第14話
暗闇の中、大ボスの低い唸り声が屋上に響き渡っていた。
俺は操縦席のハッチを手動で押し開け、外の冷たい空気を吸い込んだ。焦げたような臭いが鼻をつく。月明かりに照らされた屋上は、先ほどの激突の余波でひどく荒れ果てていた。
重機のモニターは沈黙したままだ。レバーを引いても、油圧の駆動音すら返ってこない。
「完全に落ちているな……」
全館停電。自社ビルの主電源がショートしたことで、経理部と連動していた経費精算システムも、この重機の制御もすべて機能を停止してしまった。
穴の奥から、再び蠢く気配がする。
大ボスがゆっくりと身を起こし、その周囲から取り巻きのモンスターたちが這い出してくるのが見えた。暗視ゴーグルなどないが、奴らの放つ微かな瘴気が輪郭を浮かび上がらせている。
このままでは、ただの鉄の棺桶だ。
復旧させるには、屋上の端にある予備電源の配電盤を手動で操作するしかない。だが、最悪なことに、その配電盤は大ボスの巨体のすぐ横、崩れかけたフェンスのそばにあった。
俺が重機を降りて向かえば、確実に奴らの標的になる。業務用の印字機は手元にあるが、システムが落ちている今、備品としての概念付与がどこまで通用するか未知数だ。
どうやってあそこまで辿り着くか。思考をフル回転させていると、足元からカサカサという不審な音が聞こえた。
「……おい、佐藤。生きているか」
這いつくばるようにして重機の陰に近づいてきたのは、赤城と灰島だった。高級なオーダーメイドスーツは泥と埃にまみれ、見る影もない。
「お二人とも、無事でしたか。ですが、今は危険です。階段の陰に隠れていてください」
「ふざけるな。お前がやられたら、我々も確実に死ぬだろうが」
赤城は額に冷や汗を浮かべながら、ギリッと歯を食いしばった。その隣で、灰島が画面の真っ暗なタブレットを胸に抱きしめ、ガタガタと震えている。
「確率的に言って、このままでは生存率はゼロです……! 営業部のエースである私たちが、こんなところで犬死になんて……!」
「黙れ灰島。だったらどうする。ここで座して死を待つというのか」
赤城は鋭く言い放つと、俺を見上げた。その目には、エリートとしてのプライドよりも、泥臭い生存本能がギラギラと燃えていた。
「予備電源を入れれば、その鉄屑は動くんだな?」
「ええ。ですが、配電盤はあいつの足元です。近づくのは自殺行為に等しい」
「俺たちが行く」
耳を疑った。
「は?」
「わ、私たちが配電盤を操作します! その代わり、復旧したら絶対に私たちを守りなさいよ!」
灰島が半狂乱になりながら叫ぶ。
彼らが突然、自己犠牲の精神に目覚めたわけではないことは明白だった。俺が倒れれば自分たちも死ぬ。だから、自分が生き残るための最も確実な手段として、俺のシステムを復旧させる道を選んだのだ。徹底した保身である。
だが、今の状況では、彼らの提案に乗るしかなかった。
「……わかりました。安全確保を最優先に、速やかに作業をお願いします。労災事故の事後処理は、本当に御免ですからね」
俺が事務的に承認すると、赤城は鼻で笑った。
「誰に向かって口を利いている。俺を誰だと思っているんだ」
赤城が立ち上がる。灰島もそれに続いた。
次の行動は、俺の予想を遥かに超えていた。
「おい、そこのデカブツ! 弊社を舐めるなよ!」
赤城が、腹の底から響くような大声を張り上げたのだ。
かつて営業部で培った、クレーム処理や理不尽な接待で鍛え上げられた無駄に大きな声だった。さらに、両手を大きく広げ、自分をより大きく見せるハッタリの身振りを全開にする。
「そ、そうです! 弊社の敷地内で勝手な真似は許しませんよ!」
灰島も裏返った声で叫びながら、タブレットを振り回す。
大ボスの巨大な頭部が、ゆっくりと二人の方へ向いた。取り巻きのモンスターたちも、一斉に赤城たちにヘイトを向けた。
「今だ、走れ!」
赤城の号令とともに、二人は配電盤へ向かって猛ダッシュを開始した。
泥に足を取られ、スーツを破きながらも、彼らは必死に走る。大ボスが低い咆哮を上げ、巨大な腕を振り上げた。
「佐藤! 早くしろ!」
赤城が叫びながら、配電盤のカバーに手をかける。灰島が震える指で、中のブレーカーを押し上げようとする。
だが、大ボスの動きの方が早かった。
風を切り裂くような音とともに、巨大な爪が、囮となった二人の頭上へと無慈悲に振り下ろされる。
俺は操縦席の中で、祈るように息を呑んだ。
頼む、間に合ってくれ。




