嵐 10
夜の帳がかかった空にうっすらと陽の名残が残っている時刻。
帝都に居を構える貴族たちが集まり、フラヴィス侯爵主催の夜会が始まろうとしていた。今回の夜会では皇宮の大広間が許されており、何かあるのではないかと囁かれている。
「……では第一皇女殿下とザーシュバルドの王太子殿下もご出席なさる、と」
「ええ。そのように夫から聞きましてよ」
「なぜフラヴィス侯爵にこの大広間の使用が許されたのかしら?」
「あら、私は皇帝陛下と皇后陛下もご出席なさると聞きましたわ」
「第二妃様が頼み込んだのでは?」
人が集まればそれだけ噂も広がる。その類の話なんて、全員が一度は耳にした。美しい貴婦人に凛々しい紳士。きらびやかな世界ではあるが、闇は深いのだから…。
*****
会場の喧騒からは一歩引いた場所。レミニアリスは戦闘服に身を包んで大広間に隣接する皇族専用の待合室にいた。ルベルトの元へ声をかけに行ったものの、既に出て行った、と言われ見事に入れ違えてしまったのだ。
「……王太子殿下ったら、どちらへ行かれたのかしら…」
「……姫様に恥をかかせるようなことがあれば即刻叩き出します」
ノエルの言葉には思わず苦笑した。……もしもそんなことをすれば外交問題だが、リアネス伯爵家にはその力があるので笑い話にはならないことが少々恐ろしい。
微かに聞こえるざわめき具合からして、レミニアリスは招待客のほとんどが大広間に入っているだろうことを予想した。すると、不釣り合いなバタバタと響く足音が待合室に届く。万が一に備えてノエルが警戒してそっと臨戦態勢を取るが、それは杞憂だった。
「……すまないっ!!!」
全力疾走してきたのか息は荒く乱れているし、面倒になったらしいスカーフは手に握られている。なでつけてあったであろう金髪は妙にハネていた。
…滅多にない、というか初めて目にするルベルトの姿にレミニアリスは笑い声を上げる。
「遅いです、王太子殿下。……もうちょっとでノエルの制裁でしたよ?」
天青石の瞳に涙を浮かべながら笑い転げているレミニアリスにルベルトは唇を尖らせる。しかしレミニアリスを改めて見ると、まじまじと凝視した。
「……えっと、おかしい……ですか?」
「そんな訳ないだろ?よく似あってる」
ストレートなその言葉に頬が赤くなる。
─────────嬉しい。
レミニアリスの胸の中にその思いがこみ上げた。
「そう、ですか。ありがとうございます……」
思いの外、固い声で返してしまう。こんな気持ちはルベルトだけだ。胸の奥に引っかかる想いを押しのけて、レミニアリスは今度こそ明るい声で話しかける。
「王太子殿下。そのスカーフ、私が結んで差し上げますよ!」
最高の笑顔で笑ったつもりなのだが、ルベルトはふいっ、と顔を背ける。途端にチクリとした痛みが胸の中に広がる。……嫌なのかな、と。どんどん自己嫌悪が膨らみ、支配していく。
「ダメ……ですか?」
くどい。自分でもそう思う。夜会前なのに……こんな。
「ダメじゃない。……というか寧ろ結んで欲しいくらいだな」
先程顔を背けられたのは何なんだ、というぐらいあっさりとルベルトは了承してくれた。「はい……?」と返事をすると、ザーシュバルドの紋章が入った黒のスカーフを受け取る。
スカーフを広げ、ルベルトの首元へ持っていくとかなり身長が足りないことに気がついた。レミニアリスも女性にしては少し高い方なのだが、それでもキツイ。
「王太子殿下……。少し屈んで貰えますか?」
わかった、と急にルベルトの端正な顔が近づく。どきっ、音が聞こえそうなぐらい胸が高鳴り、驚いて手元が狂った。そして至近距離でルベルトに見つめられてレミニアリスは息を呑む。
「お姉様ー?そろそろお姉様方に入っていただかないと──────ん?」
「レアー?王太子殿下はまだいらっしゃらないかし───────まぁ」
結び終わった瞬間、なんとロゼラインとセシリアが入ってきた。手を離すに離せず、第三者から見れば見つめ合う2人は口づけを交わす手前に見えたのだ。
「「お邪魔しました、どうぞごゆっくり!!」」
「!…そんなのじゃないからっっ!」
慌てて引き留めると、ノエルもいたことを思い出す。そして、当然のごとくルベルト付きのシェスも…。
何たる失態。まさか知らず知らずに自分の世界に入り込んでいたなんて!
目に見えて暗くなったレミニアリスに異母姉と妹が顔を見合わせてにんまりと笑う。その笑顔は下世話な悪意に満ち満ちているのだからタチが悪い。ルベルト以外の生温かい視線を甘んじて受け止めた。
「落ち込むことはなくってよ、レア。誰にも言わないから」
「ええ、お姉様!」
ノリノリで言いますよね?!と言いかけて止めた。そして、代わりにずっと気になっていたことを質問する。
「……もぅ!……セシリア、今日の夜会にお姉様2人は参加するの?」
ニヤけていたセシリアはスッと真顔になると、「多分……」と頷く。
「アズヴェルト伯爵が広間にいましたし…。その周りにいらっしゃるのではないでしょうか?」
それだけが気掛かりだった。言いがかりをつけて何かとこちらへ来るあの2人がここ最近来ていないのだ。何か仕出かすなら今日は絶好の…。もう言わずもがな、だが。
******
レミニアリスにスカーフを結ばれていた時、ルベルトは混乱の最中にいた。薄化粧を施されて、いつもより艶やかなレミニアリスは大人の女性と少女の間際で危うい雰囲気を醸しだしていたのだ。
抱きしめて腕の中に閉じ込めたい衝動から、ノエルから発せられる冷たい殺気で辛うじて理性を保てている。思いっきり笑いかけられた時には、思わずニヤける口元を手で隠して顔を背けることしか出来なかった。
彼女を自分だけのものにしたい、激しい気持ち。彼女に拒絶されたくない、という情けない思い。……彼女なら、レミニアリスなら、己の全てをさらけ出しても受け止めてくれるのではないかという淡い期待。
──────あぁ、俺は彼女が好きなのか。
この瞬間、ルベルトは自分の想いに気付いた。
成人しきった大人が何を、と言われればそうだ。今まで感じてきた、妙な気持ち。あれは全て、レミニアリスに対して感じた好意であるのだ。否、そんな想いはとっくに感じていたのかもしれない。あの森で出会っときから。
人を好きになるなんて、王太子としての自分には無縁だと思っていたが…。
今の夜会でルベルトが警戒する点はただひとつ。ミュリリアンヌからの謎の予告を実行させないこと。ご丁寧にわざわざ本人から警告されたのだ。…ルベルトの好戦的な部分が目覚めかける。
「……そうね。お姉様だって夜会ぐらい参加されるわよね」
少しトーンの落ちた声でポツリとレミニアリスが呟くと、それを最後に待合室には静寂が落ちた。誰も何も言わない。むしろ、何も言えない。
そんな静寂を破ったのはやはりノエルだ。
「皆様方、そろそろお時間です。侯爵の面目が立たなくなりますよ」
ホッとしたようにロゼラインとセシリアから軽口が溢れだす。
「あら、そんな時刻なの?!侯爵に私が怒られるじゃない…!」
「ロゼラインお姉様、その時は私もご一緒致しますわ」
「まぁ。……あなたも巻き添えで差し上げるわ、セシリア?」
今度は笑い声が待合室を満たした。
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