第十話
「……駐在兵のお兄さん、それ、聞いちゃダメなヤツだよ」
男は両手を上げたまま呟いた。
細めた金の目は、エリオットを頭の上から足の先まで、品定めする様にじっくり見ている。
「よく見たらお兄さん、髪色は暗いけど綺麗な碧眼だね。……正直、人間を襲うのは性に合わないんだけど」
後ろ頭を掻きはじめた男は「仕方ないか。」とため息を吐く。
「なにを」
肌のピリつきが、一層強くなった。
エリオットはわずかに半歩後退る。
「目撃者はアンタだけ。後ろから眺めていたけど、仲間の気配もなし。それならやる事は一つでしょ!」
男の長い髪が風に舞う。
バサッ!と大きな羽音が耳に入る。
視界が揺らぐ。
エリオットが目を開いた刹那、ガッという鈍い音。
気づけば真後ろの木に、体を打ちつけられていた。
「ッあ?!」
息が衝撃に漏れる。
地面に落下したエリオットは、雪を蹴るように踏み出し、体勢を立て直す。
素早く木影に身を隠すと、男のいた場所に目を向ける。
そこには、腕部を翼に変形した男が、その大きな翼で振り上げた動きで止まっていた。
「……まさか、吹き飛ばされたのか? 僕は」
『鳥系魔族だな。悪いエリオット、気付くのが遅れた』
「大丈夫、だけど……弱ったな。逃げてくれるのを少し期待していたんだけど」
エリオットは苦笑いを浮かべる。
『お前、結構考え無しだな』
フェンリルは呆れたように嗜めた。
「いやだって、向こうは一人でこっちは——」
そう言いかけてエリオットは、ハッと気づく。
『……俺を頭数に入れるなよ?』
フェンリルは鼻で笑うと、上機嫌に言った。
「お兄さ〜ん? 木の後ろにいるのはわかってるから、出てきなよ。痛くしないからさ〜」
雪を踏む音と共に、男の声が林に響く。
ゆっくりとした足取りだが、辿り着くのは時間の問題だろう。
『——さて、アイツだが』
落ち着いた低音が頭に響く。
エリオットは早まった鼓動を鎮める為に、フェンリルの言葉に耳を傾けた。
『恐らく、目がほとんど見えてねぇな』
『どういうこと?』
『同じ魔法だろうが、使い手によって上手い下手はあるだろ? ちゃんとした変化魔法なら、あんな簡単に腕だけ元に戻るなんて、愚策中の愚策なんだよ』
見てみろと促され、エリオットは再び覗き見る。
よく見れば、男の足取りは多少覚束なく感じた。
『アイツの場合、人間の皮を被ってるだけで、元のタチは変わってねぇ』
『タチ?』
『俺たち魔族は既存の動物を元に作られてる。つまり——』
『鳥……あの歩みからして昼行性。この薄闇だと鳥目で見えないってこと?』
『正解だ』
エリオットは「なるほどね」と呟くと、ズボンの後ろポケットから棒状の魔石具を取り出した。
***
魔族の男、イユンクスは苛立ち始めていた。
ただでさえ寒さに弱い、鳥系魔族。
雪が降った夜は、ぼんやりとした明るさで、深い闇より始末が悪い。
「お兄さん〜?」
翼を振り上げ、起こした風で木々を揺らす。
相手は駐在兵の男一人。
目の代わりに聡い耳は、獲物が先ほどからその場を動いていないことを知っていた。
「あー……もう良いや。いい加減、待つのも疲れたし」
昏倒してくれればそれで良かったのに、とイユンクスはため息を吐く。
冷たい地面にしゃがみ込む。
姿勢を低く保ち、思い切り地を蹴り、走る。
バサリと両腕を振り下げ、その勢いのまま、イユンクスは獲物を狩る……筈だった。
素早い速度で、木を中心に旋回したその瞬間。
彼の視界は真っ白に塗りつぶされていた。




