EP8 武道と才能の本質
「実戦では、打撃、組み技、寝技、投げ技など、様々な局面が想定されます。特定の技術体系に偏るのではなく、あらゆる状況に対応できるよう、複数の格闘技の要素を取り入れることが重要視される」
「本来は幾多果てしなく分類可能なのだが、些細で無限分岐して至り、伝統派閥、新技術派閥、統合により進化など、時代と言う波、主観と客観の集合体は常により良い方に傾くか、滅びた喪失技術は新たな名を得て同じ力で進化する道の線上に再構築されていくのだが」
「基本主要の四つの系統、打撃系、組み技系、寝技系、投げ技系に分けることが出来る、現代の格闘技界や武道界の多様性を捉える上で標準的なアプローチで、大枠が小枠を内包してる」
「ふむふむ」
「あらゆる格闘技術、武道に結び付けてその本質を教えよう」
「本質?」
「武道とは強さを追求するだけでなく、自己を磨き、人格を高めるための道、相手への敬意や自己の限界への挑戦を通じて、冷静な判断力や忍耐力といった人間的な成長を目指す点に本質がある」
「ほぉ」
「格闘技術も護身術も、全て吸収と放出が重要だ、それに練度と本質的な強さがあるだけ、量も質も下地に積まれた鍛錬せし肉体と経験が重要だ」
「後は、この体系だ」
「ニューロエンコーディングですね!」
「あぁ」
高度な運動学習で、受けた刺激をわかる様にして吸収刺激の受容: 目や耳などの感覚器官が、光や音といった物理的な刺激を受け取り。
符号化これらの物理的刺激は、脳が理解できる共通の言語、すなわち電気信号(活動電位)のパターンに変換されます、例えば、明るい光は高い頻度の電気信号として、暗い光は低い頻度の電気信号として符号化されます、脳はこの電気信号のパターンによって刺激の種類や強さを区別します。
吸収(情報処理・記憶)符号化された情報は、脳内の神経回路網を通じて処理・伝達され、必要に応じて記憶として保存されます。
そんで再生する(デコーディングと出力)。
復号化記憶された情報や現在の意図(例、この手を動かそう)は、再び電気信号のパターンとして取り出されます、脳はこの信号パターンを解釈し、元の情報や意図を理解します。
出力(再生・行動)解釈された情報に基づき、運動野から筋肉へ運動指令が電気信号として送られ、行動(例、手を動かす)として再生されます。
したがって、ニューロエンコーディングは、情報を脳の言語に変換する入り口のステップであり、その情報を利用して行動するまでの一連の大きな流れの一部であると言えます。
「筋肉の弛緩と収縮、関節の屈曲、伸展、外転、内転、回旋、そして回外と回内、こう言った操作を極めていくと!」
瞬間宏樹の筋肉がピクピクし出した。
「大胸筋、上腕二頭筋、上腕三頭筋と、筋肉が波打ってる?」
「大きな筋肉操作から更に緻密に!」
「うわぁ!?筋繊維が独立してる!?」
「ミリ単位での筋肉の収縮と弛緩の使い分けだ、次は関節だぁ!」
バゴーン!明らかに手には届かぬ範囲にクレーターが形成されていた。
「関節の可動域を柔軟に広げるんだ、何度にも回転させる、怪我しない様にして欲しいのが、今の関節を強引に外してリーチを伸ばす技は、間違えれば肩関節ぶち壊しちゃうから注意してね」
「これで!振り回すだけで敵を一瞬にして皆殺しにするんだよ!」
「なんと言う肉体の操作、、、選ばれしものにしか扱えないのでは?」
「おいおいバカ言うな、じゃあここで、研究で明らかになった、才能についても教えてやる」
そこで宏樹先輩はまた資料を出した。
「おいおい、才能がどうとか言い訳する前に、これを知っとけよ」
そう言って宏樹先輩がまたプリント束を取り出した。
「ここに書いてある内容は、フロリダ州立大学のアンダース・エリクソン教授が長年、スポーツ・音楽・チェスといった“一流”の世界を追い続けてきた研究と、ロチェスター大学のデシ教授の“動機づけ”の理論が土台になってる」
プリントの冒頭にはこうまとめられていた。
生まれつきの天才は確認できない、IQもほぼ関係ない。一流と二流を分けるのは、練習の“時間”と“質”だけである。
