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紅椿ノ守 ―令和吉原綺譚―  作者: はの
第三章 破滅の契り

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十五軒目 もてる

 梅雨に入り、しとしと雨が続いても、令和吉原の客足が途絶えることはない。

 仕事を終えた薄紅は、馴染みの客の手を引いて、共に紅楼の出口まで歩いた。

 

「また、お会いしとうありんす」

「私もです、薄紅花魁。また、必ず来ます」

 

 薄紅が立てた小指を差し出したので、馴染みの客も小指を差し出した。

 数秒の指きりがされた後、二人は手を振りながら別れる。

 馴染みの客は、何度も何度も薄紅へと振り返り、明日にでも消えてしまいそうなほど儚げな薄紅の表情を見つめていた。

 

 

 

「お疲れ様です。薄紅花魁」

「ええ」

 

 紅楼の中に戻った薄紅は、廻し方に案内されながら、自室へと戻る。

 廊下には、薄紅と廻し方たちしか歩いておらず、静かな足音だけが響いていた。

 薄紅を案内する廻し方は、その足を止めることなく、小声で薄紅へと話しかけた。

 

「薄紅花魁。如月花魁が、薄紅花魁にお話しがあるそうです」

「如月が?」

「はい。いつも通り、薄紅花魁のお部屋でお待たせしています」

「わかりました」

 

 薄紅の部屋の前に着くと、廻し方は上座側の襖を引いた。

 薄紅が部屋へ入ると、如月は下座で正座をしており、薄紅が戻ってきたことに気づくと、すっと頭を下げた。

 薄紅は、頭を下げる如月に微笑んだ後、廻し方へと目配せをする。

 意図を察した廻し方は、薄紅の部屋に入らず、そのまま襖を閉めた。

 

「どうしたの? 如月」

 

 薄紅は、一度上座へと上がった後、下座へと降りて如月の隣へと座った。

 如月の目をじっと見ていると、如月も薄紅の目を見つめ返してきた。

 

「紅椿花魁に、いいひとができたかもしれません」

「紅椿花魁に?」

 

 花魁が客に入れ込むことは、暗黙の禁止事項(タブー)

 紅椿がそんなことをするとも思えず、薄紅は疑うように目を細めた。

 

「それは、本当のことなの?」

「はい。紅椿花魁は、四月に初会をした相手と、既に馴染みとなったようです」

「それは、お客の方が入れ込んでいるだけでないの?」

「私もそう思いましたが、紅椿花魁はその客の裏で、座敷を訪れたようです」

「裏で……。それは、紅椿花魁にしては早いわね」

「そして三会目の馴染みでも、開始時間早々に座敷を訪れたらしく」

「へえ」

 

 薄紅は人差し指で自身の唇に触れ、悪戯を思いついた子供のように、うっすらと微笑んだ。

 

「奪ってしまおうかしら」

 

 もしも早々に馴染みとなった客を――武彦を奪えば、紅椿はどんな顔をするだろう。

 そんな好奇心が、薄紅の心に生まれた

 

「お姉様! それは!」

「冗談よ。遣手婆に怒られちゃうもの」

 

 とはいえ、あくまで考えただけだ。

 馴染みとなった客が他の花魁の元に通うことを禁じられているのと同様、花魁も他人の馴染みの客を奪うことは禁じられている。

 

「でも、使い道はありそうよね」

 

 薄紅は目をさらに細めて、如月の髪に指を絡めた。

 

「その馴染みのこと、引き続き調べてちょうだいな」

「はい。お任せください」

 

 如月が部屋を出た後、薄紅は先程の客からプレゼントされたロゼワインを開けた。

 自身を彷彿させる薄ピンクの液体を眺め、ゆっくりとワイングラスに注いでいく。

 そして、グラスをゆったりと回しながら、波打つワインを楽しそうに見つめていた。

 

 

 

 梅雨も深まった六月末。

 

 給料の振り込まれた武彦は、六月も紅楼を訪れていた。

 武彦に同行した玄屋の店員は、紅楼の前に立つお万へと話しかける。

 

「紅椿花魁の馴染み、二時間です」

 

