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紅椿ノ守 ―令和吉原綺譚―  作者: はの
第三章 破滅の契り

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二十二軒目 契約

「うー……ん」

「おはようござりんす、春幸さん」

 

 目を覚ました春幸は、隣から聞こえてくる声を聞いて、跳び起きた。

 横並びになっている布団では、薄紅が脚に布団をかけたまま上半身を起こしており、春幸を見て微笑んだ。

 

「お、おハよう」

 

 思わず声がひっくり返り、春幸は咄嗟に自分の口を塞いだ。

 薄紅は、そんな春幸の仕草が可笑しくて、口元を手で隠した。

 春幸は、照れて表情を緩めるも、壁際で夜通し見張っていた廻し方の存在を思い出したようで、下唇をかんで表情を引き締めた。

 

 春幸と薄紅は、布団から出て立ち上がり、しばし互いに見つめ合って、再び照れ臭そうに笑った。

 

「そろそろ時間でありんすね。着替えんしょうか」

「ええ。そうしましょう」

 

 薄紅は廻し方に連れられて、座敷を後にする。

 座敷に残った春幸は、紅楼の備品である浴衣を脱ぎ、昨日着ていたスーツに袖を通した。

 スーツは廻し方によって消臭が行われており、紅楼と同じような香りがしていた。

 

「お着替えは、終わったでありんすか?」

「ええ」

 

 春彦からの返答を受け、薄紅は上座側の襖をすーっと開く。

 打掛よりも簡素な着物で、春彦へ手を差し出した。

 

「では、お出口までご案内するでありんす」

 

 春彦は上座側の出口まで歩き、薄紅が差し出した手をそっととった。

 そして、薄紅に引かれるまま上座側の襖をくぐり、廊下へと出た。

 

 時刻は、朝の四時前。

 紅楼へ玄屋の人間が迎えに来る時間。

 夜見世の時間よりも静まり返った廊下を、春幸と薄紅は手を繋いで歩く。

 

「春幸さん。私、あんなに素敵な花魁道中は、生まれて初めてでありんした」

「そ、そうですか」

「とても……とても嬉しかったでありんす」

「薄紅花魁が喜んでくださって、私も嬉しいです」

 

 階段を降りて、誰も居ない畳の間を歩く。

 暖簾をくぐって外に出ても、遊女たちを一目見ようと集まる野次馬たちが一人もいない。

 ただ一人、春幸を迎えに来た玄屋の店員がいるだけだ。

 

 夏にも関わらず、早朝特有のひんやりとした空気が二人の肌に貼り付く。

 しかし、朧げな太陽の光が、二人の体をすぐに温めた。

 

 春幸は、薄紅の手を離し、一人で江戸町一丁目へと立つ。

 そして、紅楼の方へと振り返り、紅楼の前に立つ薄紅を見た。

 薄紅が両手を伸ばすので、春幸は薄紅の両手を優しく握った。

 

「また今夜も、会いに来てくれますか?」

 

 口紅の引かれていない薄紅の唇が、静かに動く。

 何者も捉えていなかった薄紅の瞳は今、じっと春幸の瞳を捉えていた。

 

「もちろんです」

 

 春幸は、薄紅の握る手に力を入れた。

 二度と放したくないという意思を、伝えるように。

 

「ありがとうござりんす。楽しみに、しているでありんす」

 

 数秒ほど薄紅の手が握られて、春幸は薄紅の手を離した。

 玄屋の店員に連れられて、名残惜しそうに木戸門へと向かって歩き、数歩歩いたところで振り返り、薄紅へ小さく手を振っってきた。

 薄紅もまた、小さく手を振り返す。

 

 春幸が木戸門をくぐるまで、二人は手を振り合った。

 木戸門をくぐった後も、薄紅はしばらく、春幸がいるだろう場所を見つめていた。

 

 

 

 大門をくぐって令和吉原を出た春幸は、近くに止まっているタクシーに乗り込んだ。

 そして、スマートフォンを起動すると、着信履歴がたくさん残っていることに気づいた。

 メッセージアプリには、至急連絡が欲しいという部下からの通知が溜まっており、春幸はうんざりとした表情で通知を眺めた。

 

「まだ四時だと言うのに。もう少し、余韻に浸らせて欲しいものだ。運転手さん。近くに、スパリゾートはなかっただろうか?」

「そうですねえ。この近くだと、千泉倶楽部がありますね」

「では、そこで頼む」

 

 春幸はメッセージの確認を諦めてスマートフォンをしまい、温泉施設へと向かった。

 一人の経営者として、身嗜みを整えるために。

 

 入浴を終えると、再び温泉施設前でタクシーを拾い、会社へと向かう。

 春幸が会社に到着したのは、午前九時の少し前。

 いつもと変わらぬ時間だ。

 

「おはよう」

「ああ、社長! よかったです! 例の件で、至急お話が!」

 

