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境界の灯  作者: えるま
第三章

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第五話

「ん……」


 カーテンの隙間から漏れる朝日が、エリオットの目にかかった。気怠そうに、のっそりと体を起こした彼は、うつらうつらと目蓋を開くと、壁面の時計に顔を向けた。


 視界に映った時刻に、一瞬身を固くする。

 だが、直後に響いた『休みだぞ』という声に、エリオットは肩の力が抜けた。


 日が変わるまでロウェルの書類に付き合わされたフェンリル――エリオットの体には、その穴埋めとして一日休みを言い渡されている。


「おはよう、フェンリル……ふぁあ……昨日はお疲れ様」


 堪えきれず出た、大きな欠伸を手で覆いながら、エリオットは体を伸ばした。


『……お陰様でな』


 フェンリルは呆れたような声で言うと、それ以上何も言わなくなった。


 エリオットはまだ眠気が覚めないのか、頭を軽く揺らしながら、ベッドから降りて洗面台へ向かう。


 足裏に感じる床の温度は、急に降った雪に応えるように冷たい。

 エリオットは身を縮こませながら、なんとか辿り着くも、蛇口から出る水温で、再び体を跳ねさせた。


 徐々に動きが鈍くなるが、同居人のフェンリルはそれを許さない。

 さっさと起きろとでもいうように、エリオットの顔に冷水を浴びせた。


「冷たっ!」


 勝手に動く身体は、エリオットが震える暇も与えない。

 いつものように、タオルでガシガシと顔を拭いていく。


 フェンリルから見れば、寝起きの悪いエリオットの身体を操ることなど朝飯前だった。


「ちょっと! 痛いって……」


 次の瞬間、エリオットの口から発せられる声色が低いものに変わった。


「エリオット。お前、俺に言うことがまだあるよな?」


 タオルから顔を上げたエリオットの顔は、鏡に映る自分自身を睨みつけている。


『……昨日の隊長の書類の件は、もう少し説明しておくべきだった。悪かったよ、引き継いでくれてありがとう』


 その言葉を聞くと、フェンリルは深いため息を吐いて、エリオットに体の主導権を返した。


「ところで、昨日は僕が新聞を取りに行って――確か、隊長の部屋に向かう途中で切り替わった筈だけど、その後はどうなったの?」

『別にどうもしねぇよ。エリオットの仕事が終わったから帰るって言ったら、引き止められて無理矢理付き合わされた』


 不服そうな声を、エリオットはタオルを干しながら苦笑する。


「急に雪が降ったり、締め切りが早まったり、大変だったからね」


 エリオットは、体をさすりながらベッドに戻ると、椅子に掛けていた上着を羽織った。

 冷たい空気は、鼻を赤くさせ、吐息をかすかに白に染める。

 思わずエリオットは「今日は冷えるなぁ。」と体を震わす。


『人間ってのは不便だな。獣毛がない分、こんな気温でも寒く感じる』

「なんだ、君も寒かったのか。肌感覚が違うのかと思ってた」


 エリオットは目を丸くした。


『当たり前だ、今はお前の体なんだからな。……はぁ、狼の体が恋しいぜ』

「それに関しては、僕も同感だな」


 笑いながら言うと、彼らは部屋を後にする。

 廊下の窓は白く曇っていた。


 ***


 エリオットが階段を降りていると、丁度扉が閉まる音が聞こえた。


「あ、おはようエリオット」


 足音に気づいたフィオナが、エリオットに笑顔を向ける。


「――それから、昨日は夜遅くまでお疲れ様、モフモフ」


 エリオットが挨拶を返す前に、口は勝手に「おう」と返事をしていた。

 どこか話しかける機会を失ってしまったエリオットは仕切り直すように、軽く咳払いをする。


「お客さん?」

「ううん、雪で配達が遅れたって」


 そう言って、手に持っていたものをエリオットに見せた。


「新聞か……。でも、この雪だからね」

「でしょう? 私も配達員さんにそう言ったんだけど、謝られちゃった」

 フィオナは、困ったように笑う。


『エリオット、それは昨日ロウェルに持っていったやつか?』


 頭から聞こえたフェンリルの問いかけに、エリオットの視線が自然と上がった。


「……あぁ、新聞だね? 人間の町でどんなことがあったのか書いてあるんだ」

「モフモフが何か聞いてるの?」

「うん。それはなんだって」


 フィオナは、エリオットの瞳に映る金色を覗くと、折りたたまれた新聞を広げた。

 それを彼に見えるように傾ける。


「写真と文字で、こんなことがありましたよって書いてあるの。例えば最近だと……」


 フィオナは新聞の一面に目を向ける。


「塔の完成が近いこと。あと、中央の国でまた誘拐……ちょっと怖いな」

「駐在所にも連絡が来てたよ。幸いこの国ではまだ起こっていないけど、全く足取りが掴めてないって」


 フィオナは不安そうな表情を浮かべ、「……無事だと良いけれど」と言葉を漏らす。


 エリオットたちは、まだ知らなかった。

 数日後、この誘拐事件が北の国でも起こってしまうことを。

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