紅もまた、柔らかい笑みが僅かに固まり、警戒するように目を細める。

 

「なんでありんしょう?」

「わっちは、以前言ったはずでありんす。馴染みのお客様のことを、しっかり見てあげてほしい、と」

「……それが?」

「薄紅花魁、今の貴女は本当に、貴女の馴染みのことが見えてるでありんすか?……いいえ、貴女は今、貴女自身のことも、ちゃんと見えてる?」

 

 薄紅は、語尾を強める紅椿の言葉を静かに聞き終えると、再び柔らかい笑みへと戻り、くすくすと笑った。

 

「一位をとられて、焦っているのでありんすか?」

「焦り?」

「まさか天下の紅椿花魁が、こんなつまらない手を使ってくるとは思わなかったでありんす」

 

 薄紅は、じっと紅椿の目を見つめる。

 その瞳には、失望の色が混じっていた。

 

「なっ! お姉様が、焦ったりするわけないでありんす!」

 

 すずねが、紅椿の背後から薄紅に向かって叫ぶ。

 

「見苦しい禿ね」

「今、この状況が、焦っている証拠じゃない」

「お姉様を、動揺させようとしてる」

 

 すかさず、薄紅の背後から、睦月、如月、弥生の三人が叫び返す。

 

 紅椿は真剣な表情のまま薄紅を見つめており、薄紅は表情を変えずに紅椿を見つめ返す。

 

「そういうつもりではないでありんす、薄紅花魁」

「では、いったいどういうつもりで、一位を奪われた相手に対して不安を煽りにくるのか。理由をお聞かせ願いたいでありんすね」

 

 薄紅の言葉に、周囲の花魁たちの視線が、自然と紅椿へと集まっていく。

 紅椿の真意を確かめるように、その一挙一動の観察を始める。

 

「あたしも、紅椿に同意だね」

 

 が、紅椿の代わりに答えたのは、お万であった。

 浴場の扉を開き、服を着たまま、裸足でずかずかと浴場へ入って来た。

 浴場にいる者たちの視線は、一斉にお万へと集まり直す。

 

「薄紅。あんた、春幸とかいう客に入れ込み過ぎだよ」

「お万様。突然、何を?」

「まさかとは思うが。あんた、あの男を情男(いろ)にしたんじゃないだろうね?」

 

 情男。

 娯楽として愛を与える遊女たちが、心から惚れた男のことをそう呼ぶ。

 

「薄紅花魁が? まさか」

「でも、最近、毎日同じ馴染みをとっているような」

 

 男に夢を見せる仕事である花魁が、男に夢を抱くことは、時に恥とされる。

 周囲の花魁たちは、ちらちらと薄紅を見ながら、ひそひそと話をする。

 薄紅は、お万と紅椿の疑うような視線と、睦月、如月、弥生の心配そうな視線を一身に受ける。

 

「ふはっ」

 

 そして、太夫にあるまじき裏返った声で、吹き出した。

 

「あははははは。そう。そういうことでありんすね」

「何を笑ってんだい?」

「紅椿花魁は、お万様のお気に入りですもんね。そうやって、紅椿花魁を脅かす者が現れたら、いつも牽制をしていたわけでありんすね」

「薄紅。自分が何を言ってるのか、わかっているのかい?」

「おお、恐い。睦月。如月。弥生」

 

 薄紅は、眉を吊り上げるお万を無視し、三人の花魁の方へと向き、浴場の出口を指差した。

 

「今日は、揚屋町(あげやまち)の湯屋に行きましょう? ここでは、落ち着いて湯浴みもできなさそうでありんす故」

「待ちな!」

 

 叫ぶお万の横を素通りし、薄紅は出口へと向かって歩く。

 その後を、睦月、如月、弥生の三人が慌ててついて行く。

 

「お万様。私は卑怯な手には負けません。必ず、紅椿花魁を超えてみせるでありんす。……春幸さんと、一緒に」

 

 薄紅は、もはやお万と紅椿を一瞥することもなく、音を立てて浴場の扉を閉めた。

 一瞬、シンと沈黙に包まれた浴場内から、お万の舌打ちが聞こえた。

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