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紅椿ノ守 ―令和吉原綺譚―  作者: はの
第二章 客・武彦の通い道

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十二軒目 裏

 紅の灯りが照らす中、清次郎と武彦は紅楼に向かって歩く。

 周囲の妓楼からは、美しい遊女たちが武彦に手を振っているが、武彦は一切気づく様子がなく前を向いていた。

 武彦に見えているのは、紅椿の姿のみ。

 武彦は胸の高鳴りを落ち着けるため、自身の左胸に手を置いた。

 

 紅楼に到着すると、清次郎は表通りを眺めているお万に話しかけた。

 

「紅椿花魁の裏、二時間です」 

 

 お万は緊張で固まっている武彦を一瞥すると、すぐに視線を表通りに戻した。

 代わりに、廻し方の男性が一人、武彦へと近づいてきた。

 

「紅椿花魁の裏ですね。ご案内いたします」

 

 武彦は、清次郎に礼を言い、廻し方の後を付いて紅楼の中に入った。

 畳敷きの広間を通り、二階へと上がる。

 紅椿と会った引付座敷の襖が目に入り、武彦は再び紅椿の姿を思い出した。

 

「こちらです」

 

 廻し方は、引付座敷の前を素通りし、武彦をさらに奥へと案内した。

 武彦は名残惜しそうに引付座敷を見ながら、その後をついていく。

 そして、角を二回曲がった先の、引付座敷よりも装飾がされた襖の前で立ち止まった。

 

「どうぞ、お入りください」

 

 廻し方が下座側の襖を開けたので、武彦は座敷の中へと入り、下座に敷かれた座布団の上に腰を下ろした。

 座敷の広さは、引付座敷よりも一回り小さい。

 しかし、手入れは引付座敷よりされており、装飾も豪華だ。

 辺りを見渡すと、上座には三つの座布団が敷かれており、座敷の隅にはいくつかの楽器が置かれていた。

 

 廻し方は襖を閉めて、棚の上に置かれていた箱を、武彦の側へと置いた。

 箱の中には、お香が直線だけの一筆書きのような模様で並べられており、ちょうど半分の位置に『壱』の札、末端の位置に『弐』の札が立てられていた。

 

「では、ただいまから二時間となります。ごゆっくり、お楽しみください」

 

 廻し方が、『弐』の札とは逆にある末端に、ライターで火をつけた。

 お香はゆっくりと燃えていき、座敷全体に心地の良い香りを広げ始める。

 

 武彦は、お香に灯った炎を見た後、廻し方に尋ねた。

 

「これは?」

「香時計と言います。『弐』の位置のお香が燃え尽きると、お時間が終了となります」

 

 武彦は、物珍し気に香時計を覗き込む。

 くすぶるように燃えるお香がとても美しく見え、自宅に置けば殺風景な部屋もすこしはマシになるのでは、などと考えた。

 

 ペタン。

 パタン。

 

 が、廊下を歩く音が聞こえた瞬間、考えていたことが全て吹き飛んだ。

 武彦は緊張で背筋を伸ばし、ぎこちなく首を上座側の襖へとねじる。


 武彦の視線が注がれる中、上座側の襖がすーっと開いた。

 

「ごめんくださいまし」

「ごめんくださいまし!」

 

 襖からは、輝水仙とすずねが入ってきた。

 そして、上座の座布団に正座し、武彦に向かって深々と頭を下げた。

 

「輝水仙と申します」

「すずねと申すでありんす!」

 

 武彦は、一瞬だけ落胆の表情を浮かべた後、すぐに笑顔を作って輝水仙とすずねを迎えた。

 

「えっと……輝水仙さんと、すずねちゃ……すずねさんだね。初めまして。ぼくは、佐原武彦と言います」

 

 武彦からの返事に、すずねは顔を上げて、ぱあっと表情を明るくする。

 

「武彦さん! 武彦さん! 覚えましたでありんす!」

 

