紫煙と共に
「……はは」
銃声の残響と重なるように、グラハムの口から乾いた笑い声が漏れていた。
「こんなことになるとは……思わなかったぜ」
グラハムの拳銃は、弾を吐き出すこと無く地面に転がっていた。
グラハムの右手は、その掌を撃ち抜かれていた。
カナコの拳銃から、硝煙の苦い臭いが漂っていた。
「兄さん……両手を上げて跪いて下さい」
椅子に拘束されていたはずだったカナコは、黒い拳銃をグラハムに向けながら立ち上がった。その銃は指先の血糊で汚れていた。
「カナコ。それはお前の能力なのか?まさか、持ってる物を透明に出来るのか?」
「あなたには、いやレオルさま以外には誰にも、言っていません」
「はは……兄としては、少し悲しいぜ」
グラハムは苦笑いのまま、片膝を地面についた。
しかしもう片方の膝がつく前に、彼のジャケットの袖口から細いナイフが滑り落ちる。器用にそれを半回転させて握り直し、その切っ先を私に向けて彼は飛び出す。
「兄さん!!」
容赦の無い銃弾が、グラハムの足を貫く。鮮血と共に、彼の身体は私の足元に転がっていた。
「は……はは」
仰向けになった彼は自嘲じみた笑みを浮かべながら、ジャケットの内ポケットをまさぐる。
「兄さん、これ以上の行動は無駄です」
「はは……無駄、ねぇ」
彼が取り出したのは武器ではなかった。
「聞かせろよ。カナコじゃなく、俺が裏切り者だって気づいた訳を」
彼の手にあったのは、煙草のケースだった。
「……論理的にはどちらが裏切者か、断定出来ませんでした。裏切り行為はどれも、あなたにも、カナコにも可能でした。それどころかカナコの方が、私の暗殺が容易な立場だった」
「だから……このつまらねぇ小芝居ってわけか」
「私がカナコを殺そうとした時……その時のあなたの行動こそが答えとなる。あなたが妹を救うため私を殺そうとしたことが、家族を想う心の証明となる。そしてその心は……父親を殺された復讐を決意するには充分な材料でしょう」
逆にグラハムがカナコを見捨てれば、彼には家族を想う心など無いと証明できた。そんな人間に、親を奪われたことへの復讐心など生まれない。
心の有無こそが、裏切りの有無そのものだったのだ。
「でもお前は、カナコとぐるだった。最初からカナコは白だと分かってたんだろう?」
「……それは、単なる賭けです」
10年越しのカナコは変わっていた。私の一挙手一投足に表情を変え、毎日私のために地球の料理を振舞ってくれていた。そして命を懸けてでも、ボルトギーゼから私を救おうとした。地球人の星降を頼ってまでも私の命を守ろうとしてくれたのだ。
その背後に、私を想う“心”があったのだと、私は気づくことが出来た。だから私は賭けられた。彼女が裏切り者ではないと。
いや彼女は味方だと、ただ願っただけなのかもしれない。
「……お前は運が良かっただけだ」
グラハムは定まらぬ指先で、一本の煙草をケースから取り出した。
「だが、俺もツイてたよ。10年前の俺は、星降一家失踪事件捜査班の一人だった。警視庁からの出向の身で初任務さ。何日か経って現場周辺を捜査中、ボルトギーゼは再び現れた」
「逃亡した星降舞依を追って来たのですね」
「星降ちゃんは、大した子だよ。奴の宇宙船を飛び出し、隕石のように地球に落ちてきて、生き残ったんだ。当然、それを追ってくる宇宙人が居るだろうって、すぐ予測できた」
「それをあなた、レオルさまにも、私にも黙っていたんですか?10年前からずっと!」
カナコが膝をついて、グラハムの胸ぐらを掴む。しかしグラハムは力無く笑うばかりで話を続けた。
「ボルトギーゼの実験材料……つまり地球人の捕獲は俺が請け負うことにしたんだ。まぁ、そんな密約は単なる時間稼ぎさ。ゲルマ星との通信基地が稼働したら、レオルに話すつもりだった」