 春幸がいつも通り会社に入ると、血相を変えた部下たちが春幸に駆け寄ってきた。

 部下たちのスーツは一晩放置したのではと思うほどにくたびれており、春幸は怪訝な表情で部下を見る。

 そして、慌てふためく部下たちを宥めるように言った。

 

「落ち着きなさい。用件は、まとめてメッセージに送ってくれ。必要であれば臨時会議を」

「昨日送ってます! まだ確認いただけてないんですか!?」

 

 が、部下は落ち着くどころか、むしろヒートアップして春幸に迫ってきた。

 春幸は部下の言葉を聞いて、着信履歴とメッセージが残っていたことを思い出し、その場でスマートフォンを取り出し、内容を確認した。

 

「な、なんだこれは!?」

 

 内容を確認した春幸は、思わず鞄を落とし、部下の顔を凝視した。

 

「宇佐美さんと連絡が取れなくなりました! あの人がとってきたと言っていた契約も全部でたらめだったようで、各所に連絡したら、そんな話は聞いていないと!」

「ば、馬鹿な! 本番はもう、間近に控えているんだぞ!」

 

 紙とコネだらけの広告代理業界に飛び込み、WEBやAIの活用で企業を急成長させてきた春幸である。

 紙の時代から存在する大手企業の盤石な守りを破るため、慶という味方をつけて望んだのが、今回のプロジェクトである。

 

 春幸はすぐに、慶に電話をかける。

 しかし返ってくるのは、番号が現在使われていないと繰り返す機械音のみ。

 

「駄目なんです! 私たちも昨日から、宇佐美さんには何度も連絡を取ろうとしたのですが!」

「なら、会社に電話だ!」

「それも駄目でした。部下を現地へ向かわせてはいるのですが、正直……」

「くそっ!」

 

 春幸は、頭の中で計算をする。

 三大都市を自社広告で染め上げるためにかかった費用、つまり各所の電光掲示板と電車内広告のレンタル費用の請求は、数週間後に降りかかって来る。

 しかし、慶が一切の仕事をしていない場合、肝心の表示するための広告が用意されていないことになり、プロジェクトのとん挫は確実だ。

 そのうえ、プロジェクトのスポンサーとなってくれた企業への返金、あるいは違約金まで発生する可能性が高い。

 

 現在の春幸の会社に、それらすべてを支払うだけの資金的余裕はない。

 

「すぐに他の制作会社に当たれ! 多少割高でも構わん! 広告に穴を開ける訳にはいかない!」

「資金については?」

「私が何とかする!」

 

 春幸が叫ぶと、部下たちの表情が少しだけ明るくなった。

 依然状況が最悪であることに変わりはないが、春幸と言う指導者が会社に戻ったことで、安心感を取り戻した。

 

「もしもし? 私、ケーアールイーの白井と申しますが」

「ご無沙汰しております。ケーアールイーの赤崎です」

「朝早くから申し訳ありません。今少し、お時間よろしいでしょうか?」

 

 忙しく働き始めた部下を見た後、春幸は社長室へと入った。

 そして、かつての仕事仲間や付き合いのある経営者たちに、片っ端から連絡をとった。

 

「悪いけど、うちはもう出せないよ」

「いやー、うちも今厳しいから」

「……社内で、慎重に検討させてもらうよ」

 

 しかし、返ってくるのは、難色を示す返事ばかり。

 秘書も、はらはらとした表情で、春幸を見守っていた。

 

 時間の経過を示す時計の針の音だけが、無情に社長室に響いていた。

 

 伝手を辿って、ようやく話を聞いてくれる人が現れたのは、日が沈み終えた頃。

 

「少し出てくる」

「行ってらっしゃいませ、社長」

 

 春幸は、すぐに社用車に飛び乗って、会談先へと向かった。

 社員たちは、祈るような気持ちで春幸を見送り、すぐに自分たちの仕事へと戻った。

 

 

 

「糞じじいがっ!」

 

 帰り道。

 春幸は、車の中で悪態をついた。

 会談相手は、当初こそ期待させるようになことを言っていたが、終盤には「今の企画では厳しいから私がコンサルに入ろう」という、仕事の話にすり替わっていた。

 春幸は、目の前の相手が残りかすを搾り取ろうとしているハゲタカだと気づき、即座に会談の場を後にした。

 

「あの時間があれば、他の何十人に連絡ができたと!」

「社長。一度、会社にお戻りになりますか?」

 

 苛立った声で愚痴を零す春幸に、運転手は向かう先を尋ねた。

 

 春幸は、怒りの感情が収まりきらないまま、腕時計を確認する。

 

 腕時計が、大門がとっくに開いていることを教えてくれた。

 

「いや。三ノ輪駅へ……吉原へ向かってくれ」

「はい?」

 

 春幸の返事を聞いた運転手は、思わず気の抜けた声を出し、信号機で止まっている間にカーナビへ目的地を設定し、大きく社用車をUターンさせた。

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