第十三話
『大人しくさっさと捕まっておけばよかったものを…』
そう言いながら妖怪蜘蛛は糸の塊を前の二本足で器用に手繰り寄せる。糸の隙間からは時より真っ赤な炎が吹き上がるが、糸に燃え移ることなく、次々と消えていく。
『自慢の炎なら焼き切れると思ったか?残念だったな。俺の作る糸は一度受けた攻撃に段々と耐性が付いてくる。お前の炎程度の耐性なら直ぐについてしまうんだよ。分かったら大人しく俺にお前の妖力を食わせろ。これでまた俺は更に強くなり……』
まるで団子のように丸くなった糸の中で俺は必死に脱出を試みようとするが、動けば動くほど糸は体に絡み付いてきて、俺の動きを封じてくる。
糸の外からはカチンカチンと硬い物がぶつかり合う音が聞こえてきた。このままでは何もできないまま奴に食われてしまう。
俺は何度も何度も、この糸を焼き切るために炎を発した。しかし、更に強化された糸は全く切れる様子がない。
『あの狼、やけを起こしたのか。炎は効かないということが分からないのか。、まあいい、もうすぐ死ぬんだからな。精々最後まで無駄に足掻いてみるといいさ。』
あぁ、くそ。狭い空間で炎を使いすぎたせいか意識が薄れてきた。それでも、それでもだ。俺はただひたすらに体の温度を上げていき、炎を発生させ続けた。こういうときに口から出るタイプの炎でなくてよかったと思う。今の俺は口を開くことすらままならない。
『ん?なんだこれは!?』
妖怪蜘蛛は突然余裕を失った声色に変わった。
『貴様、何をしている!これはいったいどうなっているんだ!』
その声と同時に全力で生み出した炎がそれまで燃えることのなかった糸をメラメラと焼いていき、俺は黒焦げになった糸の塊から外へと飛び出した。
『ふぅ、やっと出られた。まったく俺をあんな狭ッッ苦しい玉の中に閉じ込めやがって。妖怪じゃなければとっくに息ができなくなってたんだぞ。お前は絶対に許さねえからな!』
『何故?!何故出てこれた?!俺の糸は確かにお前の炎を越えていたはず。なのに、なぜ!!』
蜘蛛は絶対的自信を持っていた糸を俺に突破されてひどく狼狽し、動きが鈍くなっていた。それを見逃すほど、俺は自分の敵に対して優しくはなかった。
敵の隙を付いて距離を積めると、がぶりと蜘蛛の胴体へと噛みついた。
『とりあえず一回死んで出直してこい。』
蜘蛛はその痛みに悲鳴をあげてバタバタと抵抗するが、押さえ込んでいるうちにやがて力は抜けていき、最後には完全に全身の力が抜けてぐったりとした。
俺は奴をぽいっと地面に投げ捨てると、妖怪蜘蛛はピクリとも動かずに、その場で妖力が漏れ出し始めた。これは妖怪が瀕死の状態で起きる現象であり、そのまま漏れ続ければやがて妖力は無くなり、下級の妖怪よりも下の、存在するだけの妖力の集まりにまで格が下がってしまう。
『やれやれ、余計な時間を食った。身の程もわきまえず、俺の弟子に手を出そうとしやがって。』
『そうそうお前の糸は段々強くなってくって言ってたよな。お前も強いのかもしれないが、今回は相手が悪かったと思え。なぜなら俺の炎も使えば使うほど段々強くなっていくんだからな。……ってまぁ聞いてないか。』
俺は最期にもう一度蜘蛛をちらりと見た後、屋敷の方へと駆け出した。別に奴から妖力を奪い取ろうとも考えていないし、これ以上この場にいるよりはさっさと宮原の屋敷に戻って稽古をつけていた方がよほど楽しいと思ったからだ。
妖怪蜘蛛の後始末やさらわれた人の所在(おそらかあいつの腹の中だろうが)、木の根本で倒れている少年の保護やらその他の仕事は退魔師連中に任せておけばいいだろう。捜索対象になっているのかは分からんが、それなりに力のあるやつが妖力駄々漏れ状態であればすぐにやって来るはずだ。
「あれ、白?ずいぶん早く帰ってきたんですね。」
屋敷へと戻ると若菜が嬉しそうな顔で俺を出迎えた。そうか、そんなに俺に会いたかったか。そう思ったが彼女の顔はそういうことではない、興奮の色に染まっていた。
『あぁ、まあな。』
「あの、さっきまで練習してたんですが、見ていてもらってもいいですか?!」
そう言って彼女は目の前の小箱に向かって手のひらを向けると、目を瞑り、力を込めているのか少し険しい顔をした。
んんん、と力を込めること5分弱。今までまったく動くことのなかった箱は少しずつ少しずつ動き始めた。
「白!私やりました!まだ少ししか動かないので次はもっと……」
俺のいない間にかなり反復していたらしい。その甲斐あって遂にできたようだな。
『いや、箱を動かす修行は今日で終わりだ。』
「え……?」
『おっと勘違いするな。いつまでも妖力を動かす修行だけでは退魔師に離れないからな。さらに次の段階に進むってことだ。』
「はい。」
『次からは早速退魔師としての術の修行をするぞ。まずは式と契約するんだ。』
式という言葉に体をこわばらせた彼女であったが、気を取り直したようにはい、と元気に返事した。
※※※
「酷いものだな。完全に燃やされている。」
妖怪、黒影蜘蛛は物陰に隠れながら人や妖怪を糸で捕まえ、捕食する蜘蛛の妖怪である。
その黒影蜘蛛の亡骸を前に、一人の少女が傍らにいた龍に呟いた。凛々しく美しくもどこか幼さも残している少女は厳しい顔でグロテスクな蜘蛛を直視している。その顔にはどんな感情も読み取ることはできない。
蜘蛛の妖怪がやられているという一報を聞いてやってきた宮代の退魔師たちが見たのは、最近頻発している人さらい事件の犯人である奴の亡骸であった。
『被害状況から蜘蛛はかなりの力を溜めていたようですが、それをここまで……。』
宮代の次期当主の宮代桜の式であり、強力な妖力を持つ最高位の妖怪である黄金の龍、金慧は蜘蛛を倒した者の異次元の強さに戦慄を覚えていた。ズタズタで黒焦げの蜘蛛は、残虐性かそれとも単純に妖力が強すぎるのか。
「果たしてこれをやったのは我々の協力者か、それとも。」
宮代の次期当主の少女は、相変わらず何を考えているか分からない顔でほっと一息つくと、金の龍の姿を消させて、蜘蛛への興味をなくしたようにその場を後にした。




