第13話
穴の奥で赤く光る巨大な双眸を睨みつける。
大ボスが吸い込んだ高濃度の瘴気は、その巨体をさらに異形へと変貌させていた。
先代社長が残した防衛用アーティファクトの隙間から漏れ出たガスを、奴は自らの養分として取り込んだのだ。外殻がひび割れ、内側からどす黒いマグマのような光が脈打つように漏れ出している。大きく裂けた口の奥で、圧縮されたエネルギーが球体となって渦を巻き始めた。
周囲の空気がビリビリと震え、肌を刺すような圧迫感が屋上全体を包み込む。
「おいおい、冗談キツいぜ……」
金子が顔を引きつらせ、納品済みの資材箱の後ろに身を隠す。普段は飄々としている裏社会の買取業者も、さすがにこの規格外のプレッシャーの前では足がすくんでいるようだった。無理もない。俺だって、今すぐ有給休暇の申請書を叩きつけて家に帰りたい気分だ。
超高出力のブレス。
直撃すれば屋上ごと吹き飛ぶのは火を見るより明らかだ。回避など不可能。もし防ぎきれなければ、下の階に避難している社員たちもろとも消し飛ぶ。会社始まって以来の、最悪の重大労災事故になる。遺族への対応や膨大な事後処理を想像しただけで、背筋が凍りついた。
「金子、納品してもらった特殊アイテムを開けてくれ!」
俺は重機の操縦席から叫び、即席の防衛ライン構築に着手した。
先ほど俺がアームに仮止めしたワイヤーネットだけでは、あのブレスの威力に耐えきれない。金子が震える手で追加ケースの留め具を外し、極太の延長用ワイヤーと、二本目となるドラム缶サイズの超強力工業用接着剤を取り出した。事務用品の延長線上にある規格外品を総動員して、防衛ラインを二重三重に補強するのだ。
インカムのスイッチを押し、外部回線を開く。
「マッハ建機、聞こえますか!」
『ええ、バッチリ見えてますよ。また無茶をする気ですね?』
通信越しに、ベテラン営業マンの余裕を含んだ声が返ってくる。どんな異常事態でも、彼にとってはビジネスチャンスでしかないらしい。
「重機のアームを支柱にして、このワイヤーネットを張ります。巨大なテープカッターの要領で、迎撃システムを組む。遠隔サポートを頼みます」
『なるほど、経費が落ちるなら喜んで協力しましょう。油圧リミッター、解除しますよ』
彼の遠隔操作によって、重機の二本のアームが限界まで展開される。俺は操縦席から身を乗り出し、金子と協力してワイヤーネットの両端をアームに巻きつけた。そこに工業用接着剤を大量に流し込む。
ツンとした化学薬品の匂いが鼻を突く。空気に触れた途端、接着剤は急速に化学反応を起こし、鋼鉄以上の硬度に硬化した。
これで巨大なスリングショットのような射出機構は完成した。だが、胃の奥が冷たくなるような焦燥感は消えない。
大ボスの口元でチャージされているブレスは、すでに臨界点に達しようとしている。あれを相殺するには、撃ち出すための圧倒的な質量が必要だ。屋上に転がっている瓦礫程度では、触れた途端に蒸発してしまう。
「弾が……足りない」
手元の備品台帳をめくるが、今の状況を打破できるような在庫はない。このままでは防ぎきれない。
『諦めるのは早すぎます、あなた』
インカムの別チャンネルから、凛とした声が割り込んできた。経理の高梨結衣だ。
「高梨……下の階に避難してたんじゃなかったのか」
『経理が帳簿から目を離すわけにはいきません。システムは生きています。先ほどから、あなたが倒した取り巻きの素材をリアルタイムで換金処理していました』
操縦席のサブモニターに、会社の口座残高が凄まじい勢いで跳ね上がっていく数字が表示される。彼女のタイピング音が、通信越しに小気味よく響いていた。
『特別稟議の枠はまだ残っています。必要な資材を、今すぐ発注しなさい!』
「助かる! 建築用のH鋼と、重量ブロックをありったけ頼む!」
『発注完了。屋上へ直接納品します。一円のズレも許しませんからね!』
直後、屋上の空間が不自然に歪み、経費精算システムによる物理召喚が発動した。
ズドォォォン!という轟音とともに、大量の真新しいH鋼とセメント塊が山積みとなって出現する。
「金子、手伝ってくれ!」
俺たちは召喚された重量物を、ワイヤーネットの射出部に次々とセットしていく。接着剤をぶちまけ、複数の鉄骨とブロックを一つの巨大な質量兵器へと結合させた。
穴の奥で、大ボスの口元が極限まで膨張する。圧縮された瘴気が限界を超え、閃光とともに極太のブレスとして放たれた。
「いっけえええええ!」
俺は重機のレバーを叩き込み、アームのロックを解放する。
極限まで引き絞られたワイヤーの張力が、巨大な鉄塊を猛烈な速度で射出した。
空中で、どす黒いブレスと巨大な鉄塊が正面から激突する。
鼓膜を破るような轟音。目を開けていられないほどの閃光。
凄まじい衝撃波が屋上を吹き荒れ、俺は操縦席の中で必死に身を屈めた。装甲がひしゃげるような嫌な音が響き、機体全体が激しく揺さぶられる。
やがて、暴力的な光と音が収まった。
恐る恐る顔を上げる。
射出した鉄塊は跡形もなく消滅していたが、ブレスの軌道は完全に逸れ、上空の雲を丸く吹き飛ばして霧散していた。
「……防ぎ、切ったか」
荒い息を吐き出し、ヘルメットの額の汗を拭う。
だが、安堵の息をついた次の刹那だった。
バチバチッ!という不吉な破裂音とともに、重機のモニターがフッと消えた。
「おい、どうした」
レバーを動かしても、油圧の駆動音が鳴らない。
インカムからの結衣の声も、ノイズとともに途切れた。
周囲を見渡すと、自社ビルの窓から漏れていた明かりが、すべて消え失せている。
ブレス衝突の余波による強烈な電磁パルスか、あるいはエネルギーの逆流か。会社の主電源がショートし、全館が完全な停電状態に陥ったのだ。
非常灯すら点かない、完全な暗闇。
経費精算システムも、重機の制御も、すべてが沈黙した。
静まり返った屋上に、穴の奥から再び、大ボスの低い唸り声が響き渡る。




