十三軒目 遊び
「王手でありんす!」
「じゃあ、こう」
「むむ!?」
「で、こう。王手。詰みだね」
「んぎゃー!?」
将棋盤の前で、すずねは頭を抱えてうずくまった。
低い姿勢から将棋盤の上を見つめるも、既に勝つ道は残されていない。
すずねは姿勢を戻し、武彦へと頭を下げる。
「負けましたでありんす」
「ありがとうございました」
武彦とすずねが駒を片付けていると、隣で見学していた輝水仙が立ち上がり、チェスの盤と駒を持って戻ってきた。
「私もお相手いただけますか?」
「チェスかあ。俺、やったことないんだよね。持ち駒は使えないんだっけ」
「Vous avez raison。それと、ポーンが最後列に到達すると、キング以外に昇格することができます」
「成るってことか」
すずねが将棋盤を持ち去ったスペースに、輝水仙はチェスの盤を置く。
そして、駒の動きが書かれたルールブックを武彦に渡し、自身は盤上に駒を並べていった。
将棋盤を片し終えたすずねもすぐに戻ってきて、チェス盤の横へと正座した。
武彦はルールブックを眺めながらチェス盤を見て、駒の動きが書かれたページを開いたまま、床へと置いた。
「だいたいわかったから、やろうか」
「お願いします」
武彦は、慣れない細長い駒を手に取って、ハンコを押すように動かした。
「Échec et mat」
「チェックメイトってことかな。負けました」
「ありがとうございました」
武彦と輝水仙の勝負はすぐに決着した。
経験者と未経験者、決着までの情勢も歴然だ。
武彦が、リベンジをお願いしようか悩んでいると、すかさず、すずねが百人一首を差し出してきた。
「次、これをやるでありんす!」
「百人一首かあ。中学校の頃、やったっきりだな。いいよ」
「やったでありんす! 廻し方さん! 札の読み上げをお願いするでありんす!」
「え? 私もやるんですか?」
百人一首が始まると、すずねと武彦が、一進一退の攻防を繰り広げた。
一方、輝水仙の前に持ち札が増えることはなく、輝水仙は悔しそうにすずねを見ていた。
将棋。
チェス。
そして百人一首。
武彦は、すずねと輝水仙と一緒に、楽しい時間を過ごしていた。
気づけば、香時計のお香はだいぶん短くなっており、もう五分もすれば燃え尽きるであろう位置まで来ていた。
「負けたでありんすー!」
遊びに一区切りがつき、武彦は香時計の方を見て、残り時間の短さを知った。
そして、すずねと輝水仙が入ってきて以降、一度も開かなかった上座側の襖を見て、眉を下げた。
(結局、会えなかったな)
武彦の視線の先を、すずねと輝水仙もつられて追う。
そして、武彦の視線の意味が分かったすずねは、哀しそうな表情で頭を下げた。
「も、申し訳ないでありんす」
「え?」
突然の謝罪に驚き、武彦はすずねへと視線を戻した。
「お姉様に会いに来たでありんすのに……」
すずねは、武彦との遊びを楽しんでいた。
しかし、自分が楽しむことばかりを考えすぎ、武彦を楽しませるという仕事を忘れていたと気づき、反省を込めて頭を下げ続けた。
「ああ、ごめん! 全然、そう言うつもりじゃなかったんだ!」
武彦もまた同様、自分をもてなしてくれた二人に見せるべき態度ではなかったと反省し、頭を下げた。
すずねと武彦が頭を上げて、互いの顔が見合った時、武彦は優しい笑顔を作った。
「この二時間、本当楽しかったよ。すずねさんと輝水仙さんと遊ぶことができて、本当によかったと思ってる」
武彦が輝水仙にも視線を送ると、輝水仙は顔に力を入れてすまし顔を作りながら、「ありがとうごございます」と一言返した。
「私も、楽しかったでありんす!」
薄まったお香の香りが、部屋から抜けていく。
夢の時間が終わるように、座敷の中から音が消えていく。
余韻だけが残る空間。
ペタン。
ふいに、足音が響いた。
武彦は、諦めていたはずの音に、幻聴かもしれないと思いながら上座側の襖を見た。
パタン。
上座側の襖がすーっと開く。
全員の視線が集まった中、紅椿は座敷の中へと足を踏み入れた。
「あ……」
座敷が、一瞬で静まり返る。
武彦は目を丸くし、座敷へ入ってきた紅椿を見つめた。
心臓の鼓動が速まっていき、心臓以外を動かすことができなくなった。
「お姉様!」
すずねは立ち上がって紅椿の元に駆け寄り、輝水仙も立ち上がって紅椿に一礼をした。
紅椿はすずねの頭を撫でた後、上座に上がり、置かれている綺麗な座布団へ正座した。
紅椿を視線で追い続けた武彦は、はっとした表情を浮かべ、急いで廻し方へと振り向いた。
「あ、あの! 松をもう一つ!」
「結構でありんす」
が、武彦の要求は、紅椿自身の言葉で断られた。
武彦が視線を紅椿へ戻すと、紅椿との目が合った。
先日と同じ衣装だと言うのに、先日よりも一回り二回り、全身が輝いているように感じた。
紅椿は、座敷の様子を軽く眺めた後、武彦に向かって微笑みかけた。
「うちの子と遊んでくれて、かたじけのうありんす」
「い、いえ! こちらこそ!」
「今度は、わっちとも遊んでくれやんせ」
「よ、喜んで!」
紅椿は、短い言葉を口にすると、すぐに立ち上がった。
滞在したのは、初会よりもさらに短い時間。
武彦は、浮きかける腰に力を込めて、座ったまま紅椿を見送った。
「時間です」
紅椿が去り、廻し方が終了を告げるまでずっと、心ここにあらずといった様子で空を見つめていた。
すずねと輝水仙は、そんな武彦に声をかけることもなく、武彦をずっと見守っていた。
紅楼を出た武彦は、廻し方から渡された封筒を持って、玄屋へと戻ってきた。
「武彦様、お帰りなさいませ」
清次郎は武彦から封筒を受け取ると、封筒の中身を確認し、粛々と精算を始めた。
武彦は、クレジットカードを渡す瞬間、ようやく現実へと引き戻された。
しかし、紅楼での出来事を思い出せば、自分の選択に後悔などしなかった。
「どうでしたか?」
「楽しかったです。とても。…‥でも、次に来れるのはいつになることか」
清次郎から返却されたクレジットカードを受け取り、武彦はつい心の内を零した。
楽しかったとはいえ、月給のほとんどが吹き飛ぶ精算額だ。
武彦は、複雑な表情で言った。
そんな武彦に、清次郎は紫蘇を巻いた梅――甘露梅を差し出した。
「焦らなくていいんですよ。吉原は、余裕がある時に着て、楽しむ場所。またいつかお会いできることを、楽しみにしております」
武彦は、差し出された甘露倍を受け取り、口に含んだ。
漬けこまれた砂糖の甘さが口の中に広がって、梅のカリッとした食感が耳の内に心地よく響いた。
「……甘い」
武彦は咀嚼をしながら、夜空を見上げた。
令和吉原の中からでも月は綺麗に見え、また会いに来たいとぼんやり考えていた。