MRIによる脳の画像研究では、能力の正体は“脳の構造変化=適応”だと示された。
特殊な才能遺伝子は見つからず、短期間で超一流になった例も存在しなかった。天才モーツァルトも神話化されていたらしい。
「だからこそ、正しい方法で膨大な練習を積んだ人間だけが“歴史ある領域で戦える身体と脳”を手に入れるということだ」
と先輩は言う、プリントにはさらに続いていた。
音楽家は一流の弦楽器奏者は、左手を司る脳領域が大きく発達している。
始めた年齢が早いほど、その変化は顕著。
数学者はキャリアが長い者は右下頭頂小葉の灰白質が多く、アインシュタインはその部分が平均より明らかに巨大で形も独特だった。
スポーツ選手は体操、水泳などでも、身体を細かく制御する脳部位が変化。
ロンドンのタクシー試験の合格者は海馬(記憶領域)が大きい。
さらに年齢による変化についても触れてあり、
2〜6歳までに訓練すれば、絶対音感は全員が獲得可能と記されていた。
「じゃあ、その“質の高い練習”って具体的になんだ?」
と俺が聞くと、先輩はページをめくった。
限界的練習法(原文の意味そのまま・表現は変えている)
①心的イメージ(理想をはっきり描く)
どこに到達したいのか“絵”を持つ、このイメージの粗さが、そのまま実力の天井になる。
②コンフォートゾーンを抜ける(ぬるま湯に浸からない)慣れた行動だけ繰り返すのは成長ゼロ。居心地が良くなった瞬間、伸び代は止まる。
③アウトプット中心(出す→直す→また出す)
まずやる、結果を見て修正し、必要ならインプットを補う、”出す行為”が最重要。
④集中環境(短時間でも100%)超一流は練習を楽しんでいない、彼らにとって練習は“理想との差を詰める作業”。1時間の70%より20分の100%。
⑤プラトー(頭打ち)を打破する工夫、停滞が起きたら手法を変える。躓きの原因を探る探求姿勢。
そして注意書きがこうある。
個人の努力だけでは歴史に勝てない、体系化された知識と指導があってこそ超一流に届く。
フィギュアスケートの4回転ジャンプのように、数十年分の理論と練習法の蓄積が必要な分野もある。
教師がいない場合の“3つのF”
Focus:構造を分解して、最小単位の課題に集中する。
Feedback:動画・計測などで客観的に原因を抽出。
Fix it:改善策を自分で組み立てて試す。
続いて動機づけ(モチベーション)の段階が説明されていた。
最初は「面白そう」で始める、できたら褒められる、失敗と成功を繰り返しながら“自分の一部”になっていく、他者と比較し、外部から認められる、トップに立つと責任感が芽生え、さらに高みを追求する。
トップレベルの子供ほど、親が途中で諦めさせないように支えていたという。
プリントの終盤にはこう締められていた。
才能とは、脳と身体の“適応能力”そのもの。
ほとんどの人間に備わっている。
歴史に裏打ちされた方法を学び、質の高い練習を積み重ね、動機づけを正しく管理すれば、人間の能力には今のところ上限が見つかっていない。
最後にはこう記されていた、人の力は、正しい積み重ねによってどこまでも伸びると。
「教訓が普遍的な効果を、誰にでも齎すためにマイルドな表現のものと過剰に残虐で一 才の比喩なしの激辛口の教訓が有る、見る者に深い精神的な傷、トラウマを産むから規制される、精神的強度を高めるのは良いかもだが大いなる指針の形成にトラウマはイケナイ」
再発する病気、物理的にも精神的にも病、疾患、精神的な障害、恐怖症、トラウマが刻まれた時の鮮明な光景、匂い、痛覚と言った感覚、そこに至る経緯や背景の記憶後退、心の病気ってのは繰り返しちまうもんなんだ、完全には消えない、だが重度のアレルギーじゃないんだ、中度より下なんだ、免疫力をつけられさえすれば、まだ何とか成るんだ。
また完全悪ではない、郷愁などもある。
「はい!」
「挑戦しろ!恐怖を否定しろ!」
「自己暗示するんだ、理性の司令塔にブレーキは掛けさせない、制御を無くせ、逃げるな、闘争のコマンドは選ばせない、リビドーに従え」
