十四軒目 馴染み
武彦は、六年ぶりに美容室へと向かった。
普段使いの床屋と比べてオシャレな外観を前にたじろいだが、武彦は勢いよく扉を開けた。
「本日は、どのような感じにされますか?」
「……なにもわからないので、相談させてください」
ドラッグストアで、いつもと違う洗顔料を選んでみた。
生まれて初めて、大型雑貨店で香水の置かれているコーナーに立ち寄ってみた。
日曜日は、武彦にとって新鮮の連続だった。
「うぃっす。……武彦、なんか雰囲気変わった?」
「あ、えーっと。ちょっと、髪切る場所を変えてみて」
「ふーん」
武彦の内心を知ってか知らずか、陽介は相槌だけ打って、自分の席へと戻っていった。
陽介は、昔から人の細かい変化に気づく人間だった。
武彦は、それを鬱陶しいと感じたこともあったが、努力した変化が気づかれたことに今日は嬉しさを感じた。
紅椿に会いたい。
そのためには、金が要る。
武彦は、久しぶりに仕事へ熱中した。
疲労を考えてほどほどで済ませていた資料作りも、紅椿へ向けた感情と同じくらい、熱量を注ぎ込んだ。
「……珍しく、速いじゃないか。今後も、同じ調子で頼むよ」
「……はい!」
頑張れば、成果となって返ってくる。
武彦は、数年ぶりの感覚に一人喜んでいた。
時が経ち、五月の給料日がやって来る。
武彦は、増えた預金残高を見つめながら、再び紅椿と会えることを喜んだ。
「仕事も節約も、頑張ってよかったなあ」
武彦は、一ヶ月ぶりの道を辿って、令和吉原へと向かった。
令和吉原は相変わらず、夜とは思えぬほどの輝きを放っており、大門も立派にそびえ立っていた。
「お! えーっと、えーっと……武彦さん! こんばんはっす!」
「伊吹さん。こんばんは」
大門をくぐった武彦は、さっそく伊吹に声をかけられた。
一か月前と雰囲気の変わった武彦を、伊吹は楽し気に眺め、玄屋の方を指差した。
「紅椿花魁っすよね? 案内するっすよ」
「ありがとうございます。でも、場所わかるので、一人で大丈夫です」
「お客さんを連れて行くと、俺にバックが入るんっすよ」
「……ちゃっかりしてるなあ」
親指と人差し指で円を作る伊吹を見て、武彦は苦笑した。
「おや、武彦様。こんばんは」
「こんばんは、清次郎さん。紅椿花魁をお願いしたいのですが」
「かしこまりました。おかけになって、お待ちください」
清次郎は店の奥から冊子を一冊とってきて、武彦へと渡した。
「武彦様は既に、初会、裏と、紅椿花魁を二回指名しております。今回の三回目で晴れて馴染みとなりまして、他の花魁を指名することはできなくなります。よろしいですね?」
「はい。元から、紅椿花魁以外を指名する気はありません」
「結構です」
清次郎は、武彦の持つ冊子のページをめくり、料金の書かれたページを開く。
『六拾分』
『金 拾萬圓 より』
「買います!」
一度、見たことのあるページを前に、武彦は躊躇いなく答えた。
「馴染みも裏と同様、紅椿花魁と会える可能性を買うサービス。会える保証は御座いませんが」
「構いません!」
想像通りの返答を受け、清次郎は武彦から冊子を回収する。
そして、武彦に近づき、耳打ちをした。
「これは、初会より玄屋を御贔屓にいただいた武彦様への、私からのサービスとなりますが」
紅楼の二階にある座敷の一つに、武彦は座っていた。
座敷に案内してくれた廻し方は下座側の襖付近に立っており、微動だにしていない。
武彦は落ち着かない様子で座敷を見渡し、上座側の襖に視線を送る。
すずねや輝水仙と遊び、最後に一瞬だけ紅椿を目にできれば、それだけで武彦は満足だった。
ペタン。
パタン。
足音が響く。
襖がすーっと開き、入ってきた姿に、武彦は驚いて腰を抜かした。
「え? あ? 紅椿……花魁!?」
「約束守ってくださって、嬉しいでありんす」
紅椿は上座へと上がり、三つ敷かれた座布団の内、中央に敷かれた座布団の前に立った。
「あら?」
そして、座布団の横に、赤いツツジが一輪置かれているのに気づいた。
紅の紙袋に包まれた、美しいブーケとなって。
紅椿はブーケを手に取ってしげしげと眺めた後、武彦を見る。
「これは?」
「あ、あの! 茶屋の人に……|床花が粋だって教わりまして!」
崩れかかっている姿勢から発せられた真剣な言葉に、紅椿はつい笑みを零した。
「本当の通人は、そんなこと言わないんでありんすよ」
紅椿はブーケを座布団の横へ置き直し、代わりに廻し方の持ってきた三味線を受け取り、座布団へと正座した。
弦を数度弾けば空気が震え、座敷の雰囲気が一瞬で変わった。
「花、とても嬉しいでありんす。お礼に一曲、披露させてくれなんし」
座敷に、音が満ちる。
香りが満ちる。
紅椿が作り上げる芸術を前に、武彦は、視線を逸らすことができなかった。
第二章完結。第三章の書き溜め時間を頂きます。