 お万は玄屋の店員を一瞥した後、口に含んだ煙を吐き出し、眉を顰めた。

 

「今日、紅椿は休みだよ」

「え!?」

 

 お万の言葉に、武彦だけでなく玄屋の店員も驚いた。

 

「ほ、本日は、お休みの日でしたっけ!?」

「季節の変わり目だ。体調を崩してね。昼に一報を入れさせたはずなんだが」

 

 お万は、引手茶屋からの集金を担当する若い者――掛廻(かけまわ)りの男性に視線を送る。

 掛廻りは大きく目を見開いた後、泣きそうな表情でお万に頭を下げた。

 

「申し訳ありません! 申し伝えることを忘れていました!」

「この馬鹿! 誰に謝ってんだい!」

「も、申し訳ありません!」

 

 掛廻りは頭を上げると、すぐに武彦の方へと向き直して、再び頭を下げた。

 お万は、掛廻りの背中をキセルで軽く叩いた後、武彦の方を向いた。

 

「すまいないね。うちのミスで、無駄足を踏ませちまった」

「い、いえ。全然、大丈夫です」

「望むなら、あそこから代わりの女を準備するよ。もちろん、揚代は勉強させてもらう」

 

 お万は、視線とキセルを籬へと向ける。

 武彦が籬の方を向くと、籬の奥からは紅楼の花魁たちが武彦に手を振っていた。

 

「え」

 

 紅椿以外の花魁たちを前に、武彦は焦りの表情を浮かべた。

 

「な、馴染みになったら、他の人を指名しちゃ駄目って聞いてるんですけど……」

「本来はね。だが、今回は紅楼(うち)の落ち度だ。それに、あんたから指名をするんじゃなくて、うちから推薦をしてるんだ。問題はないよ」

 

 お万は、紅椿が後で知って悲しむ可能性を想像しつつも、紅楼としての仁義をとった。

 お万と沢山の花魁からの視線を受ける中、武彦は言いにくそうに口を開く。

 

「やっぱり」

「お万様。紅椿花魁の代わりが格子女郎では、お客様も納得されないでありんしょう」

 

 が、武彦が言葉を口にするより先に、籬の奥に増えた人影が武彦へと話しかけた。

 

「薄紅!?」

「紅椿花魁の代わりは、太夫である私が務めるのがよろしいかと」

 

 本来、格子の奥にある部屋――張見世(はりみせ)には、格子女郎だけが並ぶ。

 並ぶはずのない薄紅が現れたことで、紅楼の周りに立っていた客たちは、薄紅に熱烈な視線を向けた。

 

「う、う、う、薄紅花魁!?」

「ほ、本物だ! 写真と全く同じ!」

「こっち向いてくれー!」

 

 薄紅は、騒ぎ立てる客たちへと微笑み、武彦の方を見た。

 紅椿以外の花魁を推薦する予定だったお万は、薄紅の言葉に一理を感じ、苦々しい表情を浮かべながら薄紅を見た。

 

「どうでありんしょう?」

 

 薄紅の心の隙間に入り込むような声に、武彦は一瞬言葉に詰まった。

 薄紅から溢れ出る、紅椿とはまた違う儚げな魅力を前に、武彦の心が一瞬掴まれる。

 

「ありがとうございます。しかし、私は紅椿花魁の馴染みなので。紅椿花魁がお休みと言うのなら、日を改めようと思います」

 

 しかし、武彦は薄紅の申し出を断った。

 薄紅は、頭を下げる武彦を悲しそうな目で見ながら、やはり儚げな表情で微笑んだ。

 

「紅椿花魁が、羨ましいでありんすなあ」

 

 そして、用は済んだとばかりに、張見世を後にした。

 お万は、奥へと引っ込んでいく薄紅の背を見送った後、改めて武彦の方へと向いた。

 

「次に来たときは、多少サービスしてあげるよ」

 

 武彦は、お万に頭を下げた後、紅楼を後にした。

 紅楼の周囲の客たちは、いなくなった薄紅の姿を思い浮かべながら、その余韻へと浸りながら、格子女郎を指名して紅楼へと雪崩れ込んだ。

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