 遅れて、輝水仙も顔を上げる。

 一瞬すずねに視線をやった後、武彦に向かって美しい笑顔を向ける。

 

「Monsieur佐原。短い間では御座いますが、精一杯おもてなしさせていただきます」

 

 武彦は、輝水仙の笑顔を見て、思わず目を丸くする。

 

(そうか。ここは遊郭だもんな)

 

 顔の造形に対して百点としか評せない笑顔の作り方に、見惚れるを超えて、いっそ感動をしていた。

 そして、自分が遊郭にいるのだと改めて認識し、清次郎の言葉を思い出した。

 

「二人とも、お腹は空いてませんか? よければ、ご飯はいかがですか?」

「ぺこぺこでありんす!」

「こらっ!」

 

 武彦が定型文のように口にした言葉に、すずねは前のめりになって返事をした。

 すぐに、隣に座る輝水仙がすずねの方を向いて叱り、その後、武彦に向かって申し訳なさそうに頭を下げた。

 サービス業としては適切でないすずねの素直な反応が、武彦は友達の子供に感じるような愛おしさが掻き立てられた。

 

「じゃあ、一緒に食べようか」

 

 武彦が廻し方の方を向くと、廻し方がメニュー表を持ってきた。

 

『夜席膳』

『松 六萬圓 也』

『竹 四萬圓 也』

『梅 二萬圓 也』

 

(う……)

 

 武彦は、想像以上の金額に一瞬たじろいだが、すぐに廻し方を見て口を開いた。

 

「松を、三人分お願いします」

「かしこまりました。すぐにお持ち致します」

 

 廻し方は武彦からメニューを回収し、襖を開けて座敷から出ていった。

 代わりに、座敷の外に待機していただろう別の廻し方が座敷に入り、襖を閉めた。

 武彦が上座の方を見ると、すずねが驚いたように口を開けて、武彦を見ていた。

 

「どうしたんだい?」

「あ、いえ。その……。すずねは全然、梅でもよかったでありんすよ」

 

 嬉しさと申し訳なさを噛みしめているすずねの表情を見て、武彦は思わず吹き出した。

 

「ぼくもお腹が空いてたんだよ。それに、どうせなら、皆で美味しいものを食べたいじゃないか」

 

 武彦の言葉に、すずねは表情を明るくする。

 が、すぐに座り直し、武彦へと頭を下げる。

 

「ありがとうございますでありんす」

 

 すずねの隣で、輝水仙も頭を下げる。

 

「気にしないでいいよ」

 

 武彦が笑いながら言うと、すずねと輝水仙は同時に顔を上げ、立ち上がって座敷の隅に置いてある楽器――三味線を手に取った。

 着物を整えて座布団に座り直し、弦を(ばち)で弾いて、べんべんと音を出す。

 

「ご飯のお礼に、とっておきの演奏をするでありんす!」

 

 すずねと輝水仙は、そのまま三味線を弾き始めた。

 お香の香りに、三味線の音。

 武彦は、その芸術に浸るべく、目を閉じた。

 

 べんべん。

 べべんべん。

 

 武彦は座布団に座ったまま、すずねと輝水仙の演奏に耳を傾け続けた。

 

 雅な音が座敷に響き渡り、時折二人の呼吸音が混じる。

 二人は真剣そのもので、幼いながらも堂々と、人形のように動かない美しい姿勢で弦を弾いていた。

 武彦は、二人の演奏に感動をしつつ、紅椿ならばどんな演奏をするのだろうかとつい考えた。

 

 べん。

 

 演奏最後の一音が響き、武彦は思い出したようにすずねと輝水仙を見た。

 演奏を終えたすずねと輝水仙は、ゆっくりと頭を下げる。

 武彦は拍手をして、そんな二人を称えた。

 

「とてもよかったよ」

「ありがとうございますでありんす!」

 

 すずねが汗をにじませながら答えると、タイミングを伺っていたように襖があき、膳を持った廻し方たちが座敷へと入ってきた。

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