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紅椿ノ守 ―令和吉原綺譚―  作者: はの
第二章 客・武彦の通い道

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十軒目 見返り柳

 紅椿が退室してしばらくすると、座敷の灯りが再び灯った。

 既に紅椿の残り香も、随分と薄まっている。

 

「お出口までご案内致します」

 

 廻し方は下座側の襖を開けて、客たちに退室を促す。

 客たちは夢見心地から抜け出せないまま、廻し方の後を付いて、紅楼の出口へ向かった。

 外へ出て、他の妓楼の灯りに照らされてもなお、客たちの心は紅椿に奪われたままだ。

 

 武彦は、先程までいた紅楼の二階を見上げ、紅椿の姿を思い出す。

 そして、興奮冷めやらぬままに、江戸町一丁目の表通りを速足で駆け抜けた。

 

「おや、武彦様。お帰りなさいませ」

「あ、あの! 彼女と、もう一度会えませんか?」

 

 武彦は息を切らせながら玄屋へと戻るなり、たまたま店頭に立っていた清次郎へと話しかけた。

 清次郎は、興奮する武彦に驚く様子もなく、首を小さく左右に振った。

 

「申し訳ございません。初会は、一度きりしかご利用いただけないサービスとなっております」

「じゃ、じゃあ、初会以外で会う方法はないですか?」

「初会を終えたお客様には、『(うら)』というサービスをご案内しておりますが、ご覧になられますか?」

「是非!」

「では、かけてお待ち下さい」

 

 武彦は、清次郎に促されるままに、縁台へと座った。

 清次郎は一度茶屋の奥へと引っ込み、一冊の冊子を手に戻ってきた。

 

「こちらが、裏となります」

 

 広げられた冊子を受け取り、武彦は食い入るように目を通す。

 

『六拾分』

『金 伍萬圓 より』

 

「ご、五万円……」

 

 初会よりも高い金額に、武彦の眉間に皴が寄る。

 しかし、紅椿に会いたいという強い想いと、五分当たりの料金と考えれば初会よりも安いじゃないかという打算的な感情が、武彦を突き動かした。

 冊子を膝に置き、武彦は清次郎の方へ勢いよく振り向いた。

 

「裏、買います!」

 

 武彦の燃えるような視線に対し、清次郎は困ったような表情を浮かべて、頬を掻いた。

 そして、武彦の膝に置かれている冊子を回収した。

 

「申し訳御座いません、武彦様。遊郭にて買えるのは、一晩に一つと決まっております。従って、武彦様が裏を買えるのは、明日以降となります」

「え……あ……。そうなんですね」

 

 清次郎の困ったような言葉を聞いて、武彦は一気に現実に引き戻された。

 冷静になった頭で、紅椿に会いたいという想いで暴走していた己を見つめ直し、恥ずかしさで顔を隠したくなった。

 

「私の説明不足で、武彦様に誤解をさせてしまい、誠に申し訳ございません」

「い、いえ、そんな。私の方こそ、早とちりをして申し訳ありません」

 

 清次郎が頭を下げたので、武彦もすぐに頭を下げ返す。

 頭を下げながら、武彦は冷静になった頭で、五万円と言う料金を改めて考える。

 ちょっとした飲み会に十回は参加できるだろう金額。

 それが一瞬で消えかねないことをやろうとしていたと気づけば、急に頭が冷えた。

 

 清次郎が頭を上げたので、武彦もまた頭を上げる。

 二人の視線が交わって、清次郎は自然な笑顔で武彦を見た。

 

「武彦様。裏について、言い忘れていたことが御座います。裏は、紅椿花魁と会える可能性を買うサービスであり、必ずしも紅椿花魁に会えるとは限りません。それでもなお、裏を買いたいとおっしゃられるなら、明日以降、是非玄屋にお越しください」

「え……?」

「武彦様が望まれるのであれば、私どもは全力で武彦様のお力になります」

 

 

 

 清次郎と別れ、武彦は大門をくぐった。

 大門の前は、相も変わらず遊郭に向かう客たちでごった返している。

 武彦は、人の波に逆らうように歩き、駅へと向かった。

 

 妓楼で輝く紅の光とは打って変わり、街灯の白い光が武彦を照らし始める。

 S字に湾曲する五十間道(ごじつけんみち)を歩き、武彦は時折道を振り返る。

 堂々と建っていた大門も建物の影へと隠れ始め、武彦は遊郭にいない事実を噛みしめさせられた。

 

「紅椿……花魁……」

 

 武彦の歩く速さが、遅くなっていく。

 遊郭へ振り替える回数も増え、振り返る度に大門が見えなくなっていった。

 

 五十間道を通り抜けたところには一本の柳が立っており、武彦は完全に足を止めた。

 先程自分が歩いてきた道を振り返っても、見えるのは遊郭と無縁の建物ばかり。

 

「また……会いたい」

 

 一陣の風が抜ける。

 風に流され、思わず遊郭へ戻りかけたが、武彦はその気持ちをグッとこらえ、再び歩き始めた。

 

 見返り柳が葉を揺らし、遠ざかってく武彦の背を見送った。

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