「でも兄さんは、結局隠蔽し続けた!身勝手な復讐のために!」
「俺は……地球で過ごすうちに気づけたんだよ。親父の死は、計画のため仕方無かったか?いや、そうじゃない――」
グラハムの血走った眼が、私を捉えた。
「お前が居なければ、親父は死ななかったんだ!!お前が俺から、親父を奪ったんだ!!」
彼の叫びに何と答えれば良いのか、分からなかった。
「俺は何人もの人殺しと出会ってきた。快楽や金目的の屑野郎ばかりだったが、少なからず居るんだよ。大事なもんを奪われて、その憎しみでどうしようもなく誰かを殺した人間がな!!」
言葉を失ったカナコの手が、脱力したようにグラハムから離れていった。
「なぁレオル。生んでくれた親を大事に思うのは、おかしいことか?」
「それは……」
「地球人は教えてくれたぞ!!親を殺されて涼しい顔してるなんて……それこそおかしいってな!!心がある生き物なら、復讐するのが当然だってな!!」
心を獲得したグラハムと、その壮絶な形相。
しかし私は、そこから目を逸らしてはならない気がした。
「……ゼニスに情報をリークしたのも、あなたですか?」
「よく分かったな。日本警察の隠蔽は完璧だった。だから、俺という内部の人間が漏らさない限り、BLUEが動くことは無かっただろうよ」
「ゼニスが学園を襲撃した時、あなたは私を狙撃しようとしましたね?」
「覚えてたんだな。良いタイミングだったが、外しちまった」
「他にも、私を殺せる機会は何度もあった。何故、その時に手を下さなかったのですか?」
「お前が、自分の計画が失敗だったって絶望した時の方が、殺しがいがあるだろう?」
彼の途方もない殺意を実感する。
だが全ては、私自身が招いた憎悪なのだ。
「……グラハム。ライターを、貸して下さい」
「は?」
「その手では、火を付けられないでしょう?」
「……有能な部下への、最後のねぎらいってやつか?」
震える手から受け取ったライターの火を、彼に近づける。炙られた煙草の先端から、白い煙が揺れていた。
「ふぅ……地球は、まぁ、居心地は悪くなかったな」
紫煙を漂わせながら、グラハムは遠くを見つめていた。
「グラハム。地球が我々ゲルマのものになる日は、決して遠くはありません」
「それが、どうした?」
「あなたの協力が必要です」
「……ははは」
煙が目にしみる。
かすかにぼやけた視界の向こうで、グラハムは笑っていた。
ひどく滑稽な物を見るように、彼は私をあざ笑っていたのだ。
「レオル、俺が思うに……ゲルマは滅ぶべき生き物だ」
「どういう、意味ですか?」
「ロジカライズなんてのは、間違いなんだよ。心が無い生き物には、生きる力なんて無いんだ。お前を殺そうと決めた時から、俺は必死に生きられたんだよ。お前がのこのこやって来る日を待ちわびて……次の日がやって来るのが、楽しみで堪らなかったんだ」
火のついた灰はあっという間に落ち、煙草の煙が途絶える。
「はは……最後の一本くらい、吸い切りたかったぜ」
吸殻が、彼の口元からぽろりと落ちる。
「安心して下さい。最後になんて、させません」
私はグラハムの手からケースを奪い取った。
「あなたは、死なせません」
「……何、だって?」
「あなたは、私の同胞です」
無理やり彼の上体を引っ張り上げ、煙草を咥えさせ、ライターを近づける。
「あなたの復讐心は不完全です。きっと今まで、私を殺すことを躊躇していたのでしょう?」
同時に、私は彼の頭に触れた。
「馬鹿なことを――」
「カナコ、医療パックを。早急に」
「な、何考えてんだ」
「あなたのことは死なせません。この惑星がゲルマのものとなる日を、一緒に見るのです」
私は、頭の中で作り上げる。
共に地球侵略を企てた時の記憶。
グラハムの父が死ぬ前の記憶。
消してしまうのだ。彼の怒りや憎しみ――彼が地球で獲得した、その心を。