「そこでマズロー欲求階層説、欲求により欲求不満が溜まり、理想達成のため辿り着くためのエネルギーと成る訳だ、イド(エス)にエネルギーを溜め、感情を爆破させろ」
「うぉぉぉ!」
「物理的に意識ではどうにもならない部分、神経、その回路の操作、ホルモンの制御はソレで行うんだ!」
そこで資料をまた捲る。
「マスタリー理論?」
マスタリー理論とは、アメリカの教育心理学者ベンジャミン・ブルームが提唱した学習指導の方法論です、日本語では完全習得学習とも呼ばれます。
この理論の基本的な考え方は以下の通り。
前提十分な時間と適切な学習環境が与えられるならば、ほぼ全ての生徒が同じ学習内容を完全に習得することが可能である、という考えに基づいています。
目標、生徒の適性や能力の違いに関わらず、最終的には大多数の生徒(ブルームは95%と主張した)が学習目標に設定された一定水準を達成することを目指します。
主要な原則としてマスタリー理論では、従来の一斉授業とは異なり、個々の学習進度や理解度に応じた指導が重視されます。
学習単元の分割、学習内容を小さな単元に分割し、それぞれの単元ごとに明確な学習目標を設定します。
形成的評価 (フィードバック)、各単元の学習後、理解度を確認するためのテスト(形成的評価)を実施します、これにより、学習者は自分自身の理解度を、教師は指導の改善点を把握できます。
補充的学習と個別指導、テストで目標水準に達しなかった生徒に対しては、補習や個別指導、異なる教材の提供など、追加の学習機会が与えられます。
習熟度の保証、すべての生徒がその単元を完全に習得するまで、次の単元に進まないことが原則です。
教育への影響、この理論は、学習者の能力ではなく、指導方法と学習に費やす時間の問題であると捉えることで、個人の成長と学習成果の向上に焦点を当てています。
現代の教育における個別最適化された学習や、eラーニングなどでの活用も見られます。
そして心理学には、マステリー理論があります、困難な状況を乗り越えることで統御力を獲得するという理論でもあります。
英語の "mastery"(統御力)に由来し、苦しい経験に意味があり、耐えられるという展望を持つことを目指します、この理論は、確かさ、変更、受け入れ、拡がりの4つの構成要素を基に、ストレスに満ちた状況への適応や成長を説明するものです。
マステリー理論の主なポイント、統御力(Mastery)困難な状況を乗り越える経験を通じて、自己統御力や適応力が高まるという考え方です。 意味づけとして過去のつらい経験やネガティブな感情にも、その経験には意味があり、今の自分を形作っていると意味づけることが重要だとされます。 4つの構成要素。
確かさ(Certainty)困難な状況下でも、自分の内的な確信を保つこと。
変更(Change)困難な状況を変えようと努力すること。
受け入れ(Acceptance)状況を現実として受け入れること。
拡がり(Expansion)新たな知識や経験を広げ、自分の人生の可能性を広げること。
心理的アプローチ、感情そのものにも意味があり、それを肯定することがマステリーの獲得に繋がります、例えば、恐怖は危険回避に、怒りは現状改善の願いに繋がるといった考え方です。
「このマスタリー理論の通り、老若男女、年齢性別無関係に素質や遺伝子など素性による部分はあるっちゃあるが才能関係なく学べば出来る様になるぞ」
「うぉぉぉ!」
だから言った筈だ、羅針盤に成ると、方向性の東西南北の平に方向・角度を指し示してくれる、明確な目的地を決めるのは自分の選択だが、目的地点を設置してからは、ずっと方位磁石は、その位置を示して、燈を灯して照らして、安全なルートに先導してくれる、自身はその大いなる羅針盤を活用して楽に安全に道を歩みながら、今まで経験したことを記録して、効果的に欠点を改善する努力に専念可能に成る訳だ。
だからどんな奴でも強くなれる、才能ってのはスタート地点の高低差や学習能力の差異、後は産まれた年月日秒の時間単位くらいで、努力の方向性さえ突き止めてしまえば、後はそのレースで先に走ってるランナーに追いつく為に走法やコツを掴むとか、効率化と努力を惜しまないことだけ意識するだけで良いんだ、どんな経験も無駄には成らない、特に楽しかった経験は趣味や将来の夢に繋がる。
体内を巡る血液、血筋は先祖からの血の繋がり、親・子・孫等の血のつながり、所謂血統に依って変わる、血に流れる自己は経験していない、血筋のどこかで誰かが経験した記憶を、血に流れる記憶を呼び覚まして再体験、追憶する、もし仮にも血の繋がりのある赤子に自身の血が薄くでも流れていれば、前世の記憶を継承するかも知れない、将又上手く記憶を保持する様な理性ある知的生命に流れ込んだら、当然だが前世なんか忘れてる、自我が完全崩壊してるから。
それでも自己の多様化と統一によって自己の因子、残留思念、魂という名の蝋燭の火がどこか継承した者の寿命の蝋燭の何処かに灯る、風前の灯火だが微かに自身は残り、継承した者の何処かで生きていく
自我形成は、自分と他者を区別して自分を認識し、自己主張や自己決定の能力を育む発達過程に依って発生する個別性、唯一性、個性の主張だ、自己主張で自我は形成し、その自我は幼児期のイヤイヤ期に始まり、思春期には自分が何者かというアイデンティティの確立が重要な課題となる、この過程には、周囲との関わりや自己をコントロールする力、他者の視点を理解する能力などが含まれる。
自我は天地一切のものに対する自分、エゴ、心理、自分自身に対する、各個人の意識、観念、自分自身を認識して、意識する心の働き、心理学や哲学の用語で、私という感覚や個人的なアイデンティティ、自己意識を指し、自分の考え、感情、欲望の中心であり、外部の現実と内的な欲求との間でバランスを取る役割を持ち、自己認識や自己コントロールといった精神的な機能を伴います。
道徳的な規範(超自我)の調整役であり、現実原則に沿って行動をコントロールする現実に対応する部分です、一方、理性は、物事を正しく判断し、善悪を識別する力や、普遍的な法則を与えることができる普遍的な能力を指し、超自我の一部、あるいはそれに近いものと解釈される場合もあります。
自我と理性は、自己の在り方とと判断能力という点で異なります、自我は自分が考える自分や自己同一性を持つ主体を指し、理性は論理的に物事を判断する力を指し、理性とは物事の道理を考える能力。道理に従って判断したり行動したりする能力です。
自己同一性は、自分が自分であるという実感が、過去からの連続性や主体性、独自性によって成り立っている状態を指します、一方自我は、自分が自分だと認識する心や、他者との関係の中で自分をどう認識しているかを示す言葉で、心理学では自我同一性と似た意味で使われることもありますが、自我同一性がより広範で深いです。
一時的な在り方、長期的な生き方、自我が環境の変化に適応しながら、自己の一貫性を保って存在する、これが存在洋式。
身を任せて、まずは曖昧に、そして直感に運び入れる、掴むなど、理性に持ち込むまでの狂気の中で働く理性、それは本能や衝動性に任せた動き、本来は非合理的に属する模索手段だが、即座成長を目的とした時、目的地が分かってるのならエネルギーを大量に使う様な合法のやり方に反する、自己と言う社会体系の法律に例外を判決の例にするが如く、ドラッグをキメる非合法、蔓延させて群衆を洗脳・扇動するが如し危険極まり無い方法論だ。
方法論ってのは、科学の方法そのものに関する論理的な反省、知識のあり方に関する批判・検討を任務とする。
長々と語りはしたが詰まりは、才能ってのは誕生時間とたまたま良い設計図に恵まれた遺伝子と、自分の頭に入り易い授業をしてくれる先生、学習に集中して取り組める環境あっての物種、代物であって、生まれの格差で決定的・致命的に決まる才能ってのは、殆どない、毒耐性、電気耐性、両手利きとか絶対音感、、、様々な遺伝的な先取りの要素もあるが努力でまだ手に入る、特異体質だろうが、特殊能力だろうが努力で基本なんとか成るのだ。
「頭の回転が速いのは、豊富な知識と、それらを素早く引き出して応用する情報処理能力、そして相手の状況や気持ちを察する想像力によるものです」
「日頃から多くの情報をインプットし、過去の経験と結びつけて瞬時に最適なアウトプットにつなげているため、速く見えるのです」
「宏樹先輩、頭がパンクしそうです」
「すまんな、今日はここらで終わりにしよう」
こうして授業が終わり、皆任務に向かった。
「音楽学習、か、、、幾多の体系を内包するこれとは別に、本来の音楽がある」
音楽の起源には、動物の鳴き声の模倣、言葉の抑揚、労働のリズム、魔術的な儀式、そしてこれらが組み合わさった諸説がある原始的な音楽は、感情表現や生活の課題解決、神仏への祈りといった目的で、自然素材を用いた手製の楽器や声によって生まれました。現代の音楽は、こうした原始的なルーツに、時代ごとの技術革新や文化交流が加わり、多様な形で発展したものです。
音楽の起源に関する主な説
模倣起源説:小鳥のさえずりや動物の鳴き声を真似することから始まったとする説。 労働起源説:共同での労働や歩行のリズムから始まったとする説。 言語起源説:人間の言葉の強弱や高低、感情的な叫び声など、音声の抑揚が音楽の発生につながったとする説。 呪術・儀礼説:祈り、魔除け、雨乞い、医療など、呪術的・儀礼的な目的で音楽が利用されたことから始まったとする説。 信号説:遠くにいる人へ信号を送るために音を出すことから楽器が生まれたという説。
原始的な音楽の具現化
声:唸る、泣く、叫ぶなどの原始的な音声が、感情表現として使われた。
楽器:草、木、土、石、骨などの自然素材で、笛や打楽器(手拍子、木の棒で打つなど)が作られた。
約3万6千年前の骨の笛が、現生人類によって使われた最古の管楽器と考えられています。
目的:生き延びるための儀式や、病気を治すための呪術的な用途にも使われた。 音楽の歴史的発展
古代文明:メソポタミア、エジプト、ギリシャなどの文明では、祭礼や劇などの場で音楽が演奏され、楽器も発展しました。
日本における音楽の始まり:縄文時代から音楽は存在しましたが、本格的な発展は弥生時代以降、中国大陸や朝鮮半島から音楽文化が伝来してからです。
現代へのつながり:現代のさまざまな音楽ジャンル(ポップス、ロック、クラシックなど)は、これらの歴史的な音楽が、時代ごとの技術革新や文化交流を通して進化・発展してきたものです。
「それが全体像なんじゃないか」
ある生徒はなんとなく気付きつつあった。
「型とは動きの原型と成る、流派は原型から着想を得て投影されたパターン、そうだ一番の良いとこを取り、組み合わせる、最適解答に辿り着くまで、並列の流派が形成、選ばれて無駄は無くなり洗練されて、新技、新々技、新新々技と、原型に添いながら更に高みを目指してリメイクを繰り返すんだ!」
組み合わせは無限大、だからこそ成長性や化学反応、戦術の幅もどこまでだって拡げられるんだ、懐疑的に始まりを疑いを持ち。
ポジティブな思考回路で楽観的視点で見て積極的に取り組む、その反対にネガティブ思考回路で悲観的に取り組み、消極的に、と思考回路は主にこの二つを軸として柔軟に良いとこどりをする。
ポジティブは度が過ぎれば、盲心的に、ネガティブは度が過ぎれば懐疑的に、まるで振切数値、例えば2進数、8ビットで符号なしの場合は255、16ビット符号なしが65535が上限の上振値に、また下限は0は下振値と成る。
失うものが無くなれば無敵の人に成り、すべてのものを得てこれからその基準の中では、敗北や均衡を保つ停滞しかない人に成るかだ。
これには対処方法がある、それはより大きな値に超越して基準値を変更することなのだ、例えばだが一般人から逸脱して逸般人に至るのに。
「良い部分は良いまま、悪い部位は否定、矮小化、改善、そうかそうなんだ」
やつは原田幸樹、彼は今。
「アガァ!?」
「うが!?」
「悪いな、皆殺しや」
覚醒していた。