「グラハム。あなたは大事な、とも――」
何かが、弾けた。
私の眼前、真っ赤な鮮血を放って、グラハムの頭は果実のように割れた。
まるで地面に吸い込まれていくように、力無く倒れる彼の抜け殻。
それに触れようと伸ばされた私の指先には、何も触れることは無かった。
「レオルさま」
眼に入り込んだ血を擦りながら、振り向く。ゆっくりと銃口を下げていくカナコの姿が、そこにはあった。
「兄は、裏切り者です」
どこから湧き上がったのか、私は手が震える程の力でカナコの肩を掴んだ。
「彼はまだやり直せた。私が彼の記憶をいじれば――」
「お願いです、レオルさま」
彼女の頬を、一筋の雫が伝う。
生まれて初めて見た、カナコの涙だった。
「兄さんを……兄さんのまま、終わらせてあげてください」
「殺した方が……良かったとでも?」
「そうです……!」
「そんな馬鹿な――」
「その力の残酷さに気付いたから、星降に使いあぐねたのでしょう?」
少しだけ汗ばんだ両の手で、カナコは私の右手を包むように握った。
「あなたに都合よく記憶を書き換えられた兄さんは、もうその前とは別人です。その瞬間、かつての兄さんは……死ぬんです」
グラハム=メルシエの皮を被った何者かを、何事も無かったかのように従わせる自分。そして、それを目の当たりにするカナコ。そんな想像が、私の脳裏をかすめていった。
「大事な相手には、どうか、使わないで」
不格好な鼻声で彼女はそう言った。
「後悔に苦しむあなたを、見たくないから」
きっと今だからこそ、カナコの言葉に私は同意出来るのかもしれない。
私が頷くと、カナコが潤んだ瞳で優しく微笑んだ。
「……カナコ。あなたは、私のことが憎くないのですか?」
「先ほども言いました。父の死は、あなたの責任ではない」
「グラハムとて、理屈では分かっていたはずです」
「正直に、言いますと――」
カナコが背を向けながら、言葉を紡ぐ。
「このまま地球で過ごすうちに、私にも復讐心が芽生えるのではないかと……恐れています」
彼女の父親も兄も、私が居なければ死ななかった。その事実は、揺るぎようがない。
「ですが、同時にいくつもの心を持てるほど、今の私は複雑になれていないと思います」
彼女はカートに両手をついた。
「……今の私の心は、あなたのことでいっぱいなのです」
彼女はカートを押して歩き出す。しかし私は、離れていこうとするその背を呼び止めた。
振り返った彼女に、私は一瞬言いよどんだ。しかし一呼吸を置いて、口を開いた。
「ゼニスとの対決の前、星降を説得してくれた時の言葉……感謝しています」
「……そんなこと、覚えていません」
「彼女が教えてくれました。あなたが計画に参加したのは、私のことが好きだった――」
「それ以上言えば、この銃であなたを撃ちます」
「しかしその言葉がなければ、あなたが私を信頼しているかどうか――」
「信頼、という意味で言ったのでは……ありません」
カナコは一度、深く息を吸った。
「ただ、言葉のままです」
カナコは下の階に降りていった。
先ほどの言葉の意味を測りかねているうちに、彼女の足音が聞こえなくなった。
「……」
それから私は、二度と物言わぬ同胞を見据えた。
何度考えても答えは同じだった。グラハム=メルシエが、本当の彼として私と共に生きる道は、もう無くなっていたのだ。
喉の奥から何かがこみ上げてくる感覚に襲われる。これまで味わったことの無いものだった。
それを誤魔化すためなのか自分でも理解に苦しむが、私は血溜りの外に転がった煙草を拾い上げる。私はそれを口に咥え、ずっと握ったままのライターで火をつけた。
「げほっ!げほっ!!」
喉の痛み、息苦しさ、強烈な苦み。
とても吸えたものではない。
彼がこんな代物を「美味い」と言った理由は、私にはまだ理解出来そうにない